合言葉考えた奴と趣味が似てた①
今日は好きなだけ呑む。
仕事帰りにそう心に決めた私は、足取りも軽く夜の道を歩いていた。普段から節約する方だから、たまにはいいだろう。明日は休日だし、次の日を気にせず飲める。
私の働く飲食店は、宵5の鐘で閉店する。今から飲みに行くとなると、田舎の方ならもうやってるお店なんて無いが、ここ首都アビスは眠らない街。日が昇るまで開いてるお店だってある。
どこで呑もうか、と辺りをゆっくり見回すと、いつもは目につかない小さい路地があった。アビスに住んで5年、職場と自宅の付近の地理はほとんど把握していると思っていたが、そうでもなかったらしい。まあ無いとは思うが、もしいい感じのバーでもあれば穴場かもしれない。
ひょいと路地を覗き込むと、あるではないか、バー特有の赤いランプが!暗くて看板の文字は読めないが、なかなか賑わっているようで、笑い声が漏れている。
今日はなかなかツいてる、と思いながら路地に入っていき、迷わずバーの扉を開けた。中の客たちは一瞬だけこちらを見るが、すぐ会話に戻っていく。入って左側はテーブル席で、右側にカウンターがあった。他の客に背を向ける形で座る。客からの不躾な視線を感じるが、まあいつものことでもあるので気にしないことにしよう。
無愛想な店主がボソリと聞いてくる。
「注文は?」
「今日はじっくり飲みたい気分なんだ。ルージュ産の赤ワインはある?」
「…」
銀貨を2枚置くと、無言でグラスを出された。本当に愛想がない店主だ。だが変に干渉されるより余程いい。
いいワインは味わって飲みたいところだが、やや量の少ないそれをほぼ一息でうっかり飲み切ってしまう。勿体無い。こういう飲み方をするならエールの方が良いとはわかっているのだが、発泡性のものは腹に溜まるので最近避けるようになった。もっと若い頃はエールばかりずっと飲んでいたんだけれど。
「モルトウイスキー、ウッディなのを」
「飲み方は?」
「トゥワイスアップで」
こちらもすぐ出された。品揃えが豊富な店なのだろう。偶然だが、ここは当たりだった。ウイスキーの香りを楽しもうとグラスを持ち上げようとして、ふと尋ねる。
「ここはナッツ出さないの?あ、スモークチーズも欲しいな」
「…」
無言で差し出されるナッツとチーズの盛り合わせ。通常、バーは最初の一杯を頼んだ時にナッツも添えるのが一般的だ。まあ一杯目をあっという間に呑んでしまった私も悪いし、文句は言わないが。
ナッツとウイスキーはすこぶる相性がいい。スモークチーズも良い。次はピート香が強いウイスキーにしようか、ここは結構揃っているみたいだし、普段お目にかからないお酒を出してもらうのもいい。などと考えながら香りを楽しみつつナッツを齧る。最高だ。
ゆっくりと楽しみながら呑んでいると、店主が話しかけて来た。
「…次は何にする?」
無愛想な店主だが、気を遣ってくれたらしい。まだ四半刻も経っていないし、グラスにまだ三分の一は残っているので、ちょっとせっかちではあるが。自分も飲食店で働く身として上から目線な感想かもしれないが、この店主はちょっとした世間話とかこういった気遣いにはあまり慣れていないのだろう。仏頂面の裏で一生懸命気を遣っている様子を想像して和んでしまった。
「せっかちだなぁ…まあいいけど。それなら珍しい酒が飲みたい」
言いながら銀貨をもう2枚置く。これで銀貨2枚以内で珍しい酒を見繕ってくれるだろう。
「…獅子の乳か馬の乳か」
おお、それは。
私は思わずニヤけてしまった。獅子の乳はハーブが甘く香る葡萄の蒸留酒の通称だ。馬の乳は大陸東部の国で有名な、馬の乳から作る酒のことだろう。馬乳酒は勿論白いのだが、蒸留酒の方も水で割ると白濁する。白い酒縛りとは、なかなか洒落たことをする。
どちらも貴重なものだが、今日は蒸留酒の気分だ。折角だから本場の飲み方をしたい。あの酒の名前は確か…
「アラックだ。西式で頼むよ」
「…奥に入れ」
私は飲みかけのウイスキーとつまみの入った皿を手にいそいそと立ち上がり、言われた通りカウンター脇の扉から奥に入った。あまり素行が良くない客がいる時は、貴重な酒を出したがらない店主はそこそこいる。広い店なら、そういう客から少し離れた席に移動させてから提供することもある。高い酒がダメになったら私だって泣くし、表の客は確かにちょっと危険な雰囲気だったから、店主の懸念も分かるというものだ。
ここは奥に小部屋があるらしい。小窓から明かりの漏れる部屋に入ると、ひとつだけあるテーブルには先客がいた。落ち着いた雰囲気の男だ。ここにいるということは、酒好きのお仲間だろうか。目が合うと、男はおどけた仕草で言った。
「おや珍しい。一見さんですか」
「ああ、仕事帰りにね。アラックを頼んだところだよ」
「ほう…」
他にスペースも無いので、彼の目の前に腰掛ける。ウイスキーとつまみの皿を置き、続きを口にすると、男は呆れたような顔をした。
「表から持ってきたんですか?」
「勿体無いから」
「くく…それはそうですね」
そういえば男の前にはまだ酒が無いようだが、何を頼んだのだろうか。
「あんたは呑まないの?」
「そうですね。折角ですし、祝杯をあげてもいいかもしれませんね。しかしこんなに早くに来るとは。正直驚いています」
「え、もっと遅い人いるの?ちょっと遅すぎない?」
今だって十分遅い時間だし、至極当然の疑問の筈だが、なぜか男は笑い出した。何が彼の笑いのツボに刺さったのかはわからないが、まあ楽しく飲むに越したことはない。
「それで、祝杯って?」
「くく…まあちょっと気が早いですがね。今回の仕事は1人でも成功すれば報酬が出ますし、既に1人は完遂したようなので、仲介者としては肩の荷が降りた、といったところです」
「ふうん」
仕事の成功祝いだろうか?こちらに解るように話しているというよりは、ちょっと早口で、思ったことをそのまま話しているような印象を受ける。少し興奮気味なような。こういう状態の奴はとにかくおしゃべりになる。一通り話をさせたら落ち着くと思うが、どうだろうか。
「じゃあその仕事をやり遂げた人には別途報酬が必要じゃない?」
「くくく…貰うなら何が欲しいですか?」
「え、私に聞く?でもそうだなあ…私だったら…」
欲しいものか。ちょっと真面目に考えてみる。本当にもらえる訳でもないが、こういう「お金があったら何がしたい?」的な会話は楽しいものだ。
「格納庫とか?マジックアイテムの」
「なるほど」
「くれるの?」
「…考えてみます」
おー、よっぽど気が大きくなってるようだ。冗談なのだが。まあ酒の席だし、もし既にアルコールが入っているなら次の日には覚えてもいないだろう、と肩をすくめた。
しかし酒が来ない。もうウイスキーも空になっている。チーズも無い。ナッツはあるが残り少ない。酒が来る前につまみを食べきってしまうじゃないか。というか私はアラックが呑みたいのだ。流石に遅すぎるだろう。
「それにしても遅いな…」
「そうですね。もしかすると今日はもう来ないかもしれません」
「えっ?!明けの鐘が鳴るまでってこと?」
まだ夜4の鐘が鳴ったところなのだが。そんな馬鹿な。
「そもそも私としては、今日中に来るとは思っていなかったんですよ。明6の鐘が鳴るまでに来るかどうか…」
予想外のことにショックを受けてしまった。他の酒はあんなにすぐに出てきたのに。手元にある酒を持ってこれない事情なんて何が…あ、表の客だろうか?もしくは別の場所に保管してあってすぐには出せないとか。
どちらにせよ、見たところ常連らしき彼が来ないと言うなら来ないのだろう。残念極まりないが、これは諦めた方が賢明かもしれない。
「そっか…しょうがない。残念だけどここで祝い酒を飲むのはまた今度にするよ」
「それがいいでしょうね。来たとしても気が立ってるでしょうから」
横暴な客の相手は確かにストレスになる。やはり問題は表の客だったようだ。自分の職場のことを考えて少し同情してしまう。問題のある客に屯されると困るものだ。
「出るなら裏がいいですよ。次に来る時もそちらからがいいでしょう」
確かに、厄介な客と顔を合わせずに済むならその方がいい。次は直接裏から、というのも、顔を覚えてもらっているうちにまた来ればいいということなのだろう。それまでに厄介な客が居なくなっていればいいのだが。
まあ次回また来た時にはアラックが用意されていることを願おう。銀貨は払ってあることだし。
「へぇ…じゃあ次は裏から入るよ。ありがとう。あと次はちゃんと用意しといてって言っておいて」
「…わかりました、伝えましょう」
男に別れを告げ小部屋を出ると、言われた通り来た方ではなく更に奥に入って外へ向かった。戸を開けると人が1人通るのもやっとなくらい狭い通路に出る。完全に裏口だ。しかし職場の裏口もこのくらいなので戸惑うこともなく、家と家の隙間をするすると抜け、あっという間に大通りに出た。夜も遅いからか、人通りはほとんどなかった。
しかし呑むぞ、と心に決めていたのに、2杯とちょっとしたつまみ程度では全然物足りない。
「もう一軒行くか…」