14.モーリス
「せっかく知り合ったんだから、少し散歩でも行かない?」
モーリスがどこか人に従順な犬を思わせるような態度で、にこやかに言った。
「いいえ。遠慮いたしますわ。せっかくのお誘いですけれど」
フローフィリィアは少し冷ややかに返事をした。
自分が何者か知っていて、このような誘いをするとは。この国の王子であるエントールの婚約者だと、知らないはずはない。
信じられない。
「ふぅん。でも気分転換した方が良いと思うけど。一人で毎日そんなところに、いかにも『慰めてください』って雰囲気で座ってるなんて」
少し馬鹿にしたような言葉に聞こえた。フローフィリィアはキッと睨んだ。
「大きなお世話ですわ!」
叫ぶようになってから、ハッとして声を落とす。他にも何人か、本を読んだりして静かな時間を過ごしている人たちがいるからだ。迷惑になる。
なのにモーリスはまだ話しかけて来る。
「悩み事があるって顔してる」
モーリスの態度がどうも浮ついているように感じられて、フローフィリィアはイライラし始めた。
「私の事は放っておいてくださいませ!」
「たまに、珍しい人間と話すのは、気が紛れると思うけど。少なくとも、今はさっきまでみたいに落ち込んだ様子には見えない」
「あなたが私に失礼な事ばかり言うからですわ!」
モーリスはフローフィリィアの反応を楽しんでいる。それが分かってさらに苛立つ。
フローフィリィアの周囲にいないタイプの失礼な人だ。
どうやら、父親は優秀でも、その息子が優秀とは限らないという良い例だ。
「あ。珍しいな、銀色のリスだ」
ふとモーリスがフローフィリィアから視線を外し、フローフィリィアの背面となった窓の外を見やった。
銀色?
モーリスに苛立ちながらも、フローフィリィアも窓の外を見る。
「・・・」
「そこ、その木の枝」
「・・・」
見えない。
「ほら動いた」
「鳥じゃありませんこと」
「いいや、リス」
とモーリスが断言したまさにその時、ピッと鳴き声がして、パサッと小鳥が他の枝に飛び移った。
やはり小鳥ではないか。
「・・・」
無言でフローフィリィアが険しい眼差しで隣に並ぶモーリスを見る。
モーリスはフローフィリィアの視線に気づいて視線を合わせた。
「リスだった」
フローフィリィアはモーリスの発言に、一歩身を引くようにした。
発言に驚いたわけではない。いつの間にか近すぎる距離に並んでいた。窓の外を見るのに興味を引かれ過ぎた。
フローフィリィアの動きを見て、モーリスは無言で優し気な笑みを浮かべた。
その笑みに、フローフィリィアは少し違和感を覚えた。なんだろう。
モーリスはそれからクツクツとおかしそうに忍び笑う。
「せっかく、勇気を出して美人に声をかけたのに。これで終わりって、悲しい現実だな」
「・・・」
フローフィリィアは警戒を覚える。この相手は、フローフィリィアにとって言動が読めない気がする。
モーリスは小さくため息をついた。
それから表情を、寂し気なものに改めてみせた。
「あんまり連日落ち込んでいるからさ。力になれるかもと思ったんだけど。余計なお世話でしかなかった俺って、キツイ」
フローフィリィアは軽く眉を寄せてみせた。
寂しげな様子で振る舞っているが、警戒が解けないのは変わらない。
正直、『余計なお世話』と思っているなら早々に消えてもらいたい。
モーリスはフローフィリィアの無言のメッセージを正しく受け取ったようで、少し困ったように目を泳がせた。
「分かった。あの、こうしよう。あまりにもあんまりだから、もう少し」
「何ですの。もうお行きになって」
「手ごわい美人も可愛いけど。・・・なぁ、俺、エントール様とこう見えても仲良くさせてもらってるんだが?」
モーリスの言葉に、ドキリとした。
思わず目を開いてしまったのを、モーリスは見逃さず、少し嬉しそうになる。
まさか。エントール様に限って、こんな、無礼な振る舞いをする平民と親しく?
信じられなく思う一方で、納得もできた。
彼の父親は、王家にも気に入られている商人だ。ならば、エントールとこのモーリスは顔見知りで親しくしていてもおかしくはない。
「・・・これは俺がなんとなく、そう思うだけなんだが。恋の悩みだろ、フローフィリィア様。相手はエントール様。あなたの婚約者」
失礼な、私に構わないでください、と言えなかった。
モーリスはエントールと親しい。
それで? 彼は何を私に言おうとしているのか。そちらが気になって仕方ない。
「・・・まぁ。俺じゃ役不足かもとは思うんだけど。相談に乗ろうか? 俺なら、エントール様に直接、なんていうかな、言ってみる事もできる立場にいるわけだし? な、案外、捨てた話でもないだろ?」
モーリスが優しい顔をして、少しフローフィリィアに擦り寄るように、それでいてどこか様子を探るような態度で聞いてくる。
フローフィリィアは、慎重に言葉を選んで話すことにした。
「・・・あなたに、どんな得がありますの」
「得っていうか・・・まぁ、なんて言うかな」
「同情ならお断りですわ」
ピシャリ、とフローフィリィアは勇気を出して断った。
憐みなどフローフィリィアには不要だ。平民がフローフィリィアに対してそんな感情を持つなど、我慢ならない。
「んー」
とモーリスは少し楽しみながら考えるような声を漏らした。
それから、他の人たちもいるこの部屋で、周りには聞こえないようにさらに声を落としてこう告げた。
「俺と、商談をしない? 話を聞いてみるだけでも、損はない。大丈夫、秘密は絶対に守ると誓う」
フローフィリィアは胡乱な眼差しを向けた。
だけど。
先日まで、同じく『秘密は守る』と言っていた、恋愛指南役として雇っていたグルマンが脳裏をよぎった。
彼は、結局役に立たなかった。けれど、秘密はきっと守るはず。そう信じている。
それだけの給金を払ったから。
フローフィリィアはわずかに目を閉じて、勇気を出した。
「話を聞くだけなら」