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いよいよ異世界での生活が始まり‥
目を覚ますと、そこは森の中だった。草むらに意識を失って倒れていたようで、騎士らしい男性が2人、私を覗き込んでいる。
「セシルお嬢様、しっかりしてください!お怪我はありませんか?」
この騎士には左頬に傷跡がある。この騎士はセシルの忠実な下僕の一人、ユリウスだ。小説の中ではユリウスはセシルの幼馴染でずっとセシルを想っている設定。確か物語の後半にモンスターに倒されて死んでしまうキャラ。
「ユリウス?」
確認するかのように呟く私に、ユリウスは青ざめた。
「お嬢様、記憶は確かですか??ワイバーンの攻撃を受けてあの崖から落ちたんです。幸い、聖力が発動して地面に叩きつけられたりはしていませんが、それなりの衝撃はあったかと‥」
ユリウスの手が汗ばんでいる。顔は青く、肩は不安に怯えている。
「ワイバーンの攻撃をまともに受けたから、記憶が一部飛んでしまっているみたい。細かいことは覚えていないかもしれないわ」
いくら小説を読んでいるからと言って、セシルの記憶が全てわかる訳ではない。私は記憶障害を起こしていることにした。セシルがクリストファー男爵の娘で、18歳の誕生日に腕にプレアデスの紋章が現れたことで、教会が聖女と認めた。そういう最低限の知識はあるが、クリストファー男爵との幼い頃からの幼い頃からの会話や思い出などは知識が全くない。記憶障害、ということにするのが手っ取り早かった。
「今日は屋敷に戻るわ」
私とユリウスたちは男爵家に戻った。幸いワイバーンは追いかけては来なかった。
男爵家は貴族の中では一番下の位にあり、クリストファー家はその中でも豊かな方ではなかった。小さな領地からの税収と僅かな商売でやりくりしていた。セシルの母は隣国の子爵家の娘だったが、セシルを産んですぐに亡くなった。クリストファー男爵はその後、伯爵家の出戻りの女性と再婚し、血の繋がらない兄と、異母弟がセシルにはいた。クリストファー家の後継者は、異母弟のカイルだ。セシルと継母の関係は良くなかったと記憶している。私は、緊張した面持ちで屋敷に入った。
「あら、セシル。聖女様ともあろう方がその身なりはなあに?教皇様から品位についてお叱りを受けるわよ?」
侮蔑の眼差しと突き刺さるような口調。セシルが継母とうまくいっていないのはこの一瞬で理解できた。
「聖女たる者、室内で上品に過ごして国や民の為に働かなければ、存在意義すらないでしょうに」
冷ややかに応酬した。その瞬間、継母エレナは驚愕したようだ。ワナワナと震える手、言葉にならない声を発した。今までのセシルは大人しくして、エレナに逆らったことなどなかったのだろう。そこに男爵が現れた。
「あなた!!セシルが!セシルが私に‥!!」
エレナは男爵の元に駆け寄り、媚びるように腕を抱きしめた。男爵はエレナを愛しているわけではなかったが、格上の伯爵家の娘。機嫌を取らなければ、色々と不具合が出る。だから男爵はいつも妻の味方をしていた。小説ではそんなセシルを男爵家から救ったのがルシフォール王子だった。
「セシル、何だその汚い身なりは。そして母親に対する礼儀もなっていないのではないか?」
男爵の冷ややかな視線が私に向いた。小説のセシルならここで塞ぎ込んでいただろう。しかし、私は違う。
「お父様、私は聖女としての本懐を述べただけでございます。お義母様の申すような上品で礼儀正しい姿では、世の中の役には立てません。だからそう申し上げただけでございます」
普段は大人しいセシルの反抗に、男爵の眼孔が開いた。
「頭でもおかしくなったのか!?親に向かってその態度はなんだ!!聖女だから何でも許されると思ったら大間違いだ!」
男爵はそう怒鳴ると右手を振り翳した。叩かれる!私がそう思った瞬間、周りがざわめいた。
「我が国の聖女様に向かって、何をなさるおつもりで?」
銀髪に青い瞳の青年が現れた。それは、どう見ても狭まの番人だ。
「教皇様!!」
男爵たちは全員、頭を下げた。私だけは状況を理解できずに呆然と立ち尽くす。
「男爵がそのような考えなら、聖女様は教会でお世話をさせて頂きます。どちらにしても、国王陛下が聖女様のお立場を検討されていましたしね。我が国の守護者たる聖女様に対する無礼な態度。許されるものではありませんよ」
男爵夫妻は青ざめている。
「エナ、この世界に順応できるように私もサポートしますから」
教皇になった狭まの番人が私の耳元で囁いた。実際、記憶が曖昧だと色々不便だ。そのサポートは有り難い。私は頷いた。
こうして私は、専属騎士のユリウスを連れて教皇の暮らす教会へと向かった。
「今日からはここが貴女の部屋です。足りない物があれば、召使いに言ってください。可能な限り用意します」
「狭まの世界の番人様が、この世界の教皇になってるなんて。小説では教皇も聖女のことを愛する設定だったわよ。あなたがそうなる訳ないし、もう小説の中身、めちゃくちゃね」
「貴女のいた地球にも、沢山のパラレルがあって、同じ未来、過去ばかりではなかったんですよ。そういった意味では、この世界もまた、小説の中の数あるパラレルの一つです。細かいことは気にしなくて大丈夫。貴女はこのステージで、使命を、目標を達成すればいいんです」
人払いしているからか、小説の中の世界とは関係ない話まで出てきた。この世界の人物に聞かれたら頭がおかしいと思われるだろう。
「使命もだけど、私はルシフォール王太子と幸せな恋愛がしたいの!あのダメダメ王太子を、しっかりした王太子に教育してあげたい!」
異世界転生物で断罪イベントをする王子の大半は、ダメ男である。たまに、生まれ変わった世界では過去と違います、みたいなキャラもいるが、大半はダメになるキャラだ。私の好きな金髪碧眼の美男子のルシフォールを、私は救いたかった。小説では黒髪に金の瞳の隣国王太子が悪役令嬢とハッピーエンドになった。黒髪は私の好みではない。そもそも私は聖女を選んだので、隣国王太子とのロマンスはあり得ないのだ。
「貴女が誰と恋愛を楽しもうと自由です。ただ、使命を忘れないでくださいね」
教皇はそう言うと、大きな水晶玉を私に手渡した。
「この水晶玉には、貴女の魂の片割れが映ります」
水晶玉を覗くと、紫色の長い髪、赤い瞳の美女が映っている。その設定キャラはクリスタだ。
「クリスタ‥。ということは、笑真ね」
「そうです。貴女たちは一卵性双生児。いわば運命共同体。笑真の人生も見ながら、必要があれば干渉してください。貴女にはその力を与えています。聖女だから周りも怪しまない」
不敵な笑みを浮かべる教皇。
「そんな話、聞いてないんですけど」
私の怒りを反らすかのように教皇は目を逸らして、ほくそ笑んでいる。
「貴女にしてみたら、嫌いな妹です。だから別に幸せにしなさい、とは言いませんよ。彼女が暴走して、貴女の使命の邪魔にならないようにいいように操りなさい、と言ってるだけです。頭のいい貴女ならできるでしょう?」
何だか釈然としないが、これで笑真の行動が見えるのは有り難い。私は素直に受け取った。
こうして私の異世界での人生が本格的にスタートしたのだった。
次は笑真について書きたいかも?