合言葉考えた奴と趣味が似てた②
今日来る奴はいないだろうと聞いていたから、その男が入ってきた時は少し警戒した。
この路地には認識阻害の魔術がかかっている。余程魔力が高いか、専用のマジックアイテムを持っていないと店に気付くことすらできないはずだが、この男はどこの手の者だろうか。
男は迷わずカウンターに座ると、淀みなく銀貨2枚を滑らせた。
「注文は?」
「今日はじっくり飲みたい気分なんだ。ルージュ産の赤ワインはある?」
「…」
符牒は三種類ある。まず共通で銀貨2枚。その後は少しずつ異なるが、そのうち奥へ通せるのは一種類だけだ。
男は最初に「ルージュの赤ワインを頼んで一息で飲み干した」。依頼を受けたギルドメンバーだな。
「モルトウイスキー、ウッディなのを」
「飲み方は?」
「トゥワイスアップで」
次は「ウッディなウイスキーをトゥワイスアップで」か。
なるほど、こいつは暗殺ギルド所属らしい。そう思って見れば、細身の体型に対して妙に大きい上着と、目深に被った帽子。なんとも暗器を隠し易そうな出立ちだ。
となると、報告に来るのは明日以降になるだろうと聞いていた者たちの1人だろう。血で汚れてもおらず余裕のある様子からすると、若いが相当な実力者と見た。
ただの符牒だから飲まない奴も多いが一応酒を出すと、男は予想外なことを言い出した。
「ここはナッツ出さないの?あ、スモークチーズも欲しいな」
「…」
本当に余裕のある奴だ。ちょっとニヤけた口元はこちらを揶揄っているのだろうか。無言でナッツとチーズを出してやるが、やたらとゆっくり呑みやがる。こういう調子の良さそうな奴ほどキレると手がつけられないのが多い。早く符牒合わせて奥へ引っ込んでくれないだろうか。
「…次は何にする?」
「せっかちだなぁ…まあいいけど。それなら珍しい酒が飲みたい」
「…獅子の乳か馬の乳か」
「アラックだ。西式で頼むよ」
「…奥に入れ」
最後の符牒にも淀みなく答え、規定の銀貨2枚を置いたのはいいが、呑みかけの酒とつまみも一緒に持っていきやがった。ここを普通の酒場とでも思ってんのか。呆れた奴だ。
「おや珍しい。一見さんですか」
その日、入ってきた男には見覚えがなかった。
「ああ、仕事帰りにね。アラックを頼んだところだよ」
「ほう…」
情報屋兼、裏の依頼の仲介をやっている自分のところに来るとしたら、情報を求めてくる客か、依頼人か、仲介先のギルド構成員だ。その中でも直接奥に通すのは特殊な案件を請け負ったギルド関係者だけ。男に見覚えはないが、「アラック」の符牒で表から入ってきたのなら暗殺ギルドのメンバーだろう。そして「仕事帰り」にこのタイミングで現れたということは、先日の厄介な依頼を片付けて来たということだ。早くても明日になるだろうと思っていたが…この男、中々優秀らしい。
「表から持ってきたんですか?」
「勿体無いから」
「くく…それはそうですね」
手に持ったグラスとつまみを持ってきて平然と呑み食いし出すあたり、随分と余裕な態度だ。訪れた稼業者の見極めを兼ねる強面の店主に、符牒の酒だけでなくつまみも要求したのかと思うと笑いがこみ上げてくる。
今回の依頼に携わっているギルトメンバーの中に、一般人を装うのが上手く、存在感を誤魔化して、息をするように対象を抹殺する凄腕がいると聞いてはいたが、なるほどこういう男か。確かに一見すると普通の男に見えるが、それが罠ということだろう。
「あんたは呑まないの?」
「そうですね。折角ですし、祝杯をあげてもいいかもしれませんね。しかしこんなに早くに来るとは。正直驚いています」
「え、もっと遅い人いるの?ちょっと遅すぎない?」
思わず笑ってしまった。まるで同じ依頼をこなしているであろうギルドメンバーを馬鹿にするかのような物言いだ。自らの実力を分かっているが故だろう。
「それで、祝杯って?」
「くく…まあちょっと気が早いですがね。今回の仕事は1人でも成功すれば報酬が出ますし、既に1人は完遂したようなので、私のような仲介者としては肩の荷が降りた、といったところです」
「ふうん。じゃあその仕事をやり遂げた人には別途報酬が必要じゃない?」
なるほど、依頼自体の進捗に興味はないらしい。要求は報酬の上乗せか。常人とは思考回路が異なる暗殺ギルドの構成員の中でも、報酬の方が優先順位が高いという人間はいる。そういう人間は得てして慎重で、快楽殺人者に比べるとリスクを避ける傾向があるために仕事の達成率も高い。まだ若い男だが、このままいくと裏でも名の知れた稼業者になりそうだ。今のうちに恩を売って顔を繋いでおくのも悪くない。
「くくく…貰うなら何が欲しいですか?」
「え、私に聞く?でもそうだなあ…私だったら…格納庫とか?マジックアイテムの」
格納庫とは。伝手があっても手に入りにくく、供給に対して需要が大きく上回る高級品だ。ここぞとばかりに吹っ掛けて来る。
「なるほど」
「くれるの?」
「…考えてみます」
依頼人に交渉してみるか。幸い資金は潤沢な人だから、流石に格納庫でなくても何かしらの追加報酬は用意されるだろう。
考えていると、男がぼそりとつぶやいた。
「それにしても遅いな…」
他のメンバーのことだろうか。流石に無理だろう。既知のメンバーには難しいだろうし、あとは自分と顔を合わせたことがないメンバーが他に2人程いたと思うが、先に耳にしていた凄腕の男であっても明日になると予想していたのだ。まあ実際は戻って来ているのだが。この男が予想外に早すぎただけだ。
「そうですね。もしかすると今日はもう来ないかもしれません」
「えっ?!明けの鐘が鳴るまでってこと?」
「そもそも私としては、今日中に来るとは思っていなかったんですよ。明6の鐘が鳴るまでに来るかどうか…」
正直に伝えると、男は特に隠す様子もなく驚きを見せる。もしや先ほどのは馬鹿にしていた訳ではなく、本当に他のメンバーが自分と同じほどの能力を持っていると勘違いしていたのだろうか。
「そっか…しょうがない。残念だけどここで祝い酒を飲むのはまた今度にするよ」
「それがいいでしょうね。来たとしても気が立ってるでしょうから」
この様子では、死闘の後で気が立って帰ってきたギルド構成員たちと顔を合わせた時に、無意識に挑発してこの場で戦闘が始まりかねない。今回の依頼を受注しているのは、暗殺ギルドの中でも腕の立つ者たちだ。巻き込まれてはたまらないので、さっさとお帰り願おう。
「出るなら裏がいいですよ。次に来る時もそちらからがいいでしょう」
「へぇ…じゃあ次は裏から入るよ。ありがとう。あと次はちゃんと用意しといてって言っておいて」
「…わかりました、伝えましょう」
これは報酬の話か。こうも釘を刺されてしまったら、何とか依頼主に掛け合ってみなければなるまい。何が欲しいとか、尋ねてしまったことに今更ながら後悔を覚える。希望通りのものが準備されていなかった場合、どんな反応が返ってくるのか…。なんとも、地味に恐ろしい男だ。
男が出て行った後、静かになった部屋で独りごちた。
「さて、依頼主に報告しなければいけませんね」
元々ギルド所属の者たちが直接自分に関わることはあまり無い。今回はタイミングが重要な案件だったから、依頼を片付けたら構成員に直接店へ来させるようギルド側に頼んでいたが…報告するにも、他のメンバーとあまりに時間が違い過ぎるのも困りものだ。
「あの男への報酬の件もありますし、直接出向きますか」
依頼主との交渉を終え、店に戻ってそう経たない頃、小部屋の扉が音も無く開いた。まだ明6の鐘(6時)は鳴っていない。こんな時間に誰だろうかと思い部屋の入り口を見やると、男が1人立っていた。ぼんやりとした表情の、覇気の無い小男だ。この男も見覚えがない。
「おや、今日は一見さんが多いですね」
「ああ…あんたとは初めましてだなぁ。僕としてはギルドでは結構名が売れてきたと思っていたんだけどねぇ…顔は売っちゃいないからわからないかぁ」
まあ僕の顔見た人は大体死んでるし、と続ける男の話し方に違和感を覚えた。
口ぶりからすると暗殺ギルドの構成員だろうか。仕事を終えて帰ってきたのか。そういえばこの男からは暴力の気配を感じる。ぼんやりした表情に対して、少々昂っているのか汗と血の匂いがした。
しかし先ほどの男の他に、これほど早く仕事を達成できそうなメンバーが他にいただろうか?
「ええ。暗殺ギルドからは、今回は私がお会いしたことの無い方が3人いるとだけ聞いていましたよ。そのうちの一人には先程お会いしましたが」
「…会った?」
無表情でこちらを見る小男。どこか異様な雰囲気に、脳が警鐘を鳴らした。
「…おかしいなぁ。ちょーっと後ろで様子を見てたんだけど、あいつら失敗してみーんな死んじゃったんだよねぇ。だから依頼を受けたメンバーで残ってるのは僕だけのはずなんだがなぁ」
おかしいよなぁ、と繰り返す小男に、うまく現状が呑み込めず混乱する。
全員死んでいる、だと?この小男の言っていることが本当だとしたら、先ほどの男は?いや、符牒は合っていた。
まとまらない頭で考える。
そしてなぜ、自分は震えているのだろう。
「で、暗殺ギルドを騙ったそいつに、あんたはまんまと騙された訳だぁ」
小男は言った。
「仕事を受けるにも任せるにも、ちょーっと信用できないよねぇ」
その日、後ろ暗い経歴の男が一人、アビスの闇に呑まれて消えた。
「嘘をつくなんて、許せないよなぁ」
大きい上着にキャスケット。細身で調子のいい男。
怯えて命乞いをする店主から聞き出した人物像を脳裏に描きながら、凄腕の暗殺者であり、頭のネジが外れた男は夜の街を往く。
「まだ遠くには行ってないんじゃないかなぁ」