第5話『私はずっと、加藤沙也加に、憧れていたんだ……!』
あの日から、私はお母さんに言われるまま、加藤沙也加にお礼を言うという目的であの女に会いに行った。
しかし、何度か話す機会はあったけれど、結局何も言えないまま時間だけが過ぎてしまった。
イライラする。
どうして自分はこうも駄目なのだろうか。
変わろうとした。変わったはずなのに。
その苛立ちが、私の中にゆっくりと降り積もって、とある握手会で遂に爆発したのだった。
「……あの」
「うん」
「わたしっ、わたしでも、沙也加ちゃんみたいに、なれるでしょうか」
でも、私から発せられた言葉は私の考えている言葉とはまるで違う言葉で、お礼でも無ければ、加藤沙也加を罵る言葉でも無かった。
ただ純粋に、憧れの人へ向けた様な言葉だ。
だからすぐに違うと、こんな事を話す予定では無かったと言おうとした。しかし。
「なれるよ。だって、貴女は今勇気をもって一歩踏み出したんだから。大丈夫。貴女なら何でも出来るよ」
言葉が、出ない。
「大丈夫のおまじない掛けてあげるね」
加藤沙也加はいつも真っすぐで、私みたいな女にも優しくて、養豚場の豚共でも変わらずに笑顔で話をして。
いつだって、輝いていた。
私はそれを理解して、その場から逃げ出した。
そして逃げながら、頭の中で知ってしまった。向き合ってしまった想いを見つめる。
私はずっと、加藤沙也加に、憧れていたんだ……!
あぁ。
そうか。
そうだったんだ。
私はずっと、ずっと。加藤沙也加を追いかけてたんだ。
馬鹿みたいだ。
でもそれを知ったからってどうなる訳でも無い。
私は空を見上げながら一粒の涙を流した。
「き、君! ようやく見つけた!」
傷ついた心を抱えながら、自宅へ帰ろうとしていた私は握手会の会場近くで一人の男の人に話しかけられた。
その人はアイドルの握手会会場にしては似合わないスーツを着ていて、普通の会社員さんに見えた。
でもそんな人が私に話しかけるのは何故だろうと首を傾げていると、向こうからその話しかける事情を説明してきた。
「君。前からイベントによく来てくれてる子だろう?」
「……そうですけど。それが何か」
「アイドルに興味無いか!?」
「……私まだ子供なので、変な商品は買えません。もっとお金ありそうな人に言って下さい」
「え? いや、そうじゃなくて! 君もアイドルをやってみないか!?」
「私がアイドル?」
「そう! 君なら誰よりも輝ける! その可能性を俺は見たんだ! どうかな!?」
「あんまり興味無いです」
「そ、そうか。でも、ほら、君、沙也加の事が好きなんだろう!? あの加藤沙也加と一緒に仕事が出来るぞ!」
別に好きじゃない。
憧れてなんかいない。
そう言い返そうとしたのに。口は動かなかった。
でも、別に言う必要は無いし。このまま無視して帰ろうとした。
しかし、そう出来ない理由が生まれてしまった。
「君なら加藤沙也加にだって並び立てる。彼女と一緒にトップスターへの道を駆け上がろうじゃないか!」
不意に投げかけられた言葉は、きっとこの男の人にとって大した意味は無いのだろう。
何でもない言葉だ。
別に気にするような物でもない。
でも、そうだ。
気に入らない。と私は思った。
加藤沙也加が私程度に追いつかれて、並ばれてしまうと、今この男の人は言ったのだ。
お前に加藤沙也加の何が分かる。
湧き上がったのは、どうしようもない怒りだった。
そして、その怒りを胸の奥で炎に変え、笑みを浮かべながら私は男の人を真っすぐに見た。
見る目のない男だ。
でも、所詮男なんてこんな物なんだろうと思う。
加藤沙也加の凄さなんて何も分かっていないんだ。
なら、教えてやる。
「良いですよ。アイドル。何だか興味が出てきました」
「本当かい!? じゃあこれ、名刺を渡しておくよ。親御さんとも話さなきゃだし。改めてどこかで会おう!」
「分かりました」
私が、加藤沙也加の凄さを教えてやる。
お前にも。この会場にいる間の抜けた豚共にも。
その目に焼き付けてやる。私の憧れを。
それから家に帰った私はお父さんとお母さんに名刺を見せながら、アイドルに勧誘された話をして、アイドルになりたいと二人に訴えた。
昔の私を知っている二人はあまり良い反応を示さなかったけど、言葉を重ねて、頭を下げてようやく認めて貰えた。
そしてあの男の人。プロデューサーという男の人と共に、私は事務所へ向かい新しく立ち上げるアイドルグループのメンバーと顔を合わせる事になった。
これからアイドルを始めようなんて人間だから誰も彼も可愛い子ばかりだったけど、それでも加藤沙也加以上に輝いている人間は居なかった。
でも、関係ない。
私の役目は変わらない。
このグループのメンバーと一緒に有名になって、スターレインに繋がる道を開く。
そして、加藤沙也加と共演して、もっと、もっと有名にして、輝かせるんだ
その為にも。私はアイドルとしての『古宮ひかり』を演じる。
ファンに喜ばれる事が好きで、アイドル活動をするのが好きな『古宮ひかり』という人間になりきるのだ。
「あ。こんにちはぁ~。古宮ひかりでーす」
「こんにちは」
「何だかユルい子が来たわね。大丈夫?」
「えへへ。だいじょうーぶ」
「本当に?」
「まぁまぁ大丈夫って言うなら大丈夫でしょ」
あれから、多くの事を調べて研究してきた。
アイドルについて、ファンへの媚び方。上手い立ち回り。
その中で作り上げたのが、この頭のユルいキャラクターだ。
天然系とでも言えば良いだろうか。
正直反感は買いやすいが、言動に気を付ければ問題はない。天然が嫌われるのは空気が読めないからだ。
空気が読める天然は最強だという結論を私は出した。
女も男も自分より下の人間だと思えば安心する。
理由は違えど、その辺りは何も変わらない。
それならば、とにかくファンを増やしていく為にも、このまま突き進むだけだ。
それから、私たちはいくつかのイベントを乗り越え。少しずつファンを増やしていった。
ただし、アイドルグループとしては、だ。
私個人としては、爆発的に人気が伸びていると言える。
彼らは不思議な事に、アイドルグループのファンを名乗らず、私だけのファンを名乗っているのだ。
正直豚の生態なんて知りたいとも思わないけれど、ただ、それでも苛立つような気持ちはあった。
「ごめん。ひかり。私たち、もう一緒に出来ない」
「……ううん。ごめんね」
「なんで、ひかりが謝んのよ」
「その……なんとなく」
「もう! アンタは! 大丈夫!? そんなんで!」
「大丈夫だよぉ。私は、だって、人気だもん」
「いや、まぁ、そりゃそうなんだけど。そうじゃないでしょ」
「そうそう。私らが居なくて大丈夫か?」
「ダイジョーブ」
「なんか心配なんだよなぁ」
「ひかり。なんか嫌な事があったら何でも相談してよ?」
「そうそう。解散してもさ。アタシらはずっと仲間なんだから」
「……うん。わかってるよぉ」
分かってる。分かってるんだ。
アイドルってのは、つまりはこういう事だ。
人気がある奴だけが取り上げられて、人気がない奴は切り捨てられる。
分かってる。
私はちゃんと分かってる。
みんなには人気が無かった。
私にはあった。
だから、私だけ切り離して、ソロでやるか、他の人気グループに混ぜるかって話になる。
分かってる。
プロデューサーの言う事ちゃーんと分かってるよ。私は。
あの見る目のない男が、お金とか名誉とか、そういうのが大好きなんだってことも、ちゃんと分かってる。
アイドルは仕事なんだもんね。
だから、これは仕方のない事なんだ。
私の気持ちはただの我儘なんだ。
だから、飲み込まないといけない。こんな気持ちは。
分かってるよ。ちゃんと……。
「ひとみ」
「うん」
「めい」
「はいはい」
「うた」
「どうしたの。ひかり」
「わたし……ごめんなさい」
「馬鹿。泣く奴があるか」
「笑ってお別れって決めたでしょ」
「しょうがない子だなぁ。ひかりは」
私は、どうしようもなく溢れてしまう涙を、拭っても、拭っても止める事が出来なくて、また泣いた。
そんなどうしようもない私をみんなは優しく抱きしめてくれて。
飲み込んだはずの感情が、気持ちが溢れる。
なんで、私なんかが人気なんだ。
見る目のない馬鹿共め。
こんなに、こんなにも、かっこよくて、可愛くて、凄い人たちなのに、なんで分からないんだ。
なんで私みたいな偽物に騙されてるんだ。
なんで、こんな私なんかのファンになってるんだ。
みんなバカだ。本当に大切な物に誰も気づかない。
馬鹿ばっかりだ……。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
私はその日、いつまでも泣き止むことが出来なかった。