3話 束の間
ガチャリと、扉のラッチが発する音が聞こえる。
あの声の主と物理的に分断されたからだろうか。
その音と共にため息が自然とこぼれ出た。
だがまだ俺の安全が完全に確保されたわけではない。
どうにかあの声をいなしてホームまで帰らなければ。
「うぉ!」
そこまで考えた時、突然部屋の光が点灯した。
咄嗟に腰に右手が伸びるが空を切る。
鼓動が瞬時に跳ね上がり戦闘体勢へ、だが……。
「……」
そこに倒すべき敵など存在しない。
ただの人感センサーライトだ。
びびることはない。
居もしないそれに挑み、所在なさげな右手を引き戻す。
なんだか無性に恥ずかしい。
それにそこにいつもぶら下がっていたその銃はもう二年も前に壊れてしまったじゃないか。
治そうとは思っているのだが……長年の習慣の恐ろしさを実感する。
それに今すぐ俺の命がどうこうされることはないと結論づけたばかりだ。
最悪の事態なんてものは想像したってどうにもならないもの、もっとどっしり構えないと。
「よし」
何事もまずは状況把握だ。
あの声の言うとおりであればここはシャワー室なはずなんだが……。
「どう考えても違うよな」
目の前にあるそれは暖かなお湯を提供するホースにはとても見えない。
棚だ。スチールラックが規則的にかつ所狭しと並んでいる。
壁側ギリギリまで続くそれは体を斜めにしないと進んでいけないほどぎっしりこの部屋に詰まっていた。
この棚はどれくらいの数この部屋にあるのだろうか、見当もつかない。
と言うのも天井近くまであるその棚はどれもパンパンに物が仕舞われていて木漏れ日ほどの隙間しかその先を見通せないのだ。
それが幾重にも重なれば葉は補い合われ完全な障害として視線に立ちはだかる。
見えなければ予想することもできない。
故にこの部屋の大きさは想像すらできないと言うわけだ。
「それにしてもこんなに大量に何を保管してるんだ?」
ぱっと見、棚にしまわれたそれは全て同じものに見えた。
一番近くの棚にあるそれを適当に掴み取る、が動かない。
一度仕切り直して両手で抱え込む。
「重いな、これ」
なんとか滑らせるようにして棚から持ち出し、慎重に床へと下ろした。
ふうと息を吐きながら床に置かれたそれを見る。
「なんだこれ?」
そんな声が思わず漏れる。
床のそれにもちろん見覚えはない。
一言で言ってしまえばそれは箱だ。
だが見たこともない素材でできている。
薄く青みがかったそれは、すべすべとした手触りでグッと指で押し込むとほんの少しだけ凹み、離せば元通り。
そして箱の、おそらく上部には水色のそれの真ん中に戦闘用サーチ端末のディスプレイに似たパネルが備わっていた。
この放棄都市で何年も文明拾いをしてきたがこんなものは存在すら聞いたことがない。
試しに床に擦りながら箱を振ってみるが中から音はしなかった。
だが古より、箱というものの使い方は決まって一つ。
中に何かを入れておく。
それが箱の存在意義であり今まで淘汰されずにこの世に残っているただ一つの理由だ。
“文明拾い”の血が騒ぐ。
この中には、何かが入っている。
あの声を怒らせるかもしれない。
だが、どうしてもこの箱を開けたい。
もうこうなれば俺は俺自身を是正できない。
しかし後悔はない。
何せこの昂りが俺をこの放棄都市で生き延びさせてくれたのだから。
なら俺の行動は二つに一つ。
いや、そもそも選択肢なんてなかったのかもしれない。
無限の時を繰り返しても俺はこうしたと、そう断言できる!
「ぬおお!開けー!!」
力任せに箱を引っ張る。
だが何もおこらない。
本気でやったのだが表面に傷すら残らなかった。
その現状に昂りと共に俺の頭も冷える。
待て待てこんなのはスマートじゃない。
そもそも力で無理やりこじ開けるのがこの箱を開ける方法だとしたら不便すぎるだろう。
こう言うのはこれを作った奴の気持ちになりきるんだ。
人間というのは己の生み出したものには工夫を凝らしたがるものだからな。
となれば怪しいのはこれだろう。
俺は上部についたパネルにそっと触れる。
するとピコンと言う電子音と共にバックライトが灯った。
画面に数字が表示される。
112/6/25/17/56
なんだろうこの数字は、てっきりパスワード入力のUIが起動するかと思ったが。
まあパスワードを求められてもそれ用の解除デバイスはあの声に没収されているわけで、どうすることもできないけど。
5つに区切られた数字、最大値が112で下が6か、まったくわからないな……。
しかしなぜ、数字だけなのだろうか。
普通こういったものはそれを操作する人間が干渉する余地を作るものだ。
この箱には生体認証やカードリーダー、果ては物理的な鍵穴すら存在しない。
干渉のできないデバイスなんてのはどうしようもない。
「うーん、ってあれ?」
そうこう考えているうちに一番右端の数字、元は56だったはずのそれが57へと変化していた。
俺が思考の海へと自意識を旅立させていたのはほんの数十秒のはずだが……。
意味もなく変わってしまった数字を睨む。
だがその変化がこの箱を開ける糸口になるはずもない。
ダメ元でもう一度液晶画面に触れるがもちろん何も変わりはしなかった。
「お手上げだな」
完全な敗北だ。
この箱に対して俺は何もできない。
いつの間にか俺に渦巻く昂りは完全に消え去っていた。
まあ、こんなよくわからない箱を開けるために命をかけるなんて馬鹿のやることだ。
ついでに俺の経験から言わせてもらうとこういう頑丈そうな箱には案外何も入っていないことの方が多い。
それに中にどれほど価値のあるものが入っていたとしても命あっての物種だろう。
当たり前だが、あの声の逆鱗に触れる可能性があることはするもんじゃない。
そうだ、こうしよう。
俺はそもそもこんな箱なんて見てすらいなかったんだ。
俺は地面の箱を抱えると元あった場所へとしまう。
これで何もかも元通りだ。
失ったのは少しの時間だけ。
切り替えていこう。
「で、シャワー室とやらはどこにあるんだ?」
当たりを見渡す。
だが目に入るのは棚に隙間なく積まれたあの箱ばかりでシャワー室に通じるような扉は見えない。
忌々しい箱だ。
俺の視界を邪魔するなんて、この手に散弾銃があれば木っ端微塵にしてはらわたの宝を取り上げてやるところだが……。
いや、切り替えろ俺。箱のことはもう忘れるんだ。
……とりあえず、壁沿いに進むか。
だが右か左、どっちに進もう?
とりあえずどちらの壁にもすぐにシャワー室へと繋がっていそうな扉は見当たらない。
視線のその先、終着点に部屋の角が見えるだけだ。
……今気づいたがこの部屋、恐ろしく広いな、角から角まで100mくらいはありそうだぞ。
右か左か、この50%を外せばこの得体のしれない大きさの部屋を一周する羽目になりそうだ。
さてどっちに進むか、でもまあ悩んでも仕方ないよな。
こっち側にするか。
俺は根拠のない2択の先へと進む。
規則的に並ぶ棚、それらを超えるために棚と同じ頻度で体を壁にこすりつけ歩いた。
それを始めてどれくらいの時間が経っただろう。
俺は自分の運命を呪った。
とうの昔に俺の肌着は擦れ切り、露出した肌は摩擦によって黒く硬質化。
それでも視界は変わらず銀色の棚とその中に積みあがる箱を映し出す。
「ワシはここで死ぬんじゃろうか、じゃがこの牢獄から抜け出せるのならそれも悪くない、しかしせめてあの箱をくたばるまでには開けたか――あっ」
それは三回目の直角を曲がった直後だった。
ようやく俺の目に待望のそれが映る。
ドアだ。
壁にわずかだが取っ手と思しき出っ張りが見て取れる。
道のりは長かった。
それは俺の心に無限の牢獄に閉じ込められたジジイを憑依させるほどに。
とは言え、それも歩き始めて2分ほどではあるが。
でも部屋をぐるりと一周するのに2分もかかるなんておかしいのはこの部屋だ。
それに厳密に言えばまだ一周はしてないしな。
それだけでこの倉庫がどれほど規格外な大きさをしているかがわかる。
これだけの倉庫がこの放棄都市にあるなんて……少なくとも俺はこんな場所の存在は知らない。
一体ここはどこなんだろうか。
「っと危ない、通り過ぎるところだった」
気づくと目の前にはあの取手があった。
この先に扉は見えない。
ということは十中八九この先がシャワー室だろう。
兎にも角にもシャワーを浴びよう。
脳裏に血と汗でべたつく体に流れるお湯の感触が再現される。
それはさぞ気持ちの良い……いや、別に俺はシャワーを浴びたいわけじゃないぞ。
こんな敵地で隙を晒すなんて本来はしたくない。
だが、あの声の意向に従うのがこの場での最適解だと言うだけ、それだけだ。
この倉庫へと通じていたあの扉と同じ鉄でできた扉。
数分前のデジャヴを感じながら俺はそれに手を掛ける。
だがびくともしない。
なんだ?鍵がかかっているのか?
いやでもシャワー室に行けと言ったのはあの声自身だし……。
「○×△☆♯♭●▲◇★」
「な、なんだ!?」
急に目の前の扉から人の声が聞こえた。
だが意味を理解できない。
あの声ではなかった。
彼女よりもっと大人びた落ち着いた抑揚の声だった。
なんだ?
ここはシャワー室じゃないのか。
一旦、この場所を離れた方が良いかもしれない。
そう思った瞬間、ドアが一人でに開いた。
ガラガラと音を立てながら開くドア、気付かなかったがよく見ると床にうっすらと四半円の跡がついている。
どうやら端に小さなタイヤがついているようだ。
と言うことはこのドアは自動で開くようにできているのかもしれない。
するとその仮説を裏付けるように視界に、とても人力では動かすことができない幅のドアの側面が映る。
対物ライフルですら貫けないような10センチはある鉄扉。
とてもじゃないがシャワー室の様相ではない。
そして扉の先は拒むような暗闇だった。
この時、俺は踵を返すのが最善手だったかもしれない。
この倉庫とあの声を繋ぐ扉へと舞い戻り、扉の先へ声をかけるべきだったのだ。
だが俺はその先に何が隠されているのか気になってしまった。
俺は好奇心によって扉の先へと進む。
足取りは軽く、沓摺を跨ぐ。
センサーライトが気づく前、数瞬の暗闇の中で俺は何かを感じ取る。
何だろう。
心が冷える。
冷静になる。
ここが放棄都市であると否応なく理解する。
それ特有の緊張感が体に馴染む。
自分の気がここまで緩んでいたことにただ恐怖する。
そして光が灯ったのと同時に、その全ての原因が匂いであることに気づいた。
視界が、明瞭になる。
「……」
目に映ったのは大量の銃だった。
回転式拳銃に自動式拳銃。アサルトライフル、ボルトアクションライフルにセミオートマチックライフル。軽中短全ての機関銃に果てには手榴弾やグレネードランチャー等の爆発物。
それらが艶消しされたボディーカラーを輝かせながら小部屋のいたるところに設置された見せつけるようなガンラックに整頓されている。
それだけではない。
俺は部屋のラックに積まれた匂いの元へと駆け寄った。
側面に数字が掛かれた段ボール、それを開ける。
中身はやはり銃弾だった。
乱雑に、だが外径によって隔てられたそれはホームと対等に渡り合えるであろう種類と数がそこに存在している。
我が故郷が常に弾薬不足にあえいでいるとしても、それと比べられること自体がおかしい。
宝の山。
そんな言葉が比喩じゃなく存在する、そんな光景に呆然としていると見覚えのあるものが目に入った。
積み上げられた弾薬のそば、ガンラックにかけられた長物に思わず手を触れる。
「これ……」
唯一無二の外見、ボルトアクションライフルの銃身を角材に換装して、上部に巨大なマガジンウェルが開いたその異形のライフルは遠い記憶を思い起こさせる。
gnirA1、神槍の名を与えられたカービンライフル。
積層構造の強化プラスチックの年輪、その中心にちんまりとのぞく銃口を当時はなんとも思わなかったがその大部分の造形とも相まってことさら奇妙に思える。
だがその銃身の造形こそがこのライフルの真骨頂そのものであった。
内径可変。
それはバレルと薬室が使用する弾薬の口径に沿って収縮もしくは膨張し、どんな口径の弾薬でも発射することを可能にする。
そのために上部に空いたマガジンウェルはハンドガンにアサルトライフル、果てにはスナイパーライフルまでほぼ全ての銃のマガジンを飲み込めるように設計されている。
そのほかにもこのライフルには特別な――いや、そんなことよりも。
「なんでこの銃がこんな所にあるんだ?」
gnirA1は簡単に手に入る銃じゃない、現に俺はあの時から今まで一度もこの銃を――
「おい、俺の相棒はすんげえ貴重なライフルなんだぞ?勝手に触るんじゃねえ」
背後の懐かしい声に振り返る。
だがそこには何もない。
ただ開け放たれた鉄の扉の先にあの倉庫が見えるだけだ。
幻聴。
現実に介さない幻。
だが絆される。
あの男の自由に当てられる。
相手より優位に立つという自由。
「これを使えば俺はあの声に……」
ライフルに這わせた手に自然と力が籠る。
下部へと潜り込ませた両手を引き上げる。
「ぐうう」
重い。重すぎる。
なんとか、数ミリ浮かせ滑らせるようにガンラックから取り出そうとするが、引っかかる。
ストッパーだ。
ライフルがずり落ちないように手前が数センチ盛り上がっている。
それが邪魔だった。
だが裏を返せばそのストッパーさえ突破してしまえばgnirA1は俺のもの。
関門はたったそれだけ。
「ぐおお」
格闘すること数分。そしてようやく――
「諦めよう」
俺は気づいた。
よくよく考えればわかることだ。
こんなたった数センチのストッパーを超えるのに苦労するような武器を取りまわして戦えるはずもない。
もっと軽く扱いやすい武器を探した方が良い。
さてどの武器にしよう。
ざっと武器庫を見渡す。
この中で俺が自信をもって扱えそうなのはサブマシンガン、ハンドガン、それにショットガンくらいか。
本当ならアサルトライフルでも持ち出したいぐらいだが、悲しいかな、俺には重量的にも経験的にも危うい。
ただ、人間とやりあうだけなら前者でも十分事足りるのが救いか。
一番慣れているのはハンドガンだが……いやあの声は何故か布を被っていた。
あれでは急所への狙いを確実にすることができない。
それにあの布には何か計り知れない絶大なメリットがあるのかも。
例えば、頭があると考えていたあの膨らみは実はダミーでした、とか。
……ならショットガンがいいだろう。
点ではなく面で攻撃できる散弾はあの布と相性が良い。
あの扉を開けて後ろ手に隠し持ったショットガンで小細工ごと――
「ズドンと」
脳内に鮮明なイメージが広がる。
軋む音すら出さずに扉を開け、目の前に映るあの布の膨らみ目掛け引き金を引く。
狙いはつけなくても大丈夫。
大まかな方向さえ合っていればあの布を簡単に蜂の巣にできる。
一撃必殺。
たとえその一撃で運よく急所を外していたとしても反撃する余裕はない。
念の為に倒れ伏したその布に対してもう一発ぶち込めば……。
「……」
引き金を引く。
だが弾は出なかった。
もう一度力を込める。
だがトリガーは錆びついたように動かない。
気づけば目の前の白布は薄っぺらいただの布になっていた。
あの声は聞こえなかった。
イメージが霧散する。
空を切る手の前には整然と並んだ武器が見えた。
現実だ。
瞬間、途端にその作戦が実行不可能なただの妄想であるかのように感じた。
そう思うのはこの状況があまりにも不利すぎるから?
だから俺の現状取りえる最適解でありながら不安要素の目立つその選択を無意識に忌んでいるのだろうか。
いや、そんなはずはない。
これまでだってそんなことはなかった。
あの穴に落ちる時だってそうだった、ほんの小さな可能性を拾ってみせた。
だからそんなはずはないのに。
俺はこの本能的な拒否感に抗えずにいる。
「っ――」
視線の先に並ぶ散弾銃を睨む。
睨む、睨む、睨む。
だが、どれほどの時が流れようともそれを俺が手に取ることはなかったと。
そう気づいた。