第十六章
平日の午前中のファミリーレストランは私と田権さん以外には二組の老人グループしかいなかった。
だけどその老人グループが思いの外盛り上がっているようで店内は中々に賑やかだ。
田権さんはパフェの上に乗っていたさくらんぼの芯をつまみあげ、蛇のような細い舌でチロチロと舐めている。
私の前にはドリンクバーのウーロン茶だ。
とてもじゃないけど固形物を食べられる心境じゃない。
なんせ、田権さんの言うには、私は殺されるそうだからだ。
「あのぅ」
絞り出すように声を出すと、田権さんはさくらんぼをなめたまま「はい?」と聞き返した。
「私が殺される、とはいったいどういう意味なんでしょう?」
「腹を裂かれて血がブシャーと出るか、首をもがれて血がブシャーと出るか、たぶんそんな感じだと思いますよ」
「殺され方じゃなくて!殺される理由を聞きたいの!」
テーブルを叩くと田権さんは「落ち着いてくださいよ」と笑いながらさくらんぼを舐める。
「まずはこの街について話さなきゃいけません」
「教えてよ。この街に何があるの?」
「本当は一般の方には教えることはないんですけど、倉府さんは残念ながら巻き込まれてしまいましたからね。良いですよ。教えますよ」
田権さんはさくらんぼをパフェの上に戻すと、頬杖をついてさくらんぼを眺めた。
「この街にはミダガーラ・ヴェライムと言う魔女が眠っているんです」
「はい?ミルラーラ・ヴェ、何?」
「ミダガーラ・ヴェライムですよ。十六、十七世紀にフランスに存在していた魔女で、不浄な狂気に満たされた魔女との別名もありました」
「十六世紀のフランスとこの街になんの関係があるの?」
「十六世紀、十七世紀のヨーロッパと言いますと、魔女は悪魔の手下だとされて魔女狩りが行われていた時期なんですが、ミダガーラ・ヴェライムの魔力は凄まじく、軍隊でさえも手玉に取るほどで誰も手を出せなかったと言われています」
「だからなんでこの街と関係があるの?」
「しかしミダガーラ・ヴェライムも寿命には勝てなかったんですね。記録では百七十歳まで生きたとありますが、とにかく死んでしまったんです。けどそこで話は終わりません。死してなお、その体からは邪気にも似た不浄な魔力がわいていたんです」
「すご…」
「そこで司祭たちは考えました。ミダガーラ・ヴェライムの死体をどこか遠い国へ捨てることにしよう、と」
「ってことは、まさか」
「はい。ミダガーラ・ヴェライムの死体はどこへ運ばれたのか?何百年もずっと謎のままだったんです。けれど今年の四月に私の母がその謎を解きました。八八重町。つまりここだったんです」
「でもそれって何百年も前の話でしょ?」
「はい。死体はすでに消滅してしまっているでしょう。なのに魔素はまだまだ強く残っていると言うことは魔力の核は存在しています。どれほど地下深く埋められたのかは知りませんが、土から染み出してここに住む人たち影響を与えているんですよ」
「影響?」
「倉府さんはよく口にするじゃないですか。人間は腐りきってる。人間の本性は汚いって。まあ、あながち間違ってはいないんですけど、それにしてもこの街の人は特にその傾向が強いんですよ」
「じゃあ、他の土地だとそうでもないの?漫画やドラマみたいに優しい人がいるの?」
「本能を理性で押さえつけることのできる人は結構いますよ。この街の人はミダガーラ・ヴェライムの不浄な魔素に人の心の汚れた部分が刺激されているのだと思われます」
「でもさ、そんな街ならとっくに無くなってるんじゃないの?街の人たちが殺し合いとかしちゃったりして」
「このまま行けばそうなると思いますよ。ミダガーラ・ヴェライムの魔力の核がこの地の底深くに残っているとして、街の人たちの心に影響を与えているのは地表まで漏れ出てきた本当に微かな魔素なんです。今後、その魔素がどんどんと濃くなっていけば人の心をさらに凶悪に変えることは簡単に予想できます」
「…この街に、そんな秘密があったなんて。それってどうにもならないの?」
「なりますよ。私の力を使えば」
「え?本当?正義の味方じゃん!」
「いえいえ。私は街の人がどうなろうと知ったことじゃありませんよ」
その言葉が嘘なのか本当なのか田権さんの表情からはわからない。
「だったらなんで田権さんはこの街へ来たの?」
「倉府さんの右手にその印を付けた魔女が、ミダガーラ・ヴェライムの魔力の核を狙っているからです。もしも力を奪われたらと思うとゾッとしますよ。この世界のパワーバランスが崩れるのは間違いないでしょうね」
「田権さんは欲しくないの?」
「私はひっそりと生きていければ良いので興味はないです。けれど他の魔女には絶対に渡せません」
「それで私はどこで関わってくるの?」
「ミダガーラ・ヴェライムの魔力の核は封印と共に眠っています。その封印を解くには三つの条件があるんですよ。一つは時期。一年の中で月が最も大きくなる日。今で言うスーパームーンの日ですね。そして二つ目は純粋な心を持つ処女の血。倉府さんの命はここで使われます。三つ目が前の二つの条件を含んだうえでの儀式です。魔力の核が眠る場所を中心とした魔方陣を描き、儀式を行えば封印は解けるんです」
「スーパームーンって最近、テレビで耳にするんだけど」
「はい。今年のスーパームーンは明日の夜です」
「じゃあ逃げなきゃ!とりあえず明日はこの街にいなきゃ私は助かるってことでしょ?」
こうしちゃいられない。
いつこの印を付けた魔女に見つかるかも知れないのに。
「無理ですよ」
「へ?なんで?」
「逃がさないための印だからですよ。倉府さんの居場所はその印を付けた魔女に正確に把握されています」
「ここにいるのも?」
「当然じゃないですか」
「そ…そんな。どうして私なの?私が何かした?」
「それには心当たりがあります」
「何?何が悪かったの?」
「あなたは心が綺麗すぎるんですよ」
私の心が?
「そんなこと無い!私の心だって汚れてる!笹原や浦木のこと、死んじゃえば良いって何度も何度も願ったし…」
「だけど実行していないし、今朝だって何かしら人を思いやる行動をとったのでしょう?だから印を付けられた。ミダガーラ・ヴェライムの不浄な魔素に犯されたこの地で、あなたの行動は異常ですよ」
「優しいと殺される。やっぱりこの世はおかしいよ」
私は頭を抱えてテーブルに両肘を着くと、ウーロン茶の入ったコップを強く睨み付けた。
神様が憎い。
「まぁまぁ、今さらそんなに悪ぶらなくても」
「は?田権さんに私の気持ちがわかる?」
カチンと来て田権さんを睨んだ。
すると田権さんは挑発するように薄ら笑いを浮かべる。
「全くわかりません。わかる必要もありませんから」
「そうだった。あんたも魔女だったね」
「キヒヒヒヒ」
「私、帰る」
私は立ち上がった。
振り払っても振り払っても不幸が押し寄せる。
こんな世界で生きてくなんてこっちから願い下げだ。だったら。
「自殺は出来ませんよ。その印が邪魔をすると思います」
「右手首を切り落とす」
「ほう。そうするとどうなるのか私にもわかりませんね。それになかなか刺激的です。ですが、その方法が上手く行っても失敗しても私は困るんです」
「どうして?私なんて関係ないでしょ?」
「それがあるんですよ。私はミダガーラ・ヴェライムの力を奪われるのを阻止しなければならない。それにはいくつか方法があるのですが、その一つとして、倉府さんに印を付けた魔女を直接叩くという方法があります。つまり倉府さんと一緒にいれば相手が向こうからやって来てくれるんです」
「…私を守ってくれるの?」
「倉府さん。あなたは自分の運が悪いと思っているんでしょう?次々と不幸が押し寄せる世界を呪っているんでしょう?」
私は首を縦に振った。
「だとしたら何も見えていない」
田権さんの目が大きく見開いて、青い毛細血管が白目を覆っていく。
「あなたは五体満足でそこに突っ立っている。何が問題なんです?そして今回の事も大したことじゃないんですよ。だって、なぜなら、あなたは私に出会った。それも敵としてではなく、学友として。どうしてそんな悲観的な表情を浮かべる必要がありますか?いつものバカ面で呑気に生きてれば良いだけの話じゃありませんか」
その言葉の力強さと来たら…。
自然と恐怖が吹き飛ばされて、体の力が抜けていく。
私はストンとイスに座った。
「では私はパフェを食べますので」
田権さんは細くて長いスプーンを使って溶けているアイスをすくって口へ運んだ。
嬉しそうに笑う。
醜い笑い顔だと最初は受け付けなかった。
だけど今は、私もつられて小さな笑みが生まれてしまう。
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