第8話『貴方の普通を私に押し付けないで!』
美月ちゃんが陽菜ちゃんと一緒に新しい活動を始めるって聞いて、私は思わず美月ちゃんを追いかけていた。
そして、私が代わりにやると美月ちゃんに言っていた。
「ひかり。さっきも言ったけど。私が目立ちたいからやるって言ったでしょ?」
「でも、それは嘘でしょ? 美月ちゃん苦しそうにしてるし。私でも嘘だって分かるよ」
「……ひかり」
「美月ちゃんはさ。スターレインに必要な人だよ。一番要らないのは私。どうせ、アイドルはもう止めようと思ってたから、陽菜ちゃんのお手伝いだけしたら、辞めるし。ちょうど良いんじゃないかな」
「ひかり! 辞めるってどういう事!?」
「元々ね。私は向いてなかったんだよ。だから良いの」
「そんなっ、そんな訳無いでしょ!! ひかり! 貴女が向いてないなんて、私はずっと貴女より人気が無くて、ずっと貴女は人気だったじゃない。辞める理由が無い!」
「人気なんて意味無いよ。美月ちゃん。あの人たちが節穴なだけ。見る目が無いんだよ。美月ちゃんはこんなにも輝いてるのに。見えないんだ」
私は真っすぐに美月ちゃんを見ながらそう言うが、美月ちゃんは目を細めた後、私の腰に手を当ててきた。
そして、その細めた目を険しくする。
「ひかり。アンタ痩せた?」
「い、今は関係ないでしょー?」
私は咄嗟にアイドル古宮ひかりの演技をしながら視線から逃れる様に顔を逸らして、体を逃がそうとしたが、美月ちゃんは逃がしてくれなかった。
それどころか抱きしめられて、抱き上げられてしまう。
「は、はなして」
「軽い。軽すぎ。おかしいね。痩せすぎ。ひかり。アンタ。吐いてるでしょ」
「……っ」
「図星か。でもなんで、吐く原因なんて……まさか、アンタ! 見たのね!? 掲示板。見るなって言ったのに!」
「ご、ごめんなさい」
「最悪っ! アンタは特に見て欲しくなかったのに」
「でも、美月ちゃんだけが苦しんでるのは、嫌だったの」
「バカッ! 私だって、みんなが傷つくのは嫌なんだよ! だから、止めてって言ったのに」
私は何も言えず、ただ黙り込んでしまった。
そんな私を優しく抱きしめながら美月ちゃんは囁く様に言う。
「ひかり。今アンタが一人で行動するのは駄目だ。危険すぎる。だから、リーダー達と一緒に行動して。今はリーダーも落ち込んでるけど。すぐ立ち上がる。またスターレインは元通りになる。そうすれば、また前みたいな日常に戻れるから」
私は美月ちゃんの言葉に何も言い返す事が出来ず、ただ黙り込んで聞いていた。
心の中では美月ちゃんがもう戻らないつもりなんだという事は分かっていた。
でも、何を言っても美月ちゃんが止まるつもりがないという事も理解してしまったのだ。
だから、私は私に出来る事をしよう。
いつの日か。美月ちゃんがまたスターレインに戻ってくる日の為に。
スターレインをまた作る。そして今度こそ守り抜くんだ。
そう決意して、私は美月ちゃんと別れた。
それからの日々は怒涛の日々だった。
沙也加ちゃんを励まして、勇気づけて、由香里ちゃんと一緒に前のメンバーにも話をしに行った。
プロデューサーも会社の偉い人もみんな役に立たなかったから、私は今も続けているモデルの仕事の関係から仕事を拾ってきて、少しずつ活動の場所を増やしてゆく。
動き始めたスターレインを見て、沙也加ちゃんは何とか気持ちが戻ってきたみたいで、泣きながら私にお礼を言っていた。
私なんかでも役に立てるのは嬉しい事だと思う。
そして、今までにイベントでお世話になった人たちとも話をして、参加させて貰える様に交渉したり、私たちはみんなでスターレインを取り戻す為に活動を続けるのだった。
そんな活動の甲斐もあってか、私たちは以前とは比べ物にならないが、それなりに人気を取り戻す事が出来ていたのだった。
順調。
そんな言葉が頭によぎり、私は久しぶりに心から喜びを噛みしめていた。
しかし、そんな日々の中で陽菜ちゃんと美月ちゃんの移籍があり、事務所は荒れに荒れていた。
そのお陰というべきか、プロデューサーたちがまた私たちの活動に積極的になっていたのは良い事かと思う。
けれど、最悪は私の前にゆっくりと歩み寄ってきていた。
そう。それはプロデューサーに呼び出された時の事だった。
「喜べひかり。お前に仕事の依頼だ」
「仕事、ですか?」
「そうだ。とは言ってもあるテレビ局の方と食事に行くだけだがな」
「しょくじ」
「そう。良い店らしいから。旨い物が食べられるぞ。良かったな。ただ、大事な事が一つある。それはその人に気に入られる事だ。気に入られれば今度の春から始まる番組のレギュラーとしてお前と沙也加が出られる。これでまたスターレインは人気を取り戻せる。そうすれば、陽菜を取り戻せる」
嫌な予感がした。
プロデューサーはそれを感じていないのだろうか。
もしくは私の事なんてどうでも良いのか。
判断は……したくない。
でも、断るというのも難しかった。
「まぁ無論断っても良いが、そうなるとテレビへの出演は難しいな」
「……やります」
「そうか。やってくれるか。なら先方とも話をしておく」
嬉しそうに、話をするプロデューサーは本当に何も気づいていない様だった。
そして私は憂鬱な気持ちで、食事に行くことになった。
日程はすぐに決まり、私はやけに綺麗なドレスを着て、指定されたホテルまで車で送ってもらう。
沙也加ちゃん達は心配するだろうと思って、何も言わずに来た。
逃げる事は出来ない。
だって表向きはただ食事をしに来ただけなのだから。
そういう手に私は気持ち悪さを覚えながら、何とか現地で待っていた人に笑顔を向ける。
そこにいたのは若い男の人で、私を見て喜んでいる様だった。
でも、いきなり手を握ってきて、肩を掴んだりして、正直今すぐ逃げ出したくなった。
例えそれが叶わない願いだと分かっていたとしても。
だからせめて、テーブルで向かい合わせに座ってからは黙々とご飯を食べて帰ろうと思った。
でも偉い人は私の都合など知った事ではなく、ニコニコと笑いながら話しかけてくるのだった。
「ひかりさんは本当に可愛らしい方ですね」
「川口さんは」
「豊とお呼びください」
「えっと、豊さんは、テレビ局の方なんですよね」
「いえ、私はまだ大学生ですよ。まぁいずれは局の重役になる予定ですが」
「そう、なんですね」
「だからひかりさんは本当に運が良い。まぁそれは私もですが」
「運が、良い?」
「えぇ。私と結婚する権利が与えられているのですから。これを運が良いと言わずになんと言いましょうか。しかし、それは私も同じです。貴女の様な私の理想通りという方は貴重だ。大変運が良かった。これは運命と言っても差し支えないでしょう」
差し支えしかない。
けれど、そんな事を言ったところで、気分よく話しているこの人の機嫌を損ねるだけだ。
この人がスターレインが元に戻る為に必要だというのなら、ここで怒らせる訳にはいかない。
私はぎこちないながらも笑顔を浮かべ、対応を続けるのだった。
しかし、それとなく断りの言葉を言っても、恥ずかしがっているとか、素直になって良いとか言ってきて、話にならない。
そんな会話に疲れてしまい、私は一度お手洗いにと席を外す事にした。
そしてどうしようかと考えながら歩いていた私は、ふと目の前に高級ホテルには不釣り合いな人が立っている事に気づいてしまった。
ラフな格好でいるその男の人は、鋭い目つきで、私をジッと睨みつけている。
でもその人がおかしいのは格好だけでは無かった。
陽菜ちゃんと同じ様に、全身を覆う光の内側にもう一つ光が輝いて見える。
これがどういう状態なのかは分からないけれど、陽菜ちゃん以外はこの人しか見た事が無いから、普通ではないのだろう。
「お前。奇跡に興味は無いか?」
「……いえ、別に」
その人の事をジッと見てしまったからだろうか。突然話しかけられてしまった。
怖い。
話しかけられたこともそうだけど、それ以上にこの人が話しかける時、暗くて、黒い輝きが体をサッと走ったんだ。
こういう光を出す人は大抵何か悪い事を考えている怖い人だ。
だから、これ以上は関わらない方が良いと思って、私はその人の横を通り抜けようとした。
したのだけれど、私はその人が発した言葉に思わず足を止めてしまった。
「スターレインを取り戻す事は出来たか? 古宮ひかり」
「……っ」
「その様子じゃあまだ難しいようだな。それで今日はここに来たのか」
「あ、あなたは」
「俺は天野。お前に奇跡の力を渡す為にここへ来た」
「きせき」
「そうだ」
「私、そんなもの」
「お前の意見は聞いていない。ただ、受け取るだけで良い」
天野と名乗った男の人はいきなり私の目の前に手のひらを翳した。
私は怖くなって目を閉じたのだけれど、何も起きず、不思議に思って目を開けたのだが、そこには誰も居なかった。
夢でも見たような心地になりながら、どうしようかと考えていると、後ろから川口さんに話しかけられた。
「ひかりさん。大丈夫かい? 戻ってくるのが遅いから、心配したよ」
「あ、ごめんなさい」
「いや、良いんだ。体調が悪いなら、この上の階に部屋を借りているから、そこで休む事も出来るよ?」
「大丈夫、です」
「そうか。じゃあ戻ろうか」
私は川口さんに肩を掴まれ、そのままレストランへと戻っていった。
その間にさっきあった事を考えていたけれど、何も分からないのであった。
そして、また川口さんの正面に座る。
「君も大分緊張しているのではないかと思ってね。ジュースを頼んでおいたよ。是非飲んで欲しい」
「は、はい」
そう言われ、とりあえず私の席の前にあったグラスに手を付けた。その瞬間。
私の中にいくつかの光景が、まるで洪水の様に溢れた。
『おや。大丈夫かい? 疲れていたのかな。上の階まで運ぼうか』
食事も終わりかけの頃、私は椅子にもたれ掛かる様にして息を荒くしており、そんな私を抱きかかえて川口さんが上の階に連れて行こうとしていた。
『ふふ。君は警戒という言葉を知らない様だ。まぁ、その辺りはゆっくりと教育してあげるよ。何せ時間はたっぷりある。私以外には体を開かぬ様にしてあげよう』
ベッドの上に寝かされて、苦しそうにしている私の耳元で川口さんが囁いている。
そして、乱れたベッドと服を脱がされ、泣いている私が映し出された。
『なかなか悪くは無かったが、やはり教えなきゃいけない事はいっぱいある様だね。だが、心配はしなくて良い。私は優しいんだ』
それから、見たくもない光景がいくつも流れて、最後には、言葉にする事すら出来ない程、怖い目に私は遭っていた。
私は急いでグラスから手を離して、自分の右手を見つめる。
「ん? どうしたのかな」
「い、いえ」
「そうかい? 何だか落ち着かない様子だね。ジュースでも飲んで落ち着いたらどうだい?」
そんな川口さんの言葉と同時に、私の中から誰かの声が聞こえた。
陽菜ちゃんよりも少しだけ幼い感じの声が。
『飲んじゃ駄目だよ。飲めば酷い事になる』
「どうしたんだい? ひかりさん」
『ここから、逃げて!! ホテルの外に!』
「ご、ごめんなさい。私、行かなきゃ」
「ひかりさん!?」
その声に従って、私は席を立ち、急いでレストランの入り口へと向かった。
店員さんが話しかけてくるけど、聞こえないフリをしながら、急いでホテルの外へと向かう。
ちょうどよくエレベーターが来ていて、私はそれに急いで飛び乗りながら、一階を押して閉まるのボタンを何度も押した。
向こうからはこっちに向かって川口さんが走ってきているのが見えて、私は祈る様に閉まるボタンを押す。
何とか祈りが通じたのか。川口さんの目の前で、扉は閉まり、私はゆっくりと下へ動き出すエレベーターの中で壁に寄りかかったまま息を吐いた。
そして、一階に着いた私は声に言われるまま玄関の方へと歩いていたのだが、すぐ後ろから駆けてきた足音に捕まってしまう。
「ひかりさん!」
「か、川口さん」
「いけない子だ。急にこんな事をするなんて、約束を忘れたのか?」
「っ」
「スターレインというアイドルグループが大切なんだろう? さぁ、私と一緒に行こう。そうすれば、そのグループの子たちも、君も幸せになれる。そうだろう?」
「……っ、わ、わたしは」
「ひかり!!」
川口さんの声に応えようとしていた私に、鋭い声が響いた。
その声は、ずっと、ずっと私の世界を照らしていてくれた光で、私の世界の始まりを作った光だった。
「さやかちゃん」
「ひかりから手を離せ」
沙也加ちゃんは見た事もない怒りに染まった顔で私たちの所へ来ると、川口さんとは逆の手を握る。
「君こそ離したらどうだ。どこの誰か知らないが、無粋じゃないか?」
「何が無粋だ。ひかりを泣かせて。黙って引けるか!」
「常識を考えたらどうだ。ここは公共の場だ。大きな声で騒ぐ場所じゃない。君の行動こそ彼女の迷惑になっていると気づいたらどうだ」
「貴方が手を離したら私たちはすぐにでも帰るさ。私たちの居場所に」
「私たちの居場所……? そうか。君がそうなのか。加藤沙也加。私のひかりに纏わりつくな。害虫め」
「なに?」
「ひかりはな。別にお前に好意など抱いていない。アイドルとしての活動の一貫で君に好意がある様に豚共へ見せていただけの普通の人間だ。同性愛者などという気持ちの悪い人間とは違う。君の様に男の真似をしたところで、所詮は偽物だと言っているんだ。異常者め」
その言葉に沙也加ちゃんがショックを受けたような顔をした。
しかし、それを確認するよりも前に、私は沙也加ちゃんが掴んでいる右手を振り払って、川口さんの頬を引っ叩いた。
私はいくら侮辱されたって良い。バカにされたって良い。
でも、一生懸命頑張ってる沙也加ちゃんをバカにされる事だけは絶対に許せなかった。
「な、なにを」
「貴方に沙也加ちゃんの何が分かるんですか!? 表面だけ見て、全部を知った様な事、言わないでください!」
「……ひかり」
「私は、貴方と結婚する事は出来ません! 変なジュースを飲ませたって、私の心は変わらないです! 私は沙也加ちゃんが好き。愛しているんです! 貴方の言う、異常者です。でもこれが私にとって普通なんです! 貴方の普通を私に押し付けないで!」
私は川口さんの手を振りほどこうとしたけれど、中々離してくれなくて、苦戦していた。
その間に、川口さんは呆然としていた意識を取り戻すと、私をジッと見つめる。
「異常者と言った事。謝ろう。そして、どうやって知ったか。少々強引な手段を取った事も謝罪しよう。訴えてくれても構わない。だが、これだけは言っておこう。私は君に惚れている。今までは見た目だけだったが、これからは違う。君の全てが欲しくなった。いずれ奪いに行く。それだけだ」
川口さんはそう言うと、私から手を離した。
そして、また連絡すると言って、私たちに背を向けてエレベーターの方へ向かってゆく。
私はその背中が見えなくなったのを確認して、大きなため息を吐きながら沙也加ちゃんに寄りかかって意識を失うのだった。