枝と薬
その家は町の南にある門の近くにあった。
簡易な柵に囲まれた町には、南北と西、三つの門があり、東は海で港があった。
西は耕作地帯と大きな街道が都へと続き、北にある草原の向こうには万年雪の山脈が見えていた。
そして南には広大な森が広がっており、南の門を入って一軒目がその家だ。
魔法で一息に狩場から戻った女性魔術師は、その家の戸を開ける。
「ただいまー」
「おかえりなさい」
かぐわしい匂いに笑みを浮かべつつ、台所に立つエルフの青年に声をかける。
エルフの名はギード、魔術師の名はタミリア。
つい先日結婚したばかりの、だがそんな風には見えないと評判の、ふたりの日常のお話である。
「ギドちゃん、出かけるの?」
タミリアは夕食を取りつつ、何やらごそごそしているギードに首をかしげる。
「うん、ちょっと今度の祭りの件で寄り合いがあってー」
この町の秋の収穫祭が近い。小さな露店をしながら暮らす彼には、収入源として大切な祭りである。
人族が多く住むこの町では、商人としてもエルフとしても若輩らしい彼にはなかなか厳しいらしい。
というか、もともと人見知りのエルフの中でも特に人見知りだった彼が商人として暮らしていることさえ大変なことだろう。
タミリアには、彼がこうして自分から寄り合いなどに出かける事の方が珍しいと驚く。
「仲間内で露店で売り出す商品がかぶらないように話し合うことになってね」
自分の商品の在庫を調べては紙に書き付けているようだ。
いつの間にか自分以外にも知り合いが増えた彼のことを喜ばしく思う。
話し合いの場である酒場に、お酒は好きじゃないんだがなーとこぼしながら出かけて行くギードを送り出す。
「タミちゃん、戸締りはちゃんとして、早く寝るんだよ」
最近ますます自分に対し母親のような言い方をする彼に苦笑いを浮かべつつ。
◆ ◆ ◆
ふたりは出会って一日目からすぐに「ギドちゃん」「タミちゃん」と呼び合うことになった。
それは、ギードがこの町に来た初めての日、姿をごまかしていたことから始まった。
「マルと申します」
「ではマルちゃんねー」
おどおどする初心者の女性魔術師。実はただの人見知りエルフの仮の姿とは知らず、グループのリーダーの男性が鼻の下を伸ばす。
どうも彼は女性ならすべて「ちゃん」づけで呼ぶことが親愛の証だと思っているようだ。
同じ魔術師として面倒みてやってーと言われたタミリアは、すでに「タミちゃん」と呼ばれていた。
「よ、よろしくおね、お願いします。タ、タミリアさん」
「タミちゃんでいいよー、マルちゃん」
家の中を案内し、町のことも、狩り場のことも知らない彼女にいろいろと手取り足取り教えてあげた。
真っ赤な顔でうつむいているかわいい新人さん。
しかしその日の内にバケの皮は剥がされてしまうのだ。
「ご、ごごごごめんなさいぃぃ」
この家の寝室は男性用一部屋と女性用一部屋のみ。
つまり、いくら女性の姿をしていたとしてもエルフの青年は、男性である。
女性とふたり、同じ部屋で寝るわけにはいかないと、突然新人女性が謝りだした時は驚いた。
最初から何やら態度が普通ではないなーとタミリアは思っていたが、そうくるか。
おそらく数日の内にはわかってしまうことだったとしても、自分から明かした勇気は認めてあげよう。
タミリアは、ガタガタと震えながら真の姿をあらわにしたエルフの青年を好ましく思った。
しかし罰は必要だ。ギードの名前を聞いた彼女は一言。
「じゃ、今からギドちゃんって呼ぶね」
それで許してもらえるなら、と一言も反論はなかった。
◆ ◆ ◆
朝、タミリアが起きる頃にはすでにギードは朝食の準備が終っている。
昨夜は寄り合いで遅く帰ってきたはずだが、彼の行動はいつも通りだ。
夜明け前に起き、エルフ特有の母なる木への帰還魔法で森へ飛び、露店の商品の材料となる枝や薬草の採集。タミリアが起きる前に町に帰る。
そして露店の準備をしながら朝食の用意が始まる。
「おはよう」
「おはようタミちゃん、朝食の用意はできてるよ」
彼は毎朝パンケーキで朝食を作る。それにはエルフの森で取れる樹液のシロップが添えられる。
タミリアの好物だ。
薬草をいろいろと選んで作られたお茶も彼独自のものだ。
最近は町の食材で作ったスープや惣菜も彼の献立には増えてきている。
しかし、ギードがエルフの森の素材で作るとやはり味が違うようだ。
「いっそ食堂でもやったら?。繁盛しそうよ」
ははは、と引きつった笑みを浮かべる青年エルフは、やっと引きこもりを卒業したばかりだった。
「タミちゃんが喜んでくれればそれでいいから」
専属の料理人でいいらしい。
タミリアは機嫌よく朝食をいただき、今日もぶんぶん腕を振りながら狩りに出かける準備をする。
そういえばひとつ欲しいものがあった。
「ギドちゃん、毒消しって扱ってる?」
最近、南の森の奥でゾンビやグールといった毒を持った魔物が発生している。
タミリアをはじめ、名のある実力者たちは町からその討伐を依頼されているのだ。
魔術師である彼女は当然毒消しの魔法を使うことは出来る。
しかし、敵の数がわからない以上、出来れば薬を使うことで魔力を温存したい。
「瓶入りじゃないけどいい?」
「え?」
彼女の前に差し出されたのは木の枝を加工したものだ。
丁寧に削られており、表面は磨かれ白く、小さく平たく、大人の指一本分くらいの大きさである。
「エルフの毒消し、使ってみる?」
日頃エルフの非常食など、自分と同じ食事を摂っている彼女なら、エルフに近い効果が得られるのではないかとギードは思った。
それを渡しつつ、実験台として自分に毒を与える魔法をかけるように促す。
本来なら防御の硬い獣などに使う魔法である。
いくら毒消しの道具を準備しているとはいえ、タミリアはギード相手に使うことをためらう。
いつもなら迷い無く自分を実験台にしそうな彼女がうろたえる。ならば、と彼は荷物から薬の材料として使う毒キノコを取り出す。
そしてそれの欠片を口に入れ身体の色が変わるのを確認する。
「ちょ、ギドちゃん!」
慌てる彼女を制し、木の枝で作られたソレを口にくわえる。
一瞬、緑色の光が彼の口元から溢れ、全身を輝きが覆っていき、毒の色が消える。
「木の精霊が宿った枝だよ。軽く噛むだけでいい」
ギードは驚き戸惑う彼女に、毒キノコの欠片と共にそれを渡す。
人族に効き目があるかはわからない、やってみるしかないとギードは思った。彼女は魔術師だ、いざとなれば魔法で解毒出来るだろう。
タミリアはそれを手に持ち、陽に透かし、振り回し、舐めてみて、かじっている。
(味は無い、はずだ。舌触りは、まあ、木だしな)
そしてタミリアは意を決したように毒キノコの欠片を口に放り込み、すぐに枝を噛み締める。
「お、消えたー!」
すぐに彼女の興奮した声が響いた。
エルフと同じとは言えない弱い光だったが、確かに輝き、多少効果はあったようだ。
ギードは安堵のため息を漏らし、タミリアはしばし考えこんでいた。
「ギドちゃん、これ、どれくらいある?」
「在庫?。まあ、エルフの森の枝があればいくらでも作れるし、欲しいだけ作るよ」
珍しく思慮深い顔でタミリアがギードを見る。
普段からギードは森の枝を生活用の薪として売っている。拾ってきたものなので元手は無料である。
エルフの森の枝は薪として同じ値段でも、このあたりの森の薪より良く燃え、長持ちすると評判である。
木の精霊の影響が強いせいらしい。
それを加工したとしてもそんなに値段が高くなるわけではないだろう。
おそらく瓶入り毒消しの価格よりは安くなるはずだ。
「まあ確かに。瓶入りの薬は高いからなあ」
狩り場で見かけるエルフたちが枝を使っているのを彼女は見たことがない。
町の生活を知ってしまった彼らは、瓶入りの薬を人族と同じように使う事に慣れてしまっている。
おそらく昔ながらの方法で作ったものなど、古臭い、田舎くさいと思っているのではないだろうか。
しかしギードは根っからの貧乏性である。森の材料で自作した方が安いのは事実だ。
「これ、すごい発見だよ」
節約家の彼女は大喜びである。お金も魔力も節約できる。
そんなに喜ばれることなのかな、とギードは訝しげに彼女を見る。
それでも、またひとつ彼女の役に立てたことを喜ぶことにした。
自分が持っていた在庫をすべて渡すと、脳筋魔術師は「これで勝てる!」と何やら叫んで飛び出して行った。
後で聞いたら、他の脳筋たちと獲物の数を競っていたらしい。
薬を飲むより、魔法を使うより、常に枝を口にくわえておけばすぐに効果が出るので時間が節約できる。
たとえ効果が弱いとしても、何度も噛み砕き、新しい枝を取り出し続ければ、やがて確実に毒は消えるのだ。
あー、きっと「毒なんて怖くない!」とか言いながら獲物の群れに嬉々として飛び込んでいるだろう。
口元から光をこぼしながら、いつものように剣代わりの杖を振るっているタミリアの姿が目に浮かんだ。
だけど普通の魔術師って、魔法で遠距離で戦えば毒なんて関係ないよな、とギードは思う。
今更な疑問であった。彼女はただの魔術師ではなく、脳筋魔術師なのである。
南の森では討伐が終るまでの間、怪しい緑色の光が何度も目撃され、新しい魔物ではないかと話題になっていた。
祭りは盛況だった。
以前ふたりが訪れた教会の横が公園になっており、祭りの間は普段そこでは禁止されている露店の許可が下りていた。
ギードの店も賑わっている。急遽出した毒消しの枝も飛ぶように売れた。
南の森の討伐で、小粋に口元に白い枝をくわえたタミリアの姿がかっこよかったと評判になったためだ。
日頃から弱いギードを歯牙にもかけない脳筋連中が、こぞって買いに来た。
「さすがタミリアねえさんの旦那だ」
よくわからない褒め方をしていった。ギードはただビビって恐縮していた。
瓶入りの薬を売る商売人たちと揉めるかと心配していたが、彼らも安いからと試しに買っていった。
どうも瓶入りは高級品、枝は粗悪品だと言いたいらしかった。
確かにエルフに対する効果より、森の加護のない、人族に対する効果は薄い。
小心者のギードは一安心だ。怒られないなら、それでかまわなかった。
それよりも、祭りに来ていた大勢のエルフと交流出来たのが意外だった。
他の町からやってきた彼らは、ギードの商売に関心を示し、エルフの非常食の話などでおおいに盛り上がった。
そこには、容姿や弓の腕前など気にもしない、商売人同士の交流があった。
ギードは今までに無い興奮を感じていた。
自分がどれだけ世間知らずだったか、それを知ったのである。
それぞれが秘匿している以外の新しい品や他の町の売れ筋などの情報交換がなされた。
世界は広い、まだ少ししか知らないくせに彼はそんなことを思った。
しかし首をかしげる商売人エルフもいた。
エルフの非常食を人族が好むなど信じられなかった。まして毒消しの効果まで。
もしかしたら人族に多少の効果があったのは、それを作ったのがギードで、それを使ったのがタミリアだったからかも知れない。
誰も他のエルフの作った物と比べた事がなかったために気がついていなかったが。
祭りの終わりごろには派手な魔法が夜空に打ち上げられた。
大きな音や飛び回る火の鳥のような魔法、キラキラと星のように流れる光。
タミリアは酔っ払っているのか、大声を上げながら魔術師仲間と魔法を打ち上げている。
(討伐数で勝利を収めたようだね、おめでとう)
ギードは、あとでお祝いに大量の枝と例のお菓子も贈呈しようと思った。
うら若い女性としてソレはどうなんだ、などと思うこともなく、羽目をはずすほど楽しんでいる嫁を遠くから微笑んで見守る。
狩り場での非情なまでの撲殺ぶりを知る周りの者たちが、彼女に何かできるとは思えない。
(ふふ、こんな楽しみは森にこもっていたら味わえなかったな)
ギードは売り切れた露店をしまいつつ、その日知り合ったエルフ達と連絡を取り合う約束を交わした。
有意義な一日だった。しみじみと思った。
とっくに深夜をまわった夜空を見上げると、お月様がバカ騒ぎを迷惑そうにしていた。