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貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-  作者: 柳野 守利
第三章 それは人か否か
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第41話 人ゴロシ

 緊迫した空気が森の中を張り詰めている。目の前で小太刀を片手で振り回し、両眼から涙を流している紫暮さんに向けて槍の穂先を向ける。


 ……けど、それは形だけだ。力なんて入ってないし、突き刺す度胸も持ち合わせていない。ただ、後ろにいる七草さんに無様な姿を見られたくないから歯を食いしばってその場に立っているだけだった。


「なんで、なんで僕だけがッ!! こんな目に遭わなきゃいけないんだよぉぉぉッ!!」


「ッ、一旦離れろ!!」


 肥大化した彼の左腕が振るわれる。先輩の声を聞いてすぐ、俺と七草さんは後ろに下がっていった。大きくなればなる分、それだけ質量が増える。質量が増えれば、速度は遅くなるはずだった。


 なのに目の前で振るわれる腕はとてもじゃないが鈍重には見えない。素早い一撃が何度も繰り返し叩き込まんと動かされている。彼の足もそうだった。ところどころが盛り上がっていてバランスが悪そうに見えるのに、しっかりと両足で地面を踏みしめていた。


「どうしろってんだよ、こんなの……!!」


 先輩が悪態をつきながら俺達の側まで走ってくる。片手には先輩愛用のデザートイーグルが握られている。しかし銃口は向けもせず、ただ片手で持っているだけだ。


 先輩も、撃てないんだろう。目の前にいる人物は、人間だった。さっきまで、人間だったのだ。


「……いいや、違う」


 ボソリと呟いた。人間だったのではない。今も彼は人間なのだ。その心が。でなければあんなにも苦しそうに、悲しそうに叫ぶわけがない。彼も認めたくないのだ。自分が……バケモノになってしまったことを。


 だって、自分が人間だと証明できないんだから。人は筋肉がいきなり肥大化しないし、その肥大化した部分に合わせるように服が伸縮するなんてのも以ての外だ。


「偽物なんかじゃない!! 偽物なんかジャない!! ボクは、ニセモノなんかじゃなイィィィィッ!!」


 肥大化した左腕で木を薙ぎ倒して動けるスペースを作り、接近してくると今度は右手に持った小太刀を振るってくる。振るわれる速さも先程の比ではない。空気が切り裂かれる音が耳障りになるくらい聞こえてくる。


「散開しろッ!! 纏まってたらまずい、特に氷兎はなるべく離れろッ!!」


 先輩が紫暮さんの顔の真横に弾丸を撃ち、自分が囮となってその場から離れていく。先輩の言う通り、俺は離れていた方がいいのかもしれない。時間帯は今は昼だ。身体能力向上は見込めないし、なにより俺は起源覚醒者であるのにも関わらず地の身体能力が低い。先輩や七草さんとは比べ物にならないくらいだ。


「氷兎君、私加勢してくる!!」


「あっ……」


 両手に手袋を嵌めた七草さんが走っていくのを止めようとしたが、先輩一人では無理だ。かといって俺が今突っ込んでいっても足でまといになる。七草さんにはできるだけ戦って欲しくなかったが……最早そんなことを言っていられる状況でもない。


「はぁッ!!」


 七草さんは先輩を狙っていた紫暮さんの背中に向かって飛びかかり、空中で身体を捻って回転するようにして蹴りを放つ。鈍い音が響き、紫暮さんのあの巨体がそのまま転がっていく。


「た、助かった……けど、なんつー力だ……」


 先輩はそのまま木を使ってジグザグに走り、紫暮さんとの距離を離しながら威嚇射撃を続行する。立ち上がった紫暮さんは、蹴りを入れた七草さんか、未だに命を削らんとしてくる弾丸を放つ先輩を狙うべきか少し迷ったあと、先輩に向かって走り出した。


「……俺は、どうすれば………」


 何も出来ないまま、なるべく紫暮さんの視界に入らないように移動していた俺は、何も出来ない歯痒さに苛ついていた。このままでは、先輩の弾が尽きる。長引けば、七草さんが怪我をするかもしれない。


 だというのに、俺は何も出来ないままでいた。槍を構えたまま、ただじっと二人の戦闘風景を見ていた。


「邪魔を、するナァァァァッ!!」


 幾度と無く先輩への攻撃を妨害し続けた七草さんにとうとう矛先が向いた。左腕を振るい、小太刀を振り抜き。しかしそれを軽い身のこなしで簡単そうに避けていく。見ていて溜まったものではなかった。


「どうにかしないと……でも、俺に何が出来る?」


 先輩の威嚇射撃に紫暮さんはもう反応しなかった。ただ攻撃を加えてくるのが七草さんだけだとわかったのか、もう先輩を狙うことはせずに七草さんだけを攻撃し始める。何も出来ない現状に苛ついていると、ズキリッと頭が痛んだ。



 ───そんなところでじっと見ていたままで、いいの?



 脳内に声が響いてきた。今まで何度か聞いてきた、あの女声だった。この状況に苛つき精神的に不安定になっていた俺は言葉を荒らげてその声に応える。


 いいわけないだろ! でも、俺に何が出来るってんだよ!



 ───あるじゃないか。君にも出来ることが。



 その響く声が、どうにも俺の事を笑っている気がして腹が立った。心の中で色々と言葉を荒らげる俺に、女声は少しだけ嘲笑(わら)ってから言った。



 ───君の腹に巻き付けてあるソレは、飾りなのかい?



 言われて、自分の腹を触った。そこにあったのは、オリジンから支給された銃だった。いつでも持ち歩けるように腹に巻き付けていたのを思い出す。


 ……これを、使えというのか。その小さな呟きに女声は応えた。とても、冷徹な言葉が頭に響く。



 ───殺せよ。



 たった一言。けれど、今まで生きてきた中でこれ以上言葉で衝撃を受けたことは無かっただろう。人を殺す決意もないのに、まるで自分の身体じゃないように、俺の意思に反して腹につけられた銃を片手で持った。


「………」


 七草さんが必死に攻撃を避けている。その光景を見ながら、俺はゆっくりと銃口を紫暮さんに向けていった。けれど、手が震えている。銃口は向けられていても、狙いが定まっていない。


 心臓が跳びはねている。脈打つなんてレベルではなかった。呼吸も段々と浅くなり、感覚も短くなってくる。


 ヒュンッと小太刀が振るわれた。紫暮さんの持っている小太刀が、とうとう七草さんの左腕を斬りつける。


「痛っ……」


「七草ちゃん!?」


 あっ……と小さく声が出た。


 七草さんが傷付いた。誰のせい? 遠距離から射撃をしている先輩のせい? 逃げ回るばかりで反撃をしなかった七草さんのせい? 攻撃を繰り返す紫暮さんのせい?


 ……いいや。



 ───君のせいだよ。



「ッ………」


 ダンッと一発の弾丸が放たれた。銃口がぶれぶれで、手が震えていたのにも関わらず、その弾丸は辛うじて紫暮さんの左腕を撃ち抜いた。


「─────ッ!!!」


 咆哮が響く。血走った両眼が俺を捉えた。今までの優先順位を無視し、身体に傷をつけた俺を殺そうと凄まじいスピードで走ってきて小太刀を振り上げた。


「氷兎君、逃げてッ!!」


「氷兎ォォォッ!!」


 逃げるだなんて、無理だった。足はもう固まってしまっていたのだから。咄嗟に片手で槍を動かして小太刀を防いだ。


 ……が、走って来た勢いに加えて強化された紫暮さんの腕力に、槍が小太刀によって弾き飛ばされた。片手では堪えられるわけがなかった。そして今度は左腕がぐっと引かれ、身体のど真ん中を打ち抜くように振り抜かれた。


「がっ、あぐっ……」


 ズシンッと重たい一撃が身体に響いた。腹に叩き込まれた俺はそのまま吹き飛び、後ろにあった木に衝突してそのまま前に倒れ込む。肺の中身が一気に失われ、呼吸ができなかった。


「死ネェェェェェッ!!!」


 なんとか首を上げて見ると、俺を叩き潰さんともう一度その左腕が引かれていた。


 ……ここで、死ぬのか。


 頭の中にふと、菜沙の姿が浮かんできた。約束を守れなくてごめんっと心の中で謝ると、俺は脱力して迫り来る死に備えた。


「氷兎君に、触らないでッ!!」


 ……来ると思っていた痛みは来なかった。七草さんが走ってきて、紫暮さんの左腕を蹴り飛ばして拳の進路を変えたのだ。しかしそれでも紫暮さんは止まらない。今度は右手に持った小太刀で斬りつけようと、右腕を後ろに下げた。


 七草さんは動こうとしない。俺を庇う気なのだろう。そんなこと、しなくていいのに。


 なんとかしてこの場から動かなければならないのに、身体は上手く動かなかった。動くのは、腕だけだ。身体に酸素が上手く回っていないせいだろう。腕だけではこの場からすぐには逃げられない。けれどこのままでは、七草さんが死んでしまう。


「させるかよッ!!」


 響く一発の銃声。カキンッと鉄が弾かれる音が聞こえ、紫暮さんの持っていた小太刀がどこかへ飛んでいった。離れていた先輩が、小太刀を狙撃したようだ。


「邪魔するナって、イっただろォォォッ!!!」


 何度も邪魔をされた紫暮さんは怒り狂った。


 このままでは、俺が邪魔になって全滅する可能性が高かった。それのせいで、七草さんや先輩が傷つくのは、御免だった。


 ……だから、俺は。


「ガッ、アァァァァァッ!?」


 腕だけを動かして、紫暮さんの眉間を撃ち抜いた。こんな至近距離で外すような訓練はしていない。


「ア、あぁ………」


 眉間から血が溢れ出し、そのまま紫暮さんは後ろ向きに倒れていった。


 身体構造が同じなら、脳を撃ち抜けば死ぬのも同じことだ。人間を真似ているバケモノならではの弱点だった。


「………」


「氷兎君、しっかりして!!」


 七草さんが俺の身体を起こして揺らしてくる。紫暮さんがもう動かないという安心感と、人を殺したという気持ち悪さに、もう動く気力すらなかった。


「氷……起き……!!」


「おい、……しっか……!!」


 途切れ途切れになってきた先輩達の声を聞きながら、俺は重くなってきた瞼を閉じて、そのまま意識を手放した。



 ───よく出来ました。



 意識が途絶える直前、誰かが俺を嘲笑(わら)っていた気がする。



To be continued……

氷兎が早いとこすっぴんからジョブチェンジしないとまともに戦えたもんじゃない

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