表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大地への帰還  作者: 桐生真之
33/56

16 真実

 この日の夜になって、青年は奇怪な形であけびの新たな片鱗を知ることになるのであった。

 胡蝶の夢。夢から覚めたのか覚め際の眠りの中に埋没しているのか、明らかな意識で自分の肉体が動いているという感覚が消失している。

 操作不能。不確かな意識のなかで、青年は自分の体が何者かの手によって操られているような感覚を覚える。

 扉を開けて足を踏み入れると其処は妹あけびの部屋であった。理解しかねる事態であったがそもそも理解の必要があるのだろうか。悪酔いしたように思考力が低下し、細かなことを考えるだけの余裕がなくなっていたことこそが、青年がこのような行動を起こしたことの起因である。青年は夢遊病者も同然で、自我は植物のように薄れていた。

 体のどこかからいくつもの小さな声がする。蟻の大群から同時に話しかけられているようで気味が悪い。

(しっかりしなければ……)

 身体感覚を奪う浮遊感。体の節々が熱を帯びて冷静な思考が纏まらぬ青年は酷い頭痛と酩酊感に襲われて、咄嗟に片手で口を覆った。すると、

「うれしいわ……来てくれたのね」

 片目を黒髪で隠した少女、西洋の支給風の華やかなドレスを纏った少女、切れ長の目をしたあの高咲あけびの友人……黒谷紀河が背後に立っていた。

 熱帯の浜辺に打ち上げられた魚のこどく胸を波打たせて、咳込むように青年は笑った。それからあらゆる感情も見とれぬ無表情にかわった。いるはずのない闖入者について驚いている様子はない、というより、正確にいまある事態を認識していない。対して紀河は裂けるほどに唇の端を釣り上げて妖しく笑んだ。青年が何度となくしてきた笑みを模したような。

「あのね……あなたに読んでほしいものがあるの」

「なんだい」

「これなの」

 彼女は後ろ手に隠していた物を青年の目前に差し出した。

「ノート」

 目の前の少女の手に持たれた物体を見て、青年はぽつりとその名をとなえた。

「そう、これはこの子のもの。これをあなたに読んでほしいの。きっと面白いことが書いてあるわ……大丈夫、この子は私が寝かせておくから」

 と言って、紀河は髪を掻き上げて、あけびの唇にひそやかな口づけをした。眠り姫を目覚めさせるような接吻であったが、綺麗な毒虫に刺されたようなものである。

 判断力の極めて低下したまま、青年、ノートを受け取って頁を捲る……ノートは、すぐそばで眠る妹――高咲あけびの筆跡でびっしりと文字が埋められていた。

 紙面にはこのようなことが書かれてあった。

 

『○月○日』

 チョコレエトをなぜチョコレートなぞさらさらした物言いに定めたのか私には解らない。あの濃厚な渋みと甘みのハーモニーを表現するならばチョコレエトとするのが正しいだろう。

 

『○月○日』

 私の恋人の話はとても饒舌にして細緻であって、何より私の恋人が好きで気ままに話していることだから、楽しい。私の恋人の話は、くるくると転換するも、いつも必然性を内包して進む。三島由紀夫と歩いているかと思えばドナルド・キーン氏に会い、ラフカディオ・ヘルンとすれ違い、泉鏡花や柳田國男を連れ立って、芥川龍之介の居る縁側に腰掛けるのだ。帰りにはデカルトやフロイトの居る小道に寄り、ダリとすれ違い、ピカソと記念写真を撮り、カミュとサルトルの噂を聞いたりしているうちにいつのまにか仮想と現実の迷路に入り込み、量子論やらエヴェレットの多世界解釈やら並列世界についての議論を交わすシュレディンガーとディラックに出会ったりするのが楽しいのだ。面妖で絢爛な知の旅に私はいつも魅せられる。だから私は夜来より、私の恋人の楽しい話に浸るのを待ち焦がれている。

 

『○月○日』

 私は私の恋人を愛している。しかし私たちの関係に性を交えたいなどとは思わない。考えるだけでも厭であるが、私は自分がおかしいとは思わない。正しく愛するためには見返りを求めてはいけないことなど分かっている。頭では。しかし、私は本質的に見返りを期待してしまう自分が存在することを知っていて、そんな自分が憎らしく、恥ずかしく、いけないとことと思っていても見返りを求めてしまうから、見返りが得られなかったときに傷ついてしまう。そう考えているうちに私は愛の拒絶体質になることで傷つくことを回避している。愛したい。愛して欲しい。もっともっと。だけれど私はそれが出来ない。私の殻を破って生まれることを心待ちにしている愛を殺す権利が、私にはあるか。 

 

『○月○日』

 私の恋人と私は文章心理学についての議論を交わした。と言っても終始私が私の恋人の講義を聞いていて、途中途中、私が小さな質問を挟むという、形式である。議題は文章心理学における泉鏡花の心理分析の話題に転換し、十分くらい講義が続いていたが、鏡花の文章は細工文であるから心理はなかなか反映されるものではない、といったことを最後に告げられる。私は惑わされてしまった。これはやられた。こうだから私の恋人の話は楽しいの、である。

 

『○月○日』

 少女という言葉は孤独な言葉である。少女以外の人間が口にする言葉で、本物の少女からは使われない言葉。少女に対して少年、対しかたが邪道であるが故に少年という字と対等でなく可哀想でもある。だけれど本物の少女はあまり孤独でないから何だか滑稽だ。少年の対義語は少女ではなく、老年であろう、と、こんなことを紀河と下校時に話していた。

 

『○月○日』

 女子校にいるため普段同年代の異性と接触する機会が皆無に等しいためか、なんだか奇妙なことに兄にまでいらぬ気遣いを起こしてしまっている。こちらが勝手によそよそしくなっているのだが、しかし最近の兄は昔の私が誤ってお姉ちゃんと呼んでしまったころのような女の子らしい感じは薄まり(生まれつきの美しい目や指には冷たい優雅が残っているが)男という生き物に変貌してしまったので、それだけで私にとっては異質なのである。正直、男という生き物はわけがわからない。わけがわからないので恐いが、恐怖に打ち克つにためには相手を知ることが必要であるから、これから注意深く兄を観察してみる。恐怖に打ち克つために着重ねた鎧のために、身動きが取れなくなってはならない。

 

『○月○日』

 級友と性について話しているとき女子校に入学して良かったと思う。個人的に面識はないが級友の話によると隣のクラスのとある生徒が随分な男たらしで酷いあだ名が付いたそうな。確かにあけびも(あけびだけか?)少女の記号を持ちにくくなってしまった。少女であるあけび自体が少女的な記号に同一化できないでいる。私の恋人は私を育て間違えたのだろうか。私の恋人は私の加速度的な成長を期待していたか。私はそれを拒否することを諦めて私の恋人への迎合を示してしまったのか。違うと思う。あけびは何になろうとしているのか。女というものを捨てたのか。粋な人間になりたいとは思う。戦前の文化と精神を復活させれば良いのだろうか。ふわふわした希望の隘路に身を落とそうとする彼女。あけびの中の大和撫子は死んだのか。復活させたいとは思う。遡る。儒教以前の男女関係は男尊女卑の風潮はなかったと何処かで読んだ。気になることは色々あるが自然にすれば良いと思う。こういったあけびの暴論を高々と提唱すると、彼女の親愛なる学友たちは揃って笑い、誰もそんなこと考えてない、とか、おばさんみたい、とか、なまけもののあんたがよく言うわ、とか、かわってるよね、とか、お誉めの言葉をあけびにくれるのだが、面白い、と言って、楽しそうに聞いてくれるのでまあ、よしとすることにしようと思う。私はなまけものでだめな人間だが、いいじゃないか。バランスが悪いだけなのだ。

 

『○月○日』

 昼休みに廊下を歩いている途中、どこからともなく卑猥な笑い声が聞こえたので振り向くと女の子が三人で立ち話をしていた。聞くところによると、あの三人の中の背の高いのが例の子らしかった。会話を聞いていると、出てくる、出てくる、卑猥な言葉。なんと由緒正しき尻軽女なのでしょうか。彼女たちは学内ではマジョリティーで(あたりまえだ)教員たちから疎んじられているらしい。そうだろうなとは思う。そういった雰囲気は十全に感じられた。感じられない方がおかしい。疑問があるのだがうちは進学校であるのになぜ淑やかなお嬢さんとあのような子たちが同じ学校にいるのだろうか。ちなみに大半は私のような極めて良くも悪くもない平凡な生徒である。ま、私にはどうでもよい話だけれど。私の世界では一人称である私(I)と二人称である身近な存在(YOU)で形成される私たち(WE)が極めて大切なのであり、三人称であるところの他人であり枠外の彼ら(THEY)はほとんどどうでも良い。


『○月○日』

 何が私をそうさせたのか。私は例の子との会話を試みた。驚くことにこれがなかなかどうして会話が弾んだのである。彼女は普通の子だった。むしろ良い子という印象を受けた。本質的に良い子なんじゃなかろうか。昨日の日記では枠外はどうでも良いと書いていたがしかしこれは矛盾しない。これも私の性質のひとつで、なぜだか私は疎まれている人間や少数派の人間を見ると関わりたくなるようなのである。私はどうも疎まれている人間を見ると他人のような気がせず、勝手ながらTHEYの枠であった彼らをWEの枠内に入れてしまうようなのである。なんだかおこがましいがこれが私の性分だ。話変わって、いつものごとく今日も柊が兄にベタベタしていた。柊の兄へのアプローチのパターンは大まかに分類すると二種類。ベタベタするか、悪戯するか。基本的にどちらにしろ、柊は兄に纏わりつく傾向がある。だが、それに対しての兄は、あしらったり、可愛がったり、黙殺したり、怒ってみたり、莫迦にしたり、なんら法則性がない。気分に斑がある。ただ――白々しさというか、それらの兄の行動ひとつひとつから真意が見えてこないのである。天空から巨大な雲を見ているようでその下の地上は嵐なのか雨なのか雷なのか雪なのか快晴なのか又は熱いのか寒いのか暖かいのか涼しいのかどうなっているのか把握不可能なのだ。柊は頻繁に兄の頬に接吻しているがやれやれ本当に仲の良い兄妹だ。

 

『○月○日』

 思い出し笑いは幸せなのに、嫌なことを思い出して腹を立てるのはつくづく愚かなことであると思うのだが、精神の未熟さ故か、私は度々嫌なことを思い出しては腹を立てる。頻度としては、一般的な女性の中でも多い方なのではなかろうか。感情的になって、頭の中に生まれた敵と無益な戦いを繰り広げていることがあり、このように見えない敵と戦っているのはもしも傍から見られるのであればとっても馬鹿らしいことと映るのは必定であろうが、どうにも止められそうにない。今も昼のことを思い出して嫌な気持ちになっている。私は今日の授業中、とある教員からこんなことを言われた。『あなたは、教養はあるけれど幼い。知能は高いけど赤ん坊みたいね』。なんと言い得て妙な。しかしそんなことは言われなくともこちらは重々承知なのである。私は幼く、遅いのだ。のろまだ。未熟だ。精神的にも肉体的にも。精神的には主に社会性の部分が未熟だ。

 最近、紀河から、私は『通俗的に多くの人間に見られる人間心理を深く知ってはいるが、個人の感情の機微を汲み取るのは苦手のようだ』と告げられた。だから『相手の相談に乗る際、たくさん話させ、多くの情報を得て総合的に良い答えを導き出すことには長けているが、何気ないその場の会話ではとんちんかんな返答を寄こすことが度々ある』らしい。私は笑おうとしたが、いつも以上に笑えなかった。

 しかし私があの教員の言うような、知能の高い餓鬼ならば私は教員の悪態は重々理解できる筈で、そんな人間に、あんな粗暴な言葉の礫をぶちまける教員よりは餓鬼じゃあない、と言う気持ちを込めて、授業中、あの忌々しい女教員の古語についての間違いを優しく丁寧にネチネチと指摘したのだ。せいせいした(兄が時々使う粗暴な調子が私の口に憑依していてあまり好ましいことではないが、でも、こういう気持ちには兄の口調は良く合うのだから使いやすい――言葉には顔と同じように表情がある)。生徒から優しく丁寧に手解きを受けるほど屈辱的なことはないだろうから。授業が終わると私は学友たちから大きな賞賛を得ていた。皆が私をヒーローだと言って囃し立てた。私は注目されることは苦手であるが、少し嬉しく思った。

 度々耳にしてはいたが、皆あの女の無神経さには苛ついていたようである。他人のためにしたわけではないが皆から賞賛されると正直少し嬉しかった(目立つのは好ましくないが)。私はつくづく強者の側に立つのは向いていないと思う。弱者の側に立って何かをする。それは私自身の内面的な革命にも繋がると思う。私が女子高生だからとなめてほしくないのである。大人たちに、思い出してほしい。あなたがた子供だった頃、ひとりの人間として対等に接しない大人に対してどれほどの憎しみと理不尽を感じたかを。法律や生活の問題から成人は二十歳以上の人間と規定されているが、生まれたての赤子でも人間、さらに自意識が芽生えた時点で立派な人間、権利意識は大人と何ら相違無い人間だ。宣戦布告である。私が社会的に大人になった時、書いて、書いて、書いて、驕り昂った強者達に報復してやるのだ。大人たちの暗闇に光を当て、曝け出させてやる。熱くなってしまった(いけない)。人は互いに足を引っ張り合ってしまう。大人の彼女も子供の私も共に莫迦なのだ。

 

『○月○日』

 子供は大人が思っている以上に大人で狡猾で、馬鹿で無知だからと決めつけ軽率に接すると視線の鏃に突き刺され、言霊の弾丸に穴ボコにされる。たまの授業中にあることだが、教師が別の教師への不満を、口上の葉の裏に畳んでさらに鴉の羽根で包んで私たちに提示し、暗々裏に私たちに取り入ろうとするのは見苦しいどころではないし無粋の極みであるし無様であるし、毛の生えた蟇のように熱さにもだえて死んでほしいと思うのだ。他人に言霊をぶつけることが如何に危険な行為であるかということをもっと身をもって自覚するべきなのである。学生であるが私たちは女で人間である。このおしゃべりの好きな人種の前でよくもあれだけの痴態を晒せるものだと感心してしまったから授業後は皆の槍玉にあがってしまっていた。軽率な言葉の暴力を撒き散らす教員たちの愚かさなど私たちにはばれているのであるから誰もあなたたちを尊敬しないのである。あなたたちの莫迦さを解っているけどあなたたちに逆らったら単位が取れないから私たちは尊敬するふりをして機嫌を取っているだけなのである。あなたたち自身の存在に価値があるのではない。あなたたちの立場に敬うふりをしているのだ。人は少なからず弱者のふりをして賢く人生を泳いでゆくべきなのだ。最も賢く生きる者は世に隠れて生きている者であるし、最も重要な人間というのは静かに淡々と生きる者だ。だから私たちはあなたたちの愚かさを受け流し、嘲笑い、やり過ごすのである。これはさっぱりくだらないが、実はこういうことも私の恋人と話してみたいと思うのだ。うん、だがやっぱり私は話さないだろう。――――今日の日記を読み返してみたのだが私にはユーモアが足りない。苦難を笑いに変えてすらすらと生きていく感性が私には必要なのである。自分を笑い世界を笑うのだ。そうすれば人生も笑いだすかもしれない。皮肉ではなく私は腹いっぱい笑いたいのだ。笑いを喰らって生きていたい。笑いでお腹いっぱいになりたいのだ。笑いだって共感なのだ。笑いこそが人間の絶対的コミュニケーションなのだ。いいじゃないか潤うくらい。いつかは両手を広げてこの心を曝け出してしまいたい。それで私の周辺が汚染されないのであれば。感情が乱れている。泣きたい。お腹が痛い。客観視したい。深呼吸をしろ。目を瞑って考えろ。苦しみから逃げることが苦しみを増幅させる。苦しみと闘い続けろ。苦しみに光を当て続けろ。焼けるように痛いかもしれない。しかしそうしなければ解決は望めない。私は自分の中の悪や弱さから目を逸らして責任転嫁する臆病者にはなりたくない。厳しく自己を対象化しろ。私小説を三人称で書いてみるのも良いかもしれない。滋養が得られる可能性はある。


『○月○日』

 書店の、あるコーナーの前を通ると本当にうんざりするので、あけびはそこを通る時は目を瞑る。痩せて綺麗になって愛されるための本はたくさんあるのになぜ醜い人を愛するための本は無いのか。愛されたいがために躍起になって痩せる人間と、外見が醜い相手を愛することのできる人間では、どちらのほうが人間にとって有用なのだろう。それは考えるまでもなく後者なのである。あけびが本屋の主人だったら、痩せて愛されるための本の隣にニキビデフでも愛されるようになる本を置き、さらにその隣にニキビデフを愛するための本を置いてやる。スッキリした。下品な言葉を並べたことをお許し下さい、別に許してもらわなくても良いけれど。そもそも私は罪を犯しても祈れば免除みたいな思想や宗教は嫌いである――まあ、脱線するのでそれは良いとして、あけびは上品な言葉は大好きだが下品な言葉も同様に好きだ。おにぎり、という言葉は下品である。おにぎりではなく、お結びとするのが正しく、お結び、のほうが美味しく感じられる。しかし、おにぎりよりもさらに下品にして、爆弾おにぎり、というのはとても「うまそう」である。あけびの恋人は今日も優しかった。あけびは娘としての自覚に乏しいところがあり、生来与えられたあけびとあけびの恋人の関係を仮のもののように思っている節がある。もしかするとあけびはエディプス期から抜け出せない赤子かもしれないと時々、思うが、こんなおばさんくさい赤子はいないのであけびは赤子ではない、のである。

 

『○月○日』

 機械による通信が発達し情報の発信受信は容易になった。情報の取得手段も簡単になり、把握できる情報量が増えて、グローバル社会と言われるように広くコミュニケートできるようになった。でもそれと反比例して心は自閉的になってしまったように感じる。人々のこの自閉症的な傾向は情報過多に辟易した証ではないだろうか。自閉的になることで人々は機械によって開けた情報の世界とバランスを取ろうとしているのだと私は思う。極端な世界で人々はさらに先鋭的になる。ところで私は日本人の複雑と曖昧の美徳をこよなく愛している。

 

『○月○日』

 若さ故の過剰な自意識のせいかもしれないが電車内での男性の視線はちょっと苦手だ。私はあの目線に慣れることはあるのだろうか。

 

『○月○日』

 文字とは不思議である。煙草なんぞは見るのも嫌いで、匂いなんか嗅いでしまったら鼻に匂いが残って一日中不快であるのに、煙草、煙草、煙草、と漢字で目にすると、獣も悶えるような匂いのイメージは切り捨てられ、平安の皇室で使われていた上質な香料を思わせる感じすらある。私の恋人、今日は忙しいようだった。

 

『○月○日』

 昨日とは打って変わって体も頭も、なにもかもがだるい。生理が始まった。なぜこんな目に遭わなければならないのだろう(熱した針のような神経を宥めるために深呼吸)。個人差はあるが、世の女性たちは、生理のある時期、こんな苦しみを毎月味合わなくてはならないなどということは、まさに奇妙奇天烈な珍事であり、毎月苦しむ病を患っているようなものであり、(しかし私はこれを受け入れなければならない。いつの日かもう少しでいいから痛みよ、和らげ)私は怒りと悲しみと諦めの、複雑な気持ちを持ってしまう。生理とは私にとっては未だ大事件なのだ。授業中にじくじく痛みが増して、ナイフで下腹部を突き刺されているような激痛になって意識を失いかけた。痛み止めを飲んだのに効果の薄い今日のような日は地獄だ。この体を脱ぎたいと思うが、それが出来ない私たち生き物はどうにか己の体とうまく折り合いをつけて生きていかなければならない。性と痛みを超越したいが出来ないなら受け入れるしかない、受け入れられるものならば。この身体的問題を聖母ならば如何に処理したのだろうか。なぜなら西洋画なぞに描かれるような聖母の風貌からは己の生理に苦しむような現実的な女の影は微塵も感じられないのである。この苦しみなくして生命を生み出すのは、ずるい。

 

『○月○日』

 気の良いときなんぞ如何なる悪の所業もほんのひととき悪魔にほだされただけの善に思えるのに、このようにまいっているときなどは如何なる善行も厚顔な美徳の皮を被った悪の仕業に見えてしまう。厭、厭、厭。

 

『○月○日』

 体がこんな状態だと精神の状態も思わしくなく精神が肉体に引っ張られるというか負の連鎖というか普段気にならないことが非常に気に入らなかったりしたりそのせいで心まで卑しくなってしまうのは本当に忌むべきことで、紀河があけびの恋人のことについて言葉の贅を尽くして奔放に論じていたり柊がまた綺麗になっていたり(私は妹の美しさに嫉妬する最低な姉である)あけびが恋人の前で上手に笑えなかったりいつもより少し会話が少なかったりそんないつもならそこまで気にかけなくても良いことがこんな気分のときでは天変地異のごとく大問題になってしまうしかしどうにもならない問題なのでこのことについてはもう長々と書いているのは止めようと思うししょうがないことはしょうがないのでいまはあまりの痛みと煩わしさに嫌悪してしまうがいつかはこの女として一人前であるということの誇りと証明を愛することのできる日が来てほしいがお腹痛い。病院に行ってもこればかりは無駄なのだな。

 

『○月○日』

 痛みが私を別人に変える。下腹部の疼痛による苛立ちを制御し、自分の体を客観的に捉えられるようになったとき私は自分の体を脱ぐことに一歩近づくのだろう。

 

『○月○日』

 ショッキングなものをみた。まだ体が震えて思考がまとまらない。脳内で言語が分裂して散っている。私は兄の奇行を目にしてしまった。兄は、虚空を見つめて有りもしない何かと討論していた。あの目線の先にはどう見ても何もいなかったのである。調査が必要だ。

 

『○月○日』

 ある種の僥倖だったかもしれない。深夜だった。たまたま目が覚めると僅かに足音が聞こえた。この家ではどんな小さな音でもはっきり聞こえる(兄と柊は反対に全く聞こえないというが……)。いつもなら誰かが厠に行くために起きたのだと分かっているので気にもせず寝てしまうのだが昨日の兄の件があるのでそっと覗いてみるとやはり兄だった。兄はふらふらしたようすで自室へ戻っている最中らしかったのだが、まるで意識があるようには見えない、といった印象を受けた。恐かったので追究しなかった。夢遊病なのかもしれない。言い方を変えれば元気な寝相である。やれやれ、こんなときにふざけてしまうのは私の悪い癖だ。

 

『○月○日』

 兄の状態に、誰か気付いているのだろうか。彼は時々、時々……違う、日に何度も虚空を見つめて、まるでそこに何かがいるような素振りをしている。兄は幻覚が見える精神疾患、統合失調症なのだろうか? この病気は名前こそ酷似してはいるものの、統合失調質人格障害とは全く種類を異にするようである。

 

『○月○日』

 昨夜兄の部屋からうめき声が聞こえた。嫌な予感がしたので兄の部屋を覗いてみると、兄がひとりでブツブツと何かを呟いていた。兄以外部屋には誰もいなかった。虚空と話していたようである。自分の部屋に戻り私は泣いた。眠れなかった。今日こそはこの件について真摯に対応し、思い悩むまいと思っていたが、やはり実際に兄の不信な行動を見ると、どうしても鬱々とせずにはいられなくなってしまう。

 

『○月○日』

 疲労。酷い体調だ。朝、泣いて赤くなった目元の事を母に指摘されたので花粉症のせいだと偽っておいた。兄が友人と外出している間に兄の部屋に入った。そしてそこで兄の日記と思われるものを発見した。読んでしまった。そこには、狂気の萌芽と成熟があった。読むつもりはなかった。でも読まずにはいられなかった。ただ今は盗み見の罪は棚上げしよう。重要なのは私の事ではなく、最も重要なのは兄の日記の内容である。

 

『○月○日』

 やはり兄の日記は多くの場合において文体が安定しているが、希に文法が破綻していることがある。おそらくは思考が乱れている時分に書いたものだろう。あれも貴重なサンプルではあるが、私がコミュニケートしたいのは平時の兄であるし、そうでなければ不可能だ。よって今回は比較的わかりやすい内容のものを載せることにする。これから先に記す文章が兄の日記からの抜粋である。

 

【兄の日記1】

 今日私は作家フランシス・ホジソン・バーネットの小公女という小説を蔵から持ち出し読み流した。以前どこかで可哀想な少女の話と聞いていたからだった。

 少女が可哀想になればなるほど私の性器は固く勃起していた。途中で希望が見えた時、優秀な著者ならばどう考えても再び少女を奈落の底に突き落とすのだろうと思った。だがしかし、物語のラストまで読んで、私を待っていたのは落胆であった。それはもちろん、物語が幸福な終焉を迎えたからである。私が求めていたのはセーラとベッキーが引き取られてからふたりを肴に大人たちの饗宴が繰り返されることであったが、誠に残念ながら成されることはなかった。

 私は二度とバーネットの作品を読まないことを魂に誓った。

 

【兄の日記2】

 これまで興味があるわけではなかったが、今日始めて私は自涜を試みた。友人のひとりはクラスの女子を犯すところを思い浮かべながら自涜をするといっていた。私も彼にならって、今日道ですれ違った女の裸を思い浮かべながら性器に触れてみた。だが私の手の献身も虚しく、私の性は一度も火を灯すことはなかった。

 諦めきれなかった私は、次に多くの男と女たちを一堂に集め、好き勝手に肉を切り裂きながら性交するのを思い浮かべながら、手を性器に宛がい上下に動かした。

 するとやっと私は果てることができた。女を刺殺してその肉を食い千切るという妄想を私は特に好んだ。

 

【兄の日記3】

 今日、私は兎を取って殺した。犬や猫を殺せば母が涙するであろうことはなんとなく予測できたから対象は兎で正解だったのだろう。

 昨日仕掛けておいた罠を見に行くと兎が一羽かかっていた。兎の首を捕まえて持ち上げると暴れるので強く握ると、兎は怯んで黙った。切りやすくなったので持ち上げたまま腹を裂くと再び激しく暴れたが、構わずに刃を切り込んでいくと兎は痙攣して動かなくなった。中から胃袋や腸などがはみ出し、温かい血が手にかかった。血はもちろんフィクションで見るように激しく噴出することはなかったが、水を入れた皮の袋を裂いたのだからそれなりの出方はした。手についた血からは言い表せぬ異臭がしたが、時間がたつとすぐに慣れて気にならなくなった。というのも私の興味はすでに血や匂いではなく、兎の中身に移っていたからだった。兎をばらす作業は私を興奮させた。生命を記号と化す行いに私は恍惚を感じずにはいられなかった。私の下半身は熱を持って屹立していた。近ごろ別れた年下のボーイフレンドに性器を咥えさせていた時よりも興奮したのだ。

 しかし私の頭は、燃える下半身を尻目にひどく冷たくなっていることに気づいていた。

 私は、気が付いていた。切り裂いた兎の脳の中に、心臓の中に、骨の中に、何もないことを。

 私は木の枝を折るのと変わらないことに興奮していたのだと気が付いた。猛った下腹部を鎮めるために自涜をして、ばらばらの兎の肉に射精した。気持ちよかった。習慣に組み込まれる予感がする。

 

【兄の日記4】

 今日、私は猿を見つけて殺した。猿を捕えることができたのはまさに行幸であった。殺して精液をかけた。今日は疲れたし気分が良いので寝る。たぶん悪夢は見るだろうが、気にしないことにする。

 

【兄の日記5】

 私は自分のことについて調べてみた。

 私のような人間は第二次性徴期に攻撃中枢と性中枢が未分化のまま、攻撃中枢のみが発達してしまっているらしい。よくわからないし実感はない。私は未だ成長の途上にあるが、変化などあるのだろうか甚だ疑問である。さらに進行するような気がしてならない。

 

『○月○日』

 兄の日記を再読した。日記が進むにつれて、筆跡が変化している事に気が付いた。元々兄の字は達筆と言えるものではなかったけれど、それでも最近の日記に表れているような殴り書き具合は病的であると言える。初期の日記の筆跡からは整然と抑制と秩序が窺える。しかしだんだんとそれらの要素は、兄の精神の変化に押しつぶされ、擦り切れるように消えてしまっている。今の兄の字は大き過ぎて枠をはみ出し(無秩序)、刺々しく、抑制が利かないでいる。兄の精神は悪化の道を辿っている。それも激しく、とびっきりの袋小路に。私は兄の筆跡の中に身体的表現をも豹変させる精神の崩壊を見たと言えるだろう。

 

『○月○日』

 兄は支配的である。このままでは誰かが危ない目に遭うかもしれない。一番危険にさらされやすいのは……柊か私の恋人のどちらかだろう。この日記を見られでもしたら私だって危ない。注意するとしよう。いままでもしてきたように、これからも、能天気な子を装わなくてはならない。特に兄の前では完璧に無害を装わなくてはならない。幸い兄は人に対する興味が薄い。見抜かれる可能性は低いと思う。でも興味が薄いだけで、目は鋭い。やはり細心の注意をするべきでる。

 

『○月○日』

 私は常々純粋と呼ばれる人間の資質について疑問を持っていた。純粋なんぞなんの美徳でもない。純粋な人間は悪い面から目をそらしているから純粋でいられる。そして子供たちがそうであるように純粋であるから躊躇わず命を奪うこともある。純粋な悪もある。ヘンリー・ルーカスのように。悪も善も同じ。純粋も複雑も同じ。

 

『○月○日』

 悪人かそれとも狂人か、それともそのどちらも兼ね備えているのか判断しかねるが、残念ながら兄が佯狂のハムレットではないことは確かなる事実である。外見上は落ち着いているので兄の心は見えにくいが私はそう判断する。これはいっとうたちの悪いことである。

 

『○月○日』

 幼少期における動物虐待行為は、その児童の暴力的な性質を強く表している。虐待行動を起こした子供の持つ悪質な性向は、その人物が成長しても引き継がれると考えられる。が、しかし注意しなければならないのは、動物虐待行為はふたつの段階に分けられるということである。ひとつ目は昆虫や魚類を玩弄、殺傷する行為。ふたつ目は犬や猫などの人間に親しい種類の動物を玩弄、殺傷する行為。前者の場合、その行為があっても児童の性質に対して異常という判定は下しにくい。しかし後者の児童の場合は非常に危険な性質を持っていると断定できる。昆虫や魚を殺すのと犬や猫を殺すのでは意味合いが大きく異なる(命の重さはみな同じだと習うが、実は皆そんなこと思っていない)。しかし兄のケースはどうなのだろうか。非常に分かりにくい。兄は幼少期において、昆虫や爬虫類などの生物をたくさん殺してきた。それも異常な数で、異常な殺し方だった。それが兄の楽しみだったと言わんばかりに。釣った魚をバケツに入れたのは良いものの、飽きたので生きたまま草むらに捨てたりした。ヘビの口から棒を突っ込んだり、蛙を意味も無く踏みつぶしたり、カブトムシを壁に叩きつけたり、焼いた蛇を猫に食わせたり、ミミズを夏のマンホールのうえで焼いたり、蝉を空転する自転車の後輪に投げつけてスプラッタ、又、バッタの羽を捥いだりもした。又、蝶の羽を捥いだこともあったがこれは楽しそうではなかった。その他挙げていればきりが無い。食べるためではなく、玩具にしているのだ。しかし上記の行為はまだまだ序の口、兄がやってきた残虐行為の中では初歩のレベルである。兄は毎日のようにこういったことを繰り返し、遊んでいた。殺傷法は多彩を極めていたが全ては結局殺すための方法ばかりである。健全な子供たちは様々なパターンの遊び方をする。かけっこやら、ビー玉遊びやら、ボール遊びやら、コマ回しやら(古いか)、その他様々な種類の遊びが、広く浅く行われる。しかし幼少期における兄の、生物を玩弄する遊びについての粘着性・固執具合と言えばある種の執念であり、病であり、強迫観念めいたものであった。そして今も兄の瞳の奥には、あの時に養った偏執狂めいた冷たい炎が薄暗く輝いている。しかし兄は犬や猫などの動物には優しくしていたし、ある特定の人間以外の人間に対しては全く暴力的ではない。それは精神面でも、行動の面でも。しかし兄の中で人としての尊厳を失い、昆虫や爬虫類と同じように認識されてしまった人間は、只ならぬ恐怖を見ることになる。それだけは言える。書きながら思い出したことがある。(いままでの話と矛盾するかもしれない――判断が困難)その話を今から書く。短期間だったと思うが幼少期、兄は男子にしては珍しく、少女趣味の人形を求めたことがあった。昔から兄の容姿は高貴だった。とりわけ幼少の砌には少女のようであったため、間違えて「お姉ちゃん」と呼んで怒られたのは愉快な思い出のひとつである。そういった容姿のためか、兄が女の子に人形を頂戴と言った時に、何かおかしいと思いながらも深く追究しなかったのである。似合うからいいや、とでも思ったのだろうか。兄が女の子に人形を頂戴と言えば女の子たちは喜んで兄に人形を与えた。年下からも同年代からも年上からも兄は好感を持たれた。才能なのだろう。いまでもそういった才能は健在である。前記した通り、その才能のためか何なのか、兄は少女たちからたくさんの人形を貰った。だが兄の部屋に人形が置かれていたことは、一度たりともなかった。倉庫を探してみたが、それでも見つからなかった。ある日、珍しくこんな人里離れた家に女の子が遊びに来たことがあった。兄に人形をあげた女の子のひとりである。「私があげた人形はどこ?」と女の子は聞いた。自然な質問である。何と言ったのか覚えていないのだが、兄はうまく言いくるめたと思う。数日後、穿鑿に穿鑿を重ねた結果、私は兄の部屋の床下からバラバラに切り刻まれた夥しい数の人形を見つけた。不可解な点がひとつ。床下の惨殺人形の状態についてである。床下に放置された人形は全て切り刻まれていたわけだが、切り刻まれ方は多種多様であった。顔面についてなら、顔面だけ綺麗に切り取られているパターン(所謂、前頭部から側頭下部、耳下線咬筋部に向かってメスを下ろし、曲がって、おとがい部まで切り入れて一周したような格好)と、一昔前の天気の悪い国の切り裂き殺人鬼を思わせる、ただ力任せに滅多刺しにしたような残酷な手口が見られた。胴体へのダメージの与え方も先程の前者の例に沿うであろう解剖でもするような、人体に対して理にかなった――対象は人形だが――刃物の入れ方をされた人形が見受けられた(おそらく兄は小学生の頃から医学書を丹念に読んでいたと思われる)。そうかと思うと無惨に八つ裂きにされた人形があったりした。どちらも同じ『切る』という行為に違いないが、双方には大きな違いがある。滅多刺し・八つ裂き、の場合は確実に感情の暴走が起こっている。ところでひょっとして兄は、ナイフを自らの性器に見立てたのではなかろうか。断定はできないが、ナイフを刺すことは性行為の疑似的行為だという仮説が立てられはしないだろうか。閑話休題。兄が所持できる刃物と言えば、カッターかナイフしか考えられない。幼少期から刃物の正しい使い方を教わっていればナイフやカッターで人を傷つけることはないと思う。カッターは紙を切り、ナイフは木を切るためのものだと誰かがすりこんでやらなければならないのだ。危ないから幼い子には刃物を触らせない、という方針でいるから成長したときに刃物の使い道を誤る。兄の場合は私の恋人からそういったことを教わっていたと思うが、兄は教わる前からカッターやナイフで蛇などを殺していたな、といまになって思い出す。私の恋人から「物事を良く観察しておきなさい」と教えられていて本当に良かった。あの言葉がいま身を結んだのだ。未来の自分が勘違いしないように書き込むが、これはもちろん皮肉である。寧ろ虫殺しをせずして幼少期を送るのは健全な育ち方とは言えないという見解もあけびのなかにはあるのだが…………兄は幼児的な万能感を得るために動物を殺したのだろうか? 思考が錯綜して上手くまとまらない。興奮しているのか。

 

『○月○日』2

 今日二度目の日記。書きたいことがあった。私も物書きを続けたいと思うなら、いつかは生物の解剖をしなければならないし、人間の死体だって触って確かめて、解剖だってするくらいでなくてはならない。リアリティーを追究し、物語に命を吹き込むのならそれくらいしなければならない。本の中ばかりに生きていてはいけないし、だから、もっといろんな場所にいっていろんなものを見ていろんな人と話して、マクロの視点はもちろんだが、もっとミクロの世界を見ることのできる、もっとミクロの物事を考えることのできる自分にならなくてはいけない。だからその点、兄は死体解剖以外全て日常的にしているので羨ましくもある。

 

『○月○日』

 兄は紙面に思いのたけをぶちまけて一生懸命自分を落ち着かせようとしている。執筆という行為そのものから私たちは精神治癒の効果を期待できる。感情を文章に置いてくることはガス抜きのようなものであり、精神を病んでいる者からすれば精神のためのリハビリ的要素を孕んでいるからだ。錆びた心を研ぐ行為。くしゃくしゃになった心の皺を伸ばし、正しい折り目を付けようとする行為だ。

 

『○月○日』

 子は親を殺さない。アテネの立法者ソロンはそう考え、親殺しによる刑罰を定めなかった。しかし家族殺しは実在する。と言っても、世界的な調査結果でも肉親を殺傷した例は殺人事件全体の二%から八%である。しかし驚くべきことに、国や文化の違いによる発生率の差は、他の殺人事件に比べてはるかに少ない。ということは、どこにでも家族殺しは一定数、起こりうるということである。ますます気をつけたい。あーこわ。

 

『○月○日』

 最近またあの嫌な夢をよく見るようになった。最悪の夢だ。書く行為は精神の傷を和らげる。その治癒効力に期待してこの悪夢の一部をアイディアとして過去の小説にも取り入れ執筆したが、何ら効果は得られないまま今に至る。またこの悪夢が続くと思うと憂鬱である。これから断続的に一週間くらいはこのまま。生理で体が重い。気にしすぎないようにしよう。

 

『○月○日』

 対外的刺激の理解力ならびに処理能力の欠如は兄のケースでは普遍的な人間の性質と比較して、共感能力不足の現象と敷衍できる。彼自身はそれをつゆほども気にしていない節がある。しかし私は、兄のそういった素振りは、強大な防波堤の役割をしている辺幅なのではないかと狐疑してしまう。いや、分かり切っていた。何をいまさら。兄が心の深奥に深い孤独を抱えているのはいまとなっては分明の事実。兄の日記には彼のそういった心境が激情と共に表れているではないか。それは兄が心の交易や温かみのある精神といったものを痛烈に欲している証拠である。一見超然としているので見落としてしまいがちだが、兄の真相は私の恋人の性質のような多数の集合体が網目状に繋がり完結した個ではなく、吊り橋の上に極めて不安定に佇立する一本の鉄の棒である。ふたりとも一騎当千という感じはするけれど、それでも兄は危険。

 

『○月○日』

 気付いていたのだが、数週間前から柊の様子がおかしい。私との入浴を拒否している。着替えを見せない。以前のように一緒に寝たがらない。柊の初潮は十一歳になる一月前、つまり十二月三日だった。それも含めいまとなっては思春期の身体的問題を私に見られたくないというような規定事項は経過したはず。授業で習い、級友の話を聞いても、不安なものは不安であるから、過去すでに二次性徴の身体的変化による心の動揺が起こった際、私と母から柊に啓発を促すことで解決したのだ(知識はあったので柊に啓発を促すことはできた。しかし、ああ、忘れてしまいたいことだが私の初潮は柊の初潮の三ヶ月後。私には柊に初潮を先に越されたという過去がある)。さらに彼女に明確な身体的変化が起こってからも、過去に何度も彼女と入浴していた。しかし、いまの柊は絶対に肌を見せようとしない。それと同時にさらに気がかりなのは、柊が近頃、融通無碍に、執拗に、兄にちょっかいを出すことだ。これまでもそうだったが、近頃のそれは度が過ぎ始めている。かたやそうかと思えば兄の前でどうしようもなく臆病で挙動不審であったりする。今気が付いたのだが、柊がこうなったのは、兄が恋人の稔さんと別れてからではなかっただろうか。それと何か関係があるのかもしれない。しかし柊は稔さんのことをひどく嫌っていた。嫌いな彼女と兄が別れたのは、兄を慕う柊にすれば喜ばしいことではないのか。人間の心は万有引力みたいなものだ。心には質量があるらしい(嘘だろうが何かの映画で見た)。それが事実ならば、特に兄の心は常人のそれよりもずっと重いはず。よそう。兄を憐れむのは筋違いだ。ところで、兄の精神が悪化しているのと稔さんと別れたことの関連性は、やはり考えた結果、時期的な明確な整合性が得られないので、今のところは不明とする。

 

『○月○日』

 兄のことを除けば、母のことが私の今唯一の難儀である。私は母を嫌いなのかもしれないが、やはり嫌いではない。でもいなくなればいいと思うことがある。だって、何だか厭なのだ。あの何でも見透かしたような態度が、私の恋人に媚びを売る目と手の動きが、モナリザの微笑みのように仮面の笑みが張り付いていると思わしきあの顔が、人並に心を揺さぶられることもあるような振りをして実に絶対に動じない物腰が、裏を見せない鉄面皮が、何だか嫌なのだ。母は兄や柊を愛するように私を愛していないと思う。でも私のなかにはっきりとした憎しみはない。ただ、私は母と紀河がうらやましいのだと思うが、厭なのは、母と同じような振る舞いを身につけつつある自分と、それを間違っていると全く思わない自分である。

 

『○月○日』

 普段の兄は統合失調質に見える。しかしそれでは夜虚空に向かって会話しているのは説明がつかない。フランシス・ベイコンは、学識は死と悲運との恐れを征服、又、鎮静するとまで言っている。その言葉にならって、さらに調べるのだ。今日は疲れたからもう寝る。

 

『○月○日』

 夜、物音が聞こえた。結局物音の正体は分からなかった。しかし兄の部屋からまた兄のひとりごとが聞こえた。頑張ったが聞き取れなかった。朝食時、兄はいつものように少し眠そうに、しかしいつものように超然としていた。柊もいつも眠そうだ。

 

『○月○日』

 兄の外出時を狙って、兄の部屋の捜査に当たった。兄がああ謂った書籍を段ボールに詰めて押入れに隠している事自体はおかしなことではないし寧ろ隠さなかったらもうそれはある程度人格を疑われてしまってもしょうがない。私だって、あまりにも、と思う書籍については隠させてもらっている。殺人鬼や洗脳やマインドコントロールについての書籍の所有など猥本よりもばれてはいけない。なぜ兄は殺人鬼や洗脳やマインドコントロールについての書籍を持っているのだろうか。何かの資料にでも使う気か。単に興味の赴くままに読破したのか。自己啓発の一環か。他には哲学書や医学書など多種に渡る書籍が襖の奥に堆く積まれていた。医学書の一冊、あれは確か、心臓や大腸の写真、人体の臓器の写真が掲載されているそのそばに、兄の筆跡でメモが書かれていた。【美しい】と。

 

『○月○日』

 幼少期「耳なし芳一の物語は怪談か否か」が私の命題のひとつだった。なぜなら芳一が失ったのは音を集める器官の耳介であって、実際に聴覚として機能するのは内耳である鼓膜や耳小骨や三半規管である。芳一はそれほど大きな用途のない肉を失い少々聞こえ方が悪くなったのみであり、完全に音を失ったわけではないのであるから、恐さとしての理由不足の感があることが否めないのである。よって「かつての私」はこの物語を怪談ではなく、教訓と認識することでようよう納得した。しかしいまとなっては果たして教訓として確かなものであったかという疑問が浮かんでくる。怪談でもなく教訓でもないならば、実話(霊魂云々の仕業かはともかく実際に耳が千切れた話)だったのではないか、といまになって思う。仮に芳一が聴覚も失ってしまえば、元々盲目だった彼はどうやって生きて行くことが出来るのか。広大すぎる宇宙にひとりで放り出されたような孤独を味わうだろう。肌の感覚だけが頼りの無音の暗闇で、手を繋いでくれる人がいたならその人は芳一にとっては絶対的な神のような存在だろう、と思う。盲聾唖の芳一の世界は恐らく月のような世界だ。影と日向では何百度も温度が異なる、月の世界だ。

 

『○月○日』

 度々、兄が目にしている怪奇な現象は、神経的な病理によるものと断定されても不思議ではない。妊娠時の母の猫たちとの戯れが、胎児期の私たち兄妹への深刻な病に繋がらなかったのは幸いである。幻覚や妄想のために生活能力が奪われてしまう精神疾患のひとつである統合失調症は、トキソプラズマの一種であるオーシストという病原体が原因の一つとなる。しかし猫からの感染経路は危険視するほどではなく、いくら家の周辺に猫が大量に居ようと、感染力としては皆無といって良いほど弱い。となると、幻覚が見えてしまう原因はますますわからなくなる。提起された問題に対しての正鵠を射た解答を導き出したい。切り裂きジャックは、妄想は抱いていないが精神的に病んではいた。いやいやいや思い出した、漱石や芥川やピカソなぞも統合失調を患っていたと言うし、統合失調は百人にひとりの割合で存在するらしい、珍しくはない。その苦しみは計り知れないけれど、対処のしようが無いわけではない。

 

『○月○日』

 私が気になっているのは、あの目。いくらかの書籍で私はあの目付きを目にしたことがあった。反社会性人格異常(昔はサイコパスと呼ばれていた)の殺人犯に見られる捕食者特有の寒気を覚えさせるぎらついた目つき。彼等のような肉食獣の目に見つめられると大抵の人間は射竦められるだろう。我が兄はいつからあのような目つきを身につけただろうか。私の記憶によれば、まだ私たち兄妹が小さい頃(兄には悪いが)兄は清楚な乙女のような外見をしていた。私たち姉妹が度々「お姉ちゃん」と間違えて呼んでいたくらいである。もちろん故意ではない。兄の表情の変化を知ることは兄のいまを知るための重要な手掛かりになるかもしれない。今日はもう暗いので明日倉庫から昔のアルバムを持ちだしてみようと思う。

 

『○月○日』

 昨夜の決意の通りに私は倉庫から昔のアルバムを引っ張り出した。年代別に兄の姿を追っていった。初めの頃は本当に天使のような、少女のような兄だった。あえかな栗色の髪の、まんまるの目の、優しい笑みの、愛らしいと形容すべき容姿である。しかし十歳前後から髪の毛が暗くなり始めて質感も硬そうで、目つきも年々鋭くなり、ほとんど無表情で、少しずつ、少しずつ、吸血鬼を連想させる外見に変化している。しかし冷血を思わせる顔つきになるほど兄は、ひどく美しく変貌していった。いくつかの写真で笑っている兄だが、十歳以前の写真に見られるような可愛い微笑みは一変して、引き攣っているような怪しい不自然な笑みが常態である。又、私はある奇妙なことに気が付く。偶然の可能性もあるが、重大なことでもあるかも知れない。殆どの写真では兄は無表情だったがいくつかの写真では兄は不自然ながらも笑みを見せていたと私は前記したが、不思議なことに兄が笑っている写真の全てに母が写っていないのである。ということは兄が笑っている写真の撮影者は母である可能性が高い。ここにあるアルバムは家族写真だけしかないため学校やその他の場ではどうなっているのかは把握できない。しかし、母が何らかの可能性を握っているかもしれないとわかったのは大きな収穫である。

 

『○月○日』

 ある時期の話。これも兄がまだ幼い頃(兄がまだ小学生低学年の頃だった気がする)兄はよく川に行ってはプラナリアを捕まえて家に持ち帰った。プラナリアを切っては観察し、私も柊も目を丸くしてその生物の不思議さに見惚れたものだ。切られたプラナリアは死なないのである。もちろん、アルコールをかけたら死ぬが、切っても彼らの場合は分裂して、ふたつの個体になり別々に生き始めるのだ。兄はこの、死のない生物と長期間格闘し、ある時急に興味を無くしてプラナリアを川に還してしまった。あれは何だったのだろう。いま思い出せば、兄はプラナリアを殺さなかった。真二つに切断し、そのままにしておいて生き永らえさせた(ちなみにプラナリアは例え三十六等分しても死なない。切っても頭が生え、脳が出来る)。水を清潔に保たなかったり、アルコールをかけたり、燃やしてしまえば殺すことは出来ただろう。しかし彼はそうしなかったのだ。彼は切断しても死なないプラナリアに飽きたのだ。それにしてもプラナリアという生物は不思議な生き物である。ヒドラもそうだが、彼等は殺されなければ死なないのだ。《インスマウスの民を思い出した》。生物学的には全くおかしなことではないが、彼らの生態は、人間の死についての哲学を嘲笑うかのような性質を持っているのだ。生物的発展(進化?)もせずに分裂して生き続ける彼等は、まるで『存在すること自体が最終目的』であるように思えて仕方がない。いつか私にも『人間的解釈』で彼等のことを理解させてくれる日が来ることを望む。私はその日が来て欲しいと思う反面、来て欲しくないとも思う。否、人間的解釈ほど狭量なものは無い。彼らを理解するならば人間的解釈など捨ててしまえばよい。理解したいが世界の不思議は不思議のままであるから輝かしい。理解してしまえばつまらない日常である。そういった見地から考えると、例えばガリレオなんかは大犯罪者だ。(すみません。例として挙げただけです。怒らないで下さい)地球が自転しているなぞという大事件を日常にしてしまったのだから罪は大きい。すみません。まあ、ガリレオがやらなくても誰かがやったでしょうから良しとしますって何か偉そうね、私。分裂して複数に増えたプラナリア。これらの命の数は人道的に表現するならばその命も分かれた個体と同じ数だけあるのだそうだが、しかし生物学的には分かれたどのプラナリアも、例え別々の個体であっても命はひとつに限定される。つまり人間的見地では例えば六つに分裂したプラナリアを見て『六つの命』と判断するが、生物学では命は『ひとつだけ』なのだ。なぜなら六匹とも分裂しただけで、同じものだからである、とのこと。成程、この人道的な見解というのがやっかいだ。生物学的には一卵性双生児の命もひとつなのである。科学は時として常識的には凄惨なことでも事実であるならば臆面なく発言する性質を持っている。又、それに反して人間の価値観というのは当然ながら人間にとって都合の良いものだ、と思う。プラナリアと双子。ひとつの命。エンパシーの不思議。双子は遠く離れた片割れの危機を感じることが出来るという。それを高めていくとどうなるのか。それを高めたうえで、例えばその方法が解明された時に、全人類に『完全なるエンパシー』を応用することが出来たとしたら? プライバシーはない。恐い気もする。だがきっと、戦争なんぞはなくなるのではなかと思う。愚かな夢想かもしれないが、私はそんな期待をして楽しんでいる。

 

『○月○日』

 これも昔の事。兄が蜥蜴の尻尾を切断した後、尻尾の方を飼っていたことがあった。三日経っても胴体が生えてこなかったからか、「チッ」と舌打ちをして兄はその尻尾を投げ捨てた。今気になったのだが「チッ」と舌打ちした後の兄の視線。あれは完全に私の右肘に注目していた。実験台にされなくて本当に良かったと今になって冷やりとする。間違っても切断された私の右手から蜥蜴の尻尾やイモリの手足のように私が生えてくることはない。

 

『○月○日』

 兄と付き合っていた稔さんに兄の話を聞きたい。私と彼女は親しいわけではないが、幸いなことに互いに顔くらいは知っているし、いままで数回は会話したこともあった。彼女の行動パターンを調べて偶然を装い出会って茶にでも誘って話を聞こう。

 

『○月○日』

 彼女の行動パターンが把握できた。わりと早かったと思う。有能な友人を持っている私は実に幸福である。

 

『○月○日』

 今日、稔さんを見つけ、喫茶店に誘い、話を聞き出した。私のことを無害な人間と思ってくれたようで、稔さんは兄についていろんなことを喋ってくれた。人畜無害のふりは本当に使える。結果からすると、完全にマインドコントロールの毒牙に犯されていた。ひどいことに兄と別れてある種の、精神的な社会復帰を果たしたはずなのに彼女は何もなおっていないように感じられた。なんなのだ、あの盲目さ加減は。彼女の言い分では、兄は宛ら稔さんにとって神格化された存在のように語られていたが、彼女の話からは兄の狡猾な洗脳作業の片鱗を見ることができた。巧言を並べ立て、安心させ、心を開かせ、取り入り、心の闇を告白させ、許し、戒め、心を縛り付け、操り人形に仕立てた。稔さんは自発的に兄を好きになったという発言をしていたが、本人はそれが偽りだということ、そう考えるように兄に仕向けられたということに当然ながら気が付いていない。自然にあのようになったのではない。兄は、他人の心を雁字搦めにする(纏足する)ノウハウ通りの発言をしている。稔さんは兄から暴力を振るわれたことはないと言うが、森の中で迷うとか孤島に監禁されるとかいう夢をみるらしく、又、以前は平気だったのに突然鳥が恐くなったという。恐怖症とは本当の恐怖や反感を自分で認めたくないときに起こる防衛的置き換えである。この場合は、天空から目を光らせ獲物を狩る鳥が兄なのだろう。彼女は兄の恐怖から逃げられないと思っているのだ。森の中で迷う夢や孤島に監禁される夢はそのままの精神状態を表している。症状は決定的である。まるで実験するように人を操ったのである。私は兄がこれを故意に行ったと推定せざるを得ない。決定的な要因ではないが大前提として兄が容易く稔さんに取り入ることができたのは、兄の優れた容姿にもあるだろう。そのため信頼させる難易度は下がる。気の毒なことに、稔さんは兄からしたら本当に難易度が低いと思われたのだろう。かわいそうだと思う。本当に実験だったのだ。しかしなぜ三年も続いたのだろうか。別段階の実験を稔さんでしていたからだろうか。稔さんを救いたいが、それどころではない。いろいろ分かった。ただ一番の疑問は、何故兄がこういうことをしたのか、である。どうやったのかはもう大体分かったし、そこはあまり問題視すべき事柄ではない。一般的に見ると稔さんは恋する乙女に映るかもしれない。しかし兄の手口ははっきりとしており、ノウハウをなぞり成功している。加えて、稔さんの行動パターン、人柄、社会性などを鑑みて思ったのだが、兄は稔さんに接触する以前から彼女のことを観察し、その知識と分析眼を総動員し、用意周到なる準備を続け、手練手管を磨き、計画を実行に移し、彼女の心をせしめたのではなかろうか。彼女は兄とは偶然出会った云々と語ったが、私の推察するところ兄は以前から稔さんを見つけて知っていて、そして分析の結果、実験モデルに選んだのだろう。ただ気になったのは、稔さんが兄と別れた理由を話してくれなかったこと、それとなぜか「柊」のことを気にかけたことである。再検討の余地有り。人間は異性の親に似た恋人を作る傾向があると言うので、稔さんは母に似ているのかと思ったが果たしてそうだった。どことなくやはり母に似ていた。肌の白さは勿論、物腰も、依存的な傾向も。彼女にかけられたマインドコントロールを解くにはかなりの時間と労力が必要なのでそれは出来ない。だから私はせめてもの慰めとして、帰りに彼女と立ち寄った書店で書籍を購入し、彼女にプレゼントしておいた。著者は山崎浩子女史、書籍の表題は『愛が偽りに終わるとき』。

 

『○月○日』

 兄に手紙を出して囮捜査する。マユミからノートを拝借したので、彼女の字体をトレースして、後は女子高生らしい文体と内容で装えばばれることはない、と思う。けれども細心の注意を払うに越したことはないので、作業は全て学校で行う。兄と手紙がしたい子がいると兄には話しておくことにする。

 

『○月○日』

 投函した。さて、どう出てくるか。

 

『○月○日』

 兄からの手紙。「残念ながら僕はゲイなんだ。申し訳ないけど女の子には興味はない。だけど君に四つ目の穴があったら抱いてやってもいいよ」。完全にあしらわれている。

 

『○月○日』

 思えば妹よりも初潮が遅かったのも兄から生理用品を手渡されたのもあけびのトラウマなのかもしれない。そしていまも続いているトラウマと言うかこの胸の不安は、あけびは柊や兄よりも母に愛されていないかもしれないという疑惑に帰結するのである。客観視せよ。視点の転換をするのだ。あけびは初潮が柊よりも遅れていたら生きていけないのか。兄から生理用品を手渡されたら生きていけないのか。母に愛されていなかったら生きていけないのか。答えは、否、である。こんなことグチグチ言っていたって仕方がない。私の恋人はそんなことは嫌いなのである。ねっとりした黒を完全に払拭することは出来ないかもしれないけれど、それでも人は生きていかねばならない。大丈夫、世界から光が消えたわけではないのだ。

 

『三月二日』

 何故私が兄の部屋に侵入したことがばれた? 兄は私がCDを部屋から持ちだしたことに気が付いていなかった。それなのに部屋の侵入に気が付いたのだ。なぜだ? 部屋を出る前に点検したのに落ちた髪の毛が残っていたのか? 髪が落ちないように細工したのだから髪の毛が落ちるわけがない。私の服に付着していたものが落ちたのか? いや、服の点検もした。何故ばれたのかそれが気になる。兄は誰かが無断で部屋に入ったら分かるように仕掛けを設置していたのだろうか。次回の調査からはもっと慎重になるべきである。しかし今回は上手く誤魔化せてよかった。部屋に侵入したときの言い訳のためにCDを借りておいてよかった。本当に危なかった。

 

『三月三日』

 今日はとても驚くことがあった。家族がひとり増えたのだ。桜さんという女性である。綺麗な人だった。個性的な人だった。明るく(明るすぎるくらいに)振舞っていた。でもどこか寂しそうな人だった。どことなく私の恋人と重なる。桜さんは男言葉で話す。大抵の人間がするのであれば芝居じみたよそよそしさや嘘臭さがあるのだが彼女の場合は自然に振る舞った結果ああなっているような風なのでわざとらしさは感じられず、又、非常に耳に麗らかな旋律を残すので、よって、好感が持てた。だから私は親しみを込めてお姉ちゃんと呼ばせてもらう。食事中、少し気になったことがあった。兄と桜さんが生肉を食べた時、皆の反応が奇妙だった。訳がありそうな態度だった。普通にすべき反応とは少し違っていたように思う。そういえば、血と肉を与えない食生活をするならば、虎の凶暴性を抑えることが可能だと言う。私も過去に野菜のみの生活を試したことがあったが、その時の効果は覿面であった。菜食主義に切り替えて数日もしない間に、私の中の狂暴するもの・性・イライラが完全に薄まったのである。兄も野菜だけの生活に切り替えさせたいがどうだろうか。無理か。兄は肉が好きなのだ。話変わって昨晩の食事中に柊が兄から戒めを受けた。軽い叱責だったが、柊はひどく消沈していた。美形の怒った顔はやはり恐い。気の毒だったが、私も私の恋人のことを聞き出したかったので話に乗ったのだった。弱者のふりをすると兄からの戒めも受けなくて済むようであるが、これをし過ぎると柊ばかりに強い風が当たる。私はもう弱者のふりを止めることにする。これから私は強くもなく弱くもない者として弱者の側に立とうと思う。

 

『○月○日』

 最も奇異していた事柄が現実に起こってしまっているようだ。あれが一致している。杞憂に終わってはくれなかった。

 

 ………………。

 溜息を連れて、日記から目を離す。これより先に読み進めるのは、苦痛を重ねることになるとしか考えられなかった。日記を机に置き、脳機能を読解から思索に転じる。

(なんなんだ……この果てしない妄想は)

 統計を基にした結果を弾き出せずにいた。人間は数学を産み出した生物にも関わらず極めて数学的ではなかった。複雑怪奇な人間の精神を対象とするならば、過去の情報を基にその機微を予測することは極めて愚かな行為なのだと思い知らされた。しかし思う。

(何を今更……いつも感じていたことじゃないか)

 父と母の顔を思い浮かべる。そしてこの日記の筆者の顔も。

(彼女は妄想に取り付かれている……嘆かわしいことだ。我が妹が狂気の餌食になっている。統合失調の毒牙にかかった者はあらゆる幻覚と幻聴を体験するが、彼女の日常にはそういった面は見えない。とするとなぜ……)

 先日の記憶が甦る。

(賢しらな女だとは思っていたが、まさか……本当にすべて君が書いたのか……)

(あの時、君は言った。たまに自分が自分じゃないような気がするかと。相談を持ちかけているものだと思っていた。しかしそれは思い違いだった。真実は仮説の裏に巧妙に隠れて、影から僕を嘲笑っていたのだ。あれは皮肉な問いかけだったのだ。諮ったと思っていたがその実、謀られていたのだ。あの奇妙な問いかけを直訳するならば――あなたは精神病の素質がありますか? こういうことなのだろう……)

(ああ、勝手に分析されて狂人呼ばわりされてはたまらない。人を病巣か猛獣のように例えやがって。自虐は良いとしても他人から非難されるのは誰でも腹の立つことだ。君のやっていることは、ひどく驕慢なことだ)

「僕を分析して理解したつもりか」

「こんなことを書き連ねて、僕をどうするつもりだ」

 言葉は刃物に似ていた。ひとつだったものを切り分け判別する。あけびは言葉で青年を切り分けた。しかしこれからどのように縫合すべきであるか、その果てをあけびも青年も知らなかった。

(こうでなくてはならないという思想ほど暴力的なものはない。君は僕が正常でなくてはならないと思っているだろうが、そもそも何が正常なのか、君は分かっているのか。

 美しくなければならない。清くなければならない。この善良ぶった強迫こそが争いごとを生む種だ。悪も善も、醜悪も美も、双方があってこその真実だ。こうであるべきだと考えることこそが傲慢なのだ。無知な者ほど自分が正しいと思っている。この世で唯一愚かではないのは、自分が無知だということを知っている人間だ。君は善意ならびに善を盾に、他者に対して、自分にとっての都合の良さを押し付けているだけに過ぎない。

 あけび、君は何をしている。僕を切り分けても実用性に乏しいものが生まれるだけだ。君はそれをわかっていないのか……)

 無価値な自分に陰から異様なほどの干渉をし続けていた妹に、戸惑いと、未成熟な怒りを覚えていた。青年は戯れるように、無口な報復を試みた。

(彼女の記述方法にはふたつのパターンがあり、ともに規則があることがわかる。一人称での叙述では主観的な感情の叙述が多く、三人称での叙述の場合、客観的描写をする傾向にある。感情的に苦しい時、己を客観視するために彼女は主語に自分の名を置き、三人称の叙述に変換している。まるで他人の話をするように。筆者の心理が冷静さを欠いている時は、あえて客観的描写をして落ち着こうとしているのだ。彼女なりの防衛策なのか。ある種の自我の分裂だろう)

 彼女が人を欺き続けてきた時間の膨大さに思いを馳せる。保護欲を掻き立たせる幼子のような無垢な振舞のひとつひとつ、その全てが巧妙に構築された偽装であったとは。

 この汚れた身にも美しい時代があったとするならば、物心もつかぬ幼少の頃だけが純心無垢な美しい時代だと言えた。今でも思っていた。あの頃、世界は美しいものだと認識していた。少なくとも主観的な世界だけは。

 懐古は甘美なはずであり、そうでなければならなかった。しかしこの妹の真相は過去に置いてきた青年の希望を根底から消し去るものであった。

 青年は胃を鷲掴みにされたようなむかつきを覚えた。思索などするべきではなかった。この作業は青年に絶望を確認させる他、何の用もなさなかった。

「気分が悪い……疲れた……」

 吐気とともに、世界が暗転する。

 神経が爆ぜるように、身体感覚が失せる。電極が切り替わったように。何も感じない。世界は曖昧模糊。混沌としているが、実はひどく単純なのだと思われた。

 壁が接近し、額を強く打ったような衝撃があったのはわかったが、果たしてそれは青年の身に起こったことなのかどうか。

(……床がひとりでに迫ってきた? いやいやそんなはずは)

 身を起こす。未だに身体感覚の欠如が見られたが、青年は何かに突き動かされ、訥々と呟いた。

「人を勝手に杓子定規に当てはめて。わかったつもりかい。言葉こそが認識の根底を司るものなら、人間の世界は言葉で構成されている。言葉が無ければカテゴライズの概念は根本から消滅する。言葉が無ければあらゆる病は単なる個性となるだろう。言葉さえ、言葉さえ……」

 諸人の経験する通り、言葉は人を傷つける力を持っている。言葉は弾丸と同種の凶器であり、放たれたならばそれまでの、取り返しのつかぬ、人の尊厳を簡単に蹂躙せしめるものである。

「君は小説を書く人間のはずだ。ならば言葉の選択には極めて神経質にならなければならなかった。意図せずとて、安易に発せられた粗野な言葉は、発した本人には何気ないものであったとしても、受け手には刃物となって傷つけることがある。あたかも肉食獣が軽い気持ちで小動物に戯れを求め、手にかけてしまうように。戯れて、弄び、傷つけるのだ。君は日記に僕のことで泣いたと書いている。それは同情かい、又は憐憫かい。僕を憐れんでいるとしたら、良いご身分だ。

 それは僕の情けなさをさらに掘り出す行為だ。メスを使わぬ手術のようなものだ。それは大変なことなのだ。腫瘍だらけの心に素手で触れようとすれば、どうやったって破滅が先に待っている。だが、それを知らない君は高揚さえ覚えていたはずだ。君は高みの見物をしていた。透明人間となり、安全区域から他者の心を覗くのは楽しかろう。背徳感に勝る優越感を得られるだろう。

 あけび、君は僕の敵かもしれない。君は僕の精神を脅かす因子だ。僕は何も、全ての欲望を満たし、最大級の幸福を得たいわけではない。僕は単に安息に満ちた日々を送りたいだけなのだ。しかし君は僕を君の好きな通りに改造したいのだ。僕の鬱屈を改善させたいのかもしれないが、それは完膚なきまでに大きなお世話だ。

 君の気持ちは分からなくはない。人は形や名前を付けることが好きなのだから。何でもカテゴライズせずにはいられない。人は不明なものに恐怖を覚えるからだ。暗闇を怖れるのは未来の予測がつかないからだ。知らない誰かを怖れるのは、行動の予測が付かないからさ。それは人に与えられた、心を守る本能的な機能だ。だから、恐れることは悪いことではない。

 しかし僕を恣意的に定義して、言葉で縛るのは我慢ならない。僕を妄想型分裂症と認識するのかという話だ。僕は高咲正樹だ。君の兄だ。単なる人間なのだ。

 君は僕を怪物のように認識している。そうかもしれない。僕も時折自身のことをそう認識している。しかしそれが君に許されるかい。

 君は重大な過ちを犯している。もし、人の心を円グラフで表せた場合に、社会不適合者のグラフはどこかが極端に発達し、欠如していたりするだろう。しかし我々の元来持っている特性は皆同じような物。平均から離れているというだけのことで、根本的に性質が異なるということはない。しかし君は僕を怪物や狂人の類だと認識した。全く異なる者であると」

 心理学は人間を分析するためだけにあらず、人間をより多面的により深く根本的な部分から理解しようとする試みのために存在しているが、妹の日記の文章は青年を切り分け、切り刻んだ。幾ら読もうが青年にとっては、妹の日記の行間からは厚顔無恥な腐臭が漂ってくる。

「ああ、臭い。臭い。ものすごく臭う。君の書くものからは豚の死骸の臭いがする。文面からはあらゆる欺瞞が浮き出ている。嫌いなら嫌いと言ってしまうが良い。君は汚れた人間の仲間になりたくないと必死になっている。この日記からは君のそういったいやらしさがにじみ出ている。余計な語句を挟んで言い訳を並べ立てているようだが、君が思っているのは『高咲榧を消したい』ことと『汚いことをするのに何の罪悪感もない』ということだけなのだ」

 とある部分に目が留まる。

「暗闇を見るときは、か。心配しなくてもいい。祝いの言葉を贈ろう。君はもう十分、こちら側の人間だ」

 高咲あけびという道理をまるごとひっくり返すほどの鮮烈なイメージを与える言葉たちを目の当たりにしても、青年は尚ひどく愉快であった。怒りよりも今は喜悦が先に立った。

(思い当たる節はいくらでもあった。服装一つとってさえそうなのだ。彼女の資質から、無関心型の服装かと思えば違い、彼女の服装は他者模範型だった。身を纏うものからして彼女は社会に紛れ込んで身を隠していた)

 このどんでん返しに、しかしひどく驚いてはいない自分がいる。

「ラストシーンにはほど遠いのに」

 青年は高咲あけびという女を見誤っていた。

「どんでん返しはもっと最後に見せてくれなきゃ、ね」

 興味はついえぬ。新たな発見は、燃料となって青年に黒い火をつけた。

(僕はどこかでこんな事態を想像していた。どうする、あけび、君の敵がここにいるんだ。無防備な君のそばに。

 くびり殺してやろうか。紙屑を破るように)

 あけびの首まで、手を伸ばした。

(ああ、側で見るとわかる。こんなに細い首だったのか。すぐに折れてしまいそうだ)

 具体的なイメージを生み出す。例えば解体するなら。

(ここが肺臓で、ここから下向きにメスを入れる……)

 空想の刃物を手のなかに創造し、人体の構造に沿って空中で刃物を這わせる。脳内で妹をばらした。

(細い首だ……こんなにも……)

 あけびの首を絞めようと、両腕を近づける。

(こんなに細かったのか……)

(不味そう……)

(冷静ではないな)

(こんな不味そうなもののために仮にも人として生きてきた世を捨てるのか)

(僕は何をしようとしていた。そもそも、僕に彼女を憎む理由があるだろうか)

 陥りかけていた事態に戦く。悪意に突き動かされてあまりにも自動的に妹を殺しかけていた自分を認識する。

 眠りについていた齧歯類の鼻先に冷や水を一粒垂らしたように、青年の神経を容易に向けさせてしまう声があった。

「もう、食べてはだめ……涎まで垂らして……こちらにおいでなさいな」

 幾度も繰り返し苦しめられ続けてきたあの悪夢のなかで出会う紅色の着物を纏った女と、影が重なる。

「――――――――」

 霧のように揺らめいて実像を伴わぬ霊気のような女がそこにいた。それもいまなら、この女がどこか知った顔だとわかる。あの妖女の面ざしが、なぜ紀河と瓜二つに重なるのか、まさに驚くべき事象は眼前に提示されているにも関わらず、しかし青年にはなんのことやらで、異変が認識できずにいる始末。そんなことよりもいまはそら、女の四肢の揺らめきが、追っても着かぬ火の国八代不知火の、灯のようなのが青年の心を逸らせた。

「な……な……」

 いつのまにか、消えている。

「なんだこれは……」

 現存していた壁や家具や――妹までが、暗闇に帰して、どこにも居ず、彷徨えど何もつかめず、青年は足を絡ませて地を抱いた。世界は元々暗闇だったのだ、と青年は思う。光というものは太陽からの借物であり、日の光がなければこの世界は一面、闇である。

 這い蹲りながら青年はあの女を求めた。

「出てこい……あんなものを読ませて、こんなところに閉じ込めて……どういうつもりだ……」

「ただ読んでほしかった。私はあなたのそういう苦しんだ顔が見たかったの。良い顔をしているわ」

「馬鹿にしやがって。喉元に噛みついてその冷たい血を吸ってやる」

「いいわ、私に血が流れていればの話だけれど」

「いつまでもこんな真似ができると思うなよ」

「あなたは小さな塵なの。あなた如きの小さな存在に、なにもできやしない」

 青年の胸が抉られたように痛む。

「――――っ!」

「苦しみはまだまだ続くわ」

 青年の絶叫は魂にまで響くほど。

 妖しの女は霧のように薄れて消え去り、代わりにあけびが残った。この少女は、彼女には似合わぬ悪戯な笑みを浮かべて暗闇のなか青年の前に佇んでいた。

 ……そばにいるのに彼女をどこか遠くに感ぜられるのは周囲を泥沼のような影に包まれているからであり、そのせいか面差しの造形もはっきりと目に留まらぬ始末。小さく愛らしいはずの妹の姿が、いまはどこか怪しげな闇を秘めて見え、表情を知れはせぬがその顔はきっと戯れたように笑っているのだろうと思われた、烏のように口元を釣り上げた類の。

 その笑みに問いかける。

「自分の兄がまともではない、と気付いたのはいつのこと?」

「――――――――」

 薄らと陰りを見せた眉宇は、少女の小さな動揺の象徴であるが、しかしたいしたもので眉を涼しげな形に改めた。その甘やかな面ざしに、青年は弾丸を撃ち込むように言葉を続けた。

「あの長々とした記述……春休みの自由研究にしては少し、気合を入れすぎていると思うよ」

 頭を垂れていたオジギソウが夢から覚めていくように、ゆるりと面を上げた少女が真綿のようにころころと笑う。

「あははー。つい張り切りすぎちゃいましてなぁー。一度やろうと思ったことは、とことん突き通しちゃうタチなんでねあたしゃー」

 海の底のような暗さの中でさえ日向の下にいるように笑っているのが、ある種、背徳的な趣を感じさせた。

「あんなものを書いて、どこかに発表するというのかい」

「いやー。あのような駄文を発表だなんて、とんでもない、とんでもないー」

「しかし、書いたからには理由があるはずだ」

 青年のこの発言に、あけびは改めて軽妙な調子を崩して、虚ろげに、視線を落として、

「はい。ちょっと、助けたい人がいるのです」と告げた。

「はは、君の助けがいる人間なんか、いるのかい」

「それを言われてはね……まぁ、私の自己満足だからその人が困ってなくたっていいのかもね……」

「自己満足であんなものは書かない」

「誰に読ませるつもりでなくても、時に人は書かねばやってられないのです。カフカという前例もあるわけですし」

 青年は皮肉めいた苦笑を返した。嘲弄であった。

「ごめんなさい。間違いです。むしろ困っているのは、私だったりするのです」

 青年はうんざりしていた。

「はぁ……」

「なに、どうしたのぉー」

 どこも見つめていないような青年の瞳は冷たい碁石のごとくであり、

「そろそろその、猫かぶりをやめないか」

 少女の背中に冷や汗を垂らさせた。

「あははっ、なんのことー?」

 と問う声が、喉のつまりを隠せていない。

「あんな日記を書いて、そして尚、しらばっくれるような人間だったとはね。君が」

 不潔な笑みをさせて青年の右に出る者はなかなかいるものではないが、しかし偶然か必然か、近くにいた、それも、青年の眼の前に。

「だってそれは、仕方のない事じゃない」

 光線をあてれば、何もなかったはずの闇に舞う塵芥が見えるがごとく、愛らしい兎の絵が髑髏の騙し絵だと気が付いたときのごとく、やわらかな果実がグロテスクな内部を提示したときのごとく、少女の相が、豹変した。

「やっと正体を現したね」

 愛らしいはずの顔も仕草も、いまとなっては黒い内面を覆うための仮面でしかなく、人の本性は姿ばかりか行動からも判断してはならぬと改めて思いなされる。理解が急速に達成されたのは、青年もこの少女と結局は同じ穴の貉であったということに帰結した。

(僕はこれまでこの少女に対しての見方を誤っていた。彼女は物語という毒を摂取し続ける少女なのだ。毒の耐性が付いてしまった彼女の心に薄弱な人格形成が成されるはずがなく、ましてや物書きを志す者なのだ、心に撃鉄を持っていないわけがなかった)

 気付いていたのかもしれなかったが、気にしないようにしていた挙句、青年は妹のペルソナを全てとして受諾し、意思によって忘却していた。

(思い出した。君は、そんな子だったよね)

 日常を円滑に送るために彼女から発信し続けられる表層的な記号を、妹として定義した。彼女の偽りの穏やかさを見抜けぬ愚かな兄を演じた。思い込む意思の強さと習慣は己を洗脳せしめた。それは幸福な思考停止であった。

(もう騙しだましやっていくことのできないところまで来てしまった)

 眩しすぎる追憶が彼の目を暗ませた。幼少期の記憶というものは個人にとって原型を司るものである。

「鷹が爪を出してしまったみたいだ。いままでとは違う。まるで高咲あけびらしくない」

 痛烈なイメージを持って、高咲あけびが覆る。あたかも洗礼を受けたように生まれ変わる高咲あけびという固定概念。緩慢な子だと定義していた。しかしその実態は、犀利な策士に他ならぬ冷たい人工の瑪瑙である。

「らしさなんて幻想に過ぎないわ。女子高生らしさ、文学少女らしさ、能天気な子らしさ。これらの記号に自分を当てはめる。記号化は擬態の方法には欠かせないもの。らしさを装えば、受け手が勝手に私の人格を妄想で形成してくれる。私の仮面は真の姿形を表すものではないけれど、あなたならそんなこと理解して、この茶番に付き合ってくれていると思っていた」

 咎めているような、しかし受け入れを望むような調子であった。

「人は誰しも多面的なんだ。怒っているわけじゃない。君の内面をわかっていたはずなんだが、脳ってのはやっかいでね、こうだ、と簡単に物事を決めつけたがる。実際に僕は本当の君を忘れようとしていたのかもしれない。思いたい方、考えたい方に人は考えがちなものだから。その怠惰が積もり積もって、この状況になった。でも今は、とても懐かしい気持ちだ。お帰り、あけび」

「ごめんなさい。でも、私には必要だったの」

「君は悪くはない。印象操作なんて誰でもすることだ。……はぁ」

「やはり、怒っているわよね」

「驚いたんだ。僕の愚かさと、君の狡猾さにね」

「私は本の虫で、幼い頃より小説家の父親から教えを受け、進学校に通っているわ。そんな子が、惚けた性格をしている可能性は極めて低い。あなたなら、私の本棚を見ただけで分かると思ったのだけれど……ああ、でもあなたは初めから気付いていたのね」

「うん、そうかもしれない。しかし、本棚ねえ……あんなもの見せられたら、嫌でも君の内面を思い出すよね。恐らくあの時に思いだして、気にしないようにしていたんだ。わかりたくなかったから。あえて読み違えた、と取っても良い」

「日記も読み違えたのかしら」

「さぁ」

「読解力は誤解力とも言い換えられる。だから読んだ人がそれぞれの解釈をすればいいと思うの。でも善意を持って書いた物を悪戯と取られるのはショックなことね」

「すまなかったね」

 青年は少女が言う善意の意味を理解しかねた。

「ショックだけど仕方ないのかもしれないとも思うの。意図したことが上手く伝わらないことなんてあるわ。我々日本人は月に兎の姿を見、北米人は人間の姿を見るというように、視点や思想がことなれば認識も変わるものだし」

「いつもの元気な女の子は、本当に偽りの姿なのかい」

「偽りの姿なんて……そう言ってしまうのは印象が悪いわ。保護色の状態のようなものなのだもの。私は私がどういう人間かを知っているし、だからこうせざるを得ないのも知っている。私はこれをいけないことだなんて思わないの。だってこれが私の性質なのだもの。私にとってこれは生きていくために必要なことだった。言い方は悪いけれど、無邪気な人間のふりをしていると生きやすいの。社会は弱者にとって辛いものだけど、でも弱者ぶっているものにとっては生きやすいから、私は無邪気なふりをして、枠から外れることを選んだ」

「まだ嘘をつくのかい。本当のことを言ってくれないか」

 わかったわ、と苦虫を噛み潰したような顔をして、少女は語った。

「本当は……父に甘えるため」

「そうだね。それこそが、君が幼く振舞っていた理由だ」「そうよ……父に甘えるためには無邪気な子供でないといけなかったの。それに、あなたは聡い人間は嫌いみたいだから。私が人の心を盗み見る人間だと知ったら、私が危険に陥る可能性が高まる。あなたは心を見られることを嫌うから、私のような分析屋は最も嫌いなはずよね」

「それは、勘違いだ。父親は君が狡猾な人間だと愛さないのかい。無邪気な人間でなければ愛さないのかい。それに君が僕の心を盗み見たって僕は怒らない。僕だって同じことをしているのだから」

「私たちは同じことで苦しんでいるのね」

「――――」

「突然だけど、泉鏡花の草迷宮を読んだことはある?」

「あるよ。向うの小沢に蛇が立って、 八幡長者の、おと娘、 よくも立ったり、巧んだり。の、あの本でしょ」

「知っているなら、話が早いわ」

「亡き母の手毬唄を求める旅の途中で夢に惑わされ化け物たちの迷宮に迷い込むお話だね。僕がその主人公だと言うのなら、君は一体、僕の何を知っているんだい」

「聞いてみただけ。厭な夢を見ないようにね」

「もう見ているよ」

「そう」

「ひとつ聞きたいことがある」と告げて青年は続けた「例えば、ふたつの世界を行き来できるようになり、その一方は夢で他方は現実だとする。しかし君は仮想と現実の区別が付かなくなった。そうなってしまった場合、君はどちらを選ぶ?」

「好きなほうを選ぶと思う」

「好きとは何を基準にするんだい。どちらが仮想か現実か分からないのに好きか嫌いかの区別をつけても良いのかな」

「心地よさかな」

「心地よさとは何を基準に」

「わからない。大切な人がいればどこでも良いわ」

 青年の口角が左右に鋭く引っ張られた。非常に嬉しかったのだと思う。

「僕は美しい夢を見続けられるのならば、現実なんてすぐに捨て去ってしまえる」

「もし現実のなかで盲聾唖になったとしても?」

「夢を現実として認識するようになったら現実世界は偽りのものになる。そこまで認識が変容すれば、現実は無価値になるさ」

「そうかもしれないわね。現実的な話ではないけれど」

「……それはそうと、僕は君がこんなに僕のことに関心を向けていることが驚きだ」

「だってあなたは危険人物なのだから。あなたの日記を読んだ人間は誰だってそう思うはずだわ」

「そうかい」

「あなたは人間を真似ている宇宙人みたいなの」

「僕もそうだと思っていたよ」

 苦笑しながら言うが、半分は冗談で、半分は本気だった。

「理解できないとは言わない。私も似たようなものだもの。でもあなたは桁違いで、私には計り知れない。だけれど、私はあなたをなんとかしなければならないの」

「どうもしなくていいよ。治らない」

「自暴自棄にならないで。寂しさを暴力で埋め合わせようとしないで」

「寂しさは関係ないよ。僕の衝動は感情とは無関係に表出するものだから」

「日記を見る限り、殺意の動機は様々だったわ。性欲のために殺したがったり、世界から言語を除くために人を消滅させたがったり……なぜそんなことを」

「そんなこと言われても、止まれと言って止まる心臓は存在しないからだよ」

「仕方のないことだと?」

「人は増えすぎたからね。同じくせに、違うから」

「……」

「菜食主義者は動物を殺すことに罪悪感を抱くが植物を殺すことにはたいして罪の意識を抱かない。魚肉は食べるが畜肉は食べない。あるいはこれは失笑ものだが、鳥肉は食べるが哺乳動物の肉は食べないという菜食主義者もいる。狩猟を嫌う漁師もいれば、鳥は撃つが人間的な目を持っている鹿などは恐ろしくて撃てないという狩猟家もいる。同じ原理が人間の殺しの場合にも働く。自分と違う人種を殺すとき、自分と同じ人種を殺すときよりためらいが少ない。人種や宗教が異なれば人はさらに簡単に人を殺すことができる。

 妊娠中絶を支持する平和主義者がいることや、生命は尊いものだという理由から妊娠中絶を否定するのに死刑は肯定する人間が多くいることを君は知らなければならない。誰もが勘違いと自己の欺瞞に気付いていない。

 だから人殺しは不条理ではない。法律的に殺しても良い理由は存在しないにしろ、法を超えたところに人を殺す理由はどこにでもある。

 連帯責任は君らの好きな社会の常識だ。連帯責任として罪を処罰する。それだけだ。今まで溜め続けてきた人類の欺瞞は人類で清算しなければならない。誰のせいにしても仕方がない、悪いのは過ちを犯した本人だ、と僕は思っているんだがね。多くの人間は違うようだから」

「なんだかまるで……殺人はあなたにとって大義なのかしら」

「この社会に大義なんてものは存在しないよ。各々が各々の利益追求のために動いている。そもそも殺人鬼に哲学なんてものはいらないよ」

「ならば何で殺そうと思うの」

「かわいそうだからだよ。見ていられないんだ。皆を愛しているから、皆が好きだから、皆が生きながらにして苦しみ喘いでいるのを見ていられない」

「そう」

 と呟いて少女はポケットからナイフを取り出し自らの喉を切り裂いた。ぼたぼたと血を流しながらも青年の瞳をしかと見つめ続け、懸命に両腕を動かして自らの首を切り落とし、前のめりに倒れ込んだ。青年はつまらなそうな顔をして近づき、少女の死肉を食らう。

 青年はまた嘘をついていた。人間が好きであるから苦しみ生きるのを見ていられないと言いながら、少女の死にざまを見ても、何も感じはしなかった。

「ふふふ……酷い人…………」

 妖しの女の声がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ