15.交渉
傍に誰もいない、会話を聞かれる恐れはないと判断した場所で、モーリスは笑った。
「商談。商品は、この俺です。どうですか?」
「なんてつまらないご提案。時間を無駄にしましたわ」
フローフィリィアが、座ったばかりの椅子から即座に立ち上がろうとするのを見て、モーリスは楽しそうにした。
フローフィリィアが立って礼をしてみせてから歩き出したところで、モーリスはまた声をかけた。
「変な意味に受け取ったか。お嬢様というのは怖いね」
フローフィリィアは、ついキッとしてモーリスを睨みつけた。扉に向かっていたのを立ち止まる。
本当に、どうしてこんな人がエントールと親しいのか!
「別に俺個人を売ろうって話じゃないんだが。愛人契約でもあるまいし」
揶揄されるような態度で、向こうが余裕ぶっているのも気に喰わない。
手厳しい一言を投げつけてやりたい。
だけど言葉は向こうの方が滑らかだ。
「エントール様に、俺から、『フローフィリィア様というのは良い、伴侶にするべきだ』なんて囁く。頻度や内容は、金額次第かな。悪い話じゃ、ないだろう?」
ニヤニヤとしてきたモーリスに、フローフィリィアはアリアから手にした扇を開いた。表情を隠すためだ。
とはいえ、険しい顔をしているのは、目つきなどで筒抜けだろう。
エントールの傍で、この男が、フローフィリィアについていい話を聞かせる?
それを商売にすると言っているのか。
「呆れた」
と言って見せながら、フローフィリィアは考える。
噂話は、貴族にとって重要だ。
本当に、金さえ払えば良い噂をエントールに告げてくれるのだろうか?
「秘密は守るよ。俺だってこう見えて商人の家に生まれてる。何があっても必ず守る」
「・・・他にも誰かと、取引なさってるの?」
フローフィリィアは思いついて尋ねてみた。その可能性は高そうだ。
「そんな質問、意味が無い」
少し子ども相手に話すようにモーリスが笑む。
やはり他の人にもこのような商売をしているように感じる。
フローフィリィアは扇で口元を覆ったまま、表情でも少し呆れてみせる。
このモーリスは、学校を、商売の場所にしてしまっている。
でも。悪くない。
そういう生き方、私は好きだわ。
フローフィリィアはニコリと笑んだ。
フローフィリィアを見つめるモーリスは、少し目を大きく見開くようにしてから瞬いた。
スィと扇を閉じる。
「私が誤解をしてしまいましたのね。でも、良いお買い物ができそうですわ」
「どれぐらいがご希望ですか」
なぜか微笑ましい様子にモーリスが目を細めたので、フローフィリィアは少し違和感を持ってから、安心した。
モーリスはどうやら、フローフィリィア個人に好感情を持っているようだ。だからこのような提案をするのだろう。
フローフィリィアはゆっくりと歩いてみせて、元の椅子に優雅に腰かけた。
「重要なお買い物ですもの。きっちりとお支払いしたいと思いますわ。あなたのご希望は?」
「そうだな。状況に合わせてエントール様に俺の判断で、あなたの事について話すとしよう。加えて、折々にあなたに状況を伝えよう。その時々で希望があればその通りに」
「素敵だわ」
「この商品の場合の価格は、」
モーリスは持ち歩いていたらしいペンと小さな紙を取り出して、サラリとペンを走らせた。
フローフィリィアの視線を受けて、傍のアリアが紙を受け取り、フローフィリィアに渡してくる。
書かれている金額に、フローフィリィアは少し驚きを持って、紙から目を外してマジマジとモーリスを見た。
この話は、とても良い買い物になる。
なのに、あの、使えなかったグルマンの給金の10分の1ほど。こんな程度で良いのだろうか?
むしろ、騙されている?
裏切られるなんて真っ平だ。
少し迷った末、フローフィリィアは慎重に確認することにした。
「本当に、このお値段で宜しいの?」
「ん?」
モーリスが、意味を掴み損ねたような妙に幼い顔をした。
「とても大切なお仕事をしていただくのですもの。もっと求めても良いのではなくて?」
様子を伺うようにフローフィリィアが告げると、やはりモーリスは意味が掴めないといったようにじっとフローフィリィアを見つめてから、右手を頭にやって己の髪をクシャリとかき混ぜるようにした。
「あー。うん。まぁ」
少し動揺しているようだ。
先ほどまでの人を馬鹿にしたような妙に大人ぶった余裕ぶった態度ではなくなっている。
それから迷ったように目を動かして、少しきまり悪そうにフローフィリィアを見た。
「・・・その金額で構わない。そうだな、でも、俺に支払い足りないと思ったら、成功報酬を追加でくれればそれでいい」
「分かりました」
じっとモーリスの動揺を見つめながら、フローフィリィアは静かに宣言した。
「では、私がたっぷりと成功報酬をお渡しできるように、どうか励んで下さいませ」
「・・・あぁ、そうする」
フローフィリィアの方の立場が強まった気がする。モーリスよりも。
***
ある日。
休憩時間にくつろいでいると、友人の一人が切り出すように名前を呼んだ。
「フローフィリィア様」
その場にいた者が彼女、トルーティアを見る。
「どうなさいましたの?」
フローフィリィアが聞く姿勢を見せると、トルーティアは堰を切ったように話し出した。
「私、耳を疑う話を聞いたのです。平民のあの人、多くの方から贈り物を受け取って誰にでも良い返事をしていると!」
「まぁ・・・」
トルーティアは、以前に、平民のララを愛人にしたいと言ってきた婚約者に愛想をつかした。けれど、婚約解消で揉めている。トルーティアの父親にとっては良縁だからだ。
「あの人、どうして学校にいるのでしょう? 退学処分を求めようと思いますの。応援してくださいますか」
「まぁ」
決して品性を失うことなく怒り満載のトルーティアを、フローフィリィアはじっと見つめた。
退学。それは確かにいい方法になるかもしれない。
でも・・・。
「退学したら、次は他の場所で同じことになりませんでしょうか・・・? 私どもの知らないところで自由に。それなら・・・今の方がマシなのかもしれませんわ?」
フローフィリィアは正直に思うところを言った。正解が分からない。
トルーティアは、少し驚いている。すぐに賛同してくれると思っていたのだろう。
その場にいた皆で、思うところを話してみる。
ララは令息たちのお気に入りだ。
だから、もしこちらが退学処分を求めても、取り消されてしまう可能性は高いのでは、という意見が強まっていく。
そんな中で。
「でも、私、もう我慢の限界です」
トルーティアが感情を噛みしめるように漏らす。
「来月のパーティでの様子で決めませんか」
困ったフローフィリィアは提案した。
来月、学校行事でパーティが開かれる。平民も含めてすべて参加の大掛かりなものだ。
きっとララの様子も見ることができる。
「大勢が同じものを目にいたしますでしょう。つまり大勢が証人ですわ。正しい意見も通りやすくなるでしょう」
皆がフローフィリィアの言葉に頷いた。