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貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-  作者: 柳野 守利
第八章 友を殺せるか、否か
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第118話 模造現実

 浮遊感のようなものを感じる。けれども、落ちている気はしない。ただそこに漂うように、浮いている。薄らと目を開き、目に飛び込んでくるのは光だ。上から風に吹かれるカーテンのように揺らめきながら、光が差し込んでくる。それと同時に見えるのは、水。身体にまとわりついて浮遊感を与えているのはコレだった。そして……あまりにも場にそぐわないものもある。鎖だ。天から伸びているソレは両腕に巻き付き、離れようとしない。でも、不思議と嫌な感じはしなかった。鎖のはずなのに、暖かい。離れようとしないのではなく、離れたくない。そんな気がする。


(……この、鎖は……)


 息苦しくはないし呼吸もできるが、言葉が発することはない。今度は光のある水面の方ではなく、昏い深海に目を見やる。光の届かないソコでは、ただただ闇が広がるばかり。水があるとすら思えない。


 奥の方はもう黒の絵の具をぶちまけたような酷い暗さだ。だというのに、何かが蠢いている。四本の触手のようなものが手や足のように……。


(……違う)


 手足じゃない。あの揺らめく触手の三本は、足だ。根元が太く、そこから先にかけて細くなっていく円錐形。ゴテゴテとした胴の部分もあり、人間に似た両腕が生えている。では、あの赤い色をした触手は頭部なのか。蛇が舌をチロチロと動かすように、その赤い触手は動く。水の中を動くその触手は……まるで、血濡れているみたいだ。


(っ……引きずり込まれてるっ!?)


 浮遊感の消失とともに、今度は吸い込まれるような感覚が生まれた。俺を誘うように、あの生物とも呼称しがたい何かは手招きしている。天から伸びる鎖だけが、俺をかろうじてこの場に繋ぎ止めていた。


 逆に言えば……この鎖がなくなった途端、俺は間違いなくあちら側に行ってしまうのだろう。コレは、俺が人間である証。ヒトであるために、繋ぎ止めてくれるものなのだと嫌でも理解できてしまう。堕ちてこない俺に怒りでも感じているのか、アレはただ洞窟の中に反響する機械音のような声を投げかけてくるだけだった。




〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜




「っ……!!」


 次に自分の意識がハッキリしたとき、もうそこは海の中ではなかった。今はもう、誰もいないはずの自宅のベッド。私服姿のまま、そこに寝ていた。


(……夢?)


 試しに自分の腕を抓ってみる。痛みも感覚もある。ではこれは夢ではないのか、と断言もできない。なにせ、北海道の事件がある。五感が全てある夢、明晰夢。仮想現実。では、これはその類なのか。いや、それとも違う気がする。ただ……この場所にいるだけで、呼吸をしているだけで、酷く疲れる。気分が悪い。なんなんだ、ここは。


「……ようやく目覚めたか」


 不意に響く、低い男性の声。部屋の扉の前に、誰かがいる。それを必死に見ようとしたところで、まったく意味がないのだとわかる。人型だ。けれども貌はなく、全身が煙でできているようだ。風に吹かれてもその場に形を保ったまま漂い続ける、黒煙の人型。見ているだけで吐き気が増す。今までの感覚からして……いや、見た目からでも神話生物以外ありえない。


「……誰だ。俺をこんな場所に連れてきて、どうするつもりだ」


 武器もない。携帯もない。戦う手段は拳と魔術。勝てるわけがない。いつでも部屋の窓を破って逃げられるように、窓を背にしつつ尋ねる。喉から漏れでる声は、震えていた。


「別に、何も。ただ……今は厄介な事態が起きている。私を取り除こうとしている輩がいた。無理やりにでもお前を取り込もうかと思ったが、中々それも難しい」


「取り込むって……俺を、殺す気かッ!?」


 後ずさり、背中に窓をつける。奴をにらみつけながら、手だけで鍵を外して窓を開けた。それでも奴は近づいてこない。いや……近づく必要がないようにも思える。逃げてもすぐ捕まえられる。余裕そうな態度が、そう物語っていた。


「こちらとしても、中々不本意だ。急に呼びつけられたかと思えば、まさかこんな小僧の中に埋め込まれるとは。歪んだ精神性、周りの環境。私の興味の範囲外だ」


 言っていることをいまいち飲み込めない。それでも、興味を持たれていないというのは幸いなのだろう。立ち向かうなんて無謀なことはせず、逃げることもせず、対応するのがいいのかもしれない。それでも、いざという時に逃げの一手は使えるようにしておくべきだが。


「……だが、興味を引いたこともある。小僧、お前の行動だ」


 男がその言葉を発すると同時に、足を形取る煙が霧散していく。そして徐々に身体も揺らめきながら崩れていき……やがて、煙はそこで漂うのをやめて一気にこちらに向かってくる。咄嗟に逃げようとしても、煙の方が数段早い。身体に襲いくる強風。そして、煙が全てなくなった時には……首を締めつけるような感覚が残されていた。鏡で確認してみると、黒と赤が交差するように作られた鎖が首を締めている。


「見定めさせてもらう。久々に、退屈しのぎになりそうだ」


 鎖から聞こえる声。首輪のつもりか。隷属の証だとでもいいたいのか。逆らったところで何をされるかもわからない。反抗できる状態でもない。仕方なく、この首輪を受け入れるしかなかった。


 しかし、行動を見定めるとはなんなのか。考えようとした矢先、部屋の外から懐かしい声が聞こえてくる。


「氷兎、起きないと遅刻するよ!」


(……母さんの声だ)


 逸る気持ちを抑えながら下の階に降りていく。そこには朝食の支度を終え、仕事に行く準備をしている母さんがいた。懐かしい。思わず見続けていたら、怪訝な顔を向けられてしまった。


「なんで私服着てるの。学校でしょ?」


「えっ、あ……あぁ」


「じゃあ、お母さんは仕事行ってくるからね」


 そう言ってリビングから出ていく。首輪は見えていないらしい。それと……学校か。組織に入らなければ、今でも通っていたんだろう。自分のしていることのせいで忘れがちだが、俺はまだ未成年だ。変な人生を送っている。


「どうでもいいところはそのままにしてある。大切なのは、これからだ。さぁ、さっさと向かえ」


「……飯ぐらい食わせてくれません?」


「不便な身体をしているな」


「一緒のものと考えないでほしい」


 何回か首を絞めつけてくる首輪のせいで朝食をとる時間は短く、適当にかき込んでから支度を整えて学校へと向かう。いつも玄関の前で待っている菜沙は、いなかった。


 どうでもいいところはそのまま、そう言っていた。じゃあ、菜沙はどうでもよくないのか。学校での行動を見るって、一体どんなものを見たいのか検討もつかない。通学路に何も変化はなく、学校も見た目は何も変わっていない。けれど……自分の教室がある二階にいる人々は、まったく記憶にない人たちばかりだった。それどころか、知っている人が誰もいない。


(……まるで転校してきたみたいだ。気が休まらねぇ)


 俺は本当にここの生徒なのか、不安になる。すれ違う人、遠くから見る人。皆、変な目で見てくる。それはきっと、この人いたっけみたいなものじゃない。嫌悪だ。中には明確に敵意を向けてくる人もいる。なんだこれは。居心地が悪いとか、そんなもんじゃない。半ば逃げるように自分の教室へと入っていく。その現象は教室の中でさえも変わらなかった。入った途端、皆が俺を見る。晒しものかよ、俺は。


(クソッ、俺の席はどこだ……)


 記憶を掘り起こして、最後に自分が座っていたであろう机を見る。途端に、背中をぞくぞくとした感覚が駆け抜けていった。俺の机であろうものには、白い花を挿した花瓶が置かれている。それどころか、机の表面は傷だらけだ。下敷きなしではテストすら受けられない。


「……俺の席、ここですよね?」


 近くにいた女子生徒に尋ねてみる。そしたら、楽しそうに会話していたはずなのに一気に表情を嫌悪感たっぷりに歪めて身を引かれた。そして一言。


「そうに決まってんじゃん、気持ち悪っ」


 周りの女子生徒がキャハハと笑う。苛立たずにはいられない。けれど、波風立てない方がいいんだろう。これは、何にも接触せずに時間を過ごす方が懸命だ。そう思って自分の机の方へ振り向いたら……頭から、冷たいものが流れてきた。水だ。肩には白い花が力なく乗っかっている。


「なに女子に話しかけてんだよ、お前」


 右手に花瓶を持ちながらニヤニヤと嘲笑う男子生徒。茶髪で人受けの良さそうな顔だというのに、そんな人を小馬鹿にするような笑い方をしているんじゃ台無しだ。頭に血が上っていたのを冷やしてくれたと思えば、少しは苛立ちも抑えられる。


「……人に水をぶっかけたにしては、えらく態度が悪いな」


「あぁ? あんだよ、随分と生意気な口きくじゃねぇか」


 左手で胸ぐらを掴まれる。随分と前にもこんなことがあった。桜華と出会った時、あの時は大学生かフリーター紛いの不良だったが……。


(……コイツ、その不良か?)


 顔立ちが似ている。このまま成長してガラの悪さもそのままなら、確かにあの不良と同じようなものになるだろう。


 胸ぐらを掴まれても平常心を保っている俺が憎いのか、右手で持っている花瓶を振りかざして、何度かゆらゆらと揺らした。脅しのつもりか。ナイフじゃあるまいし、怖いには怖いが、そこまでだ。ナイフを突きつけられて怯えるのは、ナイフが怖いからか。いや違う。ナイフを持つ人が怖いだけだ。ナイフは恐ろしいものではない。それを履き違えた輩は、これみよがしに見せつけてくる。お前が持っているんじゃ、怖さも半減だ。


「花瓶を下ろした方がいいんじゃないか? SNSに載っかっちまう……」


 言いながら周りを見回した。そして……絶句する。携帯を構えていることには予想できていたが、まさか教室の中にいるヤツらが、皆笑っているとは思いもしなかった。サーカスの見世物でも見物するように、遠くから携帯を構えつつ笑いながら見ている。なんだ、これは。


「ナメた口きいてんじゃねぇよ!!」


「っ……っぶねぇな!!」


 幸いにも両手はフリーだ。振り下ろされる右腕を片手で抑え、胸ぐらを掴む手を引き剥がしてそのまま脇をすり抜けるように背後に回り込んで押しのける。距離が空いた途端、間髪入れずに男は花瓶をぶん投げてきた。その場から左に飛び退けば、花瓶は壁に当たって粉々に割れてしまった。


「おいおい、殺す気かよ。正気かお前?」


「生意気な口ばかりききやがって……ウザイんだよ!」


 俺の机を蹴り飛ばしてくるが、それを飛び越して回避する。俺相手になら何やってもいいとでも思ってんのか。周りにいた数名の男子生徒が笑いながら近づいてくる。右側から来た奴が右腕を引いて全力で殴りつけてくるのを受け流して押し飛ばし、その場から離れる。


 次は二人、左右同時に襲いかかってきた。左からくる顔目がけた拳をかわして、今度は背後から蹴りを入れようとしてくるのを足を上げて防ぐ。また左から来ていたやつが殴りかかってくるが、受け流しからの腕を掴んで背中に曲げて拘束。押し飛ばして右側から来てたやつにぶつけた。


「さっきっからウザってぇなぁ! 学校来てんじゃねぇよ!!」


 茶髪。多分イジメのリーダー的な役割にでもいるんだろう。まさかの、今度は椅子を持ち上げ始めた。物ぶん投げるとか反則だろう。一昔前のヤンキーかよ。


「いやいや、お前バカだろ。素手相手に数で攻めた挙句、物使うとか騎士道精神の欠片もねぇな!?」


「気持ち悪いことペラペラ喋ってんじゃねぇよ!」


 騎士道だって、笑えるー。なんて言葉が聞こえてきた。ここにいるのは馬鹿ばっかだ。本当に同じ人間かよ。頭チンパンジー以下じゃねぇか。


 さすがに椅子はキツイ。とりあえずその場から逃げるように扉にまで移動していたら、身体目がけて本気でぶん投げてきた。他の人に当たったらどうするつもりなんだ。飛んでくる椅子を蹴り落とすのも、抑えるのも不可能。《逸らす》しかない。


(……魔術が、発動しないッ!?)


 逸らすと心の中で呟いても椅子は挙動を変えることはない。なんとか教室の外に向けて飛び込むように逃げて、受身を取って体制を立て直す。被害をそらす魔術の不発なんて初めてだ。いや……そもそも魔術自体が使えないのか。息をなんとか整えつつ、考えを巡らせる。呪文を小さく呟いてみても、身体の冷えるような感覚はなかった。魔術の使用不可。人間としての身体能力しかない。


 色々試そうとしていたら、教室から茶髪がでてきた。つられてぞろぞろと何人か外に出てくる。廊下にも同じような奴がたくさんいた。皆笑いながら携帯を向けている。呆れ、苛立ち。思わず吼えてしまいたくなる。


「おいおいどうすんだよこれー。お前のせいで皆の机とかぐっちゃぐちゃじゃん」


「知ったことかよ。人に物ぶつけちゃいけませんってお母さんに習わなかったのか?」


「はぁ? 何言ってんのお前。いつまでもそんな口きいてんじゃねぇよ!! ド底辺野郎のくせによぉ!!」


 ……対話をしている気分にならない。猿に話しかける方が有益だ。苛立たしい。奴らは物をぶん投げたりして発散してるだろうが、こっちはそうじゃねぇよ。避けてばっか、人に対して暴力を振るおうだなんて思っちゃいねぇのに。面白半分で見てる奴、笑ってる奴、無視を決め込んでいる奴。どいつもこいつも……。


「うざってぇのはこっちだッ!! テメェら、何様のつもりだ!!」


 怒りのあまり窓ガラスに向けて裏拳を放つ。音を立てて割れ、地面へと落ちていく。怯える様子はない。楽しそうに笑っている。いや……馬鹿にしている。


「何マジになっちゃってんのこいつ。くっそ笑えるんだけど」


「はぁ……?」


 茶髪が笑い出すと、周りの奴らも笑い始めた。意味がわからない。なんだこれは。


「おい誰だァ! 窓ガラスを割った奴はッ!!」


 廊下の奥の方から聞こえてくる怒声。ガタイのいい赤いシャツを着た先生だ。体育教師か何かだろう。なんにせよ、ひとまずは沈静化しそうだ。


「せんせー、コイツがやりましたー! 教室の中も全部コイツです!」


「なっ……テメェ濡れ衣着せる気か!!」


 茶髪はニヤニヤと笑ったまま。ふざけるにしても程がある。イジメじゃない。それよりもタチが悪いこれは、一体なんだというんだ。こんな大人しそうな外見してる奴よりも、あの茶髪の方が絶対おかしいだろ。


「唯野、お前がやったんだな!!」


「ちがっ……少なくとも教室の中はアイツらがッ!!」


「言い訳かぁ? 皆そうだって言ってるだろう! ほら、こっちに来いッ!!」


 体育教師が腕を掴もうとしてくる。窓ガラスに関しちゃそうだが、納得いくわけがないだろこんなの。手を払い除けて距離を取ろうとした途端、背後から迫ってきた数名に腕を抑えられた。そのまま地面に倒されて身動きが取れなくなる。


「っ……オイ、おかしいだろこれ!! なにしやがんだよ、テメェらッ!!」


「口が悪いぞ唯野ッ!! 大人になってそんな口のききかたでは大変だッ!! 俺が叩き直してやろうかッ!!」


 体育教師が髪を掴んで無理やり顔を上げさせる。痛いなんてものじゃない。ちくしょう、体罰だ。逃げようにも身体は動かない。首輪が愉快そうに緩んでは締まるのを繰り返していた。





To be continued……


残念ながら、『日陰者が日向になるのは難しい』小説大賞の一次突破すらできなかったので初投稿です。

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