アレグドアン レヴナントに希望を見る者
「殿下。アークの封印は解かれました」
「そうか。これで……私はこの小さな箱庭に残された人類に救いをもたらす事ができる」
アレグドアンは自らの賛同者たちと共に絶対封鎖領域「エリアXX」の封印を解いたところだった。
場所は1区にある皇宮。そこにある皇族しか開けられない部屋から、封印解除の操作を行ったのだ。
「しかし……よろしかったのですか?」
「父上は最後まで理解を示していただけなかった。今日までに説得できなかった責は全て私にある」
「殿下……」
その部屋の扉を開ける事ができても、封鎖領域へのアクセスには別のキーが必要になる。それは現皇帝が肌身離さず持っているものだった。
アレグドアンは混乱に乗じ、人が少なくなった頃合いを見計らって父である皇帝からキーを奪ったのだ。そしてその父はもうこの世にいない。
「業は全て背負う。いや、そもそも私の血筋はそういう家系なのだ。今さら背負う業が一つ増えたところで、どうという事もない」
皇帝の血筋には、口伝も含めて国の歴史が語り継がれていた。その中には箱舟がこの世界にくる前……元いた世界のものもある。
アレグドアンは人類がこの世界に逃げる事になったきっかけを知り、アルテア帝国と1000年もの間、発展も衰退もしない箱舟という閉じた世界に絶望を抱いていた。
しかし鬱屈とした日々を送る中、ある出来事がきっかけでレヴナントに興味を示す。
レヴナントに興味を傾けるという事は、瘴気や魔力、そしてアークに近づく事を意味する。そしてアレグドアンはいくらでも近づける立場にあった。
(始めてアークを見たあの日から、私は今日という瞬間をずっと待ち望んでいたのだ)
目を閉じれば今でも鮮明に思い出せる。アークが安置された部屋には、いくつものカメラが設置されている。アレグドアンはそれらを通して、棺の主を垣間見た。
衝撃だった。棺の中には溶けない氷塊が入っており、そのさらに中。そこに人の近似種が眠っていたのだ。
見た目は人でいうと10代半ばの少女。しかし耳は長く、額には第三の瞳、そして頭部には二本の角が生えている。
限りなく人に近い見た目ながら、確実に人ではないその姿を見て、アレグドアンは脳裏に「女神」という単語が思い浮かんだ。
初めてのアークとの邂逅以来、アレグドアンは女神の信奉者となった。その思考は単純だ。
女神は瘴気を発生させ、瘴気を取り込んだ生物は死ぬかレヴナント化、レヴナントによっては魔力という新たな力を得る。そしてレヴナントは瘴気があれば生きていけるため、食べ物に困らないどころか、老いもないため永遠に生きられる。
この事実をアレグドアンはこう解釈していた。すなわち、「女神は人に救済をもたらす存在である」。
選ばれた者は女神の僕としてレヴナントになれ、その中からさらに力ある者は魔力を授かる。そして僕となった者は、女神が絶えず産生する瘴気によって生きていける。食料で争う事は無く、誰もが等しく長命種へと転生できるのだと。
アークを一目見た者の中には、アレグドアン以外にも同様の解釈を持つ者たちがいた。彼らはアークの信奉者として、貴族社会の中に密かに息づいていく。
箱舟自体に強い恨みを抱くガイラックと、皇族でありながら信奉者となったアレグドアン。二人の出会いは箱舟の運命を大きく変えた。
「殿下。これからどうされますか」
「アークの御心に従うまでだ。今こうしている間も、アンダーワールドは瘴気が満ちていっているだろう。行き場を無くした瘴気はいずれ地表に溢れ出てくる。それまで静観……といきたいが、邪魔者は消しておく必要がある」
アレグドアンの目的は箱舟に住まう住民のレヴナント化である。空気よりも重い瘴気が地表に出てくるまでの間、帝国臣民に逃げられる訳にはいかない。
今のままでは住民が一時的に大型艦に避難する可能性があるが、既にその指示を出せる貴族は消している。だがいつまでも時間を稼げるという訳でもないのだ。
「再度瘴気が満ちるまでの時間を計算しろ。……アーク自身を封鎖領域から地表に引き上げる事ができれば、話は早いのだがな」
「仕方がありません。封鎖領域の封印は解いたといっても、棺自体は今も厳重に固定されているのです。それこそ専用の工具を装備した機鋼鎧を複数投入しなくては、棺の持ち出し自体ができないのですから」
「もどかしいな。……どうした?」
アレグドアンの持つ、皇族専用の情報端末。そこにコールが鳴り響く。何事かとアレグドアンはコールに応じた。
『で、殿下! ランドリック家とドレイジー家、それにグロウヴェント家が帝国法第7条を発令させました!』
「……っ!? ばかな、評議会は閉鎖しているはずだ! 一体なんの権限があって……!?」
『そ、それが……。先ほど、貴族会館に陛下からのメッセージが……』
「何を言っている!?」
父なら既にこの世にいない。その父からのメッセージなど、あるはずがない。そう考えていた時だった。アレグドアンの持つ情報端末が中空に映像を映す。
「!? なんだ、急に……!?」
そこに移し出されていたのは、死んだはずの父の映像だった。
『聞こえるか、アレグドアン。お前が今これを見ているという事は、既に私はこの世におらず、各家の専用チャンネルに、ある映像が流れた事を意味している。すなわちお前が私を殺し、これからこの箱舟を地獄に変えようとしているという事を訴えた映像がな』
「な……!?」
『お前が信奉者と距離が近い事は、当然数年前より把握していた。あからさまに私にも説得してきていたからな。お前がもっと幼ければその汚染された思考ごと闇に屠り、次代は別にこさえるつもりだったが……いや、言うまい。信奉者となったお前がその気になれば、いずれ私の持つキーを狙ってくるのは分かっていた。そこであらかじめ私の死後、もしくは私の操作でお前の企みを各家に伝える細工を施していたのだ。同時に帝国法第7条発令の委任権を譲渡した。私が死んだからといって、直ぐにお前に皇帝としての全権が移る訳ではないからな』
帝国法第7条。それは箱舟の有事において、多くの権限を皇帝から貴族に譲渡し、あらゆる判断において皇帝の裁可を待たなくていいという法だ。
これは想定される箱舟の緊急事態において、特に「皇帝に問題がある場合」という状況を想定したものになる。
だが最高権力者に抗する法だからこそ、その発令は容易ではない。しかし今回は現職の皇帝による委任が得られた事と、発令させた家の格が関係していた。
アルテア帝国の貴族はその家格を数値で表すが、ランドリック家とドレイジー家、それにグロウヴェント家はその合計が50を超える。これは皇族と同等の数値だ。
そんな三家がそろって皇帝から委任を受けて帝国法第7条を発令し、しかも多くの貴族が証人となっているのだ。死んだ父が残していた小細工に、アレグドアンは歯をギリリと鳴らした。
「ふん……! しかしだからどうしたというのだ! もはや貴族どもではどうする事もできん……!」
ランドリック家はともかく、ドレイジー家とグロウヴェント家は帝国でも重要な役割を担う家である。しかしだからといって、今さらアークを何とかできるという訳ではない。
皇宮は信奉者で固めているし、そもそも皇宮以外の場所から自分よりも権限の高い指示も出せないのだ。つまり外部でどう操作されようが、封鎖領域を再び封印する事はできない。
「殿下……」
「捨て置け。……いや、大型艦を収容している各区画にローグを派遣しろ」
「は……?」
「そこで各艦の艦長を含む、操舵関連の技能を持つ者たちを殺す様に指示しろ。この事態だ、奴らは7条発令と共に住民を大型艦に避難させる様に動くはずだ。だが艦を動かせなくては、箱舟から逃げる事はできない。……急げ」
「は、はい!」
ローグ。それは皇族直属の兵隊であり、暗殺技能を身に付けた者たちだ。
箱舟において対人を想定した訓練を積んだ者たち。それらは皇族が持つ武としての一面があった。




