ザ・インタビュアー 「紙カツ専門店 かみや」店主・神谷博編
こんにちは。インタビュアーのトクタです。今回インタビューするのは、東京・新橋に店を構える「紙カツ専門店 かみや」店主の神谷博さん(34歳)。神谷さんが揚げる絶品の紙カツの秘密を知りたく、1年がかりで頼み込みようやくインタビューにこぎつけた。
ところで皆さん、「紙カツ」ってご存じですか。牛肉だったり、豚肉だったりを叩いて薄く伸ばしてパン粉を付けて揚げた料理。肉を紙みたいに薄くして揚げるから紙カツっていうわけ。薄いけどちゃんとカツだし、案外安くて居酒屋の人気メニューだったりする。俺もそういう料理だと思っていた。そう、この店に出会うまでは。
インタビュー当日、新橋駅に着いたのが14時10分。インタビューをお願いしたのが、昼営業が終わる14時半。店は駅から5分程度なので、寄り道せずに行けば、ちょうどいい時間に着くはずだ。それにしても、初めてあの紙カツを食べたときの衝撃は忘れられない。
あれは1年前。俺は仕事で新橋を訪れ、昼飯を食べようと店を探していたときのことだ。さすがはサラリーマンの聖地。昼時ということもあり、駅前はランチを求める大勢の人でごった返していた。俺もどこかいい店はないかと表通りから一本の路地に入ると、パッと輝いて見える店があった。路地特有のくたびれた雰囲気が漂うなか、見るからに新しい店だっただけに余計輝いて見えたのかも知れない。
なんの店だろうと近づくと、汚れ一つない白壁に白木の引き戸、そこに「紙カツ専門店 かみや」と染め抜かれた藍染の暖簾がかかっていた。紙カツは知っているが、専門店というのは珍しい。店先からも美味しそうな雰囲気が漂っている。これは入るしかないなという衝動にかられ暖簾をくぐった。
引き戸を開け、まず驚いたのが満面の笑み。「いらっしゃいませ、こちらどうぞ」。調理場で白い歯を見せる大将(俺は店主の神谷さんこう呼んでいる)に勧められままカウンター席に座ると、すぐに女将さん(奥さんのメグミさん)も「いらっしゃいませ」と声をかけニコニコとお茶を出してくれた。
次に驚いたのがメニュー内容。お茶を持ってきた女将さんが、「うちは紙カツしかないので、単品か定食でご注文ください」と言うのだ。例えばトンカツ専門店だったらトンカツはもちろん、コロッケ、メンチ、アジフライなんかもあったりする。それが、ここは紙カツのみ。清い、清すぎる。余程自信があるのだろうと思い、俺は女将さんに「定食、お願いします」と注文した。女将さんは伝票に「定食」とボールペンを走らすと、大将に向かって「定食、一丁」と伝えた。大将も、待ってましたと言わんばかりに「はいよ」と返し、調理に取り掛かった。
そして一番驚いたのが、何といっても紙カツだ。カウンター席の内側に設えた調理場に目をやると、大将が手にしている食材は肉ではなかった。正直「これを揚げるのか」と不安になったが、調理が進むにつれ「早く食べたい」という衝動にかられようになった。塩コショウで下味を付け、ふるいで小麦粉を降り、卵液、パン粉を付けて油で揚げる。大将の調理工程には無駄がなく、まさに職人の手さばき。傍らでご飯、みそ汁をよそう女将さんのタイミングも申し分ない。しかも二人は終始笑顔。実に楽しそうに紙カツ定食を仕上げると、女将さんがトレーを手に「紙カツ定食です。ごゆっくりどうぞ」と運んできてくれた。
揚げたての紙カツは油でキラキラと輝き、うっすらと湯気立つ。俺はいてもたってもいられず、カットされた真ん中の一番大きい紙カツを箸で持ち上げ頬張った。美味い。とてつもなく美味い。なんだ、この美味さは。パン粉のサクサク感と、中身が渾然一体となり口の中は今まで感じたことのない幸福感に満ち溢れていた。俺は女将さんの「ごゆっくりどうぞ」の言葉を無視して一心不乱に食べ進め、気が付いた時には皿は空になっていた。
俺はあの時からずっと、「かみや」の紙カツの秘密を知りたかった。どうして中身にあれを選んだのか、大将はどこで修業しあの見事な手さばき習得したのか。そんなことを思い出しながら、ニュー新橋ビルの脇、パチンコ屋がある交差点を渡り、一本の路地に入ると「かみや」が見えてきた。
あと数メートルで店に着くと思ったとき、引き戸が開き中から一人の客が出てきた。すると、追うように大将と女将さんも出てきた。客は笑顔で「ごちそうさまでした」と口にすると、大将と女将さんは「ありがとうございました」と深々と頭を下げた。客が路地を抜け姿が見えなくなると、二人はようやく頭を上げた。
二人の背中はこちらを向き、俺には気付いてはいない。俺は近付いて大将に「こんにちは」と声を掛けた。すると大将は「申し訳ございません。お昼の営業は終わっちゃいまして…」と振り返りながら返事したが、俺だと気付くと「あぁ、トクタさん」と声を弾ませた。女将さんも「今日でしたよね。さ、どうぞ、どうぞ」と店の中へ促してくれ、暖簾を片付ける大将と3人で店の中に入った。
カウンター席には、さっきの客のトレーがそのままになっており、大将は「すぐ片付けますんで、お茶でも飲んでてください」と気遣ってくれた。「気にしないでないでください」と返答するも、今度は女将さんが「すみませんね。こちらでお茶どうぞ」と奥のテーブル席にお茶が用意されていた。相変わらずの連携プレーに感服する。
俺は促されるままテーブル席に着き、お茶を飲もうとすると女将さんが大将に話し掛けた。
「ヒロ君、トクタさんを待たしちゃ駄目よ。そこは私が片付けるから、ほらこっち来て。人生初の取材でしょ」
「あ、うん。ありがとうメグミちゃん」
大将はそう答えると、女将さんと入れ替わるように厨房を出て、お茶を片手にテーブル席にやってきた。俺の前に座ると「トクタさん、お待たせしました。じゃあ、お願いします」と頭を軽く下げ、俺も「お願いします」と頭を下げバッグからノート、レコーダーを取り出し取材開始となった。
―本日は、わざわざお時間頂きありがとうございます。
神谷 いえいえ、ほかでもないトクタさんのお願いなんで。
―そんな、恐縮です。
神谷 だって、オープン初日、第1号のお客様ですから。
―初めて、その話を聞いたときはびっくりしました。ホントたまたまなんですよ、新橋来て、この路地入って、新しそうなきれいな店だなって思って。それがオープン初日とはね。しかも最初の客だったなんて、びっくりです。
神谷 私だったびっくりですよ、トクタさんのお仕事がインタビュアーだったなんて聞いて。正直、けっこう取材のお話あったんですよ。テレビとかネットとか雑誌とか。けど全部断ってて。
―どうして断ってたんですか。
神谷 なんか恥ずかしいのと、私みたいな大したことない料理人が取材なんか受けていいのかと思っちゃいましてね。
―じゃあどうして今回は。
神谷 トクタさんが何回か食べに来られて、仲良くなって、インタビュアーだって知って、取材のお話もされて、迷ったんですけど最初のお客様、縁っていうんですかね。
―ありがとうございます。そう言っていただいて、インタビュアー冥利に尽きます。
ここで片付けが終わった女将さんが声を掛けてきた。
「ヒロ君、じゃあ私、上にいるから」
「分かった。ありがとう、メグミちゃん」
「トクタさん、何でも聞いてやって下さいね」
俺は「はい」と軽く会釈すると、女将さんはいつものはつらつとした笑顔を残し、階段で2階の休憩スペースに上がっていった
俺は大将に向き直すと、大将もさっきより表情が引き締まったように見えた。さて本題に切り込もう。
―やっぱり聞きたいのは、あの紙カツのことですね。
神谷 ですよね。どうして中身にあれを使ったかったことですよね。
―そうですね。
神谷 それはですね、私が嘘をつけない性格だということと…
―ことと…。
神谷 メグミちゃ…、いやカミさんと出会えたことが理由ですね。
―嘘をつけないことと、奥様に出会えたことですか。
神谷 そうです。説明すると長くなりますけど、いいですか。
―もちろんですよ、お願いします。
そこから大将は、自身の生い立ち、修行時代、そして奥様との出会いについて話し始めた。
大将の出身は、神奈川県小田原市。実家は地元の魚が自慢の寿司屋。板前の父親の背中を見て育ち、料理人になったのは自然の成り行きだった。高校を卒業すると、父親の勧めで東京・赤坂の料亭で住み込みとして働き始める。仕事は早朝から深夜におよび、上下関係も厳しかったが辞めたいと思ったことは一度もなく、「,早く一人前の料理人になりたいという一心で、なんとか食らいつく毎日だった」と振り返る。すると、5年が経ったとき転機が訪れた。勤めていた料亭が、カジュアルな創作和食店を渋谷にオープンすることになり、大将はそこの副料理長に抜擢されたのだ。
―へー、凄いじゃないですか。
神谷 そうですね、あの時はびっくりしました。料亭の社長に呼ばれて「お前、副料理長やれ」って言われて。私も「え、え?」って感じで。
―でも嬉しかったんじゃないですか。
神谷 そうですね。嬉しかったですよ。仕事は忙しかったけど、5年経って徐々に食材に触らせてもらえるようになって、やっと料理人に近づいてきたなって時で。ほら、うち実家が寿司屋でしょ。子どもの頃から親父の手伝いしてたんで、包丁さばきには自信がありましたし、料理の基本的な調理方法、盛り付けとかそんなんもね。そういうところを評価されたのかも知れませんね。
―性格もあるんじゃないですか。真面目だし。
神谷 いやー、どうでしょうね(笑)。
―で渋谷の店は、どうだったんですか。
神谷 流行りましたね。すごく楽しかったです。料亭では「ザ・日本料理」って感じの伝統的な料理だったんですけど、渋谷の店ではでは和食を軸に食材、調味料なんか色んな国のもの使って。料理長も仲の良い先輩で、バイトも学生さんで、お客さんも若くて毎日ガヤガヤ、ガヤガヤお祭り騒ぎでね。けどね…
―けど?
神谷 渋谷の店が2年経って新宿にも2号店を出すことになって、渋谷の仲の良かった先輩の料理長が新宿店の料理長になったんですよ。
―じゃあ、大将が渋谷店の料理長に。
神谷 いや、それが違って、料亭で仲が悪かった先輩が料理長できたんですよ。
―それは残念ですね。
神谷 残念っていうか、なんて言うかね。その人、料理の腕は一流だったんですけど、性格というか態度というか、何かね…
―横柄だったとか。
神谷 そうですね、横柄でしたね。で、その人が料理長に来て1年経ったとき、やりあっちゃったんですよね。
―喧嘩的な。
神谷 ですね。
―何が原因だったんですか。
神谷 産地偽装です。
―産地偽装?
神谷 「和牛ステーキ ハラペーニョソース」って人気メニューがあったんですけど、メニュー名はそのまま肉は和牛からオーストラリア牛にするって言ったんです。
―それは酷いですね。
神谷 料理長は「和牛かオーストラリアか気付く客なんていねえよ。オーストラリアの方が安いんだし、店も儲かんだろ」って。私も色々我慢してきたこともあって、「そんなの偽装じゃないですか」って反論したんです。そしたら悪びれもせず「うるせえ。嫌なら辞めちまえ!」って。
―え、それで辞めちゃったんですか。
神谷 えぇ、今思えば辞めなくても、もう少し違う方法もあったなって思うんですけどね。なんて言うんですかね、その場の勢いっていうかね。私を慕ってくれてた社員とか、バイトもいたんで申し訳なかったなと思ったんですけど、やっぱ和牛をオーストラリア牛って嘘が付けなくてですね。
―わかります。産地偽装は料理人としては最低だと思います。で、辞めてどうされたんですか。
神谷 お恥ずかしい話、プーです。
―プー?
神谷 プー太郎です。何にもしなかったというか、する気が起きなかったんですよ。高校卒業して料理の道進んで、結構順調で、けど変な感じで辞めちゃって。料亭勧めてくれた親父にも、顔に泥を塗るようなことしたんで実家にも戻れずで。何か抜け殻みたいになっちゃいましたね。
―そうですか。失礼ですけど、お金は。
神谷 多少貯えはあったんですけど、日雇いの派遣ってやつで食いつないでいた感じです。
―外食店で働こうとは。
神谷 それが全然そういう気にならなかったんですよね。何だか、もういいやって。料理人を諦めたわけじゃなかったんですけど、気持ちに蓋したって言うか、燻ってる感じでしたね。
その後、約3年、大将のフリーター生活は続いたという。しかし、ある日、再び料理人魂に火が宿る瞬間が訪れる。
神谷 その日は真夏で、炎天下にも関わらず道路の交通整理の仕事をやったんです。朝から夕方まで立ちっぱなしで。終わったらもうくたくたで、仕事終わりのその足で、場の近くの居酒屋に入って、ビールを飲んだんです。あのビールは美味かったですね。で何かつまみを頼もうと壁に目をやると、「名物紙カツ」とあるんです。紙カツって存在は知ってますけど、食べたことなくて注文したんですよ。そしたらこれがめちゃくちゃ美味くて、ビールにもよく合うんですよ。けど食べ進めるうちに、ある疑問が湧いてきたんです。「あれ、これ紙じゃない」って。
―薄い肉ですよね。
神谷 そうなんです。紙みたいに薄い肉だから紙カツなんですけど、それは分かってるんですけど実際〝紙〟じゃないわけですよ。
―そうですね。
神谷 和牛をオーストラリア牛っていう産地偽装ではないですけど、紙使ってないのに紙カツって嘘じゃんって思っちゃて。
―なるほど。
神谷 じゃあ、紙を使った本物との紙カツを作ってやろうと、その時誓ったんです。
―それが今店で出している、紙を使った紙カツの発端だったんですね。
神谷 その通りです。
そう。「紙カツ専門店 かみや」の紙カツの中身は、本物の紙なのだ。まさに正真正銘〝本物の紙カツ〟というわけだ。
―紙を使った紙カツは、すぐに出来たんですか。
神谷 いやいやいや全然。そりゃそうですよね、紙ですし。とりあえずその日すぐ帰って家にあった紙を片っ端から、衣を付けて揚げたんです。新聞紙、チラシ、空き箱もつぶしましたし、ダンボール、トイレットペーパー、ティッシュ、ほんと何でも。けど食えたもんじゃない。
―ほんと、何でも揚げましたね。
神谷 なんでしょうね。冷静になればって言うか、冷静にならなくたって普通しませんよね紙を揚げるなんて。けどどこかで「やれるんじゃないか」って可能性というか、自信みたいなものはあったんですよ。料理人にとって自分だけの料理、レシピ、オリジナリティ、スペシャリティというのは夢ですし、自分にとっては、それが紙の紙カツだと思ったんです。
それから大将は、日雇いのバイトを続けながら紙カツ作りに没頭した。来る日も来る日も紙に衣を付けては揚げ、いい紙はないかと画材店に通い、紙の歴史、成分も調べる。そんな毎日が2年半続いたが、納得いく紙カツはできずにいた。
―凄いですよね。そこまで毎日やれるって。
神谷 自分でも凄いと思います。年齢も30過ぎて、正直「俺、毎日何やってんだ」と思いましたけど、もう意地でしたね。
―けど、そこからどうやって、あの紙カツが出来上がるんですか。
神谷 んー、それは、ですねぇ…。
―はい、それは?
神谷 んー、出会ったんですよ。
―出会った。誰にですか?あ、もしかして…。
神谷 そう、カミさんです。こんなこと言うは恥ずかしいんですけど、〝運命の出会い〟ですね。
―どこで出会われたんですか。
神谷 それが、当時通ってた新宿の画材屋でして。いつものように、何かいい紙はないかと探していたら「紙、お好きなんですか」って声かけられて。
―え、女将さんからですか。
神谷 そうなんです。私もびっくりして、そんなとこで声なんてかけられるとは思わないじゃないですか。何て答えていいか分からず、「あ、はい」とか言ってその場を去ろうとしたら、「私こういう者でして」って名刺出してきたんです。
―名刺?
神谷 はい。実はカミさんの実家、目黒で100年続く「田山紙業」っていう紙問屋なんです。名刺には「田山紙業 常務取締役 田山恵」って書いてあって、またびっくりして。「常務さん」ってつぶやいたら、「いえいえいえ、家族だけの会社で父が社長、兄が専務、で私が順番的に常務やってるだけで」って。
―そうだったんですか。女将さんの実家が紙問屋。
神谷 何でもその画材屋に紙を卸してたらしくて、何度か私のこと見たみたいなんです。それで声かけたらしくて。なんか市場調査っていうんですか、どんな紙が人気があるのか知りたかったらしくて。
―ほんとですか。最初から女将さん、大将に興味があったんじゃないですか。
神谷 いやいやいや、そんなトクタさん、いやだな。
大将は顔を真っ赤にしてお茶を飲むと、まんざらでもない表情を浮かべた。分かりやすい人だ。
―それで大将は、どうしたんですか。
神谷 名刺までもらって、立ち去ることもできず「紙、はい、まぁ好きです」とか答えて。そしたら次は「どんな紙、探してるんですか」って聞かれて。もう内心「えー」ですよ。そんな「紙カツ用の紙探してます」なんて言えないじゃないですか。
―まぁ、確かに。
神谷 しょうがなく「私、料理人でして料理が映えるような紙を探してまして」って適当に答えたんです。そしたら今度は「じゃあこの紙どうですか、あの紙どうですか。和食ですか、洋食ですか、中華ですか」って矢継ぎ早に。もうほんと困っちゃって、「あぁ、いや大丈夫です」って。
―断ったんですか。
神谷 断ったというか、逃げた感じですね。年齢は同じくらいなのに、家族経営とはいえ常務と、方やしがないフリーターってなんか負い目を感じちゃって。けどせっかく話しかけてくれたのに悪いことしたなって感じて、そのまま新宿をブラブラしてたら、また会ったんです。
―おぉ、まさに運命。
神谷 やめてくださいよ。新宿には何軒も付き合いがあるが店があるらしく、私が通ってた画材屋のあとも営業で回ってたらしく路上でばったり。
―やっぱり、運命。
神谷 もういいですって。そしてら、お互い「あっ」ってなって、「さっきはどうも」って。でカミさん「良かったらコーヒーでも飲みませんか」って誘って来たんです。
―え、女将さんから。
神谷 そうなんです。まぁ、カミさん、結構グイグイいく方なんで。今はそんな性格も知ってますけど、当時はいきなりコーヒーって言われて驚いて。
―初対面ですもんね。で、どうしたんですか。
神谷 行きました、コーヒー。
―ですよね。
神谷 喫茶店入ってコーヒー頼んで、そういや名前言ってなかったなって「神谷博です」って名乗って、カミさんも「改めまして、田山です」って。でコーヒー飲みながら、カミさんずっと紙のこと話すんです。和紙、洋紙とか専門的な言葉もばんばん出てきて、私はほとんど分からなかったんですけどね。けど実家が紙問屋で、紙が好きで、すごく楽しそうに話す姿見て情熱持って仕事してるっていうのは感じたんです。私も実家が寿司屋で料理人なってと、境遇は似てるのになんか全然違うなって。改めて恥ずかしいというか、情けない気持ちになったんですよね。
―なるほど。
神谷 けど、そういうカミさんの姿見て、「俺もやらなきゃ」と思えて、思い切って打ち明けたんです。
―付き合ってください的な。
神谷 違いますよ。実は紙カツ用の紙探してますって。
―そしたら女将さんなんて。
神谷 最初はびっくりしてましたけど、すぐに笑顔になって「面白い、良いですね。私にも手伝わせてください」って。
―凄いじゃないですか。
神谷 えぇ、まぁ。私もこれまでの境遇やらなんやら話して、紙カツ作ってること話したら意気投合しまして。そしたらカミさん「神谷さんと、私は紙屋さん。同じ〝カミヤ〟同士頑張りましょう」って、私も「はい」って気が付いたら手を握ってました。
―大将もグイグイいきますね。
神谷 いえいえいえ。
そこから大将の料理の腕前と、女将さんの紙の知識が融合し紙カツ作りは一気に加速した。大将が住むアパートに、女将さんが様々な紙を持ってきて紙カツを作る。最初は通っていた女将さんだったが、泊りがけで作ることが増え二人の距離も急速に縮まった。そして出会って半年。ついに紙で作った紙カツが完成した。
―たった半年って、凄いですね。
神谷 やっぱね、餅は餅屋っていうか、私一人じゃ、もしかしたら出来てないかも知れませんしね。カミさんにはホント感謝。神様が現れた感じですよ。
―あぁ、紙だけに。
神谷 確かに(笑)。
―それにしても、あの紙の厚さ、食感は最高ですよ。
神谷 二人で試行錯誤して厚さは2・3ミリ、紙の種類はボール紙と言えばボール紙なんですけど、カミさんの伝手で製紙会社にも協力してもらって、食べ応えと口どけの良さにこだわりました。
―なるほど。
神谷 完成したときは二人で泣きました。カミさんは紙問屋の仕事をやりながらですからね、大変だったと思います。何度も言いますけど感謝しかないです。
―お店を出すっていうのは、最初から考えていたんですか。
神谷 最初からっていうか、一人で居酒屋で紙カツ食べたときは「紙で紙カツ作るぞ」って思っただけだったんですけど、段々「これ作ってどうすんだ」って自問して、ぼんやり店でも出せたらいいなとは思ってました。
―女将さんにはなんて。
神谷 んー、まぁ、二人で紙カツ作りながら店やるんだったら、この人とやれたらなって思ってたんです。そしたら紙カツができたその瞬間、「ヒロ君、店出だそう。結婚しよう」って。
―やっぱり女将さんグイグイきますね。ていうか女将さんも、店出したいって思ってたんですね。
神谷 ですね。「先に言われたー」って感じでしたけどね(笑)
それから大将と女将さんは結婚。両家の顔合わせは大将の実家の寿司屋で行い、大将が完成した紙カツを振る舞い大いに盛り上がったという。そして新橋に「紙カツ専門店 かみや」をオープン。今や行列必至の繁盛店となり、大将と女将さんは忙しい毎日を過ごしている。最後に俺は、今後について聞いた。
―たった一年で凄いですよね。毎日行列ですもん。
神谷 まぁ、おかげさまで。何とか忙しくやらしてもらってます。
―自信はあったんですか。
神谷 自信なんて全然ないですよ。不安しかなかったです。けど自分の店を持った以上、誠心誠意お客様に美味しい紙カツをお出ししようって、そう思って今まできました。
―忙しくなった今も二人で大変じゃないですか。バイトとかは。
神谷 二人で始めた店なんで、やれるとこまで二人でやってみようって。カウンター8席、4人掛けのテーブル席が二つの小さい店ですから何とかやってます。
―最後に今後なんですけど、2号店とか、いっそ海外展開とかは考えないんですか。
神谷 いやいやいや、そんなまだ店出して1年ですし、まずはカミさんと二人でこの店を続けていくことだけです。2号店、海外なんて全然ですよ。
―なるほど、そうですか分かりました。ありがとうございました。これからも通います。
神谷 。ありがとうございます。いつでもお待ちしております。
深々と頭を下げる大将につられ、俺も頭を下げた。時計を見ると15時半。ちょうど約束の1時間となっていた。俺は残っていたお茶を飲み干し、取材ノートを閉じてバッグにしまい、帰り支度をしていると大将が意外なことを言い出した。
神谷 トクタさん、実は…。
―はい。
神谷 さっき2号店は考えてないって言ったんですけど…。
―はい。
神谷 2号店は考えてないんですけど、新しい店っていうか、紙カツとは別の専門店はやりたいなっていうのはあるんですよ。
―紙カツじゃない別の専門店。え、何の専門店ですか?
神谷 カッパ巻きです。カッパ巻き専門店。
―カッパ巻き。どうしてまた。
神谷 だってあれ、本物の河童を巻いてないじゃないですか。