13.落ち込む
失敗した。
フローフィリィアは落ち込んだ。
エントールが帰った直後からソファーに自分の体を埋めるように座り込む。
陰鬱な人形のようになっているフローフィリィアを、アリアとモリノが心配そうに見守っている。
「グルマンを呼んで」
やっと口を開けたフローフィリィアは暗い顔のままでアリアに頼んだ。
アリアが退出して、モリノがそっと声を掛けてきた。
「お加減が優れないのですか?」
「そうかもしれないわ」
「あの・・・誠に僭越ながら・・・お嬢様の幸せを願って、申し上げても、宜しいでしょうか?」
「なぁに?」
フローフィリィアは顔を上げてモリノを見やる。
「今まで通りのお嬢様の方が宜しいのではないでしょうか・・・。お部屋も、以前の様子の方を、お好みの様子に、思えました」
モリノの指摘に、フローフィリィアはため息をついた。
床を見つめるようにまた黙り込む。
モリノに同意だ。フローフィリィアもそう思ったのだ。だからこのように落ち込んでいる。
新しいフローフィリィアを強調したのは、非常に悪手だった気がする。
エントールは戸惑った結果、むしろ身を引くようにフローフィリィアへの興味を失ってしまったようだった。『彼の愛したフローフィリィア』からますます離れたせいかもしれない。
難しい。容姿は同じだというのに。
ふと、フローフィリィアは気づいて顔を上げた。
発案はフローフィリィアではあるが、それをさらに部屋まで殺風景になどと提案したのはグルマンだった。
眉を潜める。
信頼するアリアの連れてきた恋愛指南役だが、実はあまり役に立たないのでは?
チラ、とフローフィリィアはモリノを見やった。
しかし思いとどまる。
アリアの方がモリノより上だ。アリアが選んできた人物についてモリノに尋ねるのは避けた方が良い。
はぁ。面倒。
フローフィリィアは目を伏せるようにため息をつく。
***
「エントール様は、お部屋も、不慣れな事をした私も、お気に召さなかった様子なの」
参上したグルマンに、フローフィリィアは笑みのない真顔で告げてみた。
グルマンは少し目を大きくし、
「そうでしたか」
と少し焦った。
駄目だ。使えない。
一瞬で、フローフィリィアはグルマンを捨てることに決めた。
「ねぇ、あなたはとても人気があったのでしょう。でも、とても残念なのだけれど、私のエントール様とは好みが違うみたい」
「そうかも、しれませんな」
グルマンはフローフィリィアの冷静な指摘に汗をかきはじめ、しきりに手のひらを自分の上着でぬぐうように擦り付ける。
「ごめんなさい。教えていただくのはもう終わります。でも、今日までの働きに感謝するわ」
全く使えなかったけど、とは言葉に出さなかったけれど、充分に伝わった様子だ。
グルマンは赤くなって汗をかきながら、恐縮して出て行った。今までの自信のありげな様子が嘘のようであった。
まぁ、それだけフローフィリィアが権力者であるということかもしれない。
グルマンがいなくなってから、何度も詫びて来るアリアにはこう告げた。
「大丈夫。アリアを咎めるつもりは全く無いの。合わなかっただけですもの」
「本当に、申し訳ございません。すぐに、代わりの者を探します。次こそは」
「いいえ」
フローフィリィアは憂鬱な気分で答え、アリアが驚いた様子に言葉を足した。
「少し、今は良いわ」
フローフィリィアはぼんやり視線を彷徨わせる。良いものが見つかれば良いのに、部屋の中には何もない。
それから、ポツリと尋ねた。
「ねぇ、ノルドは上手くやっているのかしら」
あの平民のララの興味を、ノルドは上手く引けているのかしら。
「うまく、やっている様子ですわ」
とモリノが少し遠慮がちに答える。
「そう」
自分で尋ねたくせに、少し興味なさげな返事になった。
***
どうしたものか。
学校にも全く身が入らない。
エントールが手に入らないなら、この世界はフローフィリィアにとって完璧にならない。
フローフィリィアが憂鬱になるのは、彼がこの手から零れ落ちてしまったら、他も同じように零れていきそうな不安を自分は感じてしまうだろうと、分かるから。
「こんにちは」
突然の声掛けに、フローフィリィアはビクリとして顔を上げた。
完全に油断していた。
フローフィリィアはここ数日、周囲に『少し一人になりたい』と告げた上で、一人で窓際で外を眺めるふりをして落ち込んでいる状態だ。普通は遠慮し気遣い、皆そっとしてくれるものである。
なのに、そこに声をかけて来るというのは、かなり自分の立場に自信を持った者なのか。
顔を上げる。
誰。間近で会ったことはない。
でも知っている。
1つ年上、つまりエントールと同学年にいるはずの、平民の男子生徒だ。
ただ、父親が裕福な商人で、一代限りの貴族に取り立てられるはずだと噂がたっているほど。
名前は、確か・・・。
「モーリス=セラニーです。驚かせて申し訳ない。ここ数日、ずっとふさぎ込んでいるので気にかかっていたもので」
「・・・まぁ。私は、フローフィリィア=シュリットと申します」
「やっぱり」
モーリスと名乗った男は嬉しそうに笑った。
どうやら、見当はつけていたがフローフィリィアだという確信はなかった様だ。
フローフィリィアを知らないとは、呆れる。
モーリスは立ちっぱなしで、窓際に座るフローフィリィアに話しかけた。
「美しい人は、窓辺に座るだけで絵になるね」
「・・・」
フローフィリィアは驚いてじっと見つめる。
ここは学校だ。中には身分を超えた友情を築く者もいるらしい。かなり稀だが。
とはいえ、初対面で、しかもフローフィリィアが何者か分かっていて、平民が砕けた口調で話しかけて来るとは。
変な人。
「今、俺を変な人だとか思った」
楽しそうにモーリスが言うのでまた驚いた。なんと不躾。
いや、それよりも。
私はそんなに感情が漏れた表情をしている?
フローフィリィアが表情の確認に思わず自分の頬に手を当てたのを見て、モーリスは楽しそうに声を上げて笑った。
これにも度肝を抜かれた。
貴族令嬢のフローフィリィアの顔が、動揺に赤く染まる。
この種類の不躾さには慣れていないからだ。
その様子もまた楽しそうにされている気がする。
フローフィリィアは悔しさを覚えて声を上げた。
「なんですの、あなたは! 初対面の相手に向かって失礼ではありませんこと!?」
「はは、全く。でも、それをいうなら、俺の方が年上ですけどね」
確かに正論ではある。特に学校では。
そして、ここで『私の方が身分が遥かに上ですわよ!』などと声高に身分の差を指摘する方が恥ずかしい行いだ。
非難したいのに言葉が出てこない! だが何か反撃を!
「ごめん、すみません、ごめんなさい」
降参したように、モーリスがいち早く両手を上げてみせた。
「そんなに怒らないで。可愛いから、つい笑ってしまっただけだ」
「失礼にもほどがありますわ」
「まぁまぁ」
急に宥めるようにモーリスが困ったように笑う。
人懐こい、とフローフィリィアは感じ取った。
さすがは、王家もお気に入りの、商人の家の生まれということだろうか。