第七章
人目がつきにくい所。
笹原たちが田権さんを連れていった場所なら何となく予想がつく。
バレー部の部室。あいつらが授業をサボる時によく使う場所。
私は体育館へ続く渡り廊下から外へ出ると、そこに並んでいる部室の一番奥の部屋へ入った。
予想通り笹原たちはいた。
そこにいた三人の目が飛び込んできた私に向く。
「倉府かよ。ビビらせんなよ」
浦木がキッと睨む。
田権さんを見た。
暴力はふるわれてはいないようだ。
「お前、何しに来たんだよ?」
笹原が近づいてきて、私は急に怖じ気づいてしまった。
「やっぱり、これは、私の問題でもあるから…」
自分でも驚くほどの小声だ。
けれど喉がギュッと細くなってこれ以上の声が出ない。
「何の問題もありませんよ」
田権さんは言った。
そして、手には二枚の一万円札。
「ではこれを」
田権さんが差し出したお札に、浦木が手を伸ばした。
そしてお札に触れようとした時。
「一つお聞きしたいんですけど、このお金は返していただけるんですか?」と田権さんが訊いた。
「なんで?」
「だって、返していただけないのなら犯罪になってしまうじゃないですか」
田権さんの言葉に笹原と浦木は「ぷっ」と笑う。
「返すに決まってんだろ? 心配すんなよー」
絶対に嘘だ。
口ではそう言っておきながら返さずに逃げるに決まってる。
「その言葉、しっかりとお聞きしましたよ。キヒヒヒヒ」
田権さんは顔をクシャッと潰して不気味に笑い、二万円を渡した。
「それでは。これで」
田権さんが振り返ると浦木がその肩を掴んだ。
「ねえ、一万足りないよ」
「そうですか? 確か二万円でしたよね?」
「いやいやいや。持ってくるのが遅いから。一万増えたんだよ。昨日、倉府にそう言ってたでしょ? 聞いてなかった?」
だから言ったのに。
今日、学校へ来たらすぐに持っていくべきだったんだ。
そうすればこいつらにお金をさらに要求する隙を与えることはなかったはずだ。
「仕方ないよ。化け物に人の言葉は理解できないって。つーわけで、残りの一万、明日持ってきてね」
言う笹原の目の前に倉府さんは新たに一万円を差し出した。
一瞬の出来事だった。
「ではどうぞ」
田権さんは驚いた様子の笹原の手に一万円を握らせた。
「じゃあ失礼します。倉府さん、教室へ戻りましょう」
「ちょ、ちょっと待てよ!」
笹原は険しい顔で怒鳴った。
「てめえ、いい度胸してるよ。けどムカつくんだよ」
笹原が田権さんの腹を蹴った。蹴られた田権さんは「う」と呻いて
お腹を押さえるとコンクリの床に膝をつく。
「おい化け物! てめえ、ブサイクのゴミのくせに金持ってんじゃねーか! 来週の月曜までに十万用意してこい! いいな? 十万だぞ!」
「十万円? そんな大金、どうやって」
思わず声が出た。
すると浦木が私を見てヘラヘラ笑う。
「倉府、お前はこいつを助けにここへ来たんだろ? だったらお前も同罪だ。十万作るの手伝ってやれよ」
「そ、そんな!」
「当たり前だろ」
浦木はスマホを取り出して「スカートをめくってケツをこっちへ向けろよ」と笑う。
「なんで?」
「お前は胸がねーからケツで男を誘うしかねーだろ? 高く買ってくれる男を紹介してやろうって言う私の優しさがわかんねーの?」
こいつらは人間じゃない。
人の心をなんとも思っていない。
こいつらこそが化け物じゃないか。
「A子さん」
言ったのは田権さんだった。
苦しさと笑みがまざった顔で起き上がる。
笹原は「A子って誰? 頭、おかしくなった?」と腕を組んで見下ろした。
「すいません。あなたたちの名前がわからないものでA子とB子と呼ばせてもらいます」
浦木は笑いながら田権さんに近づくと、急に血相を変えて「ほんとムカつくなぁ!このクリーチャーがよぉ!」と胸ぐらを掴んだ。
それでも田権さんはジッと浦木の目を見た。あの青筋の走る目で。
「私は、どうでもいい人の名前を覚える気がないんです」
「ああ?」
浦木が殴ろうと右腕を引いた時、浦木の目の前に田権さんが紙の束を出した。信じられないが、それは恐らく…。
「十万円ですよ。貸してほしいのでしょう? キヒヒヒヒ」
田権さんが笑うと、浦木は田権さんから離れた。
「な、なんなんだ? こいつ?」
笹原もさすがに度肝を抜かれている。
「いいんですよ。B子さん。受け取ってください。どうせ返ってくるんですからいくらでもお貸ししましょう。キヒヒヒヒヒヒヒヒ」
田権さんは腰が引けた浦木に十万円を渡すと、さらに鼻先が触れるほどに顔を近づけた。
「この世で絶対に破られてはならないものをご存知ですか?」
だれもその問いに答えられず田権さんは続ける。
「契約ですよ。お互いがお互いを信頼し心と心を交わして成立させるものが契約です。つまり、私は私の魂をあなたたちに預けて契約しました。私がお金を貸す。そしてあなたたちはそのお金を返す。単純な物です。けれど、これはとても高潔で深く、純粋で重い。良いですか? これから言うことが重要なんです。A子さん、B子さん、あなたたちは本当にお金を返す気があるのですか? あるのなら何の問題もありません。契約はあなたたちの味方です。けれどもしかし、もしお金を返す気もないのに私と契約したのだとしたら。これはもう大変ですよ。契約はあなたたちを許さないでしょう。当然ですね。崇高な儀式を茶化したわけですから。はっきり言って恐ろしいですよ。私は見てきましたからね。悲鳴をあげながら徐々に弱りきっていく哀れな方たちを」
田権さんの言葉に息をのんだ。
笹原も浦木も渡されたお金を握りしめたまま黙っている。
田権さんは「キヒヒヒヒヒヒヒヒ」と脳の奥をかき回すような笑い声を出して二人に猫背を向けた。
小柄で陰気でおとなしそうな外見の田権さんから感じるこの重圧は何なんだろう?
まとっている空気が私の日常のものとは全く異質な気がする。
「倉府さん行きましょう」
田権さんが言った次の瞬間。
「痛い! いたっ!」
「あああっ!」
笹原と浦木が声をあげた。
驚いて見てみると二人が涙目になって左手を押さえている。
「ああ!嘘!嘘!痛い!痛い!」
押さえている笹原の左手から何かが床へ落ちた。
そしてすぐに浦木のも。
頭を強く殴られたような衝撃があって、気持ち悪くなる。
床に落ちていたのは可愛い装飾がされたネイル……と生爪。
どの指かはわからないが二人の血の付いた生爪だった。
「あらら。悲しいですね。返す気がないんですか。でもね、人の心は変わりますから。まだ大丈夫。私にお金を返す意思さえ持てば契約はこれ以上の悪さしません。ただし返すなら早めをお勧めします。あなたたちの心に返すのをためらう気持ちが芽生えても契約はまた悪さしますよ。いや、悪さではないですよね。正当な処罰と言った方が正しいでしょうか?」
田権さんは部室を出る際にまた笑った。
しかも玉のような脂汗を額にいくつも滲ませる笹原たちを見て、嬉しそうにだ。
「それではA子さん、B子さん。私はいつまでもお待ちしていますよ。キヒヒヒヒヒ」
田権さんは私たちとは根本的な所が違う……。
同じ次元に生きていない気がした……。
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