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貴族学院の魔法教授ですが、馬車の下で死にかけている女子生徒が、どうやら前世の死因だったようです

作者: ゴディバ

「ベイジルの旦那、もうすぐ学院に着きますだ」


 御者のドルフのだみ声で、僕はうたた寝から目を覚ます。

 乗っている馬車が、がたがたと揺れながら、丘の上の学者を目指している。

 僕は、あくびをしつつ、小さく伸びをする。


「ドルフ。もう少し早く起こしてくれても、かまわなかったんだが……」

「ベイジル旦那は、働きすぎなので。ぐっすり眠っていましただ」

「これでも、おさえているもりなんだが……」

「教授のお仕事にくわえて、病人の往診まで。どう見ても、激務ですだ」

「……移動中の時間で、論文に目を通すつもりだったんだが」

「そういうところですだ」


 僕は、眠気眼をこすりながら、かばんの中に納めた紙の束を見やる。

 すぐとなりで、だみ声のドルフが苦笑いをこぼす。

 街路樹の木陰をくぐり抜け、アラステア学院の正門が近づいてくる。

 僕とドルフは、馬車の上から衛兵と会釈を交わす。


 白い壁の内側には、小さな村が収まるほどの面積の敷地に学舎が並ぶ。

 貴族の子女が通う、由緒正しい王立の魔法学院だ。

 僕は、ここで魔法教授の職を得ている。

 専攻は、生命魔法。要は、魔法を利用した医学だ。


「ベイジル先生~!」


 馬車が正門をくぐったあたりで、複数の黄色い声が聞こえてくる。

 衛兵の制止をすり抜けて、三人組の女子学生が駆け寄ってくる。

 御者のドルフが手綱を操り、慌てて馬の脚をゆるめさせる。


「ベイジル先生、焼き菓子を作ってみましたの。お食べになられて?」

「私が世話をしている花壇に、きれいなお花が咲きましたので、どうぞ」

「教授。前回の授業に関して質問があります。あとで、お部屋に伺っても?」


 三人組は、徐行する馬車を取り囲みながら、微笑みを投げかける。

 僕は笑い返しつつ、ささやかな贈り物を受け取る。

 学生に慕われるというのは、悪い気はしないものだ。

 とはいえ──


「諸君、気持ちはありがたいのだが。御者が困っている、下がってくれ」


 僕は、馬車の上から女子学生たちに声をかける。

 すぐ隣では、御者のドルフが難儀そうに手綱を握っている。

 格の高低はあるが、学院に在籍する女子学生は皆、貴族の家柄の出身だ。

 かすり傷のひとつでも負わせれば、それだけで首が飛びかねない。


 そもそも、彼女たちの愛想にも、下心が潜んでいる可能性はある。

 アラステア学院には、教授が優秀な学生を助手に指名する制度がある。

 助手になることは、生徒にとって大変な名誉で、学歴にも箔がつく。

 ときおり、助手指名に関する贈賄が、学内で問題となるほどだ。


 学舎で教鞭を執りつつ、研究に励むのは、僕にとっても望む職務だ。

 とはいえ、どこにいても人間のしがらみからは自由になれない。

 なにかと世話になっている御者のドルフにも、迷惑をかける。

 学生たちに愛想笑いを浮かべつつ、内心でため息をついた、そのとき。


 がこんっ、となにかに馬車が乗り上げる嫌な感覚があった。

 女子学生の一人が、布を引き裂くような悲鳴をあげる。

 別の生徒が、その場で卒倒する。

 御者のドルフが顔を青ざめさせて、僕のほうを見る。


「……どうした!?」


 僕は、馬車から身を乗り出しつつ、後方を確認する。

 呆然とする衛兵と目が合い、石畳の上を指で指し示される。

 馬車の後輪のあたりから、血だまりが広がっていく。


「車体の下に、誰かが潜り込んだようだが! しかし、どうして!?」


 僕は、馬車から飛び降りると血だまりのほうへ向かう。

 学院の制服を制服を着た少女が、うずくまるように倒れ込んでいる。

 三人組とは、別の女子生徒だ。

 僕は、その場でひざを突き、負傷の程度を確認しようとする。


「……ベイジル教授」


 三人組のリーダー格の女子生徒が、身をかがめて、僕に声をかける。

 彼女のことは、知っている。名前は、レオノーラ。

 公爵家の娘で、学内に存在するいくつかの学生派閥の中心人物だ。

 家柄のみならず、品行方正、成績優秀で、教授陣からの覚えもよい。


「この娘のこと、見捨てません? ワタクシたちが、口裏をあわせますわ」

「君の口から、そんな言葉を聞くとは意外だが。政敵、というヤツかな?」

「誤解なさらないで。この娘には、いくつも悪い噂がありますの……」


 公爵家の娘は、ひそひそと言いにくそうにささやく。

 僕は、けが人から目をそらすことなく、返事をする。


「すまないが……素行の悪さは、命を見捨てる理由とは、なりえないんだが」


 それ以上、レオノーラはなにも言わなかった。

 僕の意識は完全に、けが人のほうへ向く。

 あばらと両腕の骨が折れてる。おそらく、内蔵も損傷しているだろう。

 止血のような応急処置では、どうにもならない。

 治療には大規模な生命魔法が必要で、それでは詠唱のあいだに死にかねない。


「そもそも、なぜ、馬車に轢かれたのかが疑問だが……」


 倒れ伏す女子学生の容態を確かめながら、僕は自問する。

 御者のドルフは、馬車を徐行させていた。

 自分から車体の下に潜らないかぎり、轢かれることはあり得ない。


「馬車の陰に隠れて、警備兵の目をかわし……学内へ出ようとしたのか?」


 アラステア学院は、全寮制だ。一年のほとんどを、学舎内で過ごす。

 学生の外出は、厳しい条件付きで、申請もいる。無断など、もってのほか。

 なるほど。レオノーラ嬢が、眉をひそめるわけだ。


「レオノーラくん! 友人と手分けして教授陣を呼んできて欲しいのだが!!」


 僕は振り返ると、公爵令嬢に対して声を荒げる。

 レオノーラと錯乱していたその友人は、我に返り、居住まいを正す。


「ドルフは、学長へ報告を! 衛兵くんは、気絶した学生を医務室へ!!」


 重傷者の周囲にいた人間たちは、僕の意を汲み、学舎へ向かって駆け出す。

 僕は、ぶかぶかのローブの袖をまくり、けが人の胸に手を当てる。

 鼓動が、弱まっている。彼女の顔面から、血の気が引いていく。

 命の温もりが、消えていこうとしている。生命魔法でも、間に合わない。


「これは、あまり……他の人間には、見てもらいたくないんだが……」


 僕は、小声でつぶやく。あらためて、周囲に他人の目がないことを確かめる。

 その後、馬車を引く二頭の馬のうち片方を、申し訳なく思いつつ、一瞥した。


◆◆◆◆◆


「意識が戻ったようだが。まだ、動かないほうがいい」


 ぱちり、と目を開いた仰向けに倒れる女子学生に対して、僕は言う。

 彼女の顔の血色は、馬車に轢かれたとは思えない健康体そのものだ。

 確かに制服は破け、血で汚れているが、傷はなければ、骨も折れていない。

 少し離れた地点で、馬車につながれた二頭の馬のうち、片方が倒れている。


「また他の教授陣に、いろいろ問いつめられるだろうな。やれやれ、だが」


 石畳のうえに直接あぐらをかく僕は、ぼりぼりと頭をかく。

 けが人だった女子学生は、横になったまま、きょろきょろと目を動かす。

 強いショックを受けた直後は、記憶があいまいになることがある。

 そう思っていると、彼女は僕のほうをにらみつけるように視線を向ける。


「話すのが難しいなら、無理をしなくてよいのだが。君の名前は?」

「……エディス」


 女子学生は短く答えると、青空を見上げる。意識に問題は無いようだ。

 そして、エディスと言う名前に、僕は聞き覚えがあった。

 平民出身だが、才能を見出され、特待生として入学を許可された学生だ。

 なるほど、名門子女のレオノーラ嬢が煙たがるわけだ。


「……なんで、わたしを助けたのよ?」


 エディスは、まるで余計なお世話だ、と言わんばかりの不機嫌な声音で問う。

 僕は、眉根を寄せる。他の女子学生だったら取り得ない、不遜な態度だ。

 レオノーラが僕に、見殺しにするよう進言したのを聞いていたのかもしれない。

 だとすれば、平民出身の女子学生の苛立ちも理解はできる。


「恩の押し売りをするつもりは、ないが。僕が助けなければ、君は死んでいたよ」

「別に? わたしは死なないわ、絶対に」


 僕の言葉に対して、エディスは妙な自信に満ちた返答をする。

 僕は目を細めつつ、こめかみに手の甲を当てる。

 平民出身だということを差し引いても、とらえどころのない娘だ。


「ともかく、君を助けたのは生命魔術師の、医師としての責務に従ったまでだが」


 そう僕が言うと、エディスは小馬鹿にするように鼻で笑う。


「ご大層な建前だわ。この学院の人間が好みそうな、優等生発言よ」

「嘘をつく理由もなし。僕は、正直に答えたつもりだが」

「教師も学生も、建前ばかり。ここには、自分の意志を持った人間はいないわ」

「ふうむ、ずいぶんと君は興味深いことを言っているようだが……」


 軽くため息をつくと、僕は平民出身の女子学生のほうに向きなおる。


「ぶしつけだが、エディスくん。君は、前世というものを信じているかい?」


 平民出身の女子学生から、返事はない。かまわず僕は、話を続ける。


「僕は、前世でも医師でね。まあ、轢き逃げにあって、命を落としたのだが」

「それが、わたしを助けた理由? ありがちな作り話だわ」

「死に際、発作を起こしたおばあさんの応急処置をしていたんだが。あの人の命を助けるまえに、自分が死んでしまった。強いて言えば、それが前世の未練でね」


 僕は、包み隠さず本心を語った。信じてはもらえないだろう。

 神殿の教典には、前世と転生について記述されている。

 とはいえ、それを実感を持って捉えている人間は少ない。

 前世の記憶を取り戻したあとの僕も、あまり口にはしないで過ごしてきた。


「ん……?」


 少しばかり感傷的な気分になった僕は、エディスの横になにかを見つける。

 革袋だ。ぱんぱんに中身が詰まっている。僕は、立ち上がる。


「ちょっと! それに、さわらないでよ!?」


 平民出身の女子学生は、血相を変えて叫ぶ。かまわず僕は、革袋を拾う。

 ゆるんでいた巾着紐がほどけ、中身がこぼれ落ちる。


「これは……?」


 僕は、目を見張る。革袋の中身は、金貨と銀貨、それに宝石だった。

 平民出身であるエディスには、およそ似つかわしくない。

 貴族子女の三人組が落としたのか? にしては、エディスの反応が妙だ。

 僕が思案していると、足下に横たわっていたエディスが勢いよく跳ね起きる。


報仇雪恨(ほうきゅうせっこん)よ……!!」

「……ぐガッ!?」


 右わき腹に、鋭い痛みが走る。どぷっ、と血が噴出し、石畳に散る。

 エディスの手には、僕の血糊で刃が赤く染まった短剣が握られている。

 負った傷は、深い。肝臓まで届いている可能性がある。

 冷静な思考とは裏腹に、身体は呼吸困難となり、僕はうつ伏せに倒れ込む。


「くははは! 積年の恨みを晴らしてやったわ……愉快、痛快っ!!」

「エディスくん……君は、なにを……?」

「ふん。盗人猛々しいわ。わしの晩節を汚しておいて、どの口を利くよ!」


 豹変したエディスは、ひとしきり哄笑すると、つま先で僕の頭を蹴りつける。

 平民出身の女子学生らしき何者かは、僕を蔑むように見下ろしている。

 生命魔術で傷口をふさごうとした手は、彼女に踏みつけられ、阻止される。


「とはいえ、己の罪業も分からん輩に天誅を下しても、つまらんわ……前世の貴様を殺した轢き逃げ犯とは、このわしよ。罪人扱いは、業腹だがな!」


 激痛に耐えながら、僕は、眼前の少女がまくし立てる言葉を聞き取る。

 エディスもまた、僕と同様に転生した人間と言うことか。

 言葉使いから察するに、前世で交錯したときは、それなりに高齢だと思われる。

 僕より後に死んでから転生したとすれば、今生での年齢差にも説明が付く。


「貴様のおかげで、轢き逃げ犯の汚名を着せられ、裁判にかけられたわ」

「なるほど……さしずめ、獄中で最期をとげた、ってところか……?」

「馬鹿にしよるよ、若造! 無罪なら勝ち取ってやったわ……貯め込んだ財産を半分ほど、賄賂としてバラ巻くハメになったがなアッ!!」


 エディスは、八つ当たりをするように、何度も僕の手首を踏みつける。

 当の僕は、わき腹の痛みのおかげで、それどころではない。


「前世はともかく……アラステア学院は、殺人犯を逃がすほど甘くないのだが」

「捕まらんよ。わしに犯罪者の汚名を着せることなど、金輪際、かなわんわ」

「大した自信だが……見たところ、前世ほどにはお金持ちじゃなさそうだけど」

「……祝福(ギフト)


 顔面に冷や汗を浮かべ、震える声の僕に対して、ぼそりとエディスは言う。


「そう……今生は、わしに相応しい祝福(ギフト)を授かったのよ!」


 王立学院の女子学生に不相応な下卑た笑い声を、エディスはあげる。


「その名は、《裁かれざる者ペルソナ・ノン・グラータ》! 何人たりとも、わしの行為の証拠、原因までは……決して、たどり着けんのよッ!!」

「ああ、なるほど……そういうこと、か……」


 僕は、内心で合点する。

 エディスには、筆記試験のカンニング疑惑がかけられていた。

 しかし、結局は疑惑止まりで、満点に近い彼女の成績だけが残った。

 最近、学内で多発している犯人不明の盗難騒ぎも、もしかしたら……


「ところで、エディス、くん……ひとつ、質問したいのだが……」

「ああ、なによ? わしとて、罪人の末期の言葉を聞くくらいの情けはあるわ」

「僕が応急処置していた、おばあさん……助かったかい?」


 僕の質問に対して、エディスの表情が露骨に歪む。


「あの死に損ないの婆……最後まで、証人台に立ち続けおったわ」

「ということは、助かったわけか。良かった、前世の未練が溶けたよ」

「ふん。あそこで死んでいたほうが、世のためだわ……さて、そろそろ介錯よ」


 心底、嫌悪感を露わにしたエディスは、短剣を逆手に握りなおす。

 とどめを刺す心づもりか。

 血塗れの刃が、僕の喉元に向かって振り下ろされる。


「……おりゃあッ!」

「ぬお……っ!?」


 死にかけの肉体を叱咤して、僕の手首を踏みつけるエディスの脚を振り払う。

 前世がどうであれ、いまはか弱い少女だ。大した膂力は持ち合わせていない。

 エディスは、そのまま大きくバランスを崩す。

 僕は、いまも鮮血があふれ出す傷口に、手のひらを押しつける。


「君の豹変ぶり、悪霊憑きかと心配したのだが……転生者だと、確証を持てた」

「なにをするつもりよ……死に損ないで、偽善者の若造めが!?」


 エディスは反撃を警戒してか、尻餅をついた状態で短剣の切っ先を向ける。

 僕の容態は、それどころではない。無理に動いたおかげで、傷も広がった。

 僕は、いっそう強く手のひらを己の肉体へ押しつける。

 ずぶり、と五本の指が身体のなかへと潜り込んでいく。


「転生したときに、祝福(ギフト)をもらったのは、君だけじゃないのだが」


 僕は、体内へ沈み込んだ腕を引き抜く。

 すると、まるで何事もなかったかのように傷がふさがり、痛みも消える。

 その代わりに、手のひらには、漆黒の塊が握りしめられている。


「《死の摘出術式(トリアージ)》。死にゆく運命というか、概念そのものというか……とにかく、そういったものを、僕は取り出すことができるのだが」

「なにを、たくらんでおるのよ……やめろ、悪党め! 罪を重ねる気か!?」


 先ほどまで勝ち誇っていたエディスは、尻餅をついたまま、後ずさりする。

 転生者同士、相通じるものがあるということか。

 エディスは、僕の手の上に乗った闇の球体の正体を勘づいているようだ。


「お察しの通り、いま僕が握っているのは『死』そのものなわけだが」

「だから……やめろと言っておろうがーッ!!」

「なにか、勘違いしているようだが。僕は、殺人をするつもりはないよ」


 僕は、馬車につながれた馬に向かって、漆黒の塊を投げつける。

 とたんに先に倒れた相棒のあとを追うように、残されたほうの馬は絶命する。


「このように、『死』は取り出せても、誰かが負わなければならないわけだが」

「あ、ああ……」

「不本意ではあるのだが。この馬は、ドルフが可愛がっていてね。彼が悲しむ」


 僕は、胸の痛みを覚えつつ、エディスのほうへ視線を向ける。

 彼女は、自分自身に『死』を押しつけられる、と思ったのだろうか。

 エディスは、恐怖にひきつった表情で気を失っていた。


「その反応は、今生の歳相応だね。もう少し肝が据わっていると思ったのだが」

「ベイジル教授ー……っ!」


 遠くから、レオノーラ嬢の声が聞こえる。

 頼んだとおり、他の教授を呼んできてくれたのだろう。


◆◆◆◆◆


「……なんで、わたしがこんなことをしなきゃならないのよ」


 午後の授業を前にして、僕の傍らで廊下を歩くエディスが不平をもらす。

 平面出身の女子学生は、不機嫌を隠すことなく、頬をふくらませている。

 彼女は、両腕で紙の束を抱えている。次の授業で、使う参考資料だ。

 他の学科の生徒とすれ違い、彼女たちは口元を隠しつつ、ヒソヒソ話をする。

 エディスがにらみつけると、他学科の女子学生たちは足早に離れていく。


「貴様……なぜ、わしを助手なんぞに指名しおったよ?」

「少なくとも、他の生徒の目がある場所では、言葉遣いは取り繕うべきだが」

「……わたしの質問に、答えなさいよ」

「君の晩節を汚したらしいからね。埋め合わせになれば、と思ったのだが」

「余計なお世話よ……」


 僕が冗談混じりに笑うと、エディスは当てつけのように大きなため息をつく。


「君の行為は、祝福(ギフト)の力で糾弾することはできないわけだが」

「それが、どうしたよ。悔しいか?」

「だったら、僕の目の届くところにいてもらうのが、教師の責務だと思ってね」

「ふん! 相も変わらず、きれいごとの建前を並べおるわ……」

「口調が、乱れているようだが?」


 ぷい、と顔を背けるエディスをひきつれて、僕は大講義室の扉をくぐる。

 すでに教室内は、受講生で大入りの満員だ。

 僕に気づいて、雑談でにぎわっていた女子学生たちのざわめきが小さくなる。

 しかし、完全な無音になることはない。

 エディスが僕の助手に指名された、噂は本当だったんだ。

 そんな女子高生たちのささやきが、耳に届く。


「それでは、エディスくん。皆に、資料を配って欲しいのだが」

「ふん! クソ先公め、雑用を押しつけるわ……」

「罵倒の語彙も、もう少し増やしたほうがいいと思うのだが」


 平民出身の女子学生は、怒気をにじませつつも、不承不承、僕の指示に従う。

 講義机をまわり、座っている人数分ずつ、紙を配っていく。


「エディス! ベイジル先生の助手が嫌なら、変わってあげてもいいけど?」


 受講生の一人が、資料を受け取りつつ、冗談めかしていう。

 講義室に、小さな笑いが起こる。

 エディスは歯ぎしりしつつも、紙を配布しながら、教室をめぐる。


「エディス。こないだは、どうもありがとう」

「……へ?」


 そばに来た平民出身の女子学生に対して、微笑むレオノーラ嬢が声をかける。

 公爵令嬢から予想外の言葉をかけられたエディスは、目を丸くする。

 大講義室に、さきほどの笑いとは別の、驚きの混じったどよめきが起こる。

 名家の血筋であるレオノーラ嬢に名前を呼ばれるだけでも、大変な名誉だ。

 とはいえ当のエディスは、なんのことかわからない、という表情を浮かべる。


「ワタクシの部屋から盗まれた宝石、貴女が取り返してくれたんでしょう?」

「そんなこと、誰が……」

「ベイジル教授から、お聞きしましたわ。あらためて、お茶会に招待します」


 エディスは、残り三分の一ほどになった紙の束を、乱暴に講義机の上に置く。

 大股で、僕のほうに詰め寄ってくる。


「……クソ先公! あの小娘に、なにを吹き込んだよ!?」

「口調」

「ぐ……っ!」


 僕と平民出身の女子学生は、声量をおさえつつ、剣呑に言葉を交わす。


「僕は、落とし物を持ち主の手に返しただけだが?」

「余計な話が、くっついておるわ……!」

「おかげで、破けた制服の新調代も、彼女が喜んで出してくれたわけだが?」

「ぐぬぬぬ……」


 エディスは、うなる狼のごとく、吐息をもらす。


「もしかして……だが。君としては、あの革袋の中身は、レオノーラ嬢が助手指名の賄賂として僕に手渡したもの……という、シナリオを考えていたのかな?」

「……もうよいわッ!」


 図星をつかれたらしきエディスは、身をひるがえし、講義机に向かおうとする。

 同時に、二度目のどよめきが、大講義室のなかに満ちる。

 公爵家子女のレオノーラが、エディスに代わって資料の配布をしていた。

 ものを落としたら、取り巻きが代わりに拾うような名門令嬢が。


「席について、エディス? ベイジル教授の講義が短くなるなんて、惜しいわ」


 残りの紙を配り終えた公爵令嬢は、にこりと笑う。

 一瞬、ぽかんと口を開いていた平民出身の女子学生は、慌てて顔を背ける。

 首をめぐらせた先には、僕の視線がある。

 そのことに気づいたエディスは、小走りで逃げるように講義机のすみへ向かう。


「エディスくん、レオノーラくん、ありがとう。それでは、講義を始めよう。今日は、生命魔法から観た『生』と『死』について話そうと思うのだが……」


 僕は付箋だらけの学術書を開き、白墨を手にして、黒板と向き合った。

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