第十三章
私の足元には米良の手下の二人が口から泡を吹いて倒れていた。
漫画やアニメで見たことはあるけど、泡を吹いている人間を私は初めて見た。
泡が私のスニーカーの先端に付いた。
お気に入りのスニーカーだったので急いで倒れた男の服で拭った。
「田権さんがやったの?」
「脳に直接魔力を送りました。しばらくは起きませんよ。ひょっとしたら二度とかも。キヒヒヒヒ」
言ってる事は怖い! でも頼もしい!
ずっと孤独と恐怖に耐えていた中に現れた田権さんの存在は私には神様のように思える。
思いきり抱きついて頬ずりして頭をなで回してあげたい!
「チビ!どうしてここがわかった?」
米良がバイクから降りた。
「簡単ですよ。昨日からカラスやネズミに倉府さんを監視させてるんです。私のことを言いふらされると困るんで」
「私を監視?」
「はい。映画を観た後にハンバーガーを四つ食べたのも、一人でプリクラを撮っていたのも、電車でお年寄りに席を譲ったのを強い口調で断られたのも全部報告を受けてます」
は、恥ずかしい。
まさか見られていたなんて…。
「ふーん。それでそこの女を拉致ったのも、監禁場所もわかったってわけね。やっぱ魔女はコエぇな。で、お前はなんで街にいんの?この前、言ったよな。六月まではこの街に近づくなってさ」
「すいません。こちらにも事情がありまして」
「お前の事情なんかどうでもいいんだよ。ったく。全く出てく気がねーじゃねぇか。くそ!本音を言うとやりたくねーんだよ。魔女となんてよ。どうしてわかってくんねーんだ?ふざけんなよ!」
米良が田権さんに手のひらを向けると、ビュウッと音が唸って田権さんが弾かれ、私に向かって飛んできた。
私は反射的に田権さんの体を受け止める。
肉付きの悪い骨ばった軽い体。
「大丈夫?」
聞くと田権さんは「ええ、大丈夫です。すみません」と答えて床に立った。
米良はそんな田権さんを忌々しそうに見て何やら呟いている。
すると倉庫内に風が吹き始めた。風は徐々に強くなっていく。
「これは危険ですね。倉府さん。もし死にたくなかったら私から離れていた方がいいかも知れませんよ?」
長い髪を暴れさせながら田権さんが言うので、死にたくない私はすぐに床を這って田権さんから離れた。
風の勢いは物凄くて床に張り付くように移動していても体が宙へ持っていかれそうになった。
その中、あの軽い田権さんは立っていた。横顔を見ると目が青い。
そして右手には細長い棒が握られている。杖と言った方がいいか。
ピシッ!と耳元から音がして驚きながら目をやると、倉庫を支えている鉄柱が欠けている。
ピシッ!今度は天井の方から聞こえた。
ズバッ!さっき米良が使っていたソファが引き裂かれ、中の綿が風に運ばれ倉庫内に散っていく。
ピシッ!コンクリートの床がえぐれた。
初め、倉庫内を傷つける音は規則性がなくあらゆる場所から聞こえていたんだけど、次第に決まった方から聞こえることが多くなった。それは田権さんの方だ。
音が田権さんに向かって集まっていっている。
つまり圧倒的な強さを持った風が田権さんを狙っていると言うわけだ。
「田権さん、逃げて!」と叫んでみるが暴風によってかき消される。
細かいホコリや砂が飛んできて目を開けているのも辛くなってきた。
音の鳴る間隔が短くなった。
田権さんに危機がすぐそこまで迫っている!
何か盾になる物を投げよう。
田権さんを守る何かを!
辺りを手探りしてみるが投げれるような物は何もない。
それどころか、少し手を動かしただけでバランスが崩れて私の体が浮き上がった。
そしてそのまま背中から壁に叩きつけられる。
暴風は私を壁に固定した。こんなことがあるの?
風の勢いが強すぎて床に下りることも許されない。
さらに呼吸だ。
息を吸うことは出来るが、吐くことが出来ない。
く、苦しい!このままじゃ危ない!
でも叫ぶことも出来ない!
「はぁあっ!」
突如、風が止んで私は床に落ちた。
「はぁっ!はぁっ!はぁっ!はぁっ!」ホコリや塵や砂が重力に引っ張られて舞い落ちる中で、私は命を逃さないように必死に呼吸をした。
そうだ。田権さんは?涙目で田権さんを探す。
田権さんはいた。いつもの猫背で暴風で乱れた長髪もそのままに指揮者のように杖をかざして元の場所に立っていた。杖の先が仄かに白く光っている。
「俺の風が消えた?それより全くの無傷?冗談だろ?」
米良の額が脂汗でテラテラと輝いている。
アゴ先から汗がポツポツと落ちている。
相当、疲弊しているようだ。
「どうします?あなたにはもう、何もありませんよね?」
田権さんが一歩前に出た。
米良は憎々しげに一歩下がった。すると田権さんが杖の先を振る。
シャッターが動き出して出入り口が閉まった。米良を逃がさない気だ。
でも、それはいけない。ここは逃がした方が得策だよ。
「田権さん!米良はまだ他にも能力を隠してるかも!ここは逃がした方がいいよ!」
私が叫ぶと米良はニヤリと笑った。
間違いない。米良にはまだ何かある。
「この人は隠してなんかいませんよ。魔素を見る能力。そして風を操る能力。この人の能力は二つだけです」
「なんでそんなことが言い切れるの?わからないじゃない!」
「初めてこの人に会った時、私が質問したのを覚えていますか?あなたはいくつの力をもらったんですか?って」
そんな質問してたっけ?
あの時は心臓がバクバクでプチパニックだったからあまり覚えていない。
「その質問の後に私は個数も聞きました。もらった力が二つなのか、三つなのか、四つなのか…と。この人は二つなのか?の質問の時にだけ左目のまぶたがピクピクと痙攣したんです。そこで私は確信しました。この人の力は二つだと」
本当?
本当にそれだけでわかったって言うの?
でも米良の顔。明らかに動揺してる。それが全てを物語ってる。
田権さんは何の警戒もせずつかつかと米良に迫る。そしてついに米良は床に膝を付いた。
「待ってくれ!俺だってやりたくてお前らに手を出したわけじゃねーんだ」
田権さんは足を止めた。
「お前も魔女ならわかるだろ?契約だよ!この街に来る魔女は追い出せ。この契約をさせられたからにはやるしかねーんだよ」
私は笹原と浦木に起きた事を思い出した。
私が経験した訳でもないのにその光景を思い出しただけで顔をしかめてしまう。
「契約をさせられた?」
「そうだよ。無理矢理されたんだ!俺は被害者なんだ!」
「それは嘘ですよね?」
「う、嘘なんかじゃ」
「私はすぐにわかりましたよ。あなた、本当は相当な弱者でしょう?」
米良は黙り、田権さんは続ける。
「背もそんなに高くなく、体も華奢なあなたが、あのアミューズメントパークにいた屈強な感じの人たちのトップに立っているなんておかしな話じゃないですか。あなた、魔女から契約を持ちかけられた時、喜んで飛び付いたんじゃないんですか?」
「それは」
「けどまぁ、そんな事はどうでもいい事ですよね。あなたが強かろうが弱かろうが何を考えていようが私にはどうでもいいことだし問題はそこじゃない」
「も、もちろん!お前を狙うのはもうやめる!だから今回は許してくれ!俺の負けだ!」
米良は田権さんに懇願して訴えた。
「田権さん、もう良いじゃない。ここまで言ってんだから許してあげようよ」
言うと田権さんが首だけを曲げて肩越しに私を見た。
「倉府さんは、これからされたであろう事を想像しても許せるんですか?」
それを言われると正直怒りがわいてくる。
怖さもある。
たけど、なんでなんだろう?
許さなきゃ、私の中の何かが汚れてしまいそうで、そしてもう後戻りができなそうで、そっちも恐ろしい。
それを言葉にして田権さんに伝えようと思った時だった。
「バァーカ」
米良の声と同時に風が吹いて田権さんの頭が胴体から離れて宙に舞った。
さらに両腕、両足が胴体から離され、残った胴体が真っ二つになった。
ドサドサとバラバラになった田権さんの体が汚ない床の上に落ちて、赤黒い血が広がっていく。
生気の無くした生首が私を見つめていた。
「きゃあぁぁぁーっ!」
生まれて初めて悲鳴をあげた。
人の死体!人の死体が!
「くそチビが!てめーがワリーんだからな!てめえが大人しく出ていかねーからこうなるんだよ!てめえのせいだ!俺は悪くねーぞ!てめえが俺に人殺しをさせたんだよぉ!ブァァァァーカ!」
目を大きく見開いた米良はよだれをたらしながら笑うと私を見た。
私も殺される!
「キヒヒヒヒ。あなたならそうするでしょうね」
え?田権さんの声?
顔色を変えた米良が振り向くと田権さんが立っている。けど。
「ああ?おかしいじゃねーかよ!だったらこれは何なんだ?」
米良の言う通りだ。
床に転がっているこれは、いったい誰だと言うの?
目をやると、バラバラになった腕や足や胴体がグニグニと動いて、やがてそれぞそれがカラスやネズミになった。そして残った生首も同じように形を変え黒猫に姿を変える。
「な、ん、だ、よ!これはーっ!」
こめかみに青筋を浮き上がらせた米良が叫ぶと、カラスやネズミ、猫は、そこからバッと散っていき、部屋の隅の影へと身を隠した。
「俺がお前の隙を伺っていたのをわかってたって言うのか?」
「はい。だってあなた、契約があるのに私を狙うのをやめると言ったんですよ?だったら何かしらのペナルティーが体に現れるはずでしょう?なのに平然としてたじゃないですか。だとしたら考えられるのは一つだけ。あなたの言葉は嘘。それだけです」
田権さんの持つ杖の先が白く輝き出すと米良はなんと土下座した。
「許してください!」と床に額をつけた。
「あなたは私を殺そうとしましたよね?」
「すいません!すいませんでした!」
「あなたの二人のお仲間さんたち、暴風に巻き込まれて傷だらけですよ?」
「すいません!すいません!」
「謝らなくても良いんですよ。別に。私は確認しているんです。あなたが、人の命を軽く見ている人間だと言うことを」
米良を見下げる田権さんの眼球の毛細血管が青くなる。
「申し訳ありません!もうそこの子にも二度と手出ししません!だから許してください!お願いします!」
私をチラリと見た涙目の米良の顔は情けなかった。
これがこの街の不良のトップの姿?
けれどそれも仕方のないことだと思う。
田権さんの纏う迫力。
あんなに軽くて小さな体なのに、纏っている空気は鉄のように重たそうだ。
「何か、勘違いしているようですね?私は別に倉府さんを助けるためにここへ来たわけじゃないんですよ」
え?じゃあ何のため?
ひょっとして田権さんはツンデレ系の人?
「私はあなたの魔素を見ることの出来る力が欲しくて来たんです。私はまだ未熟者なのでその力を持っていませんから」
「でも私がピンチの時に来てくれたじゃない」
思わず聞くと田権さんは口角を歪につり上げて「来ようと思えば何時間も前に来れましたよ。でもやらなきゃならない事がありましたしお腹も空いていたので用事を済ませてたら倉府さんのピンチの時間に調度立ち会っちゃったんです」と説明され言葉を失った。
確かにそうだ。
ずっと監視していたならもっと早く来ることもできたはず……。
「だけど、この人が他人の命を軽く見てる人で安心しました。私も心が痛まずにすみます」
田権さんが言うと米良が顔をあげる。
泣いていた。
両目から涙をボロボロとこぼしていた。
「能力ならあげます!二つともあげます!取っていって下さい!」
この言葉に嘘はないと思う。
これさえも嘘だとしたら米良はトップ俳優になれる演技力だ。
「他の魔女が与えた力が、私に取れるわけ無いじゃないですか。魔術って、そんなに簡単な物じゃないんですよ。なめないでもらえますか?」
「だったら、どうするんですか?」
「あなたが知る必要、あります?」
田権さんが杖の先を米良の頭頂部に当てた。
すると米良は「うおぉぉぉぉーっ!」と叫びだし、
横に倒れたかと思うと両手両足を世話しなく動かし始めた。
首もブンブンと振り乱し正気の状態じゃなかった。
目の錯覚か? 米良の体が縮んでいるように見える。
錯覚じゃない! 実際に縮んでいる。
まるで空気の抜けたビニールの浮き輪見たいにしぼんでいく。
「だずげで!だずげ…」
米良の声だとは思えない甲高い声。
私はとんでもない様子を目の当たりにした。
しぼみ続けた米良は、十センチ程度のミイラのようになってしまった。
目だけが黄色く光っているが、他からはまったく生気が感じ取れない。
田権さんはそれを拾うと「キヒヒヒヒ」と笑った。
「どうなっちゃったの?」
恐る恐る聞いた。
「人形にしたんです」
「人形にしてどうするの?」
「魔素を見るのに使うんですよ。魔素を見つけたら報告するようにほんの少しだけ知性も残してあります。簡単に言うと魔素レーダーですね」
背中を冷たい物が走って、鳥肌が立った。
これが魔女。
確かに米良はどうしようもなく、救い様のない奴だったのかも知れない。
けれど、人間を人形にする?
そして理由が、魔素を見れるから?
私のような常人には理解できない行動原理だった。
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