火の女
太古の昔、神代の時代と言われる頃の山岳地方のとある村に女の双子が生まれた。双子はいまでいう二卵性双生児で外見は似ておらず、姉のほうは切れ長の目をしていて妹は丸い眼をした小さな赤子であった。
見ればなんのことはない愛らしい無垢な赤子であるのにこの頃の風習には双子は不吉であるというものがあった。動物と存在を分かつ人の腹から複数の子が生まれてはならぬという。故にどちらかを間引かねばならぬが、ふたりを産んだ母はそのような卑劣なことはできぬとして、村人も母の情けを汲み取り片方――妹を山に捨てることとなった。
生まれながらにこの妹は罪を着せられ追放の身となった。赤子が山にひとり追放されるというのはどのような楽観的な見方をしても、死、を意味する。赤子はそのまま死ぬはずであったが、天は生かすべき命を選んだ。山に残され死を待つはずであった赤子は幸か不幸か、生き延びるための出会いを迎える。赤子を山中異界にて出迎えたのは、人間のような形をしているが焦げたような肌に硬い毛の生えた魔物であった。
魔物はこの赤子を食おうかと思い悩んだ。しかし痩せぎすの乳臭い小さな肉の塊を食ったからとて何の腹の足しにもならぬとわかっていたことに加えたいして腹が減っていたわけでもない。この赤子に会うより以前に、偶然にして見つけた幾人かの人間を捕え、たいらげたからである。
あの人間たちは、恐らく、きっと、この赤子を山に捨てに来た者たちだろうと魔物は思った。するとこの赤子は捨てられた身か。不吉を遮り己たちが生き延びるために人間たちは赤子を捨てたのだから、人間も魔物も変わりはない。だがこの赤子に罪はない。
魔物と赤子の間に何かが芽生えたのであろうか、一方的な偏執だったのかもしれなかったが、赤子は魔物の同情を引いたのであろう、この赤子は食わないことにすると魔物は決めた。けれどもこんなところに置いているとどちらにしても飢えて死ぬだろう。そうでなくとも他の魔物なり動物なりが来て赤子を食い殺すだろう。自分が食わぬとしているのに他の誰かに食われるのは癪ではある。
そこで魔物はひとつの決断をする。魔物にとっては、何気ないような決めごとだった。どうせこのままでは死んでしまう、この赤子に罪を与えることになっても、ここで死ぬよりましだろう。屈辱に濡れて死ぬよりましなはず、そう思った。――否、そもそも人間のままでさえ腐るほど罪を犯すのだから、魔物だろうと人間だろうと……。魔物はあることをふと思う。罪を犯すのなら、魔物も人間も同じである。魔物の決心は固まった。
このまま死ぬことは許されない。生かしてやる。
責任感のようなものが沸き起こっていた。これからこの赤子はこちら側になる。それは生きる力を与えるということでもあった。悲劇的な結末になろうとも魔物はこの赤子に生きる道を与えたのだ。それは己を捨てた人間に報復する道かもしれぬが、しかしその人間は魔物が食った。復讐に燃え、己の身を穢すことはないだろうと魔物は思った。魔物になろうが平穏に生きる術はいくらでもある。魔物はそれを願い、自らの血を飲ませた。
変化はすぐに訪れ、赤子の頭部からはみるみるうちに黒髪が生え、身の丈と同じ長さになると止まり、一瞬にして麗しく、目も絢な白髪へと変貌した。転生を経て生まれたのは銀髪灼眼、暖かみを失った人ならぬ物の怪である。
墨色の射干玉の瞳には紅色が栄えて、とうとう、赤子は生き物としての温かさを失った。そればかりか化け猫のごとく、獣じみた、尖った耳まで生えてくる始末。こうして、赤子は魔物へと変貌した。この赤子、夜になっても瞳が火のように炯々と輝くことから、火夜と名付けられることとなった。
嘗て人間が神の膝元で暮らしていた頃、人間は深い山の中などを神の住む聖域だとか魔物の住む魔処だとして畏れを抱き、むやみやたらに立ち入ることを忌諱していた。火夜はそんな山奥の辺境――人の立ち入らぬ魔処にて魔物の心配をよそに強く育った。
しかし魔物の思惑は外れ、成長するにつれて人間への憎悪を深めた。この子には素晴らしい才能があったが、しかし彼女に力を与えここまで強くしたのは人間に対する比較にならない程の憎悪であった。火夜は魔物の世界で随分と上位の存在へと成りあがった。そして膨大な数の下部を引連れて、火夜は人間への復讐に乗り出した。
一方、双子の繋がりゆえの力が働いたか、火夜が魔物になったのと時を同じくして、凛と名づけられた姉は強い神通を得て、火夜が魔物になったこと、さらに自分が近い未来において火夜と対峙することを悟った。いつかは自分が火夜をどうにかせねばならぬと凛は生誕より数日にして己の運命を知ったのであった。
幼い頃より神通を発揮していたばかりか不穏な未来を予見していた凛は幼子にして大人のように物わかりが良く落ち着き払っていたために、村の人間から不気味がられていた。凛が成長するごとに力を強めていたことが仇となってか、次第に村人のなかで凛を禁忌として触れぬようにするという動きが見られ始め、垂れた前髪の下には鬼の角が生えているという流言まで出回りようになり、凛が外を出歩けば村人はたちまち戸を閉め家に籠った。凛の家族は村八分となり、たまりかねた両親は彼女を家から出すことを凛に話した。
若い娘に対する酷い仕打ちに胸を痛め、泣く泣く村を出るように諭した両親であったが、未来を予見していた彼女は、なんのことはないといったようすで調度の機会だと思いを決め、巫女となるべく家族の承諾を軽く飲んだ。
凛は神通力によって人助けをしながら、七色に不思議に光る雲に乗り旅を続け、いつか山岳宗教の開祖となっていた。又、彼女は旅の途中で数年かけて季節ごとに四人の赤子を拾い自らの子とし、火夜のような子が増えぬようにと願いを込めて育てたのだった。その愛寵の仕方は血の繋がりがないということを感じさせぬもので、子供たちをひとり残らず火夜に食われた時には自殺を計ったほどであった。
長いこと狂れていた凛であったが紛いなりにも乗り越え、喪失の悲しみを、火夜を殺すための憎しみへと変転させた。
かつて同じ胎からこの浮世に生れ落ち、離れ、いつか会わねばならぬことを心に抱いていた両者が再び相まみえることとなった。凛は単身、雲に乗って空を飛び、火夜の住まう魔所へと降り立った。火夜は大きく白く言葉を持つ犬に乗って凛を出迎えた。互いのことを悪と思い憎悪を燃やし、殺しあうためにふたりは鬱蒼な山中にて対峙した。
凛は火夜と争うために、鬼を自らに憑依させてさらなる大きな力を得ていた。捨て身であった。人が生み出した化け物ならば人の手で葬るのが道理であろうと思いはしたものの、あっちは人ならぬ魔物、何もせず火夜と戦えば負けてしまうのは目に見えていた。さらに化け物は化け物と殺し合うのが似合いだとして、凛は自ら魔物の力を得た。
だが人の体のまま魔物を受け入れた痛みと苦しみと決意も虚しく凛はあっけなく殺された。力の差は明確であった。星の数ほどの人を食い、生まれてこのかた人にたいする憎悪を糧に自らの力を伸ばしてきた火夜にとって凛は赤子も同然であった。人の願いを背負い戦った凛であったが最期は、無念を抱きながら死んでいった。
それから火夜はますます横暴を極めて人を食い殺すようになっていった頃、とある国で一番の武将だという男が火夜の退治に名乗りを上げた。男は強く、火夜と幾度も戦った。戦い、言葉を交わすうちに男は火夜を改心させようと思うようになっていた。火夜の出生の悲劇を知ったがゆえのことだった。
人と鬼の心に共感が芽生えたのか、火夜も男に惹かれていた。火夜は人間の血が混ざった己を憎んでいた。男は人間だが、自分も人間が嫌いだったために男は過去や境遇に囚われることは愚かだと火夜を説得した。
男が火夜を殺さないことが分かると、凛が開いた山岳宗教の教徒たちが復讐のために躍り出た。ふたりはあらゆる術と手段を使われ追い詰められ、最期にはあの世で再び出会うことを誓い共に死した。男は火夜の観測者となり、火夜は記憶を消され、罰を受けながら生きることとなった。これが後に高咲柳となる男と高咲榧となる女の、馴れ初めであった。




