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2話 邂逅

「ん、うぅ……」


あぁ、頬が痛い。

えっと、何があったんだっけ。


そうだ。

自立戦闘機体に追われて、それで……。


くそっ、それにしても頬が痛いな。

これ以上何も考えられないくらいだ。

頭は状況把握をせかしているのに痛みがそれを許さない。


断続的な痛みを感じる。

ぺちぺちとそれは止まらない。


しかもぺちの音が次第にベチベチと凶悪に進化していく。


耐え難いなんてもんじゃない。

もう、耐えられない……。


咄嗟に体制反射を新しく作り出し身を逸らす。


「あ、起きた」


ん?なんだ、誰の声だ。

知らない、女の声が聞こえた気がする。


人の声?それはまずい。


すぐにでも動かないと……。


「やば」


またあの声、そう思った瞬間。


俺の頭は地面ごと宙に押し上げられた。

上半身もそれに釣られて起き上がるように引っ張られる。


浮遊感は束の間で、そして当たり前に後頭部は地面に打ち付けられた。


「痛ってえ!!!」


眼下の奥、頭蓋が奏でる音が確かに聞こえた。


最悪な目覚ましは効果抜群で、心地よい鈍化は掻き消える。


血液と同期した鈍痛と共に開かれた視界、それをパチパチと何度も明滅させたのは白い人口の光が眩しかったから。


「っ!」


死の気配が心を撫で、鈍痛の間に手をついて一気に立ち上がる。

そして俺は無意識に部屋を見渡した。


小さな部屋だ。

灰色の壁に灰色の床。

その中には部屋の灰色と同じ素材の角ばった椅子や端に棚とベッドが置かれている。


ただ、部屋の対角線にかぶらない微妙な位置にあるガラスのテーブルだけが異端であるように透明だった。


出入り口は妙に部屋と調和した三つの武骨な鉄の扉だけ。


そんな冷たく、無機質な部屋の異質さはいとも簡単に霞む。


部屋中に散らばる、缶、缶、缶。


そしてそんな缶の散らばる中心、そこにはこれまた大量の缶が積み上げられていた。


魚や肉の絵が描かれたそれらはおそらく、いやどう考えてもあそこから崩れたものだろう。


途方もない数だ。

全部積み上げれば拳銃弾くらいは受け止めるかもしれない。


だが、その異常な光景すらも背景に過ぎない。


缶の積みあがるその中心。

そこにそれはいた。


人影だ。

人の形をした白い布が、積みあがる缶の上に腰掛けている。


片手を頬に当て足を組んでいるのが布のふくらみから分かる。

布の頂点、頭のあるだろう位置には相応のふくらみがある。


人間だ、布を被った人間。

なぜそのような真似をするのかはわからないが、中身の予想ぐらいはできる。


……だがなんだこの違和感は、まるであの布の中身が人じゃないとでも言うようなこの――


「うぇっほん!」


「はっ」


「随分と周りを観察する癖があるようね、人間」


「……」


「おしゃべりは嫌いかしら、それとも私に畏敬の念を抱いているだけ?」


「……何が目的だ」


「目的?そんなものはないわ、ただ目の届くところに人間が落ちていたから拾っただけよ」


「拾っただって?」


「そうよ、すごい音がしてね、見に行ったらあなただったのよ、上から落ちてきたんでしょうけどね……いったいなにがあったらそんなことになるわけ?」


「それは……いやお前にそれを教える義理はない」


「義理はない、ですって?」


そう言葉を切ると彼女は笑い始めた。

コロコロとしたそれは無邪気の象徴に相応しい、そんな笑い声。

だがその無邪気さが底のしれない彼女を異様で不気味たらしめる。


「何がおかしい」


「ごめんなさい気を悪くしたかしら、でもあなたが悪いのよ、理由を教えてもらえる程度の義理はあるわ、ほら見て」


クイっと頬に当てた腕の膨らみを俺の胸に向ける。


そこで初めて気づいた。


いつの間にか身包みを剥がされ顕になった俺の肌着、ホームを出る前は確かに白かったはずのそれが真っ赤に染まっていた。


「マジか」


「マジよ」


「な、なんだよ、これ」


「私が見つけたときにはね、あなたほぼ死んでいたのよ」


死んでいた?でも確かにこの血は――いやおかしい。


「……じゃあどうして俺は生きているんだよ」


「まだわからないの?あなたは死にかけていた、でも今は生きている、なら可能性は一つだけだと思うけど」


俺に向けた膨らみを再び頬に戻しながら声はそう言った。


可能性、か。


……俺は自立戦闘機体に追われて穴に飛び込んだ。

そしてそのまま、俺を追ってきた機体にバックショットを打ち込んだんだ。

その散弾の反動によって俺は錐揉みながら落ちていって、そのまま底に叩きつけられて気を失った。


ここまでは確かな記憶だ。

だがここから先がどうしても思い出せない。

夢を見ていたかのように記憶がそこで飛んで、気付けばこの部屋に――


いや待て、俺は覚えている。

気を失う直前。

俺の眼前いっぱいに映った泥を。


泥、当たり前だがそんなものはこの部屋にはない。


そして俺の肌着を染めるこの血。


それに対してこの部屋に血はやはり一滴の跡もない。


この部屋には泥も血もない。


状況を当たり前にかみ砕く。


その過程を経て導き出した答えは、途中式なんて必要ないものだった。


「……俺を、治療したのか」


「そうよ」


「俺は穴の底に激突して瀕死の状態だった、だがそこで死にかけの俺をお前が治療し、その上この場所まで移動させた、そうなのか」


「まあ……そうね、その筋書きでだいたいあってるわ」


布の膨らみを微動だにせず彼女はそう言った。


あっている、らしい。

、あの声が嘘をついている可能性もある。

だが今俺の見えている状況全てがあいつの言っていることが真実だと、そう告げている。


状況は揺るぎない、だが。


なぜ?


何のために俺を治療した?


その理由が不自然なほどに彼女から全く見えてこない。

俺を助けるメリット、それはいったいなんだ?


ここまで話を聞いていれば何かその影くらいはわかりそうなのに。


底が知れない。喉に突っかかったような、この気色悪さが警鐘をかき鳴らす。


だが一つだけ、こいつが俺を問答無用ですぐに殺す気がないことは理解できた。


だから、だろう。


「……なんで、そんなことをしたんだよ」


気が緩んだ。


治療と非敵対を無意識に結び付けたせいで、疑問がそのまま口から滑り出た。


「そんなことってどんなことかしら」


「どうして俺なんかを助けたのかって、聞いてるんだ」


「自分のことを”なんか”なんて随分と自己評価が低いのね」


「茶化さないでくれよ、重要なことなんだ」


「……そう言われても本当に理由なんてないのよね、目の前に手を差し伸べないと死ぬ人間がいたから助けただけなの、人間を助けるのに理由なんていらないものでしょう」


「そんな答えで納得できるわけないだろ」


「じゃあどんな答えがお望みなのかしら」


「……例えば奴隷にする、とか、生かして臓器を売るとか、愛玩用に生かしておくとか、そういうことだ」


「うわっ、あなたって結構な被虐趣味なのね、ごめんなさい、悪いけどあなたの望みには答えてあげられそうにないわ」


「おい、なんでそんな話になるんだよ、俺はごく一般的な人さらいのその後について語っただけだ」


「はいはい、大丈夫、理解しているわ、多様性の時代だものね、私はあなたを尊重すると誓うわ、協力は、ちょっと遠慮させてもらうけど」


「待て、お前は重大な勘違いを――っ!」


前触れなく、ちくりと布の一点が膨れ上がり、そしてすぐに弾けた。

布が頭の膨らみを支点にふわりと舞い戻る。

白のヴェールを背景に押しやって、そこに手のひらが生えた。


小さくて、幼くて、そして何よりも透き通った手。

後ろに負けないほど真っ白で穢れのない手のひらが凶器を掴むことを真っ先に危惧するべきだった。


なのに、俺は彼女の手のひらが全て折りたたまれて自らを覆う白布を掴むのを見て、ただ次に惹かれていた。


引き取るのは一瞬だった。


「むぐっ」


「あなたがどんな性癖を持っているかなんてどうでもいいわ、私があなたを何故助けたのか、その理由と同じくらいにね」


「……なんだよこの布は、まさかペアルックをご希望じゃないよな」


がっかりと、鉄扉の中の金庫、その言葉を思い出す。

言葉通りに彼女は変わりなく、そのままだった。


俺を騙すためにあらかじめ白布を二重に被っていたのか?


そんな無稽な考えが巡るほど、その備えの戦術的優位性は浮かばない。


「まさか、血だらけのあなたを部屋に置いておきたくないの、あっちの扉を開けて、目の前の扉の先にシャワー室があるから浴びていらっしゃい、そこでお湯を被りながらゆっくり考えることね、思考整理が終わるまでにはあなたが”納得する理由”を考えておいてあげる」


「いいのかよ、俺から目を離して」


「シャワー室で私に逆らうかどうかも熟慮しなさい、ほら行った行った!」


「わかったよ」


声に促されるままに俺は扉へと移動する。

彼女はついぞ俺に姿を見せることはしなかった。


油断はできない。

だが反転、俺に攻勢できるだけの武力もない。

今はあの声の言う通りにした方が良いだろう。

幸いなことに彼女は本当に俺を殺す気はなさそうだしな。


それも”今すぐには”と言う枕詞が引っ付くが。


「あっ、そうだわ」


「なんだよ」


「シャワーを浴び終わってこの部屋に戻るときは必ず声を掛けなさい、そして必ず私の返事を聞いてからドアを開けるのよ」


「着替え中だったら恥ずかしいってことか?意外だな」


「違うわよ、着替えを覗いたことが死因じゃあの世で恥ずかしいでしょ?」


「……」


務めて冷静に、はやる腕を落ち着かせながら扉を開ける。


「……冗談よ、本気にしないで頂戴」


締まりゆく扉の隙間からそんな訂正が聞こえた瞬間、扉は彼女を隔てた。

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