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1話 逃走

「くそっ、この区域は安全なんじゃなかったのかよ!」


仲間の悪態が聞こえる。

ガスマスク越しに声量がカットされるとはいえ、ここではどれだけ有用な情報だとしても言葉にしてはいけない、口に出してはいけない。

意味のない悪態はなおさらだった。音は確定的な死をおびき寄せる。

それがこの場所での鉄則なのだが、無理もない。すでに俺たちは死の淵にいる。


40m後方に不気味なほど静かにプロペラを回すドローン型の自律戦闘機体が三機、俺たちを追従している。

俺が1秒足を止めれば確殺を判断した奴らの、一角獣のように生えた銃身から放たれる鉛によって一瞬であの世行きだ。


有毒ガスのおかげで”文明拾い”の進んでいない地下の脱出口で運悪く奴らに見つかってからもう30分。


俺たちはこのガスマスクを脱ぎ去る暇もなく逃げに徹していた。

とは言え、それもそろそろ限界だ。奴らとは違い人間には限界が存在する。


俺は大戦のごたごたで穴だらけになった舗装道路に躓かないよう普段よりも数倍慎重に足を動かす。

窓は一つ残らず割れ落ち、砲撃による大穴や、ヒビを緑のツタで覆い隠した住居を横目で見送りながら走った。

善良な市民から奪った宝箱を投げ捨てることで船を軽くし、逃げおおせる絵本の海賊にも今なら同情できる、そんな気分だった。


「おい、ホームはこっちじゃないぞ、どこへ向かっているんだ」


「奴らを連れ帰ってホームを危険にさらせば移民の俺たちはすぐに追い出される、どうにか撒くしかない」


「んなこと言ったって、命には代えられないだろ」


声量を抑え、仲間の一人の疑問に丁寧に答えてやったが失敗だった。

この“放棄都市“にやってきたのは俺を入れて四人のパーティ、しかし今視界にいるのは悪態で俺たちをあの世へと誘う死神とホームの外で生き残ることができるらしい自信家の二人だけ。


あの虻に見つかってから銃声は一度も鳴っていない。

つまり消えた一人は早々に俺たちを囮にしてまんまと逃げおおせたと言う訳だ。

そしてそれはこの今の状況下で最善の選択だっただろう。


戦中後期、物資の枯渇する中、民間人をターゲットに設計されたと言うあの機体は装弾数に乏しい。

しかも弾を無駄遣いするなという命令がかなり上位に存在しているため流れ弾を嫌うのだ。

奴らは三機、そしてこちらは四人。その四人が一人と三人の二つに分かれたとき、あの三機がどう行動するのかなんてのは自明であった。


しかしその手は奴らと俺たちの数が同数となった今メリットは薄い。

それでもこいつらから離れた方が生存率は上がりそうではあったが……。


代わりに俺はずっと温めていた打開策を口に出す。と言ってもそれは奴らに追いかけまわされた瞬間から頭に浮かんではそのリスクから思考の外へと追いやり続けた方法に過ぎなかった。


「タイミングを合わせて一人一機、奴らの銃身を各個射撃するしかない、うまく当たれば弾は発射されなくなる」


俺は三人お揃いで支給された旧式の散弾銃をひらひらと掲げながら言った。


あの三機の弱点、その設計思想からターゲットに反撃されることを全く考慮していないむき出しの銃身。

そこを攻撃すれば奴らは唯一の攻撃手段を失う。


掲げ持つ木製のストックに前の所有者が残した黒ずみが説得力を著しく低下させているが理論上は可能なはずだった。


「そんなの不可能だ!あいつらは飛んでるんだ!360度どこへだって回避行動を取れるんだぞ!お前は自分が仕留めそこなった獲物に仲間が撃ち殺されても良いってのか!?」


「それは問題ない、奴らは無駄撃ちを嫌う、殺されるのは一番近くの仕留めそこなった本人だけだ、その隙にまた鬼ごっこを再開できるだけの余裕はあるはずだ」


「なっ……」


「……賛成だ、どう頑張ってもホームまで足が持たない」


「くそがっ!なんでこんなしけた仕事で命をかけるような真似をしなくちゃならねえんだ……」


思わず肯定してしまうような真っ当な愚痴。

それを聞き流しながら俺は汚れで効果の隠れた都市迷彩柄の防水外套のポケットからスラグ弾を一発取り出す。

至極もったいないが仕方ない。


「今から俺は手前にこのショットシェルを投げる、これが地面についた瞬間に決行だ」


「……了解」


「あぁ!それでいい!」


「じゃあ、行くぞっ」


二人のガスマスクへと視線を向け賛同を得る。

表情は読み取れない、だが声は同意を示した。


俺は路肩に放置された軍用車両や、めくれ上がったコンクリートの裏側へ落下しないよう慎重に弾丸を放り投げる。


だが、この作戦には致命的な欠陥があった。

それを防止するための言葉を俺は最後に声に出そうとして、そしてやめた。


斜め上に放り投げられたシェルは一瞬空中で静止する、と思った瞬間重力に惹かれて――


地面に当たった。


同時にカラカラと乾いた音が小さく耳に反響する。


弾丸は跳ね返らない。

それは俺が即座に体を反転させた結果だ。


180度動いた俺の視界に奴ら特有の艶のない特殊樹脂に包まれた機体が映る。


反吐が出るような白色。

あの戦後100年がたってもほとんど劣化せず、内部の基盤を守り続けている樹脂コーティングの技術がこの世になければどれだけの命が救われただろうか。


そんな俺の憂いは露知らず、それは驚いたように四つのプロペラの正円を全てこちらに向け急停止する。


しかしそれは困惑ではない、確実に俺の脳髄を破壊するための予備動作に他ならない。

コンマ5秒後に俺がこの世に存在していられるのか否かはこの一発の散弾に全て委ねられた。


「っ!」


自律戦闘機体にファストドロウで勝利できる人間はこの世に存在しない。

つまり振り向きざまにトリガーを引き抜くしか選択肢はなかった。


ぼむっと、野暮ったい銃声を響かせて放射上に拡散する散弾。

ノルアドレナリンによりスローモーション化する視界の中を旅立つ鉛玉の内、いくつかのそれがむき出しの銃身にぶち当たり歪ませるのが見えた。


やった。


あれであいつは整備者の絶えた今、もう二度と命を奪うことはない。


「よし!当てたぞ!」


すぐ横から勝鬨が聞こえる。

よほど運が良かったのか、視界の端に黒煙を上げて地面に叩きつけられる機体が映った。


戦術的な意味はなくただ反射的にそちら側へ、顔を向けた。

その時だった。


黒い、真っ赤な一閃が喜び勇むガスマスクの眉間から噴き出すのが見えた。


あれは――


一瞬で全身の筋肉が強張る。本能がけたたましく警鐘を掻き鳴らす。

熱反射のように思考の余裕すらなく俺の体は真横の建造物へと駆け出した。


あぁ。


それは死だった。

明確で確実な死。

自律戦闘機体に運は通用しない。

運よく急所を避けることは、ない。


何かの商店だったのだろう。

今やガラスの破片だけが陳列されたカウンターの上を転がるように飛び越える時、一瞬だけ、遠くに一人走り去る人間の姿を見た。


それがこの作戦の致命的な欠陥、憂いた未来の姿だった。

俺はこの日、この数十分の間に3人の仲間を失った。


だがそれにかまっている暇はない。


俺は百年の時に耐え兼ね内壁の大部分を失った建物の奥へと転がり込む。


奴のボルトアクションライフルに似た単発式の銃身。


それに次弾が装填されるまでの間に俺は遮蔽物を見つけなくてはならない。


旧式特有の中折式散弾銃から勢いよく撃ち殻を弾き出しながら室内を見渡す。

お目当ての遮蔽物は建物の中にある可能性が高かった。


鉄製の棚や扉、最悪、俺に的を絞らせなければ厚手のカーテンでも良い。


一刻どころか一秒をも争う状況。


それなのに俺は立ち尽くした。

散弾銃を折ったまま、そのままに硬直する。


眼前に広がる視界、そこにあったのは、漆黒で染め上げられた絶望そのものだった。


目当ての遮蔽物どころか、ちり一つ落ちていない。


代わりに、とあざ笑うように部屋のほぼすべてに粗雑な油を満たしたような大穴が広がっている。


弾き捨てられた薬莢がその黒へと吸い込まれる。

あのカラカラと乾いた音はしなかった。


運がなかった、今日は巡り合わせが良くなかった。なんて、そんなことでは納得できるはずもない。

無慈悲だ。

あまりにもツイてなさすぎる。

今に始まったことではないがどうやらこの世を統べる神とやらはこれっぽっちも俺に情けを掛ける気はないらしい。


目の前に横たわるのは深淵。

縁に腐り切った板切れを所在なさげにぶら下げたそれは頭が真っ白になるような、どうしようもないほどに底のしれない絶望だった。


それは非情にもすぎるほど冷酷に俺の生存の可能性の全てをぽっかりと飲み込む。


遮蔽も、逃げ場ももうどこにもない。

この理不尽な不運を跳ね除ける術を、力を俺は持ち合わせちゃいなかった。


そして俺は振り向く。


それは羽音が聞こえたからだった。

不気味なほど静かで厄介なそのプロペラ音が今は気に触るほどに聞こえる。

ほんの先、10mもないこの建物の唯一の出入り口に二機の自律戦闘機体が宙に静止していた。


そのうちの一機は俺が歪ませた銃身を短い可動域で上下に振り続けている。


それはまるで仲間に自分の仇討ちを頼んでいるように見えた。

ジージーっと呻くモーター音がいつか見た殺せ、殺せと腕を突き出し声を荒らげている大人たちを思い起こさせた。


そしてそれとは対照的にもう一機は確かめるようにゆっくりと銃身をこちらへと向ける。


あぁ、俺はここで死ぬのか。

意外ではなかった。

幾度も頭の中で巡らせた死のシミュレート。

その中に今と似た状況はきっとあったはずだ。

自律戦闘機体が誤射などありえない、一撃で額を貫かれての即死。

それは熱病で一週間苦しんで死んだ同僚や、下半身を欠損してもなお意識があり道端から探索中の俺たちへ助けを求めていたあの男に比べれば随分幸せな最後に思えた。


だが、それでも。


俺の体はその相対的な死すらも拒否する。

諦念とは関係なくじりじりと足が後退する。


生まれてこの方いつだって選択肢はなかった。

それは死の淵にいるこの状況でも変わらない。


世界が俺に試練を課すのなら、ならやるしかない。宗教染みた考え方は嫌いだが、望み通り可能性を追い切ってやる。


世界への反骨心を焚き付けに恐怖を振り切った俺は大きく後退り、背から倒れるようにして深淵に身を委ねた。


ふわりと内臓を鷲掴みにされたような不快感は刹那の後悔を過去にする。

ただ天に向けた一度きりの切っ先がブレないよう必死に肩付けしたストックに頬を押し当てた。


深淵よ、頼むからその底を今だけは押し上げてくれ。


そう祈り終えると皮肉にも追手は現れた。

モーターの焼け焦げる音。

過回転による甲高い死の羽ばたきが一機追従する。


俺を突き殺さんとぐんぐん距離を縮めるその一角からはすぐに必殺の銃弾が放たれるだろう。


俺はすでに引き金に掛かった指に力を籠める。

狙いは銃身。


片目の中でリアとフロントが鉄の一角をバックに重なる。

スポット抜けを無視していいほどの近距離。

これ以上ない好条件に自然と引き金にかかった指が動いて――


思わずサイトから目を離す。

片目でつけた狙いをかなぐり捨て両目を見開く。

間違いない。

無様にもひしゃげたあの銃身。

あれは――


あれは……”俺がやった機体”だった。


奴の真意がわかった。

比喩なんかじゃなかった。

あれは俺を本当に突き殺す気でいるのだ。

やがて現れる底に俺を磔にするための決死の特攻。自らに戦術的価値がないことを悟ると敵もろとも散る。

なんて合理的なのだろう。

人間には到底到達することのできないその忠義に寒気すら覚える。


だが、ただ一つはっきりしたことがある。


今度は銃身をひしゃげるだけでは済まない。


奴を完全に機能停止させなければならない。


再び片目をつぶり、リアサイトを覗く。

銃身を追い越し、もっと上。

狙うはプロペラ、それも同時に二か所以上破壊しなければ奴は止まらないだろう。

そのためにはこの切っ先ギリギリまで奴を引きつけなければならなかった。


先に尽きるのはこの大穴か、それとも奴の命か。


今度は穴が深いことを祈らなければならないなんて、やはり神は無慈悲だ。

そう思った。


バタバタとはためく外套と今さらになって震えだした体を押さえつけ、生き急ぐそれに照準を合わせる。


あの世でもいい、これが終わったら思う存分震えてやる、だから今は我慢しろ。


まだだ、まだ、引きつけろ。そうだ、もっと、もっと速く――


「俺を、突き殺してみろっ!!!」


咆哮に呼応したのか、奴は一層スピードを上げる。プロペラから舞う黒煙が尾を引いて置き去りにされる。


殺意に満ちた光景。

それはお前の意思かそれとも天命か。

だが機械如きが命を語るな。

お前を鉄屑に帰すのは名誉ある特進じゃない。

活殺を握るのはお前じゃない!


突き殺すのは”俺”だ!!!


右手を目いっぱい天へと伸ばす。

瞬間ガギンと子気味良い音が響く。

その待ちわびた感触を味わう間もなく俺は引き金を引いた。

ぼむっと野暮ったい銃声。

それは穴中を乱反射して鋼鉄のはらわたを穿つ。


瞬間、反作用によって俺はいままで必死に握っていた空中制御を失った。

上下はすぐにわからなくなった。

きりもみながらただ重力に引かれる。


ぐるぐると回る視界の中、俺の顔に突然、びしゃりと油が叩きつけられた。


それは、証明だ。


理解した瞬間自然と声が漏れ始める。

何故か俺は笑っていた。

まるで道化を前に堪え切れない子供のように。

ただ快を貪りその過程として声を漏らす。

あぁなんて気持ちが良いのだろう、死からの解放と言うのは。


ねばつく勝利の美酒に酔いしれる。


気の向くままざまあみろとそう勝鬨を声に出そうとしたその時、その悦は急速に俺の中から零れ落ち始めた。


きっかけは脳裏によぎった真っ赤な一閃。


そうだ、まだ俺には許されない。


すっかり消え失せた悦楽。

反転、唯一残ったじっとりとこびりつく不快の中でふとアイツの言葉を思い出す。


「気に食わねえ野郎はぶっ殺して、気に入った奴は助ける、それが自由だ、そのために力がいる」


記憶の中のアイツは似合わないマジメ面でそう言った。

まだ俺は“自由“には程遠い。

これに浸れるほど俺は身勝手に振る舞える力を持っていない。

だから俺には許されない。

でもせめて、死ぬまでにはその自由の境地を手にしてみたかった。

己の平穏のために誰かれ構わず他人を救うようなそんな自由を。

ぐるぐるとまわる視界の中に一瞬映った一面の泥を見ながらそう思う。

それは終わりだ。

ちっぽけな人間に待つ抗いようのない終わり。

コンマ1秒後の消失を確信する。

「あぁ」

まだ俺に自由はない。

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