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大地への帰還  作者: 桐生真之
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I 理由

 やわらかな闇がこの身にまとわりつくのは青年にとってこの家の日常を思い出させる要因であるのだが、ここはいつもとは異なった様相を見せて、まことこの家は構造上、いつもの家と同じものなのかと疑うばかりだが、されど青年は再び迎えることとなったこのときに対して、さして恐れてはいない。悪夢のなかで味わう重苦しい闇とは異なる質であったからか、それともすぐ前にこの場所を経験していたからか。どちらも正解だと言えた。

 人気どころか生命の感じられぬ、木の温かさや爽やかさや息吹も感じられぬ作り物めいた空間で、青年はひとり佇むばかりで、なにもあらず、迷いもない。足元を鼠だとか虫だとか蛇だとか色々なものの大群が駆けて行ったけれど、青年にとっては取り扱うべきものでもなく、そればかりかこの有象無象の雑多な物どもを蹴散らし踏みつけて殺す始末。

「あぁら、正樹ではありませんか――」

 音はなかったが榧の声が脳髄に直接伝わり、青年は背後を見て、顔の無い紙の母をしかと見届けることとなったが、いまとなっては驚きどころかなんの感慨もないわけで、青年は顔の無い母の体を無造作に掴んで引き破り、悲鳴とともに紙でできた母の姿を闇に消した。

「またこんなところに迷い込んで、哀れな男ね――――」

 ついと現れた朱色の羽織の女を、青年は射殺す瞳でもって見て、

「俺が憐れかどうかは、お前が決めることじゃない」

「そんなことを言えるのはお前が何も知らない坊やだから。お前は私の手のうちで転がり続ける。私はお前をここに閉じ込めておくことだってできるのだから」

「構わない」

 青年の言葉に女は驚きを隠せずにいた。

「ここから出られないかもしれないのだぞ、それでもいいのか」

「住めば都。お前とここにいるのも悪くはない」

「…………なんだと」

「元々絶望している人間を絶望させようというのも無理な話だ」

「完全に狂ったのねえ」

「ここには俺とお前しかいない。正義の概念は消滅してしまったし、人のいないこの場所では誰も俺を咎めない。やりたいことばかり思い浮かんで大変だよ」

 青年は獲物を見つけた肉食獣の眼で女を見た。女が吐気を催すほどに性的な炎を灯した視線であった。

「ずっとここにいて過去を見続けるつもりか?」

「さぁな、だが過去をいくら悔んでいても仕方はないが、過去はいつまでも終わらないものだ。いつまでもずるずると現在に付いて、絶えず評価を受け直さなければならない。現実と比較されて今を見極める物差しにならなくてはいけない。頼りない現実のためにだ。そろそろ休ませてやっても良いとは思う」

「過去に対して干渉しないということか。残念だ。お前が知らなければならないことなど山ほどあるというのに」

「真実ならば見ても良い」

「ほう」

 女が襖を開ける。そこには現代の街並みがあり、よく見知った顔がふたり。

「今日は兄とは会っていないみたいですけれど、これから会う予定はございますか?」

「ちょ、ちょっと待って。何故、私がまだあの人に会っていないってわかったの」

「あなたからは、兄の香りがしないからものですから。それだけです。それよりとにかく兄とは別れて欲しいんです」

「妹だからって、何であなたがそんなことを」

「あの人はあなたの手に負えないもの。身を引いた方がいいわ。それがあなたのためなの」

(ど……どういうことだ。お前……裏でそんなことを。しかしなぜ……それに……お前は、何を知っている……)

 かつて自らの手によって失恋を味あわせた少女と我が妹が、自分のことで口論を巻き起こしている。口論というよりも妹が一方的に諭しているようにも見えるが、いまはただ、このようなことが過去にあった、それだけが驚愕の的である。

「お前は昔から強情な子だったよ……柊」

 末の子の名を呟いた。


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