表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/12

11、八代の謝罪




 一緒に来ている相沢には軽く声をかけてから八代の後を追う。

 その背中を見つめながら、秋斗は自分の鼓動が早まっていくのを感じた。今から何を話すのか、何を聞かされるのか――その答えはまだ分からない。




 しばらく歩みを進め、エレベーターに乗り込む。静かに動き出すと、秋斗は自分の心臓の鼓動がいやに大きく響いているのを感じていた。


 エレベーターから降りた後も八代の背中を追う。秋斗はふと八代の背ヘと視線を落とした。その背中には、普段バーで接する彼の姿とは違い、どこか緊張感を纏っているように思えたのだ。


(八代と、ちゃんと話せるのだろうか)


 心の中でそう呟く。


 あの日の夜以来、話しはおろかメールのやり取りさえしていない。けれど、今日は微かな表情の変化が見られた。

 だからこそ秋斗もこの機会を逃したくないと思ったのだ。正直八代から話しかけられたことには驚いたが、あの夜の続きについて、彼の本当の想いを知りたい――、そう思ったのだ。



「応接室に着きました」


 八代が小さく呟くと、応接室のドアを開けた。

 どうやらいつの間にか到着したようだ。


「中へお入りください」


 秋斗が中へ入ると、そこには広々とした部屋と重厚な家具が並んでいる。窓から見える景色は高層ビル群が一望できる絶景だ。だが、それすらも視界に入らないほど、今の秋斗は緊張感に高まっていた。


「どうぞ、お掛けください」

「……は、はいっ」


 促されるままにソファへ腰を下ろす。 目の前に座った八代を見た瞬間、秋斗は一瞬息を飲んだ。


(――あれ…、柔らかい……?)


 そこにいたのは会議室で見せる冷徹な副社長の顔ではなく、あのバーで見せていた、柔らかく穏やかな表情だった。


 秋斗は一瞬戸惑ったが、すぐに納得する。


 この場では、「八代グループの副社長」としてではなく、八代夏希という一人の人間として秋斗と向き合おうとしているのだと感じたからだ。


 それでも二人の間に気まずい雰囲気が漂っていることには変わらない。どう話を切り出そうか迷っていたが、その雰囲気を壊したのは八代から発せられた意外な言葉だった。


「あの、まずは謝らせてください」

「……え?」

「社内で初めてお会いした時や、ホテル内でお話しをさせて頂いた時。そして、今まで片桐さんに対して嘘をついていたこと、全部を」

「っ……」


 不意に発せられた言葉に秋斗の胸が跳ねる。


「本当に、申し訳ありませんでした……」


 椅子に腰掛けたまま、頭を下げて謝罪の言葉を口にした。

 ある意味天上人のようである八代からの謝罪に対し秋斗は少しばかり焦ったが、八代の声は真剣そのもので、その言葉の一つひとつを静かに受け止める。


「あ、頭を上げてください。……謝罪を受け入れます」


 ありがとうございます、そう口にしながらゆっくりと顔を上げる。その表情には少しばかりの安堵感がみえていた。


「今更ではありますが、少しお話しをしてもよろしいでしょうか」


 八代がまっすぐに秋斗を見つめている。その瞳の奥には何かを伝えようとする強い意志が垣間見えた。

 コクっと頷くと、八代は静かに目を伏せてからゆっくりと語りだす。



「まずは、片桐さん達が修正案を持って来られたあの日からお話しをさせてください」

「…分かりました。お願いします」


 一つひとつ順を追って話しますね、そう言って続ける。



「実は、俺は片桐さんたちにお会いするまでの間、出張で各地の企業を回っていたんです。2週間近く空けていたので、社内でのスケジュールがかなり詰まっていました。

 …あっ、勿論代理で仕事を任せている方はいらっしゃいますけど、代理はあくまでも代理です。最終的な判断や重要案件は自分で直接確認する必要がありました。

 そして出張から戻って来た翌日、ようやく出社したのですが、すぐに報告やら確認事項の書類やらが思った以上に多く舞い込んできて……正直、自分の予定を把握するのが精一杯だったんです」


 なんだか情けない話しですよね、そう自嘲気味に笑いながら話を続けていく。


「そんな中で、営業部が来客対応をしているとだけ報告を受けたのですが、どなたがいらっしゃっているのかまでは確認をする余裕がありませんでした……」


 八代は少し肩を落としながら、言葉を続けた。


「会議室に案内されたときに、初めて片桐さんたちがいらっしゃっていることを知ったんです。その瞬間、思わず足が止まってしまいました。どう接すればいいのか、どう顔を合わせればいいのか、思わず混乱してしまって…。

 それに、その場にはうちの社員もいましたから。プラべートと仕事は別だと直ぐに思考を切り替えて、そのまま冷静を装って席に着いたんです。ですが、内心ではかなり動揺していたんですよ」


 八代の声にはあのときの動揺が再び蘇ったような微かな震えがあった。そして、どこか後悔を滲ませているような、そんな雰囲気もどこか感じ取れた。


「そして、片桐さん達が帰られた後……ずっと悩んでいました。今まで嘘をついていたこと、俺が副社長であるのを隠していたこと。すぐに謝るべきだとは思ったのですが、どう伝えるべきなのかが分からなくて…。

 でも、その日の夜、片桐さんからのメールを読んで決意したんです。たまたま滞在していたホテルの個室ラウンジをお借りすることが出来たので、そこでお話することにはしましたが、正直、とても緊張していました」


 緊張していたのは八代も同じだったのだ。でも、それでもどうして……。


「だとしても、どうしてあんなに冷たい態度を取ったんだよ……」


 そう、その時は誰も居ない個室で話をしていたのだ。だとしたら秋斗に対して取り繕う必要なんて無いはずだった。


「そう……ですね、その時は不快な思いをさせてしまいました。申し訳ありません」


 軽く目を伏せてから続きを話し出す。


「片桐さんにお会いする時……本当はすぐにでも謝るべきだと思っていました。ですが、俺は正直、怖かったんだと思います」

「そう、だったのか……」

「はい。素直な気持ちを伝えることで、片桐さんにどう思われるのかが気になってしまって……。それに、俺にとっての『副社長』という地位は、呪いみたいなものですから」

「呪い?」

「はい。その地位や自分の生い立ち、全てを含めての、呪い……です。そのことについては、またいずれお話し致します」

「…分かった」

「ありがとうございます。…話を戻しますが、あの時の俺は無意識のうちにその立場を強く意識しすぎていたんです。…けれど、その時の態度がどれだけあなたを傷つけてしまったのか……今なら分かります。あの時は、わざわざ来て頂いのにも関わらず、本当に申し訳ありませんでした」


 改めて頭を下げて謝る八代の姿をまじまじと見つめる。


 今こうして八代の本音を知ることが出来ている。それでだけでもすごく嬉しいことだった。

 それに、と秋斗は思う。会話の中で出てきた「呪い」という言葉。恐らくだが、八代にとってのその崇高なる地位と、大企業の跡取り息子という立場。きっと、その2つが自分自身を縛る枷なんだろうな、ということを。




 しばらくしてから顔を上げた八代は、秋斗のことをじっと見つめながら続きを口にする。


「実は……今日こうしてお会いするまで、ずっと片桐さんのことが頭から離れなかったんです」


 そう言うと苦笑しながら視線を落とした。


 相手のことが頭から離れなかった。それは八代としても同じだったのだ。その話を聞いた途端、妙に照れくさくてなってしまった秋斗は少しだけ顔を反らす。

 そして、視線だけ八代の方へ向けると、その表情にはどこか人間味があり、冷徹な表情よりもこっちの方が好きだなと思う。



「それから……最後にもう一つ、謝罪しなければならないことがあります」


 八代は顔を上げ、秋斗の目をまっすぐに見つめる。


「俺が、副社長であるのを隠していたことです」


 秋斗は静かに息を呑む。八代の口から改めてその言葉を聞くと、どこか隠されていた現実が重くのしかかるように感じた。


「勿論、隠していたことには理由があります。ただ、今はまだお話しするタイミング……というか、気持ちの整理が出来ていません。なので、話せると思ったその時まで待って頂けませんか?」


 その言葉に込められた強い想いを感じながら秋斗は短く息をついた。


「はい、分かりました。気持ちの整理が着いた、その時が来るまで待ちます」

「――っ。ありがとうございます…!」


 了承の答えを返した瞬間、八代は安堵の表情を浮かべていた。


 今日、こうして話を聞くまでは八代との間に分厚い壁があると感じていた。なのだが、秋斗には想像もつかないほどの重いものを抱えていたのだということを知り、俺はなんて自分勝手過ぎる思いを抱いていたのだろう、と。少し恥ずかしくなった。


 八代には八代の事情がある。そのことを失念していたのかもしれない。



 そう思いながら、秋斗はそっと顔を上げた。これまでのような関係に戻れるかどうかは分からない。

 だが、それでも――。


「八代さん。お願いがあるんですけど、これからも、今までみたいな関係を続けたいです。できればまた、バーとかプライベートでも会えたら嬉しいなと思っています。……どう、でしょうか?」


 恐る恐るながらも口にしたその言葉に、八代は目を見開いていた。けれど、すぐに柔らかな笑みを浮かべ、静かに頷く。


「はい、勿論です。俺も同じことを思っていました」


 その答えを聞いて、秋斗は自然と肩の力が抜けるのを感じた。

 すると、八代からも「…あの」と少し照れたように視線をそらしながら口を開いた。


「あの、それでしたら俺たちがこうして2人きりで話すときは、堅苦しい言葉遣いじゃなくて、今まで通りの砕けた口調で話してほしいです」

「え、今まで通りで…?」

「はい。ですが、仕事の場では少し気を付けていただけると助かります。一応、その…立場上、副社長としての威厳というか、そういうのがあるので」

「まぁ……確かにそうだよな、わかった。気を付けるよ」


 秋斗はどうするべきか一瞬躊躇ったが、八代の真剣な眼差しに頷いた。


「ありがとうございます。片桐さんには、こうして普通の俺として接してもらえるのが一番嬉しいんです」


 少し柔らかい笑顔を浮かべる八代を見て、秋斗は軽く肩をすくめながら言葉を返す。


「だったら、八代ももっと砕けた口調で話して欲しいかな。俺だってその方が楽だし」

「えっ……俺も、ですか?」

「あぁ。だって俺たち、友達…だろ?しかも同い年だしさ。なんだか八代ばっかり堅くるしいのが変に感じるんだよ」



 一瞬、言葉に詰まった自分に内心で戸惑いを覚えた。「友達」と言い切るはずのところで、ほんのわずかな間が空いたのは何故なのか。


( 友達――確かにそうだ。今までもそうだったし、まさにさっきも今までみたいな関係を続けたいって口にした。これからも、そうであるべきなのかもしれない……)


 心の奥が妙にざわつくような感覚がする。友人関係に戻りたいと願ったのは秋斗自身だ。だけど、それだけでは足りないと思っているのもまた事実だった。

 八代の穏やかな笑顔を目の当たりにするたびに、自分が求めるものが何なのか、薄々気づき初めてはいる。 けれど、それを認めてしまえば、もう今の関係には戻れない――そんな気がした。


 ふいに湧き上がった思いに慌てて蓋をする。今はそんなことを考える場合ではない、と。





 秋斗の発した言葉に八代は一瞬驚いたようだったが、やがてくすりと笑った。


「確かに、そうかもね。それじゃあこれからはお互い遠慮はなしっ、てことで」

「……ああ、そうしよう」


 二人の間に、和やかな空気が流れる。

 けれど、秋斗の胸の奥では密かな葛藤が続いていた。

 友人として八代と接することで満たされるはずの気持ちが、どこか満たしきれない。それでも、今はこの関係を壊すわけにはいかないと、強く自分に言い聞かせる。


 秋斗だけに向けられるその笑顔が、自分にとってどれほど特別なものか――。




 それを全て認めるまでには、まだまだ勇気が足りなかった。






ここで連続更新は一旦終わります。

しばらく制作期間に入りますのでお待ちください。

m(_ _)m

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ