第11話
「……こんな話をお客様の前でするべきではないな。一度、別室で話そう。……お客様には晩餐の用意を。こちらの部屋で召し上がっていただけるよう、最大限のもてなしを整えなさい」
ユリスの思いつめた言葉に、男――ベレノールは何かを堪えるように唇を引き結んだ。
やがて小さく息を吐くと、表情を切り替えて使用人たちに落ち着いた声で指示を出す。
事の成り行きを見守っていた使用人たちは、主と娘の間に流れる張り詰めた空気に一瞬戸惑いの色を見せたものの、やがてそれぞれの役目に戻っていった。
「先ほどから見苦しい場面ばかりをお見せしてしまい、誠に申し訳ない。私はフォルナート商会の商会長、ベレノール・フォルナートと申します」
ユリスの父――ベレノールは、神経質そうな顔に疲労の影を滲ませ、深々と頭を下げた。
その姿には、商会長としての矜持と、一人の父親としての苦悩が同居しているようだった。
愛とオズウェルは軽く会釈し、それぞれ自己紹介を済ませる。
ベレノールはそれ以上の言葉を控え、「今日はどうか我が家で、ゆっくりとお休みください」とだけ静かに告げると、嫌がるユリスの腕をやさしく、しかし確かな力で取って部屋を後にした。
再び二人きりになった客室に、愛の長い溜息が静かに落ちた。
「はぁ……。こんなことなら、いっそ野宿でもしていた方がよかったかもしれないわね」
フォルナート家の事情に否応なく巻き込まれつつある現状に、思わず本音が零れる。
そんな愛を見て、オズウェルは苦笑を浮かべると、そっと彼女の肩を抱き寄せ、柔らかく頭を撫でた。
「そんなに深く考えなくてもいいんじゃないかな。僕たちは、あくまで部外者だよ。
やるべきことはもう果たした。あとは彼ら自身が答えを見つけて、解決すべき問題だ。僕たちはただ、それを傍で見守っていればいい」
「……そんな簡単に割り切れたら苦労しないわ」
「君はまだ、元の世界の価値観に引っ張られているんだね」
オズウェルの静かな問いかけに、愛は言葉を返せず、ただ小さく頷いた。
日本という国の文化――他者を立て、自分を控えめにすることを美徳とする価値観。
一見すれば奥ゆかしさのようにも思えるが、実際はもっと陰鬱で、卑屈さに通じる面もあると愛は感じている。
だからこそ、ユリスの葛藤も理解したいと願うし、ベレノールの考えにも耳を傾けたいと思ってしまう。
人生の中で積み重ねてきた価値観というものは、そう簡単には捨てられないからこそ厄介なのだ。
自分たちとは無関係の家庭問題にまで思い悩んでしまう愛に対し、オズウェルは苛立ちを見せることなく、ただ優しい眼差しで寄り添うように見つめていた。
それは単なる慈愛というより、前世の妻としてではなく、“不知火愛”というひとりの人間を理解しようとする真摯な眼差しであり、どこか居心地の悪ささえ覚える。
「まぁ、価値観なんて簡単に変えられないよ。僕だって、人から竜になって……どれだけ苦労したことか」
今でこそ野性的とも言えるほど竜として馴染んでいるオズウェルだが、人としての記憶を保ったまま、竜という新たな存在に“生まれ直した”当時の苦労は計り知れないのだろう。
遠い目をして昔を思い返す彼に、愛はなんと声をかけていいのかわからず、苦笑するしかなかった。
ちょうどその時、扉が控えめにノックされ、使用人たちが入室してきた。
手際よく準備が進められ、ほどなく晩餐の支度が整えられていく。
気を遣ってくれたのか、料理はコース形式ではなく、目にも美しい料理たちを洒落たワゴンにまとめ、自分たちで好きに取り分けられるスタイルに整えてある。
オズウェルはワゴンに並んだ皿を軽やかにテーブルへと移しながら、朗らかに笑った。
「僕らは“考えるように造られた”生き物なんだもの。色んな価値観があって当然だよ。だから無理に直そうとしなくてもいいと思うんだ。こういう問題は繊細だし、僕らが口を出してかき回したら、相手がかえって迷惑を被ることもあるだろうしね。――まぁ、今回に関しては、傍観するのが一番じゃないかな、っていうのが僕の意見かなぁ」
あくまで“個人的な意見”として諭すように語るその姿は、長い時を生きてきた彼らしい気遣いに満ちていた。
思考する生き物が、目の前の問題について思い悩むのは当然のこと――そう言ってくれるだけで、胸にかかっていた重さが幾分かほどけていく気がする。
沈み込んでいた愛の気持ちは、少しずつ、元の場所へと戻り始めていた。
「やっぱりあなたはすごいわね」
「そう?」
愛の真っすぐな賛辞に、オズウェルはおどけるように肩を竦めてみせた。
その何気ない仕草の軽やかさに、愛の胸のつかえまでふっと軽くなる気がして、思わず小さく笑いがこぼれる。
「ふふ……せっかく用意してくださったんだし、美味しくいただきましょう!」
目の前に並んだ料理は、客人への心配りが感じられる見事な盛り付けで、味わいもまた期待以上だった。
中でも、異世界ならではのオーク肉を使ったソテーは驚くほど柔らかく、舌の上でほろりとほどける。
この土地特有の果実を煮詰めて作られたらしい酸味のあるソースは、力強いオーク肉の旨味を包み込み、後味までも爽やかに整えてくれる絶品だった。
さらに、アクルナの花を煮出して作られたソルベは、ひんやりとした口当たりの中に、ほんのりと魔力の温かさが溶け込む不思議な食感が魅力的だ。添えられたアクルナの花が放つ芳香が一層の彩りを添え、味と香りの両方を楽しませてくれた。
「食べてから言うのもなんだけど……こんなに素敵なお料理をいただいてしまってよかったのかしら……」
心づくしの料理に心身ともに満たされ、愛はうっとりと息を漏らしながらも、どこか申し訳なさそうにそう口にした。
お詫びとはいえ、もともと客として招かれている身であるうえに、ここまでのもてなしを受けてしまっていいのか──そう考えてしまうのは致し方ないことだろう。
しかし、オズウェルはというと、優雅にワイングラスを揺らしながら、いかにも彼らしい余裕の笑みを浮かべていた。
「素直に受け取っておけばいいんだよ。いろんな詫びも混じっているだろうし、商人としての打算も含めた“接待”みたいなものなんだから」
「……口止め料的な意味で?」
「そうそう。こんな家の事情を外に漏らされたら困るのは、ここに住んでいる人たちでしょう?
だから、うんと満足して帰ってもらったほうが、余計な情報が外へ流れるリスクも減るってわけ。
だったら、歓待するほうが得策──そういうことだよ」
確かに、これだけ家の醜聞を晒してしまっているのだ。
いくら相手が流れの旅人とはいえ、今日初めて出会った者をそう簡単に信用するわけにはいかないだろう。
どんな人物なのかも把握できていない以上、下手な対応をすれば商会にとって不利になる可能性だってある。
であれば──少しでも機嫌を取っておいた方が得策だ。
もちろん、状況によっては実力行使に踏み切る選択肢もゼロではないが、長年堅実に商いを続けてきた商会が、そんな短絡的な真似をする可能性はきわめて低いだろう。
「とりあえず今回は、この状況を享受することにするわ。……まあ、こんな面倒事とセットなら、今後はいらないけど」
「僕は野宿でも全然構わないよ。二人きりでいられる時間が増えるから、むしろ大歓迎なんだけどなぁ」
そう言って、愛の隣でワインを片手にくすくすと笑うオズウェルの瞳には、どこか甘い色が宿っていた。
少しでも愛との距離を縮めたいのだろうという気配は、当の愛にも伝わっており、愛はほんのりと頬を染めて居心地悪そうに視線をそらす。
頬が熱いのは、きっとお酒のせい――そう自分に言い聞かせるように、愛はグイッとワインを飲み干した。
アクルナと魔力水で造られたそのワインは、実に豊潤で滑らかな口当たりをしており、女性が好みそうな飲みやすさがある。
そのせいか、いつもより杯を重ねるペースが早くなり――気付けば愛は、オズウェルに凭れ掛かるほどに酔いが回っていた。
そしてそのまま、楽しそうに笑うオズウェルの腕に抱き上げられ、ベッドまで運ばれてしまうのだった。




