魔法の塔へ(前編)
秋が深まって、その年の冬が近づいている。
「始まりの町」の北には未開の草原が広がっており、その先は雪を頂いた山々が並んでいる。
この町に来て二度目の季節を迎える露店商の青年エルフは、町の北門からその雄大な景色に見とれていた。
(世界は広い、そして美しい……)
エルフの森の引きこもりだった青年は、まだこの世界のほとんどを知らない。
夕暮れ近くになり、平原から狩人たちが次々と戻ってくる。
その中に、一段と大きな獲物、もしかしてあれは最近討伐依頼が出ていた凶暴な獣ではないかな、を引きずった女性がいた。
「ギドちゃん、迎えにきてくれたのー?」
「タミちゃん、おかえり。別にそういうワケじゃなかったんだけどね」
今更ながら自分の嫁の化け物加減にため息をつくエルフの青年の名はギード。
身体に見合わぬ獲物をうれしそうに見せる魔術師にしては珍しい脳筋体質な女性の名はタミリア。
ごく普通のふたりはごく普通の結婚をし、ごく普通に暮らしているつもりだが、まわりではそう思っていないという、ある意味この町の名物となっているふたりの日常のお話である。
いつものようにギードが作った夕飯を豪快に口に放り込みながらタミリアが話しかける。
「それで、北門のところで何してたのー?」
「いやー、とくになにもー」
心ここにあらずという答えにタミリアは首をかしげる。
実を言うと、ギードが北の草原で見ていたものは、草原の遥か向こう。雪を頂く峰が連なる山脈、その麓にあるという町のことを考えていたのだ。
噂では、その町には魔法の塔という、魔法を学ぶための施設があるという。
そして人族だけに限らず、エルフの精霊魔法に関するものもあるらしいのだ。
(火の加護かー)
ギードは、先日見た後輩エルフの精霊の祝福のことが頭から離れなかった。
ギードは防具に守備力を上げる祝福を与える土の精霊魔法を使うエルフである。
初めてエルフの森を出る若者たちは、その際に長老から外の世界で困らないようにと、装備や薬など必要な一式を与えられる。
その中に、ひとつだけ精霊の加護を追加で得られるというのがある。
生まれ持った精霊の加護は敏捷の祝福という風の形で、他に土の守護、火の腕力、水の癒しがある。
そして、風以外の三つのうちのひとつを、長老から精霊に頼んでもらうことによって得られるのである。
これは子供の内は魔力が少ないため一つしか使えないが、大人になり、魔力量が増えるに伴い、加護も増やすことが出来るということである。
しかし、だいたい二つまでだ。大人でも魔力量には限界があるのだから。
風の加護に一定量の魔力を無意識で使っているエルフたちは、他の加護に使う魔力がそれほど多くはない。
人族の魔術師たちのように、詠唱を覚えれば使えるというものではなく、精霊に頼んで力を貸してもらうのである。
それゆえ、精霊に愛されたエルフほど威力が大きい。そして、精霊は美男美女がお好きなのである。
……まあ、そういうことである。
他のエルフたちより容姿の劣るギードは、自分の魔力が弱いことは子供の頃から感じている。
森を出る際も、少しでも自分を守るために、精霊の加護は守護を選んだ。
それでも他のエルフの加護よりも弱いことは自覚している。
最近始まりの町では、ギードに触発されたように、人族に守護の祝福を与えるエルフが増えてきていた。
ある程度の怪我など寄せ付けないため、走り回って遊ぶ子供にも、町の外へ出る大人にも喜ばれる。一番汎用性が高いのが守護だからだ。
そうなると、今まで祝福を与えてきたギードの加護が、他のエルフより威力が弱いことがわかってしまう。
ギードはもう自分から精霊の祝福を唱えることはしなくなっていた。
初心者向けの安い薬や小物を並べたギードの隣に、最近は後輩露店商のファルも店を並べる。
ファルの露店は狩りで得られた魔物や獣の毛皮や骨といった素材が多い。
彼のように剣を振るうエルフは、それなりの技量が要求される。
グループではないが、何人かの人族も交えた複数の狩り仲間がいるというファルは、かなり認められた優秀な狩人だといえる。
露店に並んでいるものを見ればわかる。
森で採取する枝や薬草と、狩りで得られる獣や魔物の素材。店主の技量がおのずと知れる。
おそらくはタミリアに掛けた精霊の祝福も、かなり強力なのではないだろうか。
(火の加護にすればよかったかな)
ギードは密かにため息を吐き、枝を取り出すと、毒消し用に削り始めた。
「だーかーらーさー、ちょっとだけ力貸してってゆってんだよ」
その日、グループの家に白いローブをまとった男性の魔術師がタミリアを訪ねて来ていた。
彼は名をハクレイといい、タミリアと同じくこの町での実力者の一人ではあるが、脳筋ではない。
口調は軽薄そうだが長身で銀の長い髪、理知的な顔立ち、魔術師の中でも指折りの頭脳派で、回復や支援魔法を得意としていると聞いている。
しかも確か、先日の南の森の討伐競争で負けて、ヤケクソ状態で祭りの花火を揚げてたよね。
そんな彼が何故ここに。
先ほどからチラチラとこちらを見る視線に恐怖を感じ、ギードは顔をこわばらせている。
「キミも結婚してるんだから、わかるでしょ〜〜〜、この相手を想うキモチがさー」
タミリアの話では、このハクレイ、実はあることでも町の有名人であるらしい。
それは、「熱烈な愛妻家」であること。
驚いたことに、奥様はエルフであるらしい。
そして、その奥様を愛するあまり、できる限り一人では外に出さず、異性には特に会わせないという。
一応彼女がリーダーのグループを作っており、彼以外をほとんど女性が占めているそうだ。
どこへ出かけるにもしっかりとガードし、狩りでも、敵を弱らせた上で彼女に止めを刺させるという過保護ぶり。
そんな彼の依頼は、彼女の護衛だそうだ。
「彼女、魔法の塔へ行きたがってるんだけど、エルフ用の精霊の部屋はエルフしか入れないんだよ!」
彼が理不尽だと声を荒げるが、何を言いたいのかさっぱりわからない。
黙って聞いていたタミリアがやっと口を開いた。
「他にエルフの知り合いがいないってことね」
自分の奥さん至上主義のこの男性魔術師は、男性エルフはもちろんのこと、女性であってもエルフは信用ならないとして奥様に近づけないのだ。
さすがに女性のエルフを近づけないのは理由が違う気がする。
おそらく他の美女エルフと自分の奥様を比べられたくないんじゃないかなー、とギードは思った。
「うちのギドちゃんを魔法の塔に連れてくの?」
「あー、お前も来ていいぞ。一緒に扉の前で待とうじゃないか!」
タミリアが嫌そうな顔をしている。ギードも気持ちは分かる。なんだかすごく邪魔くさそうだ。
しかし、そんな嫉妬深い男性が何故自分を名指しで連れて行こうとするのか。
「無害だからに決まってるだろう!。この化け物を嫁にするということは、うちの奥さんには見向きもしないとー」
(いやいやいや、そんな断定されてもなー。ああ、ほらタミちゃんの笑顔が怖い)
ハクレイはタミリアの実力をかなり認めているようだ。
だからこそ男性としてではなく、タミリアの夫であるエルフとして、ハクレイは「キミを信用している」と言った。
とりあえずギードは、タミリアも一緒ならと承諾する。
タミリアの話によると、大昔、何故かそこに、ある日突然に大量の魔力が発生し、後日大きな魔石がいくつも発見された。
それを保存するために回りに結界を張って魔力の拡散を防ぎ、建物を建てて研究をしているのだそうだ。
やがてその石の魔力にあやかろうと、たくさんの魔法関係者が訪れる地となった。
そこにはいろいろな種類の魔石があり、精霊石まである。まさにその石に魔力を分けてもらえるかも知れないという噂があった。
大きな町には必ず、他の町へと空間移動させてくれる魔法陣が存在し、管理人に料金を払って利用することが出来る。
利用するための料金がかなりお高いため、庶民はあまり利用しない。
もちろん、自費で旅などしない節約家のタミリアも貧乏性のギードもあまり使うことはない。
狩りで町の外へ出てもグループに所属していれば、どこからでも専用の帰還魔法が使える。
加えて、森の外に出るエルフには森への帰還魔法が与えられているので、ギードはそれらの魔法を使っているのだ。
今回は必要経費として、移動の費用はすべてハクレイの負担である。
日時の打ち合わせの後、白い魔術師が出て行くと、タミリアとギードも旅支度を開始する。
「ギドちゃんギドちゃん、アレ、いっぱい持って行こう!」
「あー、ハイハイ」
彼女の場合、旅といえば例の非常食が買わずに食べられるということなのか。
「でも、タミちゃんはアレではお腹はふくれないでしょ?。ちゃんとした食料も買っておいてね」
いくら移動魔法陣を多用する贅沢な旅だとしても、常に世の中は何があるか分からない。
まあ、彼女ならそこらへんの獣を狩って食料にしてしまうだろうが。
「わかってますよー、ふふふ」
甘味サイコー!と叫びながら外出するタミリアをギードは少し心配そうに見送った後、自分はいつものように森の最深部へ、非常食用の材料を採りに向かった。
そして深夜。ギードがいろいろと準備していると、タミリアは食堂の椅子に座り、何か思うことがあるのか、ただじっと彼の様子を眺めていた。
「気にしないで、寝ていいよ」
ギードは手を止めることなくタミリアに声をかける。
「……うん。じゃあ、ギドちゃんの分も寝とくー」
さっさと部屋へ引き上げる姿にギードは苦笑を浮かべ、これもタミリアの愛情?表現だと思うことにする。
集合は翌日早朝、ギードはあくびをかみ殺した。




