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大地への帰還  作者: 桐生真之
13/56

E 救済

「絹のように硬質な肌を持っていても

 いつかは爛れ腐り行く

 時は過ぎて万物は変わり行く

 木は朽ちて実は落ちて食べられて

 生まれて伸びてまた落ちて

 食べられて

 生の過程に腐り行く

 臭い膿を吐き出しながら

 どろどろに溶けながら

 清浄と再生に向けて落ちて行く

 私は腐って食べられる」

 

 

 現実から逃れ幻想を求める心境というものは如何なるものか。己のみが自由に支配できる空想という楽園に身を置く青年にとって浮世というものは極めて価値の薄いものである。

 長年、青年の視覚に訴えた人体切断の強烈な印象は彼を虜にしていた。メッカに向かって礼拝するような敬虔さで、彼は日に何度も人殺しを夢想していた。生を確認するために痛みと暴力は欠乏してはならぬ大切な養分だった。己の生を獲得するために他の命を狩る必要があった。彼はこの思想を自然に持っていたが、家畜を屠殺して自らの肉として延命を果たす人間と同じ理論上に生きていた。生きるために奪うのである。腹が減るから殺すのである。

 彼は唯一の例外を除いて、差別をしなかった。これは彼が級友に好かれるひとつの要因であった。彼の思想の上では、人間も大地も空も水も太陽も月も神(彼はもちろん無神論者だが、ひとつの哲学として神は存在すると規定することがある)も女も大人も子供も赤子も男も草木も犬も猫も猿も細菌も森も木も星も空気も昆虫も鉄屑も金も光も闇も美も醜悪も善も悪も皆並列して生きていた。人間を神霊のように思い、又、紙屑だとも思っていた。主観的な好みの問題はあったが、理論上はダイヤモンドも藪蚊も同等であった。その中の例外、それは母だった。それ以外は皆、蚊帳の外であった。

「今日はここに集まってくれて本当にありがとう。感謝します。嬉しい限りだ。私は君たちを愛している。愛しているんだ。……なのに生には辛いことが付きまとう。それは生命の衰退だ。老朽や病、事故などは、誰もが恐怖し嫌煙してしまう出来事だ。だがそれらは問答無用に我々の日常に接近し、突如、あるいはじわじわと我々と犯す。意味も教えられず、何の約束もないままに残酷な仕打ちは起こる。自然界の物理現象として受け流すには、私たちはあまりにも弱すぎる。理不尽に思えるような現象は我々にとってあまりにも残酷であるが、現象はただそこに淡々としているのみなのだ。しかしやはりそれらはどうしても我々の理解の範疇を越えてしまうものだ。人間の理解を越えた現象に対し、我々はそこに神の力を感じずにはいられない。

 神がいるとして、なぜ神は我々を生んだのだろうか。又、我々はなぜ我々を生んだのだろうか。なぜ繁栄させたのか。もし神に作られたのならなぜ私たちはこうまで愚かなのか。なぜ多様性を身に付けさせたのか。我々には多くの課題がある。しかしわかることも増えてきた。

 そのひとつが誕生させることの罪だ。産むことは殺しと同等の犯罪である。こんな不条理の混沌の癌のエイズの貧困の差別の事故の精神病の強姦の老朽の窃盗の裏切りの離苦の戦争の騙しの惰性の蔓延する世界に無理矢理生きることを銘じられるのだから。しかも全能とは程遠い、無力な個体として。それでも生きなければならないとは、それはなんたる理不尽だろうか。こんな残酷なことがあるか。又、生み出す側も子供を得ることで人生を人質にしてしまうという大きなリスクがあるのだ。可愛い我が子を喪失したときの苦しみは形而下では処理しようのない問題だ。こんな莫迦なことはない。

 産み落とすとは言い得て妙な。生命は下界という下層に墜落してきたのだ。そこで夢を見なければならないとは実に憐れで滑稽な儚い性か。人間は悪ではない。善悪以前に人間はただ愚かなのだ。

 近頃、私は度々思う。根元的に善か悪の性質しか持っていない人間など存在することはないと断言して良く、人の善悪は外的条件のもとに規定される。少年期の悪の所業が、成人期の善への成長の準備であることも認められる。加虐的性向を秘めていた少年が博愛主義者に変貌することも有り得る。しかしこれは可能性の話で、これが成されないこともある。博愛主義者にならないと決まったわけではないということで、原因と責任は別に考えられ、別に追求されるべきだ。この国には罪を犯せば親に原因と責任を追及するおかしな風潮がある。原因なんてどこにだってある。友人・地域・親・教師・テレビ・現代社会・ビジネス・文化、様々な要素が複合されてひとつの事象に至るのだ。そうすると全ての者が責任を問われるわけであるが、それでは一向に切りがない。例えば人を刺殺した通り魔がいたとする。なぜそうしたのだと聞いて、街の騒音にイライラしたと言ったらなら、それまでだと私は思う。太陽のせいで死刑になった異邦人だっているくらいだ。世間の人間は反対するだろうが。それは当然なんでもありになってしまうからだが……しかし太陽のせいにするだけまだ良い方だ。人間の中には自分の罪を頑として認めない奴らがいるのだから。

 時に我々は、我々の常識では理解し得ないような人物に出会う。神も哲学もない軸を失った世界で、氾濫した多様性にいかに対応するかが問題だ。

 今、人間は多種になっている。それは我々の内側から生まれているものだ。軸などどこにあるのか判然とせぬくらいに倫理は多様化している。基準がない。

 この世界に神がいなければ誰が秩序を保つだろう。答えは我々である。しかしそれを壊すのも我々人間だ。人が狂えば秩序も狂う。権力だけが浮き彫りになり、その権力を司るのは強者のみだ。神のいない牢獄では貴様らのような豚は我々に従うしか道はない。

 神などいてもいなくてもどちらでもかまうものか。もしいたとしても、私は神を崇拝しない。神は暴君と何ら変わらない。

 神の中には破壊を肯定する神がいる。シヴァがそうしたように、宇宙が存在するためには破壊と再生を繰り返さなければならない。神でさえ殺しを肯定しているのに、人を殺してはいけないと思っている人間がいるのはなぜだろうか。しかしこのような奴らに限って牛や豚は殺して良いと思っている。これは奇妙なことだとは思わないか。私はこのような人間以外は大切にしないという博愛主義の皮を被ったファシズム、奴らの欺瞞を許さない。

 我々は天使も悪魔も同じであるということに早く気がつかなくてはならない。

 悪魔になった天使がいる。堕天使と呼ばれる者たちだ。しかし天使になった悪魔はいない。神聖なるものでさえも堕落するばかり、万物は落ちて行くのみ。神でさえも堕落するのだからお前たちのような豚はどうしようもない。神も人間も似たようなものと俺は考えているが、お前たちはどうだろう。神とは特別な価値を付与させるべきものだろうか。そもそも神という存在の証明ができないものを信じられるかが問題だ。

 全ては等しく無価値だ。

 私は、金閣寺に土足で上がり、聖書で尻を拭き、モナリザを焼いて暖を取れと君たちに言いたい。人間も糞も神も変わりはなく、等しく何の価値もない。私たちは物理だけの存在だ。

 そして愛しているから、憐れな姿を見ることは辛い。だから解放してあげたいのだ。美妙なるボランティア精神だ。

 しなやかに送ってあげよう。

 さあ、これからは楽しいことばかりさ」

 世界から命の密度をひとつ消す度に、心は拡散するように思われた。

「ああ、我々は発達したかった。発展したかった。だから文明を作ってきた。理性を求めてきた。しかし、最も残酷な者は最も理性的な人間から生まれる。動物は必要以上に攻撃的になることはない。動物の暴力は制限されている。人間性の象徴である理性を強く持った者でさえ、悪魔や怪物となりうる、寧ろそうであるからこそ残酷性は追求される。人間らしさの象徴である理性を持ったものの中でも飛びきり知的で理性的なものの中から最も残酷な人間が生まれる。これは何たる皮肉だろうか。怪物を生んだのは我々じゃないか。そして我々自身が怪物だったじゃないか」

「怪物はあんただけじゃないか。こんな惨たらしいこと、人間ができるもんか」

「私は、人間がする全ての行為が人間らしいと思う。殺人しは何百代も前の人間の頃から日常的に起こっていることだ。殺人行為が人間的な行為だと、天壌無窮の時を経てもまだわからないのか」

「お前は悪魔だ……」

「私なぞ、まだまださ。上には上がいるものだ」

「狂っている……」

「こんな私を殺したいと思うかい」

「殺してやる! 絶対に殺してやる。殺してやる!」

「おめでとう。君も人殺し予備軍さ」

 このいきり立つ少年は美しい造形をしていた。端的に言えば青年の好みであった。青年の眼鏡に適ってしまったものだから、この少年の末路は悲惨なものであった。薬物によって思考を愚鈍にされ、歯を引っこ抜かれ、口で奉仕させる性具にされた。最後には睾丸を握り潰された。

「良かったろう。これで魔羅に唆されることはない」

 ある女は張り付けにして殺されたが、実に惨めな殺され方であった。彼女は女としての大切なあらゆる部分を彼に献上せねばならなかった。彼は接吻の際、女の唇と舌を噛み切った。又、女性器を女が生きたまま噛み千切った。青年はまるで女の部品を己のものとするかのごとくそれらを食した。

 彼は女装し、ジャンヌ・ダルクを真似て雄叫びを上げた。

 白い布に着替えた。

「あ、そうだ。私は顔が多くの人間に知れ渡っているからという理由だけで偉ぶる人間には虫唾が走る。人間は誉めるべき者を間違っている。人間としては、お前らよりも、これまで文明の発達に貢献してきた技術者たちが称えられるべきではないか」

 大男が喉仏を砕かれ殺された。

「ちょっと塩気が強いな。大人の男の肉は美味いのと不味いのと差が激しい。最悪なのは薬漬けの人間だ。健康な子供の肉が一番美味い。ぴちぴちしていて活気が良い。どっちかっていうと女の子のほうだ。五歳前後の女の子がね」

 童女は激しく抵抗していた。

「ちょっと黙っていてくれないかな。解体したときに崩れやすくなってしまうだろ」

 彼は、多くの人間をまとめて、ミキサーにかけジャムにして食し、さばいて刺身にして食した。ときとして人間の肉を食べたくないと思うときがあったが、味に飽きてしまい、調味料を必要としているときに限った。水槽を用い、人間を細切れにして魚の餌にした。カレーにしたり、オブジェにしたり。特に妊婦が赤子を生むと産まれた実の子を母に食わせた。機嫌が良いと、ひどく不気味な口笛を吹きながら遊具を作った。勿論、素材は死体であった。

 彼はポセイドンの娘で民の子を食い荒らしたラミアーにも劣らぬ残酷無慈悲さで人を殺してのけた。そしてこのように大勢に向けて発言するのが好きだった。

「ほら。ネメシスや鐘馗を呼んでみろ。義憤の女神でも悪魔払いの神でも現れはせん。因果は正当な働き方をしない」

 彼は大量に殺したあと、両手を広げて聖人のように、黒き天を仰いだ。

「ほら、もしも神がいるならば、いまこの瞬間にでも私を殺すはずだ。なのに、何も起きはしない」

 気まぐれだった。

 少女の脳を食べようとするとき、彼はとあることを思いついた。

「これは……私は天才かも知れない」

「どうした」

 青色の男が応えた。

「人類史上最高の発見をしてしまったかもしれない」

「なんだって」

「ここに突っ込んだら気持ちよさそうじゃないか」

「お前は、天才だ。俺もやってみよう」

 青色の男も美しい少女を連れて来た。ふたりして、生きたまま、捉えた少女の頭蓋骨にノコギリを当て、穴をあける、脳が出るように。頭蓋が開いて露わになった、その脳に、性器を突刺し、繰り返し、快感を試した。しかし快楽はいまいちのようである。

「思ったよりそうでもなかったな」

「右に同じだ」青色の男が応える。

「やはりふつうがいい」

 と言って、再び少女を連れて来た。釘で舌を壁に打ち付け、後ろから犯して遊んだ。

 ひとりになる。

「もしも神がいるならばいまこの瞬間にでも私を殺すはずだ。それなのに何も起きはしない」

 全身から力が抜け、胃が震える。膝が折れ、床に這い蹲る。絶望に投げ出される。

「なにも起きないよ……神様なんて……いないじゃないか……助けてよ……助けに来てよ……」

 幸福の可能性を打ち捨てる、彼の脳裡には、その回答しか残っていない。

「人を食らえば心が埋まるかもしれないって言った殺人鬼がいたが……やはり……嘘か」

 己を満たすこと、大切なのはそれではない。全てを救いたい。

「心なんて……全然……埋まらないじゃないか」


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