第4話『だい、きらいなんだ』
打倒加藤沙也加を誓ってから三か月が経った。
クラスは、ほぼ手中に収めたと言っても過言じゃない。
屑共に圧力を掛けて、私の事を嫌う奴は全員排除した。
徹底的に潰して、二度と立ち上がれない様に、逆らえない様にしてやった。
そうじゃないと、人は何度でも立ち上がれるからだ。
私の様に、訳の分からない女の妄言で立ち上がろうなんて考えてしまうからだ。
だから、私の敵になる人間は潰さなきゃいけない。
この腐った世界で生き抜くためには、他者より上に立たなきゃいけないからだ。
そして、そんな考えの下、上手く立ち回った私はクラスの、いや学校の殆どを支配下に置いて、平穏な日常を送っていた。
なんてことはない。
やってみればこんなモノだ。
お父さんの言うように、男の子は私の容姿が気になる様で、少し思わせぶりな態度を取ってやるだけで面白い様に操り人形になった。
女の子も所詮は私が男の子に人気があるからと嫉妬していただけだった様だった。
そして、力を持たず群れる事しか出来ない奴らだった。
私に人が集まれば容易く私に媚びてきた。
くだらない。
こんなくだらない事で私はずっと悩み続けていたのか。
本当にくだらない。
でもまぁ良い。
これまでの事があったからこそ、今の私がある。
動画やネットの記事を見ながら、学校でもギリギリ問題にならない程度のファッションと、人を惹きつける話し方。
それに私の容姿を組み合わせれば向かう所敵なしという所だろう。
こうなってしまえば、後は加藤沙也加を粉砕するだけだ。
あの女の理想をぶっ壊して、くだらない世界に希望なんか持ってんじゃねぇって言ってやる。
この世界は誰かに優しくなんかない。
支配者とそれに上手く媚びる奴がいるだけだ。
どちらにも属せない奴は弾かれるだけだ。
そういう世界なんだって、アイツに教えてやる。
そして私は手に入れた握手券を持ちながら、加藤沙也加の列に並んでいた。
周りにいるのは結構年上のお姉さんばかりだが、正直見た目をどれだけ取り繕っていても、空気は、その身に纏う光はあの時にライブ会場で感じたものと一緒だ。
気持ちが悪い。
養豚場で餌を強請る豚と一緒だ。
加藤沙也加にちゃっちゃと復讐したらこんな所には二度と近づかないぞ。と心に誓いながら私は一歩、また一歩とあの女に近づく。
遠くからでも見えるが、あの女は今日も今日とてキラキラした笑顔を浮かべながら歯の浮くような言葉を並べている。
気持ち悪い。
本当に目か頭が狂ってるんじゃないだろうか。
見えているのか? 目の前の景色が。
お前の事を気持ち悪い目で見て、自分勝手な欲望をぶつけてる奴しかいない。
そういう場所なんだ。ここは!
そんな世界なんだ!! ここは!!
なのに、なんで、お前は!! どうしてそんなにも……。
「こんにちは! あれ。初めての人ですよね。よろしくお願いしますね」
笑うな。
「ふふ。緊張しちゃってますかね。実は私も緊張してるんです」
笑うな。
「でも、会いに来てくれて、とっても嬉しいです!」
笑うな!!
「……!」
「はい。では手、失礼しますね。これからもよろしくお願いします」
私が乱暴に差し出した手を優しく包んで、握って、加藤沙也加は笑う。
それが腹立たしくて、ムカついて、嫌いで、イラついて……酷く惨めだった。
学校の奴らを下してやったと。私を馬鹿にしてた奴らを見返してやったと。
そう思っていたのに。
今日は加藤沙也加の全部をぶっ壊してやるつもりだったのに。
……結局、私は何も変わっていないという事を見せつけられただけだった。
惨めだ。
係の人に出口へ案内されながら、私は重くのしかかる気持ちに吐き気を覚えていた。
どうしてこうなったんだろう。
なんて自分に問いかけるが、答えは返ってこない。
その代わり降り始めた雨が、私に強く打ち付けて、胸の奥にくすぶっていた火を揺らすのが分かった。
あの日からずっと感じていた熱が冷めていくのが分かる。
私は、何がしたかったのだろうか。
自分の中に生まれた熱を嫌って、こんなハズじゃなかった世界に抗って、壊して、それで、それで……どうしたかったんだっけ。
私はどうなりたかったんだろうか。
分からない。何も……。
会場を出てすぐの所にあるベンチに座り、雨に打たれながら考えるのはやはり加藤沙也加についてだった。
「大嫌いだ」
「あんな奴」
「だい、きらいなんだ」
先ほどまでとは違う熱が体の奥で生まれたのを感じた。
以前ライブで感じたものとは違う。酷く不快な熱だ。
でも、この熱には覚えがある。
風邪を引いた時とかに感じるものと同じだろう。
雨に当たりすぎたからか。今日の事で興奮しすぎて昨日は眠れなかったからか。
その理由は定かではないけれど、これから起きる事はハッキリと分かる。
熱を出して、何日か布団の中から出る事が出来なくなるだろう。
だから、そうならない為に、今すぐ家に帰らなきゃいけないのに、私は動くことが出来なかった。
「ねぇ。君。大丈夫?」
「……?」
「あ。さっきの子だよね。傘忘れちゃったのかな」
「……」
「このままじゃ風邪引いちゃうよ。傘渡すけど、ちょっと待っててね」
熱に浮かされているのか。雨に打たれ過ぎているのか。
私は妙な幻を見始めた。
それは加藤沙也加が私の前に現れて、心配そうに話しかけてくる幻だ。
しかもその幻は私に傘を渡すと、何処かに走り去ってしまった。
バカバカしい。
いくら何でも、こんな土砂降りの中で一人ベンチに座ってる怪しい私に話しかける奴なんて居る訳が無い。
それはあのキラキラした女、加藤沙也加だってあり得ない。
だからこれは私が見てる都合のいい幻なのだろう。
「お待たせ! プロデューサーにお願いして女性のスタッフさんに車動かして貰える様になったから家まで送っていくよ」
私は幻の言葉に頷いた。
「住所教えてもらえる? って、マズイか。えっと、どうすれば良いかな」
「これ、住所」
「あ、ありがとう。ごめんね」
加藤沙也加の幻はその格好いい雰囲気からは信じられない程慌てた様子で、人を呼び寄せていた。
そして私から携帯を借りて、お母さんに電話をして、ペコペコと頭を下げながら会話をしている。
電話の向こうからはお母さんの驚いたような叫び声が聞こえているが、妙にリアルな声だなと私はこの幻に感心した。
しかし、意識を保っている事は限界で、私はゆっくりとベンチに向かって倒れてしまう。
「き、君!」
そんな私を、焦った様な顔で抱き留めた加藤沙也加の体温を感じながら、私はまた新しい熱さが加藤沙也加の触っている腕から伝わってくるのを感じつつ、意識を暗闇に委ねるのだった。
ガタガタと揺れる世界で私は緩やかに目を覚ました。
まだ熱に浮かされている様な感じだったから、ここは夢の中なんだろうと何となく思う。
そして、私はすぐ目の前で心配そうに私の額を撫でる加藤沙也加を見た。
「大丈夫?」
私は何も言わず、首を縦に振った。
「そっか。良かった」
夢だというのに、加藤沙也加は私の想像よりもずっと温かくて、優しくて、あの暴力的な光で私を焼き尽くそうとした女とは別人の様だった。
それが何だか安心出来て、私は息を小さく吐いた。
「大丈夫。私はここにいるよ。辛かったら目を閉じて」
私は幻が握ってくれた手を握り返して、目を閉じる。
でも、夢だというのなら、どこから夢だったのだろうか。
よく分からない。頭が上手く働かない。
しかし、それでも良いかという気持ちになる。
だって、こんなにも心地よいのだから。
私は安心して、落ち着いた心のまま深い眠りに落ちた。
次に目を覚ました時、私はガンガンと痛む頭に溜息を吐きながら周囲を見渡す。
どうやら私の部屋に居るみたいだが、何がどうなってこうなっているんだろか。
「あら。目を覚ましたの? 大丈夫?」
「……お母さん」
「ホント、びっくりしたわよ。世の中、あんな綺麗な顔した子も居るのねぇ。しかも女の子だって聞いて二回ビックリしちゃったわ」
「……そう」
「アンタ。今度会った時はちゃんとお礼言っておきなさいよ」
「……だれ」
「沙也加さんって言ってたわよ。加藤沙也加さん」
「かとう、さやか」
「もう。今は寝ちゃいなさい。お礼なら元気になってからすれば良いわよ」
「……うん」
「じゃあ、おやすみ」
「……おやすみ」
そっか。かとうさやかが私を運んでくれたんだ。
かとうさやか。
加藤沙也加。
加藤沙也加!!?
私は目を見開いて、先ほどまで夢だと思っていた出来事を振り返った。
一気に恥ずかしさが湧き上がり、風邪っぽい熱とは別に体温が上がるのを感じた。
そして左手に握られた加藤沙也加の手の感触を思い出して近くにあったタオルでそれをふき取る。
でも、何度拭ってもその感触は消えず、むしろ頭の中に加藤沙也加の幻が現れる始末だった。
最悪だ。最悪だ。
「ちくしょう……だいっきらいだ」
私は涙を一つ流しながら、眠りにつこうと目を閉じた。
しかし、いつまで経っても加藤沙也加の幻は消える事が無かったのであった。