第2話
少し離れた場所で、オズウェルは竜の姿から人型へと変わり、周囲に人の気配がないことを確認すると、そっと魔法で姿を隠した。
翼だけを残した状態で愛を抱きかかえ、静かに地面へと降り立つ。
降り立った先は、深淵の森とはまるで違う、穏やかな気配の満ちた森だった。
立ち並ぶのは、ごく一般的な大きさの木々ばかりで、森林特有の深い緑の香りが鼻をくすぐり、清涼な風が頬をなでて通り抜けていく。
生い茂る葉の隙間からは木漏れ日がこぼれ、地面に揺れる模様を描いていた。
季節は少しずつ夏へと移り変わりつつあり、草花の色もいっそう鮮やかに映る。
「ここからは歩いていこうか。足元、気をつけてね。疲れたら、すぐ言うんだよ?」
「えぇ……もう、そんなに心配しなくてもいいわよ?」
あまりに過保護なオズウェルの様子に、愛は思わず苦笑する。
「悪いけど、君のことを心配しないでいられるほど、僕は強くないんだ。……この前だって、無理して体調を崩したじゃないか」
「あ、あれはその……環境が変わりすぎたせいで、感覚がちょっと麻痺してただけよ。……ごめんなさい。今度からはちゃんと言うから」
愛はその出来事を思い出し、気まずさを覚えて、じとりとした視線を向けてくるオズウェルからそっと目を逸らした。
――そう、あれは深淵の森を出て間もない頃のことだ。
オズウェルの背に乗って森を抜け、ようやく人の往来があったであろう痕跡を見つけたその瞬間、ふっと意識が遠のいた。
肉体こそ神によって強靭に造り替えられたが、精神は元のまま。
あまりに環境が変わりすぎたせいで、心が追いつかず、知らず知らずのうちに疲弊していたのだろう。
その結果、発熱して寝込んでしまい、オズウェルをひどく心配させてしまった。
幸い、一晩眠っただけで体調は回復した。
だが、それ以来というもの、オズウェルの過保護ぶりはさらに拍車がかかり、彼は常に愛の体調を気にかけるようになってしまったのである。
「ほら、もう大丈夫だから! お昼ごろにはルメリアに入りたいわ。お祭り前日なんだもの、宿泊施設を探せるかどうかもわからないし……」
「あぁ、そうか。しばらく野宿だったからなぁ。すっかり忘れてたよ」
「……あれを野宿と言っていいのかわからないけど、ね」
愛がこの世界に来たとき、彼女のそばには見慣れない荷物がひとつ置かれていた。
落ち着いた色合いの革製バッグ――小説などでよく見かける“拡張バッグ”と呼ばれる代物である。
神託の紙にもその説明があり、どうやら神々からの“お詫びの品”として授けられたものらしかった。
中には便利な道具が数多く詰め込まれており、その中でもとりわけ重宝しているのが、一見ただの布製テントに見えて、内部に入ると広大な空間が広がる“魔法のテント”である。
中は上品に整えられた部屋になっており、風呂・トイレ・キッチンまで完備という至れり尽くせりの仕様だった。
ただし、このテントはひとつしかない。
そのため、オズウェルと愛は当然のように二人で同じ空間を使うことになった。
当初、オズウェルは「外で寝るのは慣れているから」と遠慮していたが、愛は首を横に振った。
「あなたのことを信じてるから」と真っ直ぐに告げ、彼を説得したのだ。
そうして今では、二人一緒に“野宿”という名の快適生活を送っている。
「最悪ここまで引き返してテントを使ってもいいかも。……さ、行きましょ! 」
愛はぱっと笑みを浮かべると、オズウェルの手を取って歩き出した。
最初のうちは、いつもオズウェルのほうから積極的に手を繋いでくれていた。
愛はこうしたスキンシップに慣れておらず、彼が笑顔で手を差し出すたびにどうしていいかわからず戸惑っていたものだ。
けれども、旅を重ねるうちに彼の人となりを知り、少しずつ、愛のほうからも自然に手を伸ばせるようになっていった。
回数を重ねるうちに不思議と慣れていくもので、今ではこうしてごく当たり前のように彼の手を取れるようになっている。
オズウェルは、そんな愛の変化を心から嬉しそうに受け止めていた。
深紅の瞳がやわらかく蕩けていくのがわかると、愛はさすがに気恥ずかしくなって視線を逸らす。
自分の耳が熱を帯びているのを感じるから、きっと赤くなっているのだろう。
――彼もそれに気づいているはずだが、何も言わず、ただ穏やかに笑っていた。
そして二人は、手を繋いだまま街道を歩き続け、昼前には目的地である【水光の都ルメリア】へとたどり着いた。




