「間違いのほう」にも五分の魂
異世界から花嫁召喚、てのは、物語ではよくある設定よね。
そんで、なぜか二人召喚されてしまったら、花嫁はどっちだ!?となるのも常道。
「それで大抵は顔の良いほうが花嫁、普通なほうが間違いだと言われて、放置されたり冷たくされるのよ。その程度は話によるけど」
言いながら井戸のつるべを引っ張れば、「はあ、そうですか」と側で聞こえた低い声。私の手よりいくらか高い位置を握った大きな手が、ぐいと縄を下に引く。
少しは慣れたものだけど、まだ手は痛んで赤くなる。そのまま汲まれた水を受け取って、桶に移す。こちらは持ってくれない。両手で抱えて、彼を半歩下がった右隣に従え、歩きながら言葉を続けた。
「それで、普通なほうが不遇な生活をしてると、素敵な男が現れて仲良くなるのね。このとき、花婿が愚帝だったら素敵な男はもっと権力のある存在で、綺麗なだけの女に騙されていた愚帝は女もろとも破滅。いわゆるざまあ展開。」
「ざまあ?」
「ざまあみろ。」
ああ、様を見ろ。頷く男に、たまに意味が通じない言葉があるのよね、とひとりごちる。あまりまっすぐ歩けていないのか、桶の水はちゃぷちゃぷ揺れている。昔からお盆に乗せた飲み物運ぶのとか苦手だったのよね。
のたのた歩く裏の道にひと気はなく、遠くから兵士の鍛練する声が聞こえる。敷地の端、建物と塀の隙間にいつも使う井戸はある。
隣の男はぼんやりした冴えない顔で、けだるげに相槌。聞いていることは知っているので、文句は言わない。
「賢帝だったら、その素敵な男は本人。綺麗なだけの女は、花嫁だと周りに煽てられて調子に乗ってて、賢帝と普通な顔した子が会ってるのを見て身の程知らずとか言うのよ」
「ありゃりゃ」
「それで手をあげたり、普通な子の隠された才能が見つかったりして、女は排除されてしまうの」
「排除されたら帰れるんですか?」
「ものによるかな。その辺りは創作しないと、おんなじ物語になっちゃうじゃない。だから、綺麗な女が聖人ぶって裏であくどいことを、とか、普通に見えた子が実は召喚された先の魂だった、とか、細かいところはいろいろよ」
「はあん。なるほどなるほど、じゃあ」
男の萌黄色の瞳は、私の知る中でもっとも複雑な色かもしれないと思う。うつくしい宝石のような、いや、子どもが想像するうつくしい宝石のような、たくさんの傷で乱反射する光を湛えた瞳。
半分閉じられたタレ目に映る私をとらえることはできないが、その万華鏡の輝きの一面には居るのだろう。
男は静かだった。
「じゃあ、間違いと言われたのが美人だったら、結末、どうなるんですか」
*
花嫁を異世界召喚したら、なぜか現れたのは二人。
そんな物語でしかないような使い込まれた設定が、我が身に降りかかるだなんてちっとも思っていなかった。
普段は乗らないバスの時間にあわせて少し遅く学校を出た日、昇降口でクラスメイトの有村さんと行き交ったその瞬間に地面が光り、一瞬の浮遊感。赤くなった空を白が覆い、次に目を開けたら周囲は知らない建物だった。
ふかふかの絨毯は、落ち着いた深い赤。天井にはシャンデリアが輝き、私たちの周りは人垣ができていた。
そしてその割れ目、一段か二段か高い椅子──いわゆる玉座に座る、端正な顔立ちの若い男。
周囲は私たちを見てざわめいていた。二人だと、なんてことだ、と声を拾う。彼らはずるずると長い、神官のローブみたいな白い服を着ていて、顔立ちは西洋な上に髪の色もとりどりだったものだから、日本語を話しているのが不思議だった。まだ、何が起きているのかちっとも理解できていなかった。
静まれ、と玉座の男が言う。顔立ちに見合った、引く色気のある声だ。
きょろきょろしていた私と違って、静かに座り込んでいた有村さんが、彼をじっと見つめる。二人の視線が確かに交わっていて、咄嗟の出来事に驚いた拍子で繋いでしまった彼女の手は私と違ってあたたかかった。
そして、男と、その隣にいた眼鏡の緑髪は、花嫁召喚を行ったのだ、ということを述べた。玉座の男はこの国の皇帝、眼鏡は宰相らしい。どう見ても三十代の彼らが国の中枢を担うとは考えがたがったが、異世界のことはよくわからないし、寿命が短くて早熟なのかもしれない。実感がなくてきょとんとし通しの私と違って、有村さんはしっかりしていた。私の手を離してしまって、話の途中で気になったらしいことをいくつも聞いている。
花嫁に選ばれなかったほうの処遇も尋ねる。反応からして予想外の存在だったろうに、宰相の後見、しばらくの生活の保障と毎月一定額の支給、などをすぐさま決めてくれた。しかしそれはつまり、選ばれなくても帰れないということだ。愕然とした。
頭が真っ白になる私と違い、同じ境遇のはずの彼女は皇帝に激昂さえしてみせ、それからしばらくどちらが花嫁になるべき存在か見定めるのだと綺麗な部屋を与えられることが決定した。
このとき、有村さんはきっと、選ばれるのは私の方だと考えていたのだろう。私が、皇妃になって歓待されるのは彼女だろうと思ったのと同様に。
ここで、私と有村さんについて、少し説明を加えたい。
有村さんの本名は、有村 英里紗。クラスでは頼られることも多く、大人しいのに中心近くのポジションに居る。外見は少々地味で、華やかさには欠けるが、よく見れば整った顔立ちをしている少女だ。真っ黒の髪はよく手入れされていて、実家はそこそこの会社を経営していると聞いたことがある。
そして私、宮前 詩佳。そこそこ明るいグループ所属だが、ムードメーカーではなく、ムードメーカーの取り巻きその2くらいの立ち位置。自分で言うのもアレだが、紛うことなき美少女である。老け顔なので美少女よりは美人と言われるが、年齢的にはまだ少女でいたい。スカウトにもキャッチにも声をかけられ、たまに無断で写メられる。もともとの少しキツ目の顔立ちに加え、習っていた水泳のせいで髪色は明るくなり、父親の天パを薄めて受け継いだせいでパーマをかけたように髪は波打つ。高めの身長と凹凸のある体つきからして、遊び好きで派手好きなイメージをよく持たれ、「美人は性格が悪い」「あの子は裏で人を貶す」と言われ続けてきた。
しかし私はごくごく普通の工業系サラリーマン家庭に生まれ育った根っからの庶民だ。安売りとか大型スーパーとか大好き。陰口とか、言われはするけど言うのは苦手。
そんな二人を比べて見定めるなら、私より高貴なことに慣れている有村さんが選ばれるのは間違いないのだが、外見から第一印象の良い私が選ばれるのだと彼女は思っているようだった。
結果として、予想が当たったのは私だった。
というより、見定めるまでもなく花嫁は有村さんに内定していたのだとは後から聞いた。花嫁のための部屋、護衛騎士、使用人は始めからすべて彼女に宛がわれ、私には王宮滞在の客人対応がされていたのだ。だから表向きに花嫁を決める期間はそう長くなかった。この世界を受け入れるだけの時間をとってすぐ、生き方を決めなければならなくなる。"召喚間違い"は、私のことだと決定された。
最大限に図られた便宜の中、城の中で死ぬまでだらだら過ごしてもいいと言われたが、私は労働を望んだ。何かに必死になるべきだと思ったのだ。それが必要とされることに繋がるとすれば、なおさら。
市井に出る勇気はなかったので、城の中で頼む。楽な仕事を探してくれると言ったが、別の条件を求めた。力仕事でなくて、あまりやりたがる人が居ない仕事がよかった。
そうしていくつか上げられたうち、選んだのは騎士寮の寮母。騎士には貴族騎士と平民騎士が居て、貴族騎士の人気に比べて平民騎士はあまり好まれないらしい。そして平民騎士寮は古く、掃除の手も届いていない。希望者は求めていたが、食事と風呂は騎士団詰所で賄えるし、洗濯は頼める部署があり、寝るだけの寮が多少汚くても構わないだろうと放って置かれていたそうだ。
男だらけの中で生活するのは、ということで、私の部屋は女性騎士寮に置かれた。平民騎士寮とは遠くないが、見た目はずいぶん違う。
それから、専属の護衛が付けられた。彼も平民騎士で、名前はエルマー。例の萌黄色の瞳をした男だ。初めはピシッとしていて真面目そうだったのだが、次第に態度が崩れ、今は無気力そうにだらだらしている。実力はあるらしい。
私は平民騎士寮の掃除をしながら、エルマーと様々な話をした。召喚の魔術で言葉はおおよそ通じるが、この世界の常識は全くない。できるだけ知らないことをなくしておきたかった、そうでなければ何も知らない世界で無力感に打ちのめされることになるだろうとわかっていた。
エルマーの態度がフランクになるに従い、私と彼は「エル」「シーカ」と呼び合う仲になった。
騎士寮の掃除はなかなか終わらない。
今日の話題は花嫁召喚系ライトノベルのこと。有村さんと呼んでも周りに首を傾げられてしまい、エリサ様と呼び慣れてしまったことに気付いたからだ。うろ覚えのアイドルソングの正解を摺り合わせたくなっても、もう気安く話しかけることもできない。
エリサ様は皇帝と仲睦まじく少女小説のような日々を過ごして、私ほどには元の世界を覚えていたがっていないようだった。もしくは、生活が変わりすぎて元の世界を思い出すきっかけが少ないのかもしれない。
生まれた確かで大きな隔たりが取り払われることは、きっとこれから永劫ないだろう。
私の言葉に気のない返事をする彼の瞳は、存外真剣な色をしていた。聞きなれない鳥の声がする。
手はじんじん痛み、乾燥してひび割れてきた。水の揺れを止める。
「じゃあ、間違いと言われたのが美人だったら、結末、どうなるんですか。排除されて帰るんですか。」
瞳の色と違って、声は軽い。笑い話なのだ、これは。
「さあねえ。定型の物語なら簡単だけどね、メデタシで終わるんだから都合が良いように考えれば正解だもの。」
スタート地点はよくある話、でもそこから一歩目で物語のセオリーを外れたこの現実は、どこかの型では測れない。
「でも、物語の始めから奇を衒っているなら、結末もそうであるべきじゃない? たとえば、皇帝が実は悪逆無道で、下剋上して美人皇帝になる」
「不敬罪ですよ」
「ただの物語よ」
「ただの物語でも。」
そんなもの? と、皇帝なんて居ない世界の私は実感が湧かず、首を傾げる。あれかな、言論統制? ちがうか。言いがかりだものね。
くすりと笑って、また新たな結末の提案。
「ひどい話ならそのまま捨て置かれて、それで……美人だから、選ばなければ働き口もあるでしょうけど」
エルはむ、と口を結んだ。常識もない顔だけの女が働ける場所など限られている。通貨の価値も知らなければ物の名前も確実でないのだから。
けれどこれもまた不敬だったかもしれない、勝手に召喚した女を放り出す薄情さという点で。
「働き口は決まってます」
物語の設定を決めるのは彼のようだ。強い語調で断言されて、じゃあねえと次を考えるも、そんなに豊かな想像力をしてないから奇天烈な展開なんて思い浮かばない。
彼の決めた働き口を聞く必要はなかった。言いたいことはわかっていた。
王道っていうのは期待の数にも繋がって、光る竹を切り倒さないおじいさんも、踊った女の子の残した靴が誰のものか探さない王子だって非難される。お金を持たずに観客たちは自らの期待へ現実を誘導させるのだ。エルは、私が世間に傷つけられないよう心配してくれている。
伝わる優しさに口元を緩ませれば、萌黄のタレ目が続きを促す。濡らした雑巾を絞り、壁に付いた泥汚れを落とすべく力を込めた。
それからきゅっきゅきゅっきゅと壁を磨き、握りこぶし大だけが白くなったところで諦める。素人には効率の良い掃除はできないし、奇想天外な結末も生み出せない。私たちは物語を担えない、だから。
「例えば。主人公たちとは全く関係ないところで、脇役はお守り役の騎士と幸せになりました……なんてのは、どう?」
振り返りはしない。雑巾をバケツに入れて、濯いで絞る。壁はまだらに黒く、そしてまだらに白くなる。
ドラマだったら駄作だ、そんな展開は。
でもこれはドラマじゃないし、風呂敷を畳むために広げることはない。思わせぶりな登場人物が、いろいろあって忘れられてもいいでしょう。
間違いだと言われて、不幸になったわけじゃない。
喚ばれたのは不運だったけど、私は人を恨むのに向いてないから、許した方が気が楽だ。だから、復讐とかざまあみろとか、そういうのはいらない。周りは優しかったからって妥協して、妥協の中で幸せを見つけるふつうの人間だ。
物語を動かす原動力は、きっと彼女らが持っている。
私たちは歯車にはなれなくて、でも、水車のように日々を過ごすことはできる。世界を変える大きな装置なんて知らずに、明日のパンのために小麦を挽くのだ。
どうしても取れない汚れは無視して、壁の白を広げる。日本ならメラミンスポンジがあるけど、ここは日本じゃない。日本じゃないから、お茶漬けもないしカメラもない。日本がいくら良い国でも、ここを日本にしたいわけじゃないし、日本じゃなくていい。いつだって新鮮なお刺身を食べられないと理解したときから、私はありのままのこの国で生きられるだろうと思ったのだ。
エルはしばらく黙っていたけれど、少しして、小さく笑った。
「そんなんでいいんですか」
「駄目だと思う?」
「読者は怒るかもしれませんね」
重要な役割でも持ってそうな女が、掃除のことばっか考えてるなんて。
萌黄色が細まって、弧を描く。雑巾を濯ぐ。指が痛くなってきたから、今日の壁掃除はこれくらいでいいだろうか。私も笑うように息を吐いた。
「転も破もないこんな話、きっとすぐに打ち切られてるわ。読者がいないなら、好きな結末にしたらいいのよ」
赤ずきんは花畑に行かなければいけないけれど、読者の居ない赤ずきんのお母さんは、夕食の支度を忘れておしゃべりに夢中でも構わない。私の存在は歴史の片隅に消えるだろう。立ち上がって、玄関前でも掃こうと伸びをする。
エルは今度はさりげなく桶を持ち上げてくれた。私は両手だったのに、彼は軽々片手で。それからあんまり綺麗じゃない手を握って、隣に並ぶ。
相変わらずの複雑な色が、こちらを見下ろして笑っていた。