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6話 神性

「着いたわ」

その彼女の声で俺は意識を取り戻した。

「着いた?」

「ええ、神の証明場所にね」

淡々と彼女はそう答える。

着いたのか、とても長い道のりだった気がする。

記憶は曖昧だった。

「確かに」

そんな感じがする。

さっきまでと明らかにこの場所は違う。

これが神の御前だとすれば、確かにそうだと納得してしまいそうな、そんな既視感。

既視感?いや、確かに既視感だ。この感じを俺は知っている。

「……準備はいいかしら?」

「神に会うには準備が必要なのか?」

「ええ……本当のところ少し迷っているの」

「迷う?」

「証明は極めて論理的よ、だからこそそれは証明であるのであって、そしてそこには人道的な処理は一切ないから」

「よく分からないな」

思ったままが口から滑り出る。

頭がうまく回らない。

いや、違う。そぎ落としているだけだ。

「つまりは、あなたに挑発されて、乗せられて、私は冷静ではなかったと言うことよ、これは確かに論理的に私の神性を証明できる、でもそれは人道を外れた行為の証明であって、あなたに取ってはその……」

彼女はそこで苦虫を噛み潰したように言葉を切って。

「これは人道的ではないわ」

「見せてくれ」

「……やっぱり見せられない」

「人道的ではないからか?」

「そうよ」

キッパリと彼女は言い切った。

煮え切らない選択にそれはとても不釣り合いだ。

「人道的ってのはなんなんだろうな」

「人の道に外れない行動を徹底することよ」

「具体的には?」

「範囲が広すぎるわ、絞れない」

「じゃあ例えば……」

分かりやすい例えばを探す。

条件づけられた“例えば”はあまり狭まることはなかった。

「人を殺すことは人の道に外れるか?」

「ええ」

「なら、大丈夫だな」

俺は彼女の手を掴む。己の眼前を覆うその両手に、俺はもう自分の視界が奪われるという焦燥感に抗えなくなっていた。

「俺は人を殺したことがあるし、これからも殺すと思うから、“自由”のために」

そう軽やかに、独善的に俺は手を払った。

光に目を焼かれる。だが、その中に親愛なる暗褐色があった。

暗、褐、色。暗褐色、それは暗褐色で、元は赤だった。

変わらずそこはあの通路で、そこには蜘蛛がある。天を這うライトもケーブルも、そして線路はない。

それは確実に地続きで、しかし、そこは記憶の中の放棄都市でしかなかった。

ジョーカーではない、放棄都市。それはたまたまで、いつも、俺ではない、俺ではない。

傍には赤、または暗褐色に穿たれた文明。

理解した。

「この古ぼけた血液が、証明か?」

返事はない。

「そう言うことか」

シナプスが煌めく、削ぎ落とされた不要分脳が回転を早める。

「ああ、俺は死んだんだな」

「そうよ」

「ん?どこにいる?」

「……神は遍在するわ」

「思い出したよ、俺は落ちた、底がここだったんだ」

全ての辻褄が――。

「いや、そういえば、泥がないぞ」

「泥は上よ」

「上?」

思うがままに上を向く。大きな穴が見えた。天井はまるで何かに、いや、俺によって突き破られ、積層された鉄板が、ホローポイントのように親愛なる肉塊を吊り下げ花弁を開いている。

ちぎれたケーブルは蕊。

「ああ、泥はあそこで、ここは地下道だったのか」

感動した。

血の匂いに混じって見覚えのある都市迷彩柄が目に映る。

感動以外の何物でもない。

「これは俺の血だ、愛しい」

「俺は生きているっ!」

それはおかしい!

「俺は死んでいて!」

俺は生きている。

「おかしい!おかしい!」

めまぐる視界。

その中につかと立て付けられた、墓標が目に入った。

中折れ式で、そのくせ銃身が一つしかないゴミのよう、柄頭に染まった黒は塗り替えられるのだ。

「ああ、ああ」

掻く、分ける、浅く、ひび割れた褐色を。

もとは己を流れたその赤を。

掌と膝蓋が四肢。

死にたくない、死にたくない。

あれが俺を守る。鉄の鉛が俺を殺す?

手に取れば俺が守られるのだ。

「助けてくれ」

手を伸ばした。

助けてくれ、助かりたい、死にたくない、殺したくもない。

「愛しいんだ、こんな人殺しの道具が、俺が死んでいなくて、でもぶちまけられた血液が愛おしい」

抱き寄せる、抱擁する。首を折る。中を見た。ない、空っぽだ。

先が見える。俺の血だ、ぶちまけられた、見えてはいけない、装填しろ。

生きるため殺せ、殺すために生きる。生きる生きる。

急げ!

「あ?」

どんと背を蹴られる。覆い被さる、食べ、ラレル?

「大丈夫、だよ」

「大丈夫じゃない!」

「ううん、大丈夫だよ」

「助けてくれ」

「うん、助けるよ」

「死にたくない」

「死なないよ」

「殺したくない」

「殺さなくていいんだよ」

「生きていけない」

「生きていけるよ」

「ご飯がない」

「いっぱいあるよ缶詰とか」

「寝床がない」

「ふかふかのお布団用意するね」

「水がない」

「あるよ、いっぱい」

「魚が食べたい」

「缶詰だけど、あるよ」

「じゃあ、武器は?」

「武器はいらないんだよ」

「いらない?」

「うん、そうだよ」

「おかしい」

「おかしくないよ」

「嘘をついている」

「つかないよ」

「都合が良すぎる」

「そんなことないよ」

「やっぱりおかしい!」

「……頑張ったんだね」

シナプスを貫く。

「頑張った?」

「うん、頑張ったんだよ」

「頑張った……」

「そうだよ、頑張ったね」

「うう」

「頑張ったね」

響く、彼女のその声が、それ以外には何もなく、ただそれだけが、僕の体に響く。

これを僕は知っている。だけど思い出せない。

知らないまま、際限なく求める。

枯れ果てた体はそれをいつまでも、いつまでも当たり前にしない。

いつも新しい感動があった、気付きがあった。僕が失ったものがこんなにもあったなんて。

だから、彼女のそのニュアンスの違いに、真っ先に、俺は。

「……もう、頑張らなくていいんだよ」

掻き消えるほどに小さい声。

本能が凪ぐ。無意識の殺意は取り落とされた。

「う、あ?」

熱い。

「ごめんね」

ああ、赤い。

真っ赤だ。

「私はまだ、神様じゃないから」

熱く、赤が漏れ出すそこに優しく黒の切っ先があてがわれる。

いや違う、あてがわれたのが最初で、硝煙が燻った。

自明だ。

「今はこれしかしてあげられないから、ごめんね」

「殺さないで」

「痛いね、ごめんなさい」

「殺さないでください」

「すぐに良くなるから」

「助けて」

手を伸ばす。

「絶対に助けるから……今はただ安らぎを」

力強く、優しく、速く、時を惜しむように手を取られる。

救われた。

それが天命だった、俺が生まれた理由だったんだと力なく四肢が傅く。

既に赤は冷めきった。

今はもう彼女によってのみ俺の手は取られている。

放さないで。

それももう言葉にならない。

だけど。

「あ……」

眩む視界、包むように組み合わされた両手。

ただ俺を祈るように、乞うように、それは誰に願っている?

間違いだ、だって、君のその姿は、まるで、それはそのもので。

「……」

伝えたい、伝えなくちゃいけないのに。

目を閉じて、手を組んで、彼女は祈り続ける。

その瞼を開いてくれたら、そう願わずにはいられない。

彼女は祈り続ける。そのもどかしさの中で、赤が薄れて、意識が薄れて。

そして、世界が薄れた。

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