第8話
「そ、それにしても……子どもの縁談を親が勝手に決めるなんて、この世界では普通のことなの?」
「うーん……今の時代はどうだろう。僕の知ってる頃は、貴族とか、裕福な商家ではよくある話だったよ。家と家の結びつきを強くするには、婚姻が一番手っ取り早いからね。でも本来なら、成人していれば本人の意思が尊重されるはずだ。だから、ここまで揉めるのは例外だと思う」
オズウェルは長い脚を優雅に組み、少し冷めかけた紅茶を口にしながら静かに言った。
この騒動の一番の問題は、やはり父親が書かされたというあの誓約書だろう。
それがある限り、父親が娘の婚姻を「認めた」という事実が残ってしまう。
たとえ娘が成人していようとも、親の承認というのは社会的に大きな効力を持つのだ。
「相手は成人した女性だから、親であっても勝手に婚姻関係を結ぶ誓約書は作れない。だから――婚姻を“認める”誓約書にサインさせたんだと思うよ。あとは、本人さえ何とかすればいいってね」
「多少強引なことをしても、“親が認めているから問題ない”で押し通すつもりなのね。……随分と杜撰だわ。ほんとうに、嫌になる」
愛は唇をきゅっと結び、冷ややかな声でそう吐き捨てた。
愛の家族は、彼女を心から愛してくれた。
どこまでも穏やかに、健やかに――。
その優しさに包まれて育った記憶を、彼女はこれからどれだけ長い時を生きようとも忘れることはない。
今もなお、会えないことの痛みが胸に残っている。
それは、たとえ傍にオズウェルがいても、決して癒えることのない傷だ。
だからこそ、愛はユリスの境遇に強い理不尽さを感じてしまう。
家族とは一方的な関係であってはならない。
親だからといって、何をしても許されるわけではないのだ。
――自分の尊厳を守るために、ユリスは父に抗っている。
その姿は、彼女がただ反発しているのではなく、
“自分として生きよう”とする、切実な意志の現れにほかならなかった。
「僕たちにできることと言えば、選考会を応援してあげることくらいだよ」
「……そうよね」
短く返した愛の声には、どこか寂しさが滲んでいた。
永い時を生きてきたオズウェルは、寿命の短い種族と深く関わることをあまり良しとしない。
それは彼が長い生の中で培ってきた経験と、数多の別れを経て得た悟りのようなものなのだろう――と、愛も理解していた。
けれど、まだ愛にはその境地には届かない。
自分もまた長く生きる身であることを、頭では理解していても、心が追いついていないのだ。
いずれわかるのだろう。
誰かを見送るということが、どれほど深く、静かな痛みを伴うものなのかを。
しんとした空気を和らげるように、オズウェルが軽い調子で話題を変える。
「そういえば、この辺りの信仰はユリスが言ってたように、“竜神”っていう神様らしいよ? 竜神なんて珍しいよねぇ。僕以外の竜なんて君の紅竜以外見たことないんだけど……神様たち、僕が寝てる間に他にも造ったのかなぁ?」
ほわほわとした笑みを浮かべながら話すオズウェルに、愛は半ば呆れたように息をつき、それでも自分の感じたことを素直に口にした。
「たぶんなんだけど――信仰の先にいるのは、あなたよ?」
「……え?」
思いがけない言葉に、オズウェルはぽかんとした表情で首を傾げる。
愛の魂がこの世界を去ったあとも、オズウェルは神々と協力して世界の荒廃を食い止めていたはずだ。
そして、世界が平穏を取り戻した後も、崩れかけた均衡を正すためにあちこちを飛び回っていた。
その過程で――彼の姿を目にした誰かがいたのだろう。
おそらくルメリア公爵家の祖先の誰かが、偶然その光景を目撃したに違いない。
それはきっと、伝説として語り継がれるほどの出来事だった。
その一瞬が、信仰の形となり、後世に残ったのだろう。
むしろ、その「伝説の竜」本人がまったく気づいていないというのが、驚くべきことだ。
「どうせ明日から祭りでしょ? いろいろ見て回ってみれば、きっとわかると思うわ」
「えぇー……そうかなぁ」
納得のいかない様子で頬を膨らませるオズウェルを見て、愛は思わず苦笑する。
そして、湯気の立つ紅茶をそっと口に運び、その香りを静かに楽しんだ。
オズウェルは、人族にあまり良い印象を持っていない。
それも無理はない。世界の崩壊を免れたのち、彼はその希少な存在ゆえに人々から執拗に追われたのだ。
もともと人間であった彼にとって、その行為は深い傷となった。
そして今、彼が「竜」としての在り方に傾き、人としての感性をどこかに置いてしまったのは――皮肉にも、人間たちの心ない行動の結果なのかもしれない。
しかし――そんな人ばかりではないのだということを、どうか思い出してほしい。
そう願ってしまうのは、愛の純然たるおせっかいにほかならなかった。
押しつけるつもりはない。
けれど、少しでもオズウェルがこれからの長い時を穏やかに過ごせるようにしてあげたい。
愛だけでなく、もっと多くの命と触れ合い、薄れてしまった感性を少しずつ取り戻せたなら――オズウェルの“竜としての生”は、きっと今よりもずっと豊かなものになるはずだ。
そして、その隣にいるであろう自分もまた、そんな彼と共に、豊かであたたかな時を生きていきたいと願うのだった。




