22 深海
目覚めたときにそこにいつもと変わらぬ日常が待っているとは限らぬが、誰がそのようなことを考えながら目覚めを迎えるだろう。夢見から覚めたそこに日常の世界は存在しておらず、ただただ黒々とした闇が茫洋と広がっていた。前後左右から天と地までもを見まわしてみても、あるはずの区切りがどこにもないが、ただ雑音……いいやこれは形のある音のつながり、朝を知らせる小鳥の声と小さな風の遠鳴りがある。
悪夢のなかにいるよりもひときわ濃い、糖蜜を絡めたような漆黒の闇なのに、いつもと違うのは青年の認識が明確であり、ここが現世だとわかるということ。なのにどうしてか視界が効かぬ。茫洋とした黒が広がるのに、洞穴に閉じ込められたような息苦しさを感じていた。
目は開いているはずなのに、何も視界に浮かばない。
青年は青い男のことを思いだしていた。
(そうだ、柊……)
何も見えぬままだというに、手探り、体を起こしざまに感覚だけで両腕を動かしていると、掌に触れるものがあった。人の手の感触が青年の脳裏に像を結ばせた。
途端に何か強い力に締め付けられているような圧迫と、すすり泣く少女の声が訪れた。
「柊、……君か」
「ええそうよ……」
「ここはどこだい」
「私たちのいる、いつもの世界」
「帰ってきたのか……無事なのか」
「うん、ありがとう」
「他のみんなは」
「まだ、そこで寝ているの」
「そうか」
「わ、わからないの?」
「おかしいな、見えないんだ」
青年は己の視覚と引き換えに柊を助けた。
「そんな……」
「大丈夫、すぐに治るから」
青年はもう美しいものを目にすることも微笑みに出会うこともない。青年の世界には美との決別が待っていた。
記号は茫洋な海へ溶けて溺死していた。
もとは光のある世界だったはずだ。狂ってしまった世界などなくなってしまえばいいと思っていたが、このような皮肉で返されるとは青年は思いしなかった。
(破滅というものはこんな簡単に訪れるものなのか。いや、まだまだ僕は落ちていく気がする……)
人の認識の八割は視覚からできている。肌の感覚と匂いと聴覚からの情報だけが世界を知る術と化していた。
しかし悲しみが薄らいでいることに不思議と違和感はなかった。




