冬篭り
「始まりの町」の冬は寒い。北の、何もない平原からまともに寒風が吹き込むからだ。
この町の露店商たちの多くはこの時期だけ暖かい地方へと出稼ぎに出たり、休んだりする。
エルフの商人である青年はお得意先に薪の配達だけにしようかと思っていた。
朝食の用意の傍ら、火にかけた小さな鍋に老木の精から貰い受けた樹液を入れる。
ゆっくりとかき回していると甘い匂いが家中に広がっていく。
「ギドちゃん、なにこれ!、美味しそう〜」
「……おはよう、タミちゃん。これは薬だからね」
寒いのか、まだ寝たりないのか、毛布をかぶったまま部屋から出てきた無精娘の名はタミリア。
これでもこの町では知らぬものがいない実力派魔術師である。
鍋に薬草の汁を足して甘い薬を調合し、ビンに小分けしているエルフの商人の名はギード。
おとなしい、腰が低いと評判の彼は「只者ではない」と言われている。
まあ、化け物嫁を持つエルフなど平凡とはいえない、ともっぱらの噂なのであるが。
ギードはタミリアに瓶の中身を少量だけ匙に取って口に入れてやり、感想を聞く。
そのとろけるような顔を見れば味は大丈夫そうだ。
「あ、これ喉の薬?。昨日寒さで喉やられちゃってたけど、喉があったかくなってきた」
「うん、そうだよ。喉荒れに効く薬草の汁を入れたんだ。人族でもいけそうだね」
作り方はエルフの知識だが、薬草自体はこの町で入手したものだ。きっと効果はあるだろう。
とにかく朝食をとって、特に何の代わり映えのない日常を始めよう。
もっと味見しようとするタミリアの魔の手から薬の小瓶を守り通したギードは、お得意先の雑貨屋へ急ぐ。
薪を運びこんでいると、数日前からの咳がまだ止まらないらしい店主の老婦人が出て来る。
「あの……これ。先日いただいた襟巻きのお礼でー」
ギードは小さな薬瓶に木の匙を付けて店主に渡す。
不思議そうな顔の老婦人に、うつむいたままの気弱な青年エルフは薬の説明をする。
「えっと、喉の薬です。その、水飴状になってるので飲みやすいかと」
「あらあら、うれしいこと。いいのかしら、もらっても」
「あ、はい。それとこの木の匙を使ってください。これは木の精霊が宿っていて毒消しの効果もあって」
老婦人は驚きながらもうれしそうに青年を見る。
「お代はいかほど?」
「いえ、もらえません。この襟巻のお礼ですので」
とても助かりました、と小声で言う。
咳き込む老婦人を店の奥の椅子に座らせ、薬瓶の蓋をあける。
口の広い瓶に匙を入れてひとすくいし、それを老婦人に渡す。老婦人はそれを受け取り、何の迷いもなく口に入れた。
「美味しいわね。それに喉のあたりが温かくなったわ」
やさしく微笑み、ありがとう、と青年エルフの手を握る。
うれしさでゆがみそうになった顔をさらにうつむかせ、それじゃまた、とギードは店を出る。
ギードは、タミリア以外の相手にも役に立てることはあるのだと気づいた。
それはまず相手を好きになること。そして相手を思いやること。
きっと今、自分はこの町の人達が好きになりつつあるのだ。
エルフの森では出来なかったこと。
ギードは今それをやろうとしている。
一通りの配達が終ると、ギードは教会へ向かっていた。
先日、聖騎士であるエグザスを通し、この教会にある図書室に入れるようにしてもらったのだ。
「この町の者も冬の間は暇だからな。あんまりめぼしい本はもう無いと思うが」
エグザスがギードを見つけてやって来て、そう言った。
冬の間やることは限られてしまう。
そんな時、考えることは皆同じであるようだ。
「いえ、いいんです。何でも」
案内をしてくれるエグザスも今日は暇らしい。
教会の建物自体はごく最近建てられたものだ。
美しい外観、珍しい彫刻や壁画もあり、すでにこの町の観光名所となっている。
実はこの町自体が、普通にエルフが歩いている町として有名なのはこの町の住人だけが知らない。
どんなに住人の多い町でも、ここまで人口比でエルフが多い場所は滅多にないのである。
そんな中でも、エルフが教会の図書室に入るなど今までなかったことであった。
ギードは周りの視線に冷や汗を流しつつ、本を選んでいく。
「こんなのでいいのか?」
それは子供用のおとぎ話のような本や、何かの入門書といった、簡単な内容のものばかりである。
「はい。本を読むこと自体が初めてなので」
本当は雑貨屋で買おうとしたのだが、馬鹿高かったのである。
悩んでいると店主の老婦人がそれなら、と図書室を教えてくれた。
そしてタミリアがエグザスに頼んでくれたのである。
「は、はじめてだって?。文字は読めるのか?」
「ちょ、声が大きいですよ、エグザスさん」
また視線が集まるのがわかる。
急いで係りの者に貸し出しを頼んで、数冊の本を無事借りることが出来た。
エグザスが保証してくれたおかげと、たいした内容の本ではないためである。難しい本ならここから持ち出すことは出来ない。
しかしギードには、この場所で読み続ける自信はなかった。絶対に無理である。
「文字は読めます。ただ人族の本を読むのが初めてなだけなんで」
教会の廊下を出口へ急ぎながらギードは事情を話す。
エルフ族は長命のため、文章を口頭で伝えることが多く、契約などの書類くらいしか文字を必要としない。
それでも人族の町へ出るためには必要なので、子供たちはしっかり学ばされるのだ。
「自分はエルフでも文字は必要だと思っているので」
実はしっかり古代エルフ語まで習得していることは、他のエルフにも秘密なのである。
何せギードはエルフの森、最深部にある古代遺跡の守護者、の使いっぱしりなのだから。
しかし今日の教会は、ギードが以前入った時の印象と違うと感じていた。それは教会の廊下に思ったより賑やかな声が響いていたためだ。
「あれは孤児院の子供たちだ。古くなった教会から今日移動して来たんだよ」
ギードはエグザスの孤児という言葉に身体が少しこわばった。
家に戻るとタミリアがごろごろしていた。
「狩りはお休み?」
「うん」
そういうと、タミリアはギードの方をちらりと見る。
教会の帰りに食材を買い込んで来たらしく、台所で荷物の整理をしている。
晩御飯は何かなーと考えていると、背中を向けたままのギードの声がする。
「そういえば、タミちゃん、去年は冬の間はよく他の町へ行ってたでしょう?」
「あー、うんー、依頼があればねー」
タミリアは効率を優先し、とにかく毎日の鍛錬はかかさず、狩りも毎日決まった数だけこなすことを目標としている。
しかしやはり冬の間は獲物が少ない。
そんな時は他の町からの討伐依頼も受けるのである。
ギードは以前から不思議に思っていた。
「えっと、タミちゃんの本業は何になるの?」
「んー、何でも屋?」
と、首をこてっと横に倒す。
脳筋とは思えない、そのかわいらしい仕草は家の中だけのものである。
ギードはこれは自分の特権だと思う。
きっと外で見られれでもしたら、タミリアはその相手を全力で殴りにいくだろう。
「狩人じゃないの?。毎日獲物追いかけまわしてるのに?」
「んーっと、それは基本的には町からの依頼。この町は初心者が多いから、狩り場を見回って、強い敵は先に倒しちゃうの」
なんと衝撃の事実!だった。
「何でも屋……町からの依頼があれば何でもやるってこと?」
「でもあんまり強制力はないかなー。適当にやってるし」
そうだろうな。意に沿わない依頼など強制したら、実力のある者なら暴れるか、出て行くかになる。
こんな大きな町でもタミリアが暴れたら被害は少なくはないはず。
しかも彼女たち実力者は抑止力としても町には必要なのだ。
ひとりではない、何人かの実力者がいて、お互いに牽制し合って初めてこの町の治安は守られているといってもいい。
ギードのような若いエルフたちが安全に暮らしていけるのも、この町だからこそなのである。
ある程度の先達エルフ達がこの町にいなければ、揉め事はもっと多かっただろう。
美男美女が多いエルフは、その存在だけでも観光になるくらい人気がある。
大昔、そのエルフの争奪が元で戦争になったくらいだ。
森を出たばかりのエルフの若造はいわゆる田舎者。
人の恐ろしさを知らない。簡単に揉め事を引き起こす要因となるのだ。
(そうなるとハクレイさんの過保護ぶりも仕方ないな)
考え事をしながら、タミリアと会話するギードの手は一時も止まっていない。
会話が終る頃には、ちゃんと晩御飯が並んでいた。
「で、ハクレイのお仕事は魔法制御の先生よー」
かなり貴重な人材で、国からの依頼で塾を開いており、高給取りなのだった。オカネモチー。
暖かい季節なら寝室で本を読むのだが、今は冬なので居間の暖炉の側に椅子を持って来ている。
そのギードの足元にタミリアが毛布を持って来て座り込んだ。
「何読んでるのー?」
彼の足元にきちんと積み上げられた本を一つ取る。
それは子供向けの童話だった。人族の子供なら誰でも知っている、ドラゴンと勇者のお話。
「うーんー?」
ギードはたぶんタミリアの声など聞こえていない。
そんな彼の姿に微笑んで、懐かしく思いながらその本を開く。
しばらくの間、暖炉の中で薪が爆ぜる音だけが流れ、彼が近くに置いてあったお茶を口に運んだタイミングで声をかける。
「そういえば、もうすぐドラゴン討伐の季節ねー」
「ふーん、ん??」
パラパラと本をめくっているタミリアの声にギードが固まった。
「ど、どらごん?」
「うん、ほら北の平原って何にもないでしょう?。何でか分かる?」
ギードはふるふると首を横に振る。
実はエルフでも知らない者はいないのだが、引きこもりだったギードは知らないようだ。
「何年かに一度、北の山から雪のドラゴンがやってくるの」
山奥に住むドラゴンが、春が近づくと腹を空かせて目を覚ます。
しかし周りはまだ雪の中に閉ざされていて、自分が動くと雪崩を引き起こし、その周りに住む生き物たちに影響が出る。
それで分身を作り、それが代わりに餌を取りに現れるのではという話だった。
その分身は何体かいるそうで、そのうちの一体がたまに北の平原に来る。
本体ではないのでそれほど強くはないし、虹色の美しい鱗を持っていた。
「ドラゴンの分身が北の山を飛び立つと、魔法の塔から知らせがくるの」
そしてたくさんの腕自慢たちがこの町や周辺の町に集まって来る。
戦う者もいれば、露店で儲けようという者もいる。
それがこの町の春のドラゴン討伐祭り。
「楽しみねー」と顔をほころばせる脳筋娘。
いやいや、危ないだろ。きっと毎回死者も出てるはずだし。そう思うと引きつった顔になる小心者。
(でもドラゴン討伐に必要なモノって何だろう)
ギードは次第に商売人の顔になって、何が売れるかを考え始める。
気が付くと足元の毛布が丸まっている。
顔だけ出して、あとはすっぽり隠れてしまっているタミリアを、ギードは起こそうかどうしようかと悩む。
引きずっていけば途中でばれ、寝ぼけてるから殴られる。
無理して抱き上げて運んでも、途中で落として殴られる。
ならばこのままにしておこう、と結論を出した。
ギードは一晩中、暖炉の火の番をしながら本を読む事にした。
黙ってじっとしていれば美しい妻の寝顔を見ながら。