3.学校
貴族令嬢というものは専属の教師をつけることができる。
つまり、気分が乗らなければ学校などに来なくてもよく、一時的な休暇に入っても誰にも文句を言われない。
そもそも、大勢で共に学ぶよりも専属教師に学んだ方が効率は良い。
ただ、専属を断った高名な学者が、学校で教えることには承諾したために、この制度は維持されている。
どうやら高名な学者というのは我儘で、自らの知識欲を満たすことが最重要だ。彼らは、貴族の令息や令嬢に尽くす事には耐えられない。だが、高い志を持つものに効率よく教えるならと、支援や給金目的で、学校の教師になる者はいた。
***
フローフィリィアは、宝石学の先生を訪れる。
本来は別の授業だが、内容にも集まるメンバーにも魅力を感じない。非常に地味な者たちが集まり、地質の小難しい話を延々と論じる。
だったら、宝石についての話を聞いた方が有意義である。多くの実物も観賞できるのだから。
フローフィリィアの行き先を知った令嬢2人と、ゆるやかに向かう。
「フローフィリィア様。ご覧くださいませ。美しい花が咲いておりますわ。今朝咲いたのに違いありません」
共に歩く令嬢の一人、ユリーナが嬉し気に窓の外を話題にした。
フローフィリィアも見やる。少し離れたところに、真っ白い大きな花が何本も咲いていた。
「まぁ、美しいこと」
もう一人のミルチェリアも褒める。
フローフィリィアも頷いた。
「そうね」
ねぇ、知っている?
あの花を集めて、液体が作られるの。
それを飲むとね、量を誤ると死んでしまうのよ。
フローフィリィアは心の中だけで呟いた。令嬢としての話題に相応しくない事は知っている。
けれど。
私であったフローフィリィアは、あれを飲んで死んだのよ。
フローフィリィアはじっと見てから、口の端に笑みを浮かべた。
「きれいだわ」
放たれた言葉は、とても可愛い音色のまま。
***
宝石学の教師は、歳を取った男性だ。
自分の時間を奪われることを嫌うけれど、フローフィリィアたちには甘い。
フローフィリィアたちが、コレクションに目を輝かせ褒めるのを聞き満足そうだ。
そうしてとっておきの品物や、他には教えていない品質の見分け方や商人との駆け引きの知恵を教えてくれる。
地質の授業などよりよっぽど有意義。そして、豪華だ。
滅多にないという大きな宝玉を見せてもらう。ヒビが多くて装飾品には向かないらしいが、光にかざした際に石の中で輝きが起こるのが素晴らしい。
「フローフィリィア様の頭上には、ティアラが輝くのでしょうな」
と教師はニコニコしながら言った。
「その石よりも硬度がある大粒の宝石がたくさんついているはずです。代々受け継がれてきた宝石たちだ。もしいつか、思い出していただけるなら、一度で良いので、ぜひ私に間近で観賞する機会を与えていただきたい」
願い事にふとフローフィリィアが視線を投げかけると、冗談のような顔をしながら、じっと真剣な教師の表情があった。
共にいる令嬢二人も期待したようにフローフィリィアの次の言葉を待っている。
「オルド先生。私がティアラをいただく事ができますように。その日が来ますように。先生もどうか私にお力添えをくださいませ」
フローフィリィアは笑顔で答えた。
先生は少年のように嬉し気なはにかんだ笑みを浮かべる。
二人の令嬢はクスクスと、未来を疑わない楽し気な笑みを漏らした。
***
次は歴史の授業のはずだ。出席はどうしようか。
少し迷いながらも本来の教室に向かう途中、フローフィリィアは、1つ年上の婚約者、エントールがやはり友人に囲まれながらこちらに歩いてくるのに気が付いた。
さっとフローフィリィアの傍の友人が礼を取る。
フローフィリィアも礼を取る。
「リィア。誰に習ってきた帰りかな」
気さくな声掛けにフローフィリィアは顔を上げる。
「オルド先生ですわ。今日も素敵なものを見せていただきましたの」
「オルド先生はリィアには甘い。私にはそのように大盤振る舞いしてくださらないのだが」
冗談めかしたようにエントールは笑う。
フローフィリィアは申し出た。
「では、次はご一緒にいかがでしょうか」
「きっと、オルド先生の機嫌を損ねてしまう」
エントールはフローフィリィアの耳に少し顔を寄せ、小さく囁いて笑う。
チラリと見上げると、エントールは困ったように肩をすくめた。
仕方のないオルド先生。
そして、いつ見ても見目麗しく、お優しいエントール様。
フローフィリィアはどの時代もエントールが大好きだ。死んでしまう時さえも。
エナがフローフィリィアとなってからも、フローフィリィアは一目でエントールに心を奪われる。
「エントール様は、次はどちらへ?」
もしご都合が合えばご一緒したい、と告げたい。だが大勢の前で、こちらからその言葉は少し、はしたないとも知っている。
「次は、語学だが、エスペラント語を学びたいと思ってね。移動中だよ。この前は遅刻してしまってとても怒られたから、急がなければ」
「まぁ」
クスクスと笑うところを、そっとエントールの傍にいた一人が声をかけてきた。
「申し訳ありません、お時間がそろそろ」
「おっと不味い」
少し顔を引き締めたエントールにもフローフィリィアは見惚れる。
「またな、リィア。明日の3刻を楽しみにしているよ」
「はい。エントール様」
エントールが去っていく。
それを少し寂しく思いながらフローフィリィアは眺め見送る。
明日は、共にお茶をしようと約束している。それを楽しみにしよう。
パタパタ、と急ぎ足が向こうで聞こえた。
走ってはいないがかなり急いだ足音だ。
エントールの近くで急に止む。きっと無礼だから控えたのだろう。
エントールのほがらかな声がした。
きっと、『彼女』だ。
フローフィリィアは強張りそうになる顔を伏せて、気にしていないふりをした。
***
歴史の授業は退屈だ。
フローフィリィアは出席したことを後悔した。
壁際に設置された座り心地の良いソファーに座り、前のテーブルには教材がいくつかおかれてはいる。サイドには軽食が揃っている。退屈で怠惰で豪華な時間。
少し若い男性は、この時間においては教えることに熱心なようで、フローフィリィアにとっては興味のない地名を一生懸命繰り返す。
まどろみそうになる。
フローフィリィアは他の生徒たちに目を遣った。大きな部屋で、中央の教師を囲むように座るので他の様子も見やすい。
男性たちは熱心に聞いている。女性も、高位の令嬢が真面目に聞いている。
国の中心に関わる可能性が高いものたちにとっては必須の授業だ。
一方で、馬鹿らしい、とフローフィリィアは密やかに思った。
過去を学んでどうしようというのだろう。
しかも、豪華な人たちしかでてこない歴史など。
私も今では、最も豪華な一人になったけれど。
名を遺すことに意味は感じない。
自由に思い通りに振る舞えることを満喫していたい。
皆、こんな風に生まれついたくせに、どうして自分を縛ろうとするのかしら。