第3話『これから、よろしくね?』
スターレインというアイドルのライブ会場は、それはもう酷い状態だった。
男も女もギャアギャアとまるで狂ったように大騒ぎ。
それに汗臭いし、何だか暑苦しいし、今すぐにでも逃げ出したくなるような最悪の場所だった。
でも、私の右手には楽しそうに笑う綾ちゃんが居て、左側には光佑さんも居て、逃げる事なんて出来はしなかった。
だから私は嫌々ながら、これから始まるアイドルのライブを見る事にしたのだが……。
それはもう最悪だった。
アイドル達のライブが始まった瞬間から騒がしさと暑苦しさが一気に増して、一瞬ここが養豚場かと勘違いしたほどだ。
どいつもこいつもブヒブヒ煩くて、耳障りで、最悪だ。
でも、何より最悪だったのは、あのアイドルだ。
中央で踊りながら歌っているあの女……。
確か加藤沙也加とか名乗っていた女だ。
アイツが特に気に入らない。
眩しいくらいの光を放っている癖に、不快じゃなくて、不思議と安心感を覚える。
それが酷く腹立たしくてイライラするのだ。
まるで見ている人に希望を見せるみたいな光が、ムカつく。
なんだ、これは。
なんなんだ。これは!!
「ひかりちゃん。どこか痛いの? 泣いてる」
「ううん。そうじゃないの。そうじゃない」
私は溢れてくる涙を乱暴に拭って、未だこちらに気づきもしないで、笑っている加藤沙也加を睨みつけた。
こんな世界。どうでも良いのに。
頑張ったって、どうせ何も変わらないって分かってるのに。
希望を見せつけられてしまう。
この暗闇に閉ざされた世界で、手を伸ばせばあの光に届くんじゃないかって、心が震えてしまう。
それは、恐怖だ。
だって、頑張った結果何も得られなかったら無意味じゃないか。
走り続けて、手を伸ばして、それでも届かなかったら私はどうすればいい?
目を閉じて、耳を塞いで、しゃがみ込んで、元々手が届く訳が無かったって諦めるのが、何で悪い事なんだ。
なんでっ、お前は! そんなにも私に走れって言ってくるんだ!!
「きらいだ……」
強い人間の癖に、弱い人間を見るな。
希望をチラつかせるな。
私を見るな!
あぁ、なんで私はここに来てしまったんだろう。
ここに来なければずっと諦めていられたのに。
何も知らず、聞かず、閉じこもっていられたのに。
でも、もう戻れない。
だって私は知ってしまったから。
頭の中に焼き付いたあの光が、いつまでも消えてくれないから。
だから……。
「今日はありがとうございました。ひかりさん」
「ぃ、ぃぇ」
「ふふ。でもちょっと無理して誘って良かったかもしれませんね」
「……?」
「とても良い目になりましたね。ひかりさん」
「っ」
心の奥底まで見透かしたように微笑む光佑さんのお母さんは、私の手をとると、近くのベンチに連れて行ってくれた。
そして、ハンカチを置いてその上に座る様に促すと、断りを入れてから、私の前髪をヘアピンで止める。
久しぶりに開けた視界の向こうには、柔らかく微笑む光佑さんのお母さんと、光佑さん。そして可愛らしい笑顔を浮かべる綾ちゃんがいた。
明るく透き通った世界がそこにはあった。
「暗闇から一歩踏み出すのは、とても勇気がいる事です」
「……」
「ですが、貴女が思っているよりも世界は広い。一つの場所だけで世界に絶望しなくても良いんですよ」
さっきのライブとは、加藤沙也加とは違う理由で涙が溢れてくる。
やっぱりあの女とは違う。
この人たちは温かくて、優しい光だ。
ずっとここに居たいと思わせる。
でも、私はあの女の火に焼かれてしまったから。
だから! 私は進むんだ。例え、その先の道がどんな道だとしても、私は進む。
そう決めたから。
「あり、がとう、ございます。今日は皆さんに会えて、良かったです」
「はい。私も、ひかりさんに会えて良かったですよ」
「うん! 綾も楽しかった!」
「じゃあ、また」
私は笑顔で、明るくなった視界の向こうに消えていく光佑さんたちを見送った。
本当は連絡先を聞こうと思ったけど、止めた。
きっと知ってしまえば、甘えてしまうから。また逃げ場所にしてしまうから。
だから、私はここで別れる事にした。
その決意を察してくれたのだろう。あえて聞かずにいてくれた光佑さん達には頭が上がらない。
でも、それでも『また』と言ってくれたのは、多分彼なりの優しさだ。
良い人たちだった。
いつか私が自分に誇れるようになって、また会えた時は是非お友達になりたいと思う。
……いや、親友でも良いかな。
養豚場に閉じ込められるっていう苦難を乗り越えた仲だし。
そうだね。親友。次会った時は親友で行こう。
それから、私は家に帰り、何があったのかと心配そうに話しかけてくるお母さんを適当に相手しながら、部屋に入った。
そして、パソコンでスターレインについて調べ始める。
特に調べるのは加藤沙也加についてだ。
調べれば調べるほど賛辞ばかりで嫌になるが、気にしていてもしょうがない。
別にいい。
壁は大きい方が乗り越えた時に嬉しいって誰かが言ってたし。まぁそういう気持ちでいようとは思う。
とにかく、私はあの女に復讐してやらないと気が済まないのだ。
やるだけやって、輝く世界に行って。
それでこの世界の全部を見下ろして、頑張る価値なんか無かっただろって言ってやる。
お前の歌なんか全部嘘っぱちなんだ。私の中をこんなにぐちゃぐちゃにして、その責任を取れって言ってやるんだ。
その時、あの女がどんな顔をするのか。想像するだけで楽しみだ。
私はパソコンの前で笑いながら、スターレインの予定を調べる。
そこにはちょうど三カ月後、握手会を開くと書かれていた。
ちょうどいい。その日までに大きく変わった私を見せつけてやる。
それで、今度は逆に私がお前に見せつけてやる!
バカみたいに、世界が綺麗だって信じてるお前に!
そんな訳無いって言ってやるんだ! 私の事を刻みつけてやる!
「打倒! 加藤沙也加!!」
私は高笑いをしながら、大きな紙に目標をかいて、壁に貼り付けた。
見てろ。三カ月後! お前に絶望を味合わせてやる!!
未だ私の事を知りもしない敵に私は挑戦状を叩きつけた。
そして、目標が決まった以上、動き始めるだけだとパソコンでまた調べものを始めた。
人とうまく話す方法。
可愛くなる方法。
護身術。
立ち回り方。
調べる事はいっぱいある。やらなきゃいけない事もいっぱいある。
それでも、変わりたい。変わらなければいけないと私は思ったのだ。
そう決めたのだ。
だから、私は夏休みいっぱい全部を使って、変わる為の特訓を始めた。
その事を知ったお父さんやお母さんも協力してくれて。
私は、遂に一つの答えを得て、夏休みを終えたのである。
新学期。
いつもの様にランドセルを背負いながら、学校に向かっていた私は道の途中でクラスメイトを見つけた。
そして深呼吸を繰り返しながら、覚悟を決める。
大丈夫。
もし失敗しても大丈夫だ。
光佑さんのお母さんも言っていた。
世界はここだけじゃない。これが世界の全てじゃない。
失敗したって、別の世界が私にはある。
だから……大丈夫だ。
震える手を強く握りしめて、散々練習した笑顔を浮かべながら鏡の前で気が狂う程に繰り返した言葉を口にする。
「おはよう。いい天気だね」
「おはよー……って、え!? 古宮さん!?」
「うん。そうだよ」
「え、な、なんか凄く変わったね」
「そうかな。髪が長くなってたから切っただけなんだけど。そんなに変わった様に見える?」
「う、うん。そうだね。ビックリしちゃった」
「そっか。なら良かった」
余裕を持って笑う。
背筋を伸ばして歩く。
真っすぐに相手の目を見ながら話す。
相手の感情を読み取りながら言葉を選ぶ。
とは言っても発している光からその感情を読み取れば良いだけなのだから、そこまで難しい事ではない。
しかしやる事は膨大だ。
だが、やらなきゃ変われない。
この世界には希望なんてない。ドブ川みたいな世界だ。
それでも、その川を美しいという女が居た。
川で戦う事を選んだ私を励ましてくれた人が居た。
だからもう逃げない。
私は僅かに怯えを見せたクラスメイトに微笑みながら、一言だけ残して学校へと向かうのだった。
「これから、よろしくね?」
戦いは始まったばかりだ。