三年目(一)
私が暮らすこの場所は紅葉が綺麗に見られることで有名だ。秋には各地から多くの人がこの場所を訪れて、緑から黄、黄から赤のグラデーションに包まれる。
四季の中でも、秋が一番好きな私にとって、この場所は何もかもがピッタリだった。
足元を彩るもみじやイチョウは、歩くたびに視界に入って私の心を躍らせた。真っ赤に染まった木や、柔らかく惹きつけられるような黄色の葉を纏わせた木、染まり始めを予感させる健康的な緑色の葉たち。夜、街灯に照らされた色とりどりの木々は、一日を終え、疲れた私を癒してくれた。
吹く風が少し冷たくなって、葉が赤や黄のグラデーションをつくり始めたとき、空の星たちが澄んだ空気の中で輝きだすとき、私は「秋が来たんだ」と心の中で思っていた。
彼に会う前までの私はそう思っていた。勝手に決めつけていたという方が正解かもしれない。
十一月も残りあと二日となった。タンスの奥から引き出した赤いマフラーは、いま自分の首に巻かれている。新しくおろしたコートで充分暖かった日はもう過ぎてしまって、朝、玄関のドアを開けるたびに身体に当たる寒さで震える日が続くようになった。
何気ない散歩の帰り道の、少し長めの信号待ち。
横断歩道を渡った先の長くまっすぐな道に、等間隔に並ぶ木たちを見て、だいぶ葉が落ちたなと思った。未だ木と共に風に揺られる残り少ない葉たちのうち、数枚が突然大きく吹いた風で飛ばされていく。
飛んでいく葉を目で追い続けているのと同時に、自分の心の中の、薄く小さな予感が急に大きくなっていった。
信号が青に変わって、長い長い直線路を進んでいく。
地面に散らばった葉たちを見ていたとき、足元の数枚が前から吹いた風で後ろへ飛んでいく。
立ち止まって、振り返る。
自分が歩いてきた道を通って、遠く遠くに葉たちは消えていく。
向き直って前を向いたとき、先ほどよりもひどく冷たい強い風が吹いて、側に並んでいた木々に残り続けていた葉がまた一枚、一枚と落ちていく。未だ鮮やかに色づいた大きなイチョウの葉が、私の目線の高さから螺旋を描くようにひらひらと落ちていく。
ああ、彼が秋の終わりを告げに来た。
彼と私の視線がつながる。イチョウの葉が足元に落ちていくのに合わせて彼が姿を見せた。
初めて会ったときと変わらない顔で、彼は目の前にいた。
青色に染まっていた空は次第に橙色に染まっていた。けれど、夕方の美しい空は一瞬でその姿を変え、橙色の空を、黒が侵食し始めた。
彼と座った公園のベンチは少し冷たかった。公園のシンボルである、大きな大きなイチョウの木に落ちぬまま残っている数少ない葉が、風でゆらゆらと揺れ、少し背の低い街灯に照らされてその黄色をキラキラと輝かせる姿が綺麗だった。
彼と過ごす秋の終わりは三度目を迎えた。
初めて彼が目の前に現れた日を思い出す。そして、あの日のように彼の足元を確認する。初めての日と変わらない。浮いてもいないし、霞んでもいない。黒の靴が履かれた足は地面についていて、枝から逃げ出した葉を踏んでいた。
「今年の秋はもう終わりなんだね。なんだか、少しずつ始まりから終わりまでが短くなってる気がする」
「そう?」
毎年、十二月ごろまでは葉で満たされていた木々が、今年になって、急に枝から落ちる葉を増やした。夏がなかなか終わらなくて、暑い日が続いていた。あっという間に冬がその姿を現そうとしていた。
秋が短くなっていくのに並行して、私が暮らす場所も変化を見せ始めていた。
大好きな季節と場所が形を変えていくそのスピードに、自分は追いつけないでいた。秋が、夏と冬に押し潰され始めた。
「あっという間にあなたが終わりを告げに来るから悲しくなる。……少し不安になる」
イチョウの木の太い幹までも揺らすほどの強く冷たい風が吹いて、首に巻いた赤いマフラーの垂れた部分が浮く。大きな風なのに肌を鋭く打ちつけて痛かった。
「あなたにすぐに会えるようになってるってことは、秋がどんどん短くなっているってことでしょう?いつか秋の始まりと終わりが同じになる日が来たら、そのときが来たら、次の年はあなたに会えるのかなって不安で、悲しさで、自分の全部が重くなる」
初めての秋の終わりにも、彼と過ごす二度目の秋の終わりにも、こんな想いは抱かなかったはずなのに、あまりにも突然形を変え始めた季節の巡りに、私は追いつけないでいた。
鼻先が寒さで仄紅くなっている。自身の乾いた目が今すぐにでもと潤いを求め始めて、ピンと張った線がちぎれてしまいそうだった。
彼は「うん」としか言わなかった。
私がそれ以上の言葉を求めていたのかと問われたら、たぶん私は答えられないと思う。
たとえ事実でも、秋がなくなると言って欲しくなかった。たとえ嘘でも、秋が存在し続けると言って欲しくなかった。
あんなに大好きだった季節は、曖昧なものになってしまっていた。