20.キリスとトルーティアと
「こっんな、女とは思わなかった! トルーティア嬢、あなたとの婚約は解消する!」
顔を真っ赤にしてキリスが怒鳴った。
まぁ、とフローフィリィアは思ったが、エントールが冷静でなくなったようだ。
前に出ようとするので、フローフィリィアはグィと抑えた。
エントールが信じられないような顔で振り向いた。
「二人の問題だとおっしゃったのはエントール様ですわ」
「もうそんな状態ではない」
「どうなさりたいの? 婚約解消で良いのではないのですか。このご縁、とても幸せに思えませんわ」
じっとエントールの目を見つめて、フローフィリィアは言ってやった。
「キリスは冷静でなくなっている、止めるべきだ」
「これが自然な流れなら、邪魔をせず見守るべきでは?」
とフローフィリィアは真顔で意見を述べた。
エントールがその言葉に少し思いとどまるように動きを止める。
フローフィリィアだって、トルーティアが心配だ。
トルーティアはキリスとの婚約解消を強く望んでいる。
だが、父親が渋っている。しかしその理由は、キリスとの縁が良いから、というだけではない。キリスに代わる、未だにフリーの、トルーティアと釣り合いの取れるような人物を探すのがとても難しいからだ。
この年齢ともなれば、上位の者は全て相手を決めている。あと数年で皆続々と結婚していくのだから。
だけど。トルーティアの気持ちを思うと、希望通り婚約解消した方がトルーティアは幸せだろう。
一方、キリスは相当に視野が狭くなっている。
「この人にさんざん嫌がらせまでして、悩ませて! それなのに私の婚約者だと主張するなんて変だろう! 私を支えてくれるべきところを、私の思いを踏みにじるようなことばかりする、誰がきみみたいな女を妻にするものかっ」
「まぁ、酷い」
トルーティアは青ざめたようになりながら呟いた。
「浮気なさるからでしょう。それを咎められて自分を正当化しようとして、本当にどうしようもない。嫌がらせって、キリス様だって昔、私に好意を示してくださった方に嫌がらせをたくさんされたじゃありませんか」
「っ、そんな幼い時の事をここで持ち出す馬鹿がいるか!」
「幼くてもキリス様のなさった事です。可哀そうに、あの子は酷く泣いてしまって。あまりに可哀想で私がその子を慰めたら今度はキリス様が拗ねて泣いて。困りましたわ。あの時、私に約束させたくせに、キリス様は浮気をなさるのね。・・・私、たくさんお声をかけていただいていたのですよ。でも約束したから、放っとけなくて、キリス様との婚約を望みましたの。幼いあの日に戻って、あの時の私に違う人を勧められたらどれほど良いか。私の、健気な時間を全て返してくださいませ」
一気に話したトルーティアは、落ち込むように息を吐いた。
「っき、と、トルーティアになんて、誰がそんな惚れるか!」
「駄目だ・・・」
エントールが痛ましそうに言葉を零した。キリスはエントールの友人なのだろう。こんな人でも。
フローフィリィアもここまでくると微妙な気分だ。
「キリス様が浮気なさったのです。誰にでも良い顔をする彼女に入れ込んで」
「ララ嬢を侮辱するな! お前こそ、平民の商人と2人きりで何度も会って浮かれやがって!」
キリスの言葉に、ドキリとフローフィリィアの心臓が跳ねた。
平民の商人。モーリスの顔が浮かぶ。
どういう事。
一方、ララもトルーティアに噛みついている。
「どうして私ばかり悪者にしようとするんですか!」
キリスとトルーティアとララがにらみ合う。
口を開いたのはトルーティア。
青い顔をしながら、気丈にも周囲に呼びかけた。
「婚約、解消いたしましょう。皆様に証人になっていただきたいのです」
視線が合ったので、フローフィリィアは頷いてみせ、言葉も返した。
「えぇ。見た事聞いたことを、求められた時に証言いたしますわ。皆様も同じでしょう」
「ありがとうございます」
トルーティアはほっと安心したようだ。
キリスが憎々し気にフローフィリィアを睨んだ。隣のエントールとまとめて。
フローフィリィアはドキリと怯えた。
「キリス。頭を冷やした方が良い」
エントールが口を開いた。困った諭すような口調で。
「私は冷静だ! 聞いていたでしょう、トルーティア嬢の侮辱を!」
「でも、本当の事ですわ」
フローフィリィアは声を上げた。睨んできたキリスに負けたくなかったのだ。
「ララさんの振る舞いには、私たち、とても心を痛めておりますもの。・・・ね、エントール様?」
フローフィリィアは腕を絡めるエントールを少し責めるように見上げた。
エントールが渋面でフローフィリィアを見下ろす。
フローフィリィアは続けて尋ねた。
「私も、聞いてみたいですわ。ララ様。どうして、今回はキリス様の手を取られましたの? 他の方が申し出て来られましたら、その方の手も取る可能性があったのでしょうか」
「・・・え」
ララが返答を迷っている。
その態度だけで充分、パートナーのいる女性を敵に回した。
上位貴族においてのエスコートの価値を、ララが何も知らなかったはずはない。
一つ年上の彼女は、昨年もこのパーティに出席しているのだから。
去年も、誰かがエスコートしたのかもしれない。その時はこんな騒ぎにならなかった。婚約者がまだこの場にいなかったから。
だから今回も甘く見たのだ。令息たちがこぞって甘い言葉を並べたのか。
「ララさんの本命はどなたですの?」
フローフィリィアは直球で聞いた。
そして答えを待たずに、追撃した。
「本命がどなたか存じませんけれど、色んな方に愛想を振りまくのはお止めになって」
「そんなつもりはありません」
ララがキッと睨んできた。
「私は、普通にしているだけなのに! 皆さん、声をかけて来てくださるの! 放っておいて欲しいって思う時だってあるぐらいなんです!」
「まぁ」
フローフィリィアは眉をしかめた。
「だったら拒否されれば宜しいのに」
「貴族の人たちに、そんなことできません! 私だって困ります、多くの人に意地悪されて、もう止めて欲しいって思ってます!」
「あなたに釣り合う相手を傍に置かれたら宜しいのに、そうなさらないのだから」
「仕方ないじゃないですか!」
いつの間にか、ララとフローフィリィアの言い合いになっている。
「止めなさい」
と隣のエントールに両肩を掴まれて後ろに引かれた。
「だって、エントール様」
あなただって、あの人に惑わされているじゃないの。
拗ねた気持ちを前面に押し出す。
エントールは失望したような顔をした。
フローフィリィアはハッとした。しまった。つい、調子に乗りすぎた? せっかく心をつかんでいたのに、また失敗してしまった?
エントールはララを見やった。
「嫌々、私たちと会話をさせていたなら、申し訳なかった」
言葉に、ララがハッと顔を青ざめさせた。失言に気付いたのだ。
「あ・・・」
取り繕うようにするのを、ララの傍にいるキリスが見咎める。
「きみは、エントール様の方が、良かったのか?」
「え」
トルーティアがため息をついて、退出したそうに扉の方を見た。
フローフィリィアは同情した。