第12話
翌日、愛たちは朝食を振る舞われ、選考会の準備に追われるユリスに引き止められつつも、早々にフォルナートの屋敷を後にした。
これ以上、内輪もめに巻き込まれる前に撤退した――そう言った方が正しいだろう。
アクルナ聖祭の当日ということもあり、街は早朝からずいぶんと賑やかだ。
あちらこちらに施された華やかな装飾、そして水盆の上に瑞々しく咲くアクルナの花。
白と青のコントラスト、水と花が織りなす美しい融合は実に見事で、どこに目を向けても引き込まれるような魅力に満ちている。
すでに出店も開いているのだろう、食べ物を手に歩く人々の姿が目に付いた。
露店の内容は実に様々で、食べ物から雑貨、占い、射的のような遊戯まで揃っており、地球の祭りとどこか似通っているところが面白い。
広めの空間では大道芸めいた催し物まで行われていて、町中には笑い声が絶えなかった。
愛たちは水路に沿って並ぶ出店を眺めながら、のんびりと歩みを進め、街のにぎやかさを存分に味わい始める。
やがていくつも水路を渡り、辿り着いたのは教会だった。
街の景観に溶け込むように建てられた背の高い尖塔は、華やかさの中にも荘厳さを湛えており、その周囲を巡る水路には日を浴びて水を弾く瑞々しいアクルナの花が咲き誇っている。
その美しさに圧倒されながら礼拝堂の中へと足を踏み入れると、一般公開されている教会内は祭りのこともあってか随分と人が多い。
竜の伝承が描かれた天井画が視界いっぱいに広がり、奥には竜を模したであろう見事な装飾の石像が鎮座していた。
その竜の姿はどことなくオズウェルに似ており、涙に伏す竜の姿が、今にも息づきそうなほど精巧に彫り込まれている。
「あの石像……すごく精巧な造りね。まるで生きているみたい」
愛が石像を見上げながらもそう呟くと、オズウェルは何故だか他人事のような顔をして笑顔で頷く。
「本当だねぇ……僕が寝ている間に、竜が当たり前の存在になっているなんてびっくりだよ。昔は、僕しかいなかったはずなのになぁ」
オズウェルのそんな言葉に、愛は思わずといった様子で彼へと呆れた視線を向けた。
「この天井画も石像も……全部、あなたのことだと思うけどね……」
「……えっ」
「昨日も言ったでしょ? 信仰されている“竜神”っていう存在は、あなたのことよ。……世界が落ち着いた後、しばらく地上で色々と動いていたんでしょう? その時に、人々に見られていたんだと思うわ」
当時の彼は、任された使命に追われる日々と、大切な存在を失った悲しみに囚われ、周囲が見えていなかったのだろう。
ただひたすらに地上の荒廃を調整し、各地を巡っては、人々の前に竜として姿を現していたはずだ。
いくら寿命が短いとはいえ、こうして後世に語り継がれるほどに、当時の人々にとって彼は神にも等しい存在だったのだろう――そう想像するのは、決して難しいことではなかった。
「当時の人々は、きっと絶望していたはずだわ。豊かだった水は枯れ、雨も降らない。そんな中で種をまいても実らず、人々は飢え、身近な人が次々と亡くなっていく……。そんな状況でのあなたの行動は、人々にとって希望だったはず。あなたという存在が、当時の人々には神そのものだったのでしょうね。何百年経っても伝承として受け継がれて、こうして信仰されるほどに、愛されるようになった」
愛はその時代のことを、憶測でしか語れない。
神の手によって真っさらになった魂は、当時の出来事など覚えているはずもないからだ。
それでも、彼から聞いた話や残された伝承を繋ぎ合わせれば、ある程度のことは想像できる。
礼拝堂の簡素な椅子に腰かけたまま、愛は静かに石像を見上げ、柔らかな笑みを浮かべる。
一方オズウェルは、彼女の言葉に耳を傾けながらも、かつて心無い人々に追われた記憶を思い出し、その話を素直に信じきれず、苦い表情を浮かべていた。
「あなたに比べれば、地上に生きるどんな存在も、本当に瞬きほどの寿命しかないもの。あなたの威光を目の当たりにした人々が亡くなり、時代や世情が移ろうにつれて、人々の考え方も変わっていったはずよ。生き証人がいなくなれば、威光だって薄れていく。……あなたを侮る人が出てくるのも、きっと避けられない。人なんて、そんなものよ」
「じゃあ……僕は、そんなものだと割り切って、人を受け入れるべきだと?」
堪えきれない思いが、オズウェルの口からこぼれ落ちた。
彼が世界の調整のために姿を現すたび、ある者は武功を立てるために武器を手にし、オズウェルの鱗へと突き立てようとした。
ある者は未知の素材として価値を見出し、皮を剥ごうとし、またある者は商品価値を求め、数の暴力を向けてきた。
元は人であったからこそ、オズウェルはその醜悪さに深く失望し、心を摩耗させていった。
世界の調整を終え、神と相談の末、人の手が届かない魔境に身を沈めたのも、そのためだ。
それなのに、眠りについている間に、己を祀る宗教まで生まれていたと知り、オズウェルは行き場のない感情を持て余すように、石像から視線を逸らして俯いた。
その姿を見て、愛はゆっくりと首を横に振る。
「いいえ、別に受け入れなくてもいいの。許さなくてもいいし、不快に思っていてもいい。だって、それはあなたが体験して、感じたことだもの。人が良いものばかりじゃないことは、私だってわかってる。だから、竜神教についても深く考えなくていい。ただ――あなたを慕い、愛していたからこそ生まれたものもあるんだって。それだけを、心に留めておいてくれればいいと思うの」
愛が伝えたかったのは、人という存在の多面性だった。
さまざまな考え方を持つ者がいて、人生を歩む過程で、その思考はさらに枝分かれしていく。
思考を持つからこそ人は複雑で、そして言葉を持つからこそ、その複雑さはより深まっていく。
愛は、彼が守ったこの世界で、そうした人々が積み重ねてきた歴史を辿る旅がしたいと思っていた。
オズウェルの負った深い心の傷が、開いては閉じ、やがて小さく、硬くなっていくように――彼と同じ目線に立ち、隣に立ち続けられる存在でありたい。
彼と同じ長い寿命を与えられたのなら、その重荷を、少しでも共に背負わせてほしい。
出会ったばかりだというのに、ここまでこの竜に心を奪われているのは、魂の番を求める本能のせいなのかもしれない。
けれどそれ以上に、彼の一途さと純粋さが、あまりにも眩しかったからだろう。
愛はオズウェルの厚みのある手に触れ、そっと握った。
優しく握り返されるその手は、温かく、どこまでも穏やかだった。
「これから時間は、たっぷりあるみたいだし。ゆっくり観察していきましょうよ。今を生きる人たちが、どんな存在なのかを。私たちは傍観者。好きな時に、好きな場所で、この世界を見て回ればいいの。……あなたとなら、きっと楽しいと思うから」
「……本当に、僕といて楽しい?」
肩の力を抜いたオズウェルは、不安そうに眉を下げながら、愛へと視線を向ける。
その姿に、愛の胸にはどうしようもない庇護欲が込み上げた。
長い寿命を思えば、今の彼はまだ目覚めたばかり。しかも眠りの中で、数百年という時間を一気に飛び越えている。
人に対する負の感情を抱いたまま眠りについた彼は、そんな様々な感情を抱えて心も体も安定しない中でも、それでも必死に愛に心を配ってくれている。
だからこそ、彼に「人とはこうあるべきだ」と押し付けたくはなかった。
ただ、自分がどう思われているのかを、彼自身に気づいてほしかっただけだ。
そのうえで、どんな考えを選ぶかは彼の自由だ。
けれど、少しでも彼の心が癒えるように――信仰されるほどに愛されてきたという事実だけは、伝えておきたかった。
それを知ったうえで聖祭を見て回れば、きっと景色は違って見えるはずだから。
「もう……楽しくないわけ、ないでしょ?」
拗ねたようにそう言うと、オズウェルは小さく吹き出し、愛の肩にトンと頭を預ける。
大きな角が当たって少し痛いが、愛は何も言わず、彼のしたいようにさせた。
二人の様子に、周囲から時折生ぬるい視線が向けられている気がしたが、祭りの最中だ。
多少のはしたなさは、きっと無礼講だろう。
「……なら、いいか。僕は、君がいれば、それだけで楽しい」
「ふふ、光栄だわ。もっと楽しませてあげるから、覚悟していてね」
「楽しみにしてるよ」
気を持ち直したオズウェルが顔を上げ、ふわりと笑う。
それにつられるように愛も微笑み、二人は椅子から立ち上がった。
そうして礼拝堂をゆっくりと歩きながら、竜神教という過去の残滓と、静かに触れ合っていった。




