魔法の塔へ(後編)
ギードは町で同族であるエルフに会っても、特に挨拶をしたりすることはない。
「は、はじめまして」
緊張のあまり声も震えていた。
「おはようございます。今回はよろしくお願い致しますね」
初めて会う護衛対象のエルフは、淡いピンク色のローブに身を包んだ、美女というより可憐な花という印象の女性だった。
「おい、わかってるだろうな」
ギードの後ろに、いつの間にか白い魔術師が立っていた。
「おまえもなー」
そして我が脳筋妻が、その後ろでその馬鹿愛妻家を威圧していた。
「ひぃぃ」
いろんな意味でギードは身の危険を感じる旅になりそうだ。
始まりの町中央広場の隅にある移動魔法陣を使い、四人は次の町へ移動する。
魔法の塔の町は、北の山脈の麓にあり、夏であっても雪がチラつく寒い土地であるらしい。
ギードもタミリアも毛皮の上着を用意しているが、結婚して数年という先輩夫婦は軽そうなローブをまとっている。
(かなり高位の補助魔法がかかってるなー)
おそらくローブには耐寒、耐熱や対魔法、対物理衝撃、いろんなものがかかっていそうだ。
とりあえず凝視しているとロクなことになりそうにないので、ギードは見ないようにした。
ギードにとって森を出てから初めての遠出。見知らぬ土地ばかりである。
物珍しそうにキョロキョロしていると、タミリアが傍に来ていろいろと教えてくれた。
「よく知ってるね」
と感心していると
「遠征でいろいろ行ったからー」
という返事が返ってきた。
ギードはタミリアと知り合ってまだ二年と経っていない。
過去の話を聞きたいとは思わないが、気になることはなるのである。
その傍ではイチャイチャというか、夫がいろいろと妻の機嫌をとっているという感じの二人がいる。
そんな同行者に呆れ顔のタミリアは、暇そうに愛用の杖をいじっていた。
移動魔法陣は町と町との外交の問題もあり、近くの町であっても直接移動できない場合もある。
その場合は馬車や徒歩で目的地か、あるいは目的地への移動魔法陣がある町へ移動しなければならない。
今回は運良く二つの町で移動魔法陣を乗り換え、無事に目的地に到着することが出来た。
「これが……雪」
魔法陣がある建物から出ると、まだ季節は秋だというのに、そこは白い世界だった。
町を囲む塀のすぐ向こうに白い山々があり、それを縁取るように針葉樹の森が広がっている。
エルフの森では決して見ることは出来ない風景。
ギードは引きこもりだったので、知識として知ってはいたが見るのは初めてだ。
始まりの町では冬は寒くはなるが、雪が降るのは稀である。
フワリフワリと空から落ちてくるモノを、手のひらを空中に差し出して触れるのを待つ。
「ないー」
溶けてしまった手のひらの水を見ながら、髪や服にかかる雪を気にすることもなくぼーっとする。
「ギドちゃん、こっち」
すでに毛皮を着込んだタミリアがギードの手を引っ張る。
同行者はすでに近くの建物に入っている。
この辺りは自然の中で得られる食物が少ないため、獣も魔物も小さくても獰猛なモノが多い。
そしてそれらを捕食する大型のモノもかなり危険だが少数いるため、町を囲む塀は石造りで高い。
それでも侵入されることはあるので、塀の中とはいえ安全ではないのだという。
「大丈夫!、俺がいるからー」
銀髪の白いローブ姿の魔術師の夫が胸を張る姿に、金髪でピンクのローブ姿のエルフの妻が微笑んでいた。
この町の建物は、基本的に建物同士が地下や渡り廊下で繋がっている。
移動魔法陣のある建物だけが、何かあればすぐ封鎖するという防衛の意味もあり独立しているそうだ。
タミリアから資金を借りて買った毛皮の上着を取り出して着込むと、町の中心部へと向かう長い廊下を歩く。
やがて魔法の塔が見えてくる。
魔法を使う者なら誰でも憧れる場所である。
屋根は尖った三角をしており、白い世界で目立つように赤い色をしている上に、オーロラの様に輝く幕に覆われていた。
その美しさで観光地化しているとはいえ、ここには魔法研究者が多く住んでいる。
白く沈黙した外の世界に比べ、建物の中は結構人が多かった。
「それじゃここでー」
魔法の塔二階にある、精霊の部屋の扉の前で、ギードはその腕をピンクのローブの女性に捕まれていた。
「ああ、ここで待ってるから」
ハクレイの駄々漏れの殺気に冷や汗を流しながら、その扉の中へと移動する。
ちらりと見えたタミリアは、すでに他の階へ移動しようとしていた。
入り口に立つ説明係りのエルフの女性に話しを聞きつつ、その広い空間の奥に鎮座する大きな精霊石を見る。
「すごいわねー」
隣の女性の声にうなづく。圧倒的な森の息吹を感じる。
「この精霊石はエルフの森と繋がっていると言われております」
職員用の制服らしいローブに身を包んだ女性エルフが説明してくれる。
「ここで祈りをささげれば、森と同じ効果が得られるのです」
ここへ来るエルフのほとんどは、自分が持つ精霊の加護に不満があり、変更するためにやって来るのだそうだ。
ギードは胸が少しチクリとした。
不満、だったのだろうか。守護の加護は自分で選んだはずなのに、ファルの加護を見てうらやましいと思った。
タミリアの役に立ちたいと思う気持ちは、タミリアに良く思われたいという気持ちと同じだ。
そんな気持ちで気高い精霊の祝福を使っていいはずはないのに。
その前に、そんな自分は精霊に好かれていないので、頼みごとなど出来ない事をギードは忘れていた。
部屋の奥の祈りの場所に向かいながら、ギードは自分が恥ずかしいと思った。
「私は護衛なのでー」
とギードは一歩下がり、ピンクの女性を先へと促す。
ふんわりと微笑む女性エルフは、精霊石の前に跪き両手を組み、目を閉じた。
そして、その石の周りにいる何人かのエルフと同じように、小さな精霊の光がくるくると彼女の周りを回る。
ギードは彼女が祈りをささげている間、ただぼんやりと精霊石を見ていた。
この石の周りを、エルフたちの周りを、この部屋全体を精霊達が飛び交っている。
しかし、ギードの周りだけはその精霊の様子が見られない。
説明係の女性がその事に気づき、首をかしげていた。
「やはり加護の変更ですか?」
ギードは、祈り終えたピンクの女性を伴って出口の扉に向かいながら話かけると、部屋の隅にある外の景色が見える場所へと誘われた。
ギードは失礼な質問をしてしまったと気づいた。
「す、すいません、余計なことを」
「ふふ、いいのよ。でも変更ではないの、強化よ」
同行している間もほとんど会話をしていないふたりは、ここで初めて会話らしい会話をした。
自分の魔力量が増えた場合、使える精霊魔法の強化が出来る場所なのだそうだ。
「まだヒヨッコのエルフたちには見せられないのよ、強すぎて」
森でこの強化が出来ないのは、魔力の少ない子供のエルフに真似させないためであるという。
そして窓に向かい手を差し出し、精霊の祝福を唱える。
一瞬にして黄金に輝く膜が窓を覆い尽くした。
防具でなくてもいい。対象物を強度な膜で覆う結界。ギードが日頃使っている守護の加護の強化版である。
その女性エルフは美しい横顔を魔力で覆われた窓の外に向けながら話してくれた。
「ハクレイがいろいろごめんなさいね」
「いえ……」
なんだろう、印象が違う。奥さんじゃない、お母さんじゃないか、これ。
エルフは長寿である。若い外見が長く続く種族である。
ギードは捨て子だったため母親というものを知らない。
それでもこのやさしい眼差しは覚えがあった。森の長老である養父が自分を見る目に似ているのだ。
(ハクレイさんって、まさか……でも好みはそれぞれだし……)
ギードはすっかり自分のことを忘れていた。もう加護の話もあまり気にならなくなっていた。
このふんわりした雰囲気の女性はきっと、もっと大きな視野を持っている。
「それにね、精霊はお願いするだけじゃだめなのよ。知ってる?」
「いえ、知らないです」
けげんな顔で首を横に振る。
するとまた、ふふふと笑うと彼女は「いつか分かるわよ」とギードの背中を励ますようにポンポンと叩いた。
女性にはかなわない、ギードはそう思った。
出口の扉を開けると、そこは入った扉とは違うためハクレイはいなかった。
代わりにタミリアが手を振っていた。
「護衛、お疲れ様」
二人の女性が微笑む。ギードは無言のまま照れ笑いを返す。
「遅いと思ったらーーーーー」廊下の向こうから大声を出しながら走ってくる白い人影が見えた。
「あはははは」
タミリアはハクレイを指差しながら爆笑し、職員が静かにするように二人に注意していた。
この後、四人はせっかく来たのだからと、一泊して観光を楽しんで帰ることにした。
もちろん費用はハクレイの負担である。
雪の町の夜はとても静かで、同じ部屋で眠るタミリアの寝息まで聞こえている。
夫婦なのだから当然同室だと言われ慌てたギードだが、ハクレイ夫妻の手前、別室にも出来ず、悶々とした夜を過ごしていた。
(どうせ眠れないからちょうどいいかな)
宿屋の窓に息を吹きかけながら、ギードは自分の加護のことを考えた。
あの黄金の守護の祝福がいつか自分にも使えるようになるだろうか。
そのためにはどうすればいいのか、一度森の長老たちにも自分から話を聞くべきだろうか。
今まで目をそらせてきたモノに、ギードは少しづつ顔を向けている。
この勇気をくれたのは、やはりタミリアだろう。
いつか、どんな形になるかは分からないが、この感謝を返せたらいいな。
ギードは窓の傍で長い間たたずんでいた。
翌朝、風邪と寝不足でひどい状態になったギードを残し、三人は楽しげに観光に出かけていた。
その日の夕方、始まりの町には楽しげにお土産話に花を咲かせる女性二人と、しかめっ面のハクレイにおんぶされたギードの姿があった。




