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大地への帰還  作者: 桐生真之
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L 逆襲

 慣れてしまえば奈落でさえも日常に変わった。もはやここでどれだけの時を過ごしたものか青年には分かりかねていた。それよりもこの場に時間というものの概念が果たして存在しているのかさえ怪しいところで。

 一歩一歩踏みしめる、その足音のひとつひとつの囁きが、死者の断末魔に聞こえてくる。裸足で踏みゆく廊の石から熱が伝わる。建物が怒気の噴流に覆われているようであった。

 妖しの気配を感じとり、青年は足を止める。嘆きと臓物を欲しているような喜色が心に思い浮かぶ。

「またあいつを探しているのか?」

 背後から女の声が聞こえる。

「あんな者のどこが良い。千年かけてあのざまだ」

 愚問であった。青年は振り向いて答える。

「あのざまだから千年かかっているんだ。だから千年かかっても成仏できないんだ」

「ほ」と女は袖で口元を隠して笑う。

「そんなことはどうでも良い。僕はお前を探していたんだ」

「ああ……そんなことわかっていたとも。それで、私を探してどうするつもりかい?」

「聞きたいことがある」

「はて、そりゃなんぞや」

(哀しいロジックだが、世界の残酷さに太刀打ちできるものがあるとすれば、それは己の残酷性でしかない)

「お前は、自分の悲鳴ってものを聞いた事があるか」

 語尾が女の耳に届くか否や、青年は女の後ろをとり、女の細首に食らいついた。

 女が爆ぜたような苦悶の叫びをあげるも、容赦なく、青年は瞬く間に血を吸いながら女の腕を捥ぎ取った。

「まずい血だ」

 奪い取った女の腕はひとりでに動きだし青年に襲いかかるが青年は構わず今度は腕の血を啜りつくし、骨と皮だけになったそれを床に放った。青年の瞳に青暗い燐火が灯った。

「お前はここでは恐れるに足らない……さぁ、どうしてくれようか」

 苦痛に顔を歪め冷や汗を垂らす女であったが、ふわりと浮いて、何かを唱えた。すると忽ちのうちに墨色の浮遊物が霊気の如く無数に現れ、青年を覆った。

「――――――――」

 女が呪文のようなものを呟くと亡霊たちが怪しげな音を出しはじめ、青年は耳鳴りを覚えた。耳鳴りが続くと金縛りの如く手足が麻痺し始める。

「嘆き喚いて涙を流しなさい。その涙で私は潤う」

 悪意と嘲りが、つり上がった女の口元で戯れる。

 青年は手足から熱が消え石化していくような感覚を覚えた、というのもその実、青年の体の先端から石化が始まり灰色に変色し始めているではないか。

「ふふふ――――動けぬだろう、何もできぬだろう」

 青年に嘲弄を浴びせながら暗闇の中天で舞う女の、目が紅に光ったと思いきや、空を切るように片手を払い、奇怪な昆虫のような異界の魔物を呼び出した。いつか悪夢のなかで目にしたような虫の大行列が青年に向かって歩み出す。死骸に群がる蛆のようにぬらぬらと蠢いて、臭い匂いを出しながら、身動きのとれぬ青年の体に上り始めた。眉ひとつ動かさぬ青年の顔を目がけて這い上がる虫たちが、青年の体内に侵入しようと口元まで迫った。が。

 青年は虫なぞ見えていぬという様子でにやりと笑んだ。すると暗闇の中天に飛翔し、術にかかった青年を見下ろし嘲笑いながら舞っていた女の、口や目や耳や鼻それどころかあらゆる所から鮮血が噴き出した。胸中で悦びが迸り、青年は思わず失笑した。

「はははははは。そんなに血を噴き出すから、僕も吹き出してしまった」などと言いつつ。

「貴様……何をした……」

「僕はお前の不味い腕をわざわざ食べ血を吸いたかったわけではない。僕はお前に噛みついたときに血を注いでいたんだ。悪魔の血を」

 青年が人差し指を鍵状に曲げて唇に引っかけ外に引くと、どろぉり――と濃い血が、口の端から流れ出た。

「僕の血は僕が殺したい者の体に入れば、その体から血が枯れるまでその血を追い出す。反対に殺したくない者の体に入れば非常に強力な免疫効果が得られる。蠍に刺されたって平気でいられる。つまり僕はお前が嫌いなんだ。気付いていたかもしれないが。どうだい、自分の血液が浸み込んだ羽織ものというのは、重たいかい」

「なぜだ……なぜお前がそのように動ける……いつもならお前は私の言いなりのはずだ……」

「体の痛みがひいているんだ。戒めも感じない。まるで呪いが解けたように快適なんだ。悪かったな」

「……貴様、ただでは済まさんぞ……」

「僕もただでは済まさないつもりだ。いままで僕ならびにこの家族を苦しめてきた理由を話せ。お前の目的を教えろ。僕はお前を殺さないことだってできるが、教えなければまだまだ苦痛を与えることもできる。さぁ、どうする?」

「誰が貴様なんぞの言いなりになるものか。いまは不覚をとったがすぐに殺してやる」

「血が押し出される痛みと出血で意識がもうろうとしているだろうに、よくもぺらぺらと回る口だ」

 青年は人差し指を横一文字に軽く振った。すると女の唇の片端が刃物で切られたように裂けた。

「ひいッ――――ッ」

 女は高く悲鳴を上げると口元を抑え蹲り、鉄錆を擦り合わせたような鈍く醜い呻きを漏らした。

「汚い呻きもそこまで口が大きければ漏れてしまうか。おいたわしや。愍然たるお姿だ」

 女は憎しみに醜く歪む顔を抑えながら、瘴気のように熱い息を漏らしていた。

「許さん……許さんぞ……」

「それは僕の台詞だ。僕はお前のせいでどれだけの苦痛を受けてきたことか。さぁ、口も大きくなったことだ。喋り易くなっただろう。話すんだ」

「黙れ!」

 と叫ぶと女は虚空を薙ぎ払って鎌鼬を生み出したが、しかし青年は何の傷も受けなかった。

「打ち消しただと」

「どうやらお前はここでは弱体化するようだ。そんな子供だましは効かない。そのくらいのこと僕にだってできる」

 青年がそう言った瞬間、女はさらに激しい叫びを上げた。打撃の破壊的な痛みによるものだった。

 青年は何をする素振りも見せなかった。そればかりか両手をポケットに突っ込んで佇立したままで、何かをするような動作はなかった。しかし女の体はばらばらに打ち分けられた高速の鉄球をぶつけられたように所々、陥没した。

「なぜ、僕たちにこのような仕打ちをした」

「……ううっ」

「答えろ」

「……おのれ……」

「聞こえないか。聞こえない耳などいらないだろう」

 青年は人差し指を天井に掲げ、一直線に振り下ろした。

「ひっ――――」

 女の左耳が切断された。女の着物と床にも細い亀裂が入った。

「次はこの指を横に引く。意味は分かるな?」

 人差し指を横に寝かせて構えたると青年の眼の色が深く変化したのだが、それをみてやっと女は決心を固めたのか肩を落とし、恭順の色を示し始めた。

「話す気になったか」

「ああ……話してやる!」

「そうか」

 女は短い言葉で語った。

「私はお前を殺人鬼に仕立てて家族を殺させようとした。夢のなかでの出来事はほとんど忘れてしまうが、潜在意識には残る。殺人衝動だけを残して」

「なるほど僕は世界初の効果のある睡眠学習を受けていたとは。原因は母か」

「あの女は私の想い人をとったのだ」

「そのせいで千年も祟られてはたまらない。さぁ、死ね」

「ふふふふ、私を殺してもお前はもうどうすることもできないぞ」

「なに?」

「すでにお前の姉と妹をこちら側に連れてきた。奴らの命が潰えるのも時間の問題だ」

「……貴様」

「はははは! その顔だ! もっと苦しめ! もっと悔しがれ! お前にできることは何もない!」

「有象無象の塵屑が……貴様には償いすらさせはしない」

 青年は目の前に片手を翳した。

「私を殺したって、お前はこの死宮の牢獄で、永遠に放し飼いだ」

「黙れ」

 開いた掌に力を込めて徐に握りこむと青年の十尺手前で膝をつく女の断末魔が響き渡り、膝が折れ、腕が折れ、首が折れ、背中が折れ、頼りなく血が漏れだし、衣を纏った赤い肉の塊となった。


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