8.危機感
トルーティアの話は、フローフィリィアにとって衝撃だった。
自分に置き換えてみる。エントールが、自分を妻としつつも、一方でララを愛人にすると言ったなら。
「キリス様は私に、同じことを勧めたのです。キリス様は愛人を持つのだから、私も愛人を持てばいい。それで丸く収まるだろうと」
「信じられませんわ」
フローフィリィアは友人のために憤慨した。
どうして初めから、軽んじられなければならないのか。
「ですから、キリス様の事は、諦めます」
「けれど、その後はどうされるのです」
「少し、考えます。両親にはすでに伝えました。母は私の味方です。きっと、私の幸せを願ってくれるでしょう。フローフィリィア様にもお力添えをいただけたら、心強いのです」
「えぇ、勿論ですわ」
フローフィリィアは手を伸ばし、トルーティアの手をしっかりと握って力づけた。
「トルーティア様のような方がないがしろにされるなんて。キリス様には罰が下れば良いんだわ。トルーティア様は幸せにならなくては」
***
フローフィリアはエントールと会うことにした。
トルーティアの事があり、エントールがララをどう思っているのか不安だった。
できる限り急いで会いたいと伝えると、その日の放課後に会えることになった。
「何か急な事があったのか」
と、会えたエントールは真顔で尋ねた。
フローフィリィアは動揺を覚えた。
具体的な要件などはない。ただ、急いでエントールの様子や反応を知りたかっただけだ。
フローフィリィアは誤魔化そうとした。優雅に笑う。
「まぁ。婚約者なのに、用件がなければお会いしてはいけないのですか?」
エントールはため息をついた。そして無言で床に目を遣る。
「お忙しかったのですか?」
とフローフィリィアは控えめに尋ねた。
「・・・少しね。寂しかったのかな、リィアは」
とエントールがニコリと笑顔を作ってみせた。
「はい。学年が違いますから、こうしないとゆっくりお会いできないのですもの」
「そうだね」
どこか作り笑いのようにも見えた。フローフィリィアは心配になった。
「・・・私の事を、」
お嫌いになりましたか、と尋ねようとして言葉を止めた。
心配だと知らせる表情でじっと見つめる。
エントールは気づいて、柔らかく言った。
「私が、不安にさせたのなら謝るよ、リィア。でも、安心すると良い。多忙でもきみの存在を私が忘れることなんてない。フローフィリィア、きみは生涯私の隣に立つ人なのだから」
丁寧な言葉だけれど、フローフィリィアの心は全く踊らなかった。
かえってフローフィリィアは危機感を強めた。
以前までの、フローフィリィアへの執着のような熱意が感じられない。
明らかにフローフィリィアへの関心を弱めている。
***
冗談では無いわ。
退出後、フローフィリィアは動揺に顔色を悪くしていた。
指先が冷たくなっている。両方に手を当てたのを、付き人のモリノが心配した。
「お嬢様。お休みになられては?」
「いいえ。そのような時間は必要ないわ」
「顔色がお悪いです。どうか横になってくださいませ」
「いいえ。ねぇ・・・モリノ」
フローフィリィアは顔を上げ、傍で心配そうにフローフィリィアを伺うモリノを見た。
「モリノには、恋人がいて? 好きな人は?」
「え。私の、ですか?」
「そうよ」
「・・・アリアには恋人がおりますが、私は・・・好きな人はいますが、それだけです」
恥ずかしそうにモリノは告白し、それからフローフィリィアの反応を気にしてチラと様子を伺ってきた。
「そう。ねぇ。では、誰か手配をお願いしたいわ。アリアとモリノ、それから・・・そうね、ノルドと。もう1人、私に教えてくれる教師を」
「教師? 何を学ばれるのですか」
ここは学校だ。学問ならば、一流の先生が揃っている。
フローフィリィアはモリノの心配げな様子に一瞬動きを止め、少しだけ思考を巡らせた。
「・・・私を、正しく王妃に導ける方を」
「それは」
モリノが内容を掴み兼ねている。内容は多岐にわたるのだから。
フローフィリィアはモリノの耳に口を寄せて、囁いた。
「エントール様を私の虜にする方法よ。他の誰かに恋していてもなお、私に惚れさせる術を一刻も早く身に着けたいわ」
モリノは瞬いたが、顔を引き締めて頭を下げた。
「かしこまりました。アリアとノルドと相談し、適切な者を選びます」
「すぐによ」
「はい」
***
数日後、寮にて対面したのは、老人だった。爺だ。
老人は恭しくフローフィリィアに頭を下げた。
「グルマンと申します。このような美しい方にお呼ばれするとは、長生きはするものですな。老骨に磨きをかけご指導いたしましょう」
ニッと笑った表情はどこか品が無い。
モリノより上の立場のアリアが、グルマンについて改めて紹介した。
「ご覧の通り、美男子とは言えない老人ですが、多くの女性を虜にして。従兄弟が嘆くほどに」
なのに、当時の主人からは呆れられつつも愛想をつかされることはなく、しっかり財産管理の仕事もこなして重宝がられた。今は十分な財産をもって引退し、気ままに暮らしていたところを、アリアが適任と判断して声をかけた。
一方、ノルドは厳しい顔をしてグルマンという老人を見ている。見極めようとしているようだ。
グルマンは笑った。
「秘密は死んでも守る。そう警戒せんでも大丈夫。伊達に、現役の時に重宝していただいてはおらんわい」
砕けた口調は、ノルドに向けて言ったからのようだ。
ノルドが少し困った顔をした。
***
「どこまでやるかはご自分で決められると良いでしょう。だが、良い事を教えて差し上げましょう。男というものは深く考えているようで、その実、短絡的な行動をするものです。具体的な誘惑にそりゃぁ弱いもんです」
グルマンは楽しそうに笑んだ。妙な事に、人を惹きつけるような魅力がその笑顔に滲んでいる。
なぜだろう。
だけど良い話のようだと期待する。
「学校に行っておられるのでしょう。さぁ、悪巧みをいたしましょう。お嬢様は真面目で優秀過ぎるのです。手を抜くところを覚えた方が宜しいようです」
フローフィリィアはキョトンとした。
嫌な授業は避けているのに、この男はそれでも真面目だと言うのだ。
「この爺も、昔は学校に通ったものです」
懐かしそうにしてみせながら、グルマンがフローフィリィアの学校での取り組みなどを確認していく。
人となりをつかみきれず、フローフィリィアはじっと見つめて、それから告げた。
「きちんとしてくれるのなら。給金を弾みます」
「光栄ですな」
グルマンは顔を上げてフローフィリィアの表情を確認し、目を細めた。