生きていく者
「始まりの町」露店商の青年エルフの朝は早い。
夜明け前に家を出て、エルフの森、母なる木への帰還魔法で飛ぶ。
引きこもりエルフだった彼は、他のエルフに極力会わないように気をつけている。
そして朝日が昇る頃、材料を集め終わり、町へと戻る。
朝食には木の実を砕いて粉にし、それに水のような樹液を加えてこねた丸いパンケーキ状のモノを作る。
「おはよう〜」
焼き始めると匂いにつられて奥の部屋の扉が開く。
「おはよー、タミちゃん。今日は何枚いっとく?」
にへらっと寝ぼけた顔をほころばせる女性の名はタミリア。
彼女の前の皿に朝食を積み上げる男性の名はギード。
こうしてみるとごく普通の日常のようである。
しかし、エルフでありながら平凡な露店商である夫と、町でも脳筋で名を馳せる魔術師でもある妻。
一部の者たちから「格差婚」といわれている事をふたりは知らない。
「エルフの森」は「始まりの町」の東の港から小船で移動できるほど近いが、その間の海流が激しく、普通の者では渡ることは出来ない。
成人の儀に若者を送り出す時にだけ長老が海流を抑え、戻ってくる時に使うようにと帰還魔法を渡される。
森の承諾がなければ森を出ることも入ることも出来ないのである。
ギードはすでに成人の儀は終っており、長老たちからは一人前と認められてはいたが、それが森のエルフすべての意思とは限らない。
いや、どうせ受け入れてはもらえない、と彼は思っている。
それほど彼が子供の頃受けた傷は深いのである。
「忘れられるはずがないさ」
◆ ◆ ◆
ある日突然、母なる木の根元に現れた赤子。
その身体はエルフ特有の金色の髪、深緑の瞳、尖った耳をしており、確かにエルフの男子であった。
しかし、肌の色は薄い緑であったという。
誰かが言った。
「魔物の子だ」
大昔、エルフの中にも魔物に攫われ、子を宿す者もいたといわれている。
しかしそれは醜いことの象徴であり、実際にはそういった事例はない。
その赤子を見たものは皆その異質さを醜さととらえ、忌避したのだ。
それでも、長老の一人が困惑しながらも赤子には罪は無いとして、自ら育てることにした。
ギードと名づけられたその赤子は、成長とともに肌の色も薄れ、普通の子供たちと同じように育っていく。
ところが、何故かその子供は精霊の祝福をうまく扱えない。
弓矢を持たせても、魔力の感じ方を教えても、他の子供たちに追いつけない。
「やはり魔物の血がー」
ひそひそと噂が囁かれ、やがてその子供は孤立していく。
◆ ◆ ◆
「じーちゃん、きたよー」
ギードはたまに、森の友に呼ばれることがある。風にのってわずかに聞こえる程度の声であるが。
彼の友は森の最深部にある聖域と呼ばれる場所に住む精霊たちがほとんどである。
ギードに「じーちゃん」と呼ばれているのは数千年を生きる、精霊化した巨大な老木である。
根元にウロのような穴があり、そこにギードは子供の頃から隠れ住んでいた。
その木の周辺には、多くの精霊化したばかりの古木や、しばらくすれば精霊化する古木がいる。
枝をサワサワと動かし、ギードを歓迎する。
彼はこの古木の森で害獣を追い出し、枝を間引き、下草を刈って環境を守っているのだ。
それはこの老木と彼と、そして森の長老たちとの話し合いで決められた。
長老たちは半ば諦めていたギードの教育をこの老木に託したのだ。
他のエルフとの決別でもあったが、それは彼の成長には良い方向に働いた。
木のようにゆっくりと、しっかり根を張り、誰とも比べられることなく、唯一の存在として。
ギードはエルフというより、妖精族の一人として森に育てられてきた。
それは現在でも続いている。
古木たちの世話をすることで、ギードは失われつつある古い森の知識を老木から学んでいるのだ。
「ギードよ。遺跡の結界に綻びが見られる」
「わかった。見てくる」
エルフの森の最深部には、古代エルフ族の遺跡が存在する。
ギードは老木に頼まれ、他のエルフであろうと人族であろうと近づけないようにしている。
慣れた足取りで森の奥のさらに奥に向かう。
やがて誰の目にも見ることが出来ないように施された結界の傍に人族の男性がいるのが見えてきた。
結界を破ろうとしたのか、手にしている剣が刃こぼれしている。
「おい、ここで何してる」
ギードが滅多に出さない声を出す。
むしろどうやってここに来たのか聞くべきだったかなと思う。
「いや、結界があるみたいだからちょっと気になってな」
何食わぬ顔で答えるその男性は、聖騎士装備と呼ばれる白銀の鎧を身につけていた。
人族に多い黒い髪、精悍な顔つき、その鎧の下にはきっと鍛えられた筋肉があるのだろう。
正統な聖騎士であるならば、その魔法力も計り知れない。
ピリピリとした緊張感が辺りに溢れる。
通常、エルフの森に人族が立ち入れば、精霊化した古木たちがまず動く。
枝を伸ばして行く手を阻み、根を地上へ突き出し、それらを剣のように使って襲いかかり、相手を追い詰める。
戦士でもそれに抗える者は少ない。ギードは追い詰められ傷ついた者と話し合い、森の外へと誘導するだけの役割だった。
エルフ族は現在、余程でなければ人族に危害を加えないが、ここは聖域といわれる森の最深部。
迎撃されても文句は言えない。
この男性騎士はどこからかこの森にたどり着き、ここまでやって来たのだろう。
ここへ来られるということは、間違いなく彼は強者だ。その男性が通ったであろう森の中、多くの古木が倒されている。
ギードの目に珍しく怒りが見える。
戦闘を得意としないギードは、これほどまでの強者と向かいあったことはない。
それでもやらなければならない時は来る。死を覚悟しなければならないだろう。
頭の隅にチラリとタミリアの姿が浮かんだ。
その前にやるべきことがある。
ギードは男性と距離をおいたまま、結界に手を伸ばす。
その身体に多数の古木の根が巻きつく。やがてその根からギードの身体を通して何かが結界に吸い込まれていく。
老木はその身を通じてギードに魔力の流れを教えているのだ。
聖騎士の男性の目の前で結界は修復されていった。
その騎士は驚き、目を見張っていた。そして落ち着くと、じっとギードを観察する。
「お前、どっかで見たことあるな」
ギードは彼が問答無用で襲い掛かってこないことに、こっそり安堵していた。
いくら老木の根がギードを守っているとしても、この騎士には通用しない可能性がある。
話し合いで引いてもらう、それがギードの役割だ。この森で戦うなど、被害が広がるだけなのだから。
「あー、お前、タミリアの旦那だろ」
「へっ!?」
思わぬところで出た名前に唖然とした。
しかし悠長にしてもいられない。結界の修復が終った今、森の防衛機能が再び動き出す。
「とりあえず森から出ましょう」
「ああ、そうだな」
まわりの木々が不穏な動きを見せ始める。
騎士は一瞬でギードの傍まで来ると、何かを唱えた。
景色が一変し、見慣れた町の教会の前にいた。聖騎士は所属の教会へ飛ぶ帰還魔法を持っているのだ。
ギードはいきなりのことに驚き過ぎて呼吸困難寸前になっている。
小心者はこういう咄嗟のことに弱いのだ。
「大丈夫か?」
心配そうに背中をさすってくれる騎士には、さっきまでの緊張感はない。
「タミリア呼んできてやるよ」
「あ、いえ、そこまではー」
ギードの辞退は間に合わず、騎士は走り去って行った。仕方なく教会の横の公園で、木に寄りかかり体調を戻す。
しばらくしてタミリアがさっきの騎士を引きずるようにしてやってきた。
「ギドちゃん!」
安心させるように片手をあげて答える。
「この馬鹿っ!」
タミリアが殴りつけた相手は、白銀の騎士であった。
「ぐぇっ」
無防備だった騎士の喉元にタミリアの杖が食い込む。
咳き込みながら騎士も負けじと剣を抜く。
そのまま二人は広場で斬り合い始めた。本気ではない、というのはなんとなく分かる。
「あーあ、またやってる」
ポカンとしているギードの横に、白いローブの魔術師が座り込んだ。
タミリアといっしょに居たせいで引きずられてきたようだ。
そのハクレイいわく、あれは脳筋同士のいつものじゃれ合いだそうで、じきに収まるという。
あの騎士の名はエグザスといい、この町の実力者の一人で、教会所属の聖騎士だそうだ。
ギードが多少ぼかしながら彼に会った事情を話すと、ハクレイはため息をついた。
「許してやってくれないか。あいつ今、荒れてるんだ」
なにやら事情があり、そのせいでとにかく無茶ばかりしているのだそうだ。
ギードは先日の討伐競争に負けたせいじゃないだろうかと心配したが、ハクレイは笑いながら否定した。
そして小さな声で事情を話してくれた。
「恋人が亡くなったばかりなんだ」
聖騎士団の遠征中に、彼の恋人が急死し、守れなかったという彼の叫びだけが残ったという。
ギードはハッとした。
あの時、森の結界を彼は壊そうとしていただろうか。ただ単に目の前にあったから、殴りつけていただけなんじゃないだろうか。
どうしようもない哀しみを、何かにぶつけたかっただけではないのか。
「だーかーらーさー、ラブラブな俺達に嫉妬してんのさー」
涙をこらえるようにゆがんだ笑みを浮かべ、ギードは未だにじゃれついている脳筋どもを見る。
ハクレイのおちゃらけた台詞を聞きとがめた騎士の剣が目の前の地面に刺さる。
「おーまーえーらーーー」
今度はじゃれ合いは三人に増えて、広場には見物人まで出始めた。
ギードは町の衛兵が来る前にその場を去ることにした。
公園の入り口付近で、見物人相手に商売を始めた後輩露天商のファルに挨拶をして。