ユーノス、発艦 プレシオの決意
アーマイクはブリッジに移動すると、自身の席へと向かう。皆心配そうな顔で様子を伺ってきているのが感じられた。
(……やれやれ。歳寄りだからと心配し過ぎだ)
麻酔が効いて痛みは和らいでいるとはいえ、右腕はまともに動かせない。血もいくらか失ってはいるが、出血多量という訳でもない。
これまで地上探索の任務中に死んでいった部下たちの事を思うと、この程度の事は怪我の内には入らなかった。なにより、銃で撃たれたのはこれが始めてという訳でもないのだ。
「……今は緊急事態だ。よそ見をしている暇はないぞ」
「は、はい。すみません」
アーマイクは改めてここからの作戦を思い返す。これから部下も貴族の住まう区に降り立つ事になるのだ。瘴気の影響が直接出ている事から、レヴナントと遭遇するかもしれない。2時間後、第八所属の者から死者が出ている可能性もある。
(統括指揮官として、初めて地上探索に赴いた時の事を思い出すな)
自分の判断が多くの人命を左右する重圧。そして今は、普段の任務とは違って箱舟の行く末も決める分水嶺に立っている。
だがその自覚がありつつも、アーマイクは自分が思ったより落ち着いていると感じていた。右肩の怪我が良い具合に火照った血を流してくれたからか、それともこれまで積み重ねてきた年齢の成せる業か。
「艦長。準備、整いました。いつでもいけます」
「……よし」
アイヴェットから受け取った情報で各部の状況を確認し、アーマイクは艦内マイクをオンにする。
『諸君。アーマイクだ。既に知っていると思うが、今箱舟は歴史に類を見ない事態に直面している』
黙って出航しても良かったが、第八の中には自分の怪我を心配している者もいるだろう。そう考え、アーマイクは艦内に自身の声を届ける。
『とはいえ、何も気負う必要はない。やる事は普段と変わらないからだ。瘴気のある地表に降り立ち、上から指示されたミッションをこなす。それだけだ。さらに今回は、黒等級の公殺官が5人も搭乗している。長年こんな中間管理を任されているが、今の職位に就いて以来、もっとも恵まれた条件がそろっていると言ってもいいだろう』
ブリッジにいる者たちが小さく笑う。そう、自分たちは地上探索部隊。これまでも危険な地上に降りては資源を採掘し、箱舟の未来を繋いできた者だ。
今回は降り立つ場所が箱舟というだけで、やる事と成す事はこれまでと何も変わらない。
『諸君らがこれまでも能力以上のポテンシャルを発揮し、常に最高の仕事をこなしてきた事を、私はよく知っている。上も見る目がある、なにせ箱舟を救う救世主として、我ら第八を指定したのだからな』
ブリッジでは再び小さな笑いが生まれる。やはり自分は指揮官としては凡庸だろう。だが部下には常に恵まれている。
『繰り返すが、気負う事は何もない。これまでと同じく、いつも通りに仕事をこなす。それだけで勲章ものだというのだから、我々にとってはボーナスステージの様なものだ。皆が自らの職務に忠実であり、常に最高のパフォーマンスを発揮できるという事を、私は既に知っている。ここで諸君らに改めて言う事など何もない。各員、持ち場に付け。これより我らが故郷を救いにいく。……ユーノス、発進せよ』
「ユーノス、発進せよ!」
「ノア・ドライブ、出力安定しています!」
「ドッグパージ、完了!」
「各部異常なし!」
「第八地上探索部隊、旗艦 《ユーノス》! 箱舟アルテアより出航いたします!」
■
『ユーノス、発進せよ』
アーマイクの宣言が出されると同時に、艦は大きく揺れ始める。思えばこのクラスの大型艦に乗るのは久しぶりだ。
俺が今いるゲストルームは、外災課の簡易出向所となっていた。様々な機材も持ち込まれており、ライアードはここを司令室として指示を出す。オリエやジュリアも忙しそうに駆けまわっていた。
「……プレシオ」
俺は一人、俯いていたプレシオに声をかける。ここに来るまでの間、ほとんど口を開いていない事が気になっていた。
「ニクス……」
「……悪いがダインだ。お前たちにその名で呼ばれる資格はない」
正直に言うと、おぼろげに研究所にいた頃の記憶が蘇っていない訳でもない。大穴の底でスピノと話して以来、霞の様に脳裏に浮かぶイメージみたいなものがある。
だが具体的にどんな顔の誰と知り合い、どういう人生を歩んできたのかまでは思い出せない。皆の中にニクスはいても、俺の中にはいないのだ。
「良かったのか、ここまでついてきて」
「……分からない。これから《ルクシオ》に乗って、動けるのかも」
プレシオは無表情で答える。自分の寿命、そしてノトとの戦いが心にひっかかっているのだろう。
「顔見知りを撃つというのは……辛いもんな」
「ダイン……?」
「実は俺もな。長い付き合いの顔見知りが、目の前でレヴナント化した事があったんだ」
「え……」
人の気持ちなんて他人には分からない事だし、プレシオが心に感じている痛みと、俺の抱えているものが同種であるかは分からない。だが言わずにはおられなかった。
「俺は公殺官だったからな。やるしか……なかった」
「…………もしかして、慰めようとしてる?」
「ああ」
僅かにプレシオの首が動く。
「……はぁ。まさかダインに気を使われるなんて」
「なんだそりゃ。俺じゃ不満か」
「そりゃそうだよ。だってダイン、研究所にいた頃は金の瞳に目覚めなかった僕たちよりも過酷な実験を受けていたんだよ? その上顔まで変えられちゃってさ。魔力に目覚めた事で、僕たちはそれまでよりも丁重に扱われる様になったんだ」
……なるほど。考えてみればそうかもしれない。過酷な実験は魔力の覚醒を促すため。その魔力に目覚めたのならば、後の実験は魔力の性質を調べるものにシフトしていくはずだ。
「ニクスが研究所から出られて生きていたという事実は、僕たちにとって救いだった。僕たちは多くの仲間の死の上に立っているからね。いくら凄い力を持っていても、それを素直に受け入れる事は難しい。そしてニクスが幸せに生きていけているのなら、それで良かった。そんなニクスから、ダインとなってからの苦労話を聞くなんてさ。何だか救いのない物語をひたすら聞かされる気分になったよ」
「……そうか」
何となくティラノたちと初めて話した時の事を思い出す。皆、今のプレシオと似た様な心境だったのだろうか。スピノも自分の力を全肯定して受け入れているという訳でもなかった。
「僕の名前さ。かつてニクスがくれたものだけど。嬉しかったんだ」
「え……」
「全長は機鋼鎧よりも大きく、水場で生きる古代生物。この世界はさ。陸地よりも海の方が広いと言われているんだ。水場を自由に動けるという事は、陸地よりも広く大きく移動して、いろんなところに行けるという事だろ? ……まぁ空を飛べるプテラも良いけどさ。鳥がいつまでも羽ばたけないように、いつかは地に降りる必要がある。でも僕なら、この広大な世界をどこまでも行く事ができるんだ」
プレシオというのがどんな古代生物なのか、俺には記憶がない。だが脳裏には二人の幼い少年が何かの話で盛り上がっているイメージが浮かんでいた。
広大な世界をどこまでも行けるというのは、プレシオの比喩だろう。例え海を進めても陸地に上がれないのであれば、行ける場所も限られる。
だがそういう事を言いたい訳じゃないというのは分かるし、俺はプレシオの言葉の続きを黙って待った。
「僕だけじゃない。ナンバーじゃない名前があって、みんなは自分という存在を自覚する事ができた。意識する事ができた。そういう意味でも、君は僕たちにとって特別なんだよ。……多分ノトもそうだったと思う」
「プレシオ……」
「かつてのニクス、そして今のダイン。安心して。例え何があっても、今度こそ僕たちは君を死なせない。もし寿命が限られたものだとすれば、それまでの間、この力を使って君を守る」
気付けば俺の後ろにはスピノとティラノ、そしてプテラが立っていた。そういえば普段、プレシオと同じく戦う事を嫌がっていたプテラが、ノトの攻撃から俺を守ってくれた事を思い出す。
「君に三度目の人生はない。これは死んでいった兄弟たちへの贖罪であり、誓いだ。……ごめん、みんな。拗ねるのはここまで。ここからは、公殺官プレシオとして任務につくよ」
そう言うとプレシオは立ち上がる。その顔からはこれまでと違う覇気が感じられた。




