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貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-  作者: 柳野 守利
第九章 鏡合わせの観測者
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第127話 泣く蜘蛛

 風俗店という名前を聞いて、良いイメージが浮かぶ人と、そうでない人の二種類がいると思う。俺と先輩は、その二種類だった。先輩は男性にとって嬉しいことをしてもらえるというイメージ。しかし、俺にとっては嫌々その仕事をしなければならない、一般的に失敗したような人が就くような職だという偏見がある。きっとそうではないのだろうけれど。


 西条さんは風俗店に行くとしか言わなかったけど、薊さんからは少し思いがけない話が聞けた。警察内部にいる協力者との繋がりがあるらしい。それが比嘉刑事なのだと。


 薊さんが言うには、警察には特殊な部門が設立されていて、俺たちのような特殊な人間でないと解決できない事件を取り扱うらしい。その事件を預かり、オリジンの本部に連絡。そして俺たちへ仕事が回ってくる。比嘉刑事はその部門の刑事で、 後始末や現場の付き添いなど、いろいろと手を回してくれているようだ。


 まぁ確かに、そういったものがないと任務にも支障が出る。入ったばかりの警察官なんて、俺たちの存在すら知らないだろう。任務をスムーズに進めていくためと、民間人への情報漏洩を防ぐという点に注力する公安部門。その名も、『ゼロ』。協力関係にある機関との情報のやり取りなどを行うらしく、基本的な仕事は情報収集と統括なのだとか。詳しいことは流石に警察からNGを喰らったらしいが。


 そのゼロも比嘉刑事も、俺との関わりは多分ない。こっちの俺は随分と外部にも協力者がいるようだ。任務先で様々な人と出会い、関係を作り上げていく。そのコミュニケーション能力は間違いなく俺以上だ。


「比嘉刑事とは、どこで知り合ったんですか?」


「ネームレスと戦った時かな。あの時は警察とも連携とりながらの任務だったし、ネームレスが出て応援を頼まれた時も比嘉刑事から連絡が来たと思う」


「……そういえば、確かにそんな名前の人がいたような」


 あの事件で懇意になった人は喫茶店の店長だけのような気がする。藤堂は……今も元気にしているだろうか。近くに行くことがあったら、少し探ってみるのもいいかもしれない。


「しっかし、風俗店ねぇ。こんな黒服集団が集まったらヤバいでしょうに。ケツ持ちって思われそうだぁ」


「それっぽい人いますからねぇ」


「俺をヤクザ扱いするのはやめてもらおうか」


 だってヤクザにしか見えないですもん。西条さんは眼鏡外してオールバックをやめれば、ちょっと強面のお兄さん程度になるかもしれないけど。今のままじゃどう見たってインテリヤクザだ。


 それから数分くらい西条さんの容姿について話しながら歩いていたら、通りに人が少なくなってきた。周りに見えるのは、ピンク色の文字が光っているホテル。そういった店の並ぶ場所にまでやってきたらしい。


 こんなところ男女で固まって歩いていたくはないんだけど……そうもいかない。もう少しで問題の風俗店に着くといった所で、ふと景色に違和感を感じた。神話生物のような感覚じゃなく、普通に。道の奥の方で、空間が一瞬だけ揺れたような気がする。


「随分とこの辺人が少ないですね。それに、なんだか奥の方も変な感じがしますし」


「比嘉刑事が人払いをしてくれている。さっさと来いとでも言いたげに、さっきから何度もコールしてきてるな。鬱陶しい」


「まぁまぁそう言わずに。夜中だってのに大変なんだからさぁ」


 少しは労わってあげて、と鈴華さんが言うも、薊さんはどうでもいいと言いたげに顔を逸らす。普段の俺たちは、確かにこんな感じで過ごしていたんだろう。仲がいいということが傍目から見てわかる、というのは案外嬉しいことなのかもしれない。


「奥の方が変に感じるのも、近づけばわかる事だ。とっとと行くぞ」


 先を歩いていく西条さんに置いていかれないよう、全員で着いていく。奥に進めば進むほど、その違和感というのは如実になってくる。もうそれは違和感では済まされない、確実な異変だった。


「おいおい、なんだよこれ……」


 先輩の口から漏れ出た言葉は、きっとこの場にいる全員の気持ちを代弁したものだっただろう。


 辿り着いた風俗店は……いや、なんとも言葉にするのは難しい。看板はジガジガとブレて読めないし、建物も所々ノイズが走ったように揺れ動いている。まるで、映像作品のように思えた。


「これは、アレだな。バグってんな」


「現実でバグって……中で誰かケツワープでも試したんですかね」


「中に金髪幼女のTASさんがいるかもしれない。急ぐぞ氷兎!」


「待て馬鹿者。入ってお前までバグったらどうする気だ」


 いざゆかんとばかりに突撃しようとする先輩を、西条さんが襟首を掴んで引き止める。そもそもこんな訳の分からない場所に突っ込んでいかないでください。何があるかわかったもんじゃないのに。


「わーってる、冗談だって……いやでも、コイツは冗談じゃねぇんだよな? 俺の目がおかしいとかないよな?」


「誰の目から見ても、バグってると思いますよ」


 確認するように周りを見回せば、薊さんも鈴華さんも、そして唯野さんも頷いている。目の前の光景は、確かに全員に見えているようだ。


 とりあえずとばかりに、先輩がポーチからマガジンを取り出して投げつける。狙った場所は、建物のバグっている部分。数秒毎に青白く光って建物がブレる。けれどもマガジンは確かに硬い音を立てて跳ね返った。そこには建物としての形状が残っているらしい。


「これは、一般人には見せられないね。西条はどう思う?」


「……さぁな。こんな奇っ怪なモノ、私にわかるわけないだろう」


「じゃあそっちの西条は?」


「さて……仮説ならたてられるが、これは言わん方が良さそうだ。まぁバグという言い方は、言い得て妙だがな」


 西条さんは何かしら仮説はたてられているらしい。言葉にしないのは、彼なりに考えがあるんだろう。


 ……薊さんを軽く睨みつけるのも、その理由の内なのだろうか。薊さんの方も、西条さんのことを睨み返している。仲が悪いのはわかったけど、ここではそう態度を悪くしないで欲しい。せっかくの頭脳が二人いるのに、勿体ないだろう。


「よぉ、お前さんたち。今日は随分と人数が多いな」


 建物を眺めていたら、急に背後から声をかけられた。黒スーツで、髪の長い女性がタバコを吸いながら俺たちのことを見ている。目元の隈も濃く、やる気も感じない。ダウナー系、と言えばいいのか。顔のシワやスーツの着こなしから見ても、かなり年上だろう。


 女性陣は彼女のことを知っているらしく、軽く頭を下げた。どうやらこの人が比嘉刑事らしい。


「暇そうだったので、応援を頼みました。それで比嘉さんが私たちを呼んだのはまぁ……コレですよね」


「そうだねぇ。今までなんともなかったのに、急にこんなことになって困ってたんだ。しかもここだけじゃない。全国各地で同じような現象が起きてる。こんな風になるのは決まって、風俗店だってのがなんともまぁおかしな話だよ。いい加減、こんな変な事件に巻き込まれるのは勘弁なんだけど」


「いつもすいません。今度菓子折りでも持っていきますから」


「菓子折り程度で、私の崩れ去った常識が戻ってくるなら受け取るよ」


 あぁもうやだ、と比嘉刑事は光を失った目で空を仰ぐ。吸い終わったタバコを手持ちの吸殻入れに捨てて、また新しいタバコを口にくわえる。どうやら重度のヘビースモーカーのようだ。


 ……吸ってないと、こんなことやってられないとも思えるけど。いや実際そうなんだろう。市民の平和を守る警察官が、まさか出世したばかりにバケモノと相見えようとは。とんだ人生だと、嘆きたくなるのもわかる。


「それで、俺たちにコレを調査しろというのが公安からの依頼でいいんだな?」


「いや、それもあるんだけど……それはまた別働隊を派遣してもらう。今のところは、国の方でなんとか誤魔化すだろうね。問題はまた別にあってだね……ここで働いてた風俗嬢の一人が、どうにも変なもんを見たって言うのさ。でっかい蜘蛛だとか、言ってたっけなぁ」


「……唯野、何かわかるか?」


「いや蜘蛛って言われましても、魔導書は辞書じゃないんですから。勝手に人の記憶にこびりつけてくるので、自由に扱えるもんじゃないんですよ」


 いつの間にか知っていた、という事実だけを残していく。それが俺の中にある二冊の魔導書だ。記録媒体という扱いではなく、もっぱら魔術行使の触媒扱いになっているけど。


 蜘蛛、蜘蛛……と心の中で言い続けても、何も反応はない。はー、つっかえ。pdfファイルにでも変換してくれれば……いやダメだ。面白半分で読んで死ぬやつが出る。絶対に。


「まぁ、蜘蛛だなんだって話はその嬢から聞いてほしい。問題はまだあって……」


「いやいやいや、ちょーっといいっすかね。この意味不明なバグに加えて、その風俗嬢の話もあって、更にまだあるんすか!?」


「その風俗嬢と関連してるかもしれないって話。とりあえず、西条さんに動画送るからさ。それを皆で見てほしい」


 比嘉刑事が西条さんの携帯に動画を送り付け、更にそこから鈴華さんと唯野さんに送られる。とりあえず俺は唯野さんの携帯を横から覗き見てみたが……再生されている動画は暗く、遠くに設置された街灯の明かりで薄らとシンボルが見えている程度。


 日付が示されていたり、固定カメラだったりで、多分これは監視カメラの映像だ。写っている場所は、ここからそう遠くない場所にある公園だろう。石で作られたベンチと芝生の位置関係には見覚えがある。


「公園に監視カメラなんてあんの?」


「一部設置された場所はある。しっかりと条件をつけた上でだがな」


「へぇー、でも今んとこ何も映ってなくね?」


「もうちょっと待って。そしたら……見えるはずだよ」


 見えるって、何が。そう聞こうと思ったら映像に変化が現れた。左下の方から、上半身だけが映った女性の姿が見え始める。耳には赤色のピアス。服装は水色で、黒い長丈のスカート。それだけなら何も問題はないけど……女性はそのまま監視カメラの中央を通って奥の方へと進もうとして、動きが止まった。


 両腕で身体を抱きしめるように抑えつけ、内股になって震え始める。ガタガタという音が聞こえそうなくらい振動し、やがて立っていられなくなり、地面に四つん這いになった。そして……


「ッ……」


 誰かの息を飲む音が聞こえる。その刺激的な瞬間は、思わず身体がビクリと動き、両手に力が入ってしまうようなものだった。


 女性の足が、大股開きになる。普通ではありえないほど開かれた足。そして肥大化していく腰から下の部位。膨れ上がった尻は後方に向けて大きく膨らみ、その部位から液体と共に食い破るかの如く突き出してきたのは、新しい足。しかも色は黒い。


 最初に開かれた足も、徐々にその色を黒へと変えていく。履いていたハイヒールを雑に脱ぎ捨て、ボロボロになったスカートを両手で押さえつける。


 人間の上半身。けれど下半身のソレは、まるで昆虫のようだ。足の本数は、八本。昆虫は基本六本だ。だとしたら、それは昆虫ではなく……蜘蛛だ。まるで産まれたてのそのバケモノは、足が上手く動かないのか、その場で地面に伏している。


「な、なにこれ……人が変異って、まるでスワンプマンみたいな……」


「人間なのか、バケモノなのか。変異してしまったとしたら、自分の意識はあるのか。そこら辺は考慮すべき点だろうな」


 薊さんも、西条さんも動じた様子はない。先輩は鈴華さんと顔を向け合い、表情を固くする。普通の人間らしい反応だ。それを見て、怯えているのが自分だけじゃないことに、少しだけ安堵する。


「もし仮にこれが人間だったとしても……殺さなきゃいけないのかな」


 隣から聞こえる声に、覇気はない。俺だってそうだ。この女性が人に危害を加えないとも限らない。例え人間としての意識や記憶があろうとも……スワンプマンのようになってしまったとしたら、殺す他ないのだから。


「……今は、なんとも言えないかな。話が通じればいいんだけど」


「だよね。話してみないことには、なんともならないよね」


 少しだけの希望を残しつつ、また動画を見る。震えていた女性は、生えたばかりの足をそれぞれ不規則に動かし始め、次第にゆっくりと立ち上がった。八本の足で、地面を踏みつけ……その場でくるりと身体を回す。今まで後頭部しか見えていなかったけど、顔が見えてしまった。


 悲痛、恐怖。歪んだ顔と、流れ落ちる涙。目の中にある瞳の数は増えていて、ギョロギョロと動く。口は開きっぱなしで、きっと何かしらの呪詛を吐いているのだろうというのは容易にわかった。


 その顔を見ればわかる。その涙を見ればわかる。声が聞こえなくともわかる。女性は今の自分の境遇を嘆き、張り裂けるような声で泣き喚き、両手で自分の顔を掻き毟った。


 これは夢だ。これは夢のはずだ。早く醒めて。そんな、声が聞こえる気がする。人間から変異したという不気味な光景に恐怖をそそられるよりも、その女性の泣く姿を見て可哀想だと思う感情の方が勝り始める。


 いくら泣き叫んでも、その声は録音されていない。一体どれだけ声を張り上げたのかはわからないけど、録画しているこのカメラに気づいて……涙を散らしながら飛び上がり、無理やり手で破壊した。映像はここで途絶えている。


「……蜘蛛、ですよね。足の本数と目の数から考えて、ですけど」


「風俗嬢の言っていたことと重なる、か。ソイツはこのバケモノを見ただけじゃないのか?」


 西条さんが比嘉刑事に疑問を投げかけるが、彼女は首を振って否定した。タバコを吸い込み、長く息を吐いて煙を散らしていく。


「その映像に映っているのが、件の風俗嬢だよ」


「人間に戻ったとか、そういうことっすかね」


「いいや、彼女は『蜘蛛を見た』と言っただろうに。それに、もっと意味不明なのがあるんだよ。カメラの映像、よーく見てみな」


 言われた通り、映像をもう一度再生する。暗い公園の景色だけが映されているだけ。何も不思議に思うところはない。


「管理してた人も、泡吹いて倒れたさ。だって……日付、見てみなよ」


 もう一度、映像を見る。画面の端に表示された日付は……今日のものではない。なんなら昨日のものでも、最近のものでもない。普通じゃありえない日付が、そこには表示されていた。


「三日後の日付だよ。破壊されたはずのカメラも無事。つまり……その映像、未来の出来事を映し出してるってことだろう? 信じたくはないんだけど、さ」


 燻るタバコの煙が、暗い空へと消えていく。ソレを事実だと言えない。未来のことなんて確定していないから。きっと誰かのイタズラだ。そう思いたくなる。


 でもこの映像は、生理的嫌悪を催すような刺激的なもので、それでいて現実的。その薄気味悪さもまた、現実味を帯びさせている。


 こんな世界に生きていなかったら、信じない。でも俺たちは、神様にだって会ってきた。だからこそ……信じる他ないんだろう。これは紛うことなき、未来の映像で……この女性は、三日後に泣き喚きながら蜘蛛になるのだと。





To be continued……


ベルナデッタがオールS+になったので初投稿です。


日陰者の小説をまた別の賞に応募したのですが、選考は通らず。悔しいのは悔しいのですが……Twitterとか見てると、どうにもポイントだけ見てる、とか。まぁ負け惜しみの感想かもしれませんがね。なろうだと200ちょいしか評価ありませんし。


でも、小説を出したいと思う身でもありますから……来年の4月に電撃大賞の締め切りがあります。最後の手直しをして、『日陰者が日向になるのは難しい』を公募に出してみようかなと。その時には一旦非公開にします。


そういえば、出版社からの話で、キャラが薄味になってきているという話があったそうな。私はそれなりにキャラは魅力的に描いているつもりなのですが、まぁこの小説は公募には出せませんね。著作権とか……ネタがね。語録アリのクトゥルフ神話とか、売り出し文句としては良さそうだけど。

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