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貴方が隣にいる世界 -Cthulhu Mythos-  作者: 柳野 守利
第八章 友を殺せるか、否か
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第107話 プリーグ開幕

 紫色の空を悠々と飛び回るモノがいた。それは全身が黒色で、遠目からならば少し大きい鴉程度にしか思わないだろう。けれどもそれは目の前数メートル先で旋回し、何かを探すように首を動かしている。


 その姿は鳥ではない。鍵爪のような両手足、そして漆黒の翼に長い尻尾。あろうことか、人でいうところの顔面に角まで生えている。しかしその面には、何も無い。皮膚と同じ黒色で塗り潰されている。それを見て、何と例えるべきなのか。頭に過ったのはガーゴイルだ。仮にこれがビルの上で止まって動かなかったら、そういうものなのだとしか思えないだろう。


「……アレですよね」


「だろうなぁ。あんなに高いところ飛んじまってたら、攻撃できねぇじゃん」


 現実、覚醒の世界の人々が何食わぬ顔で通り過ぎる中、丸太を持った黄色の熊と季節外れな格好をしたチャラ男だけが立ち止まって空を見上げている。


 起きている人々は氷兎たちのことが見えていない。また触ることもできない。するりと身体を通り抜けていく。試しに翔平が通りすがりの女の子に頭を突っ込んでみたが、真っ暗で何も見えなかった。流石にスカートの中を覗こうとしたのは氷兎が止めたが。


「先輩、いけます?」


「よーし。じゃあちょっとメジャーリーガー目指して全力投球してみますかぁ!」


 無限にボールが湧き出る不思議なポーチから一つ球を取り出して、親指と人差し指、中指で挟むように掴む。胸の前で構え、左足を上げて前へ突きだし、渾身の一球を投げつけた。


『──────ッ!?』


 ゴスッと鈍い音をたてて、ボールは頭部に命中。翔平の『射撃』は適用されているようだ。威力と命中が向上し、なおかつ神の加護が宿ったボールはナイトゴーントを傷つけるには十分であった。そのままフラフラとしたかと思えば、制御を失って落下してくる。


「ナイスボール、そんでもって……」


 全力で走り出す黄色の熊。落下地点の数歩前辺りでサイドステップに切りかえ、そのままステップを踏み込んでいき……。


「ホームランッ!!」


 全力スイング。丸太は落下してきたナイトゴーントの胴体を的確に捉え、振り抜かれる。凄まじいスピードで吹き飛んだナイトゴーントは、アトラクションを支える鉄柱にぶつかると、そのまま動かなくなった。


 念のために近寄ってナイトゴーントを確認してみる。翔平のボールが当たった場所と氷兎の殴りつけた部分から白い煙のようなものが出ていた。どうやら神の加護のおかげでスリップダメージが入り続けているらしい。しかも打撃武器のはずなのに裂傷まで起こしている。


 流れ出る血は人間のものに近い。赤ではあるが、それは暗かった。赤色の絵の具に黒を足したような穢れた色。丸太も少し変色していた。


 確認している氷兎の元に翔平が駆け寄ってくる。半袖短パンに帽子とサングラスは似合わない。氷兎は着ぐるみの中で苦々しく顔を歪めていた。


「……倒せなくはないな、うん」


「問題はどれだけの数がいるのか……」


「元の世界にもいるんだろ? 西条たちの邪魔したくねぇし、なるべく隠密で片付けたいけど……」


「普段の格好ならともかく、俺は目立ちすぎですね」


 自分の格好を見せびらかすように身体を動かす。しかしなんとも暖かそうな格好だ。翔平は両腕を擦りながらそう思う。流石に夏も終わって半袖短パンは寒い。けれども防御力が高いと言われてしまえば、何も言う事はできない。


 いやそもそも、半袖短パンに防御力は存在するのだろうか。


「危ない水着ですら防御力があるんだから、この格好にも防御力はあるんだよな……」


「ゲーム特有の謎理論が現実で適用されると思ったら大間違いかと。先輩、脛とか狙われたら間違いなくダメージ貰いますよね」


「脛は誰だって痛いだろ」


 周りを見回しながら歩き回り、中身のない会話を繰り広げる。神話生物退治だというのに、やけに精神的に安定していた。おそらく脳の処理が追いついていないせいだろう。これは全部夢ですと言われたら素直に信じる程度に、現実味がなかった。プニキとロビカスが裏世界で戦っているだなんて、誰が思うだろう。


「……おっ、あのオールバック眼鏡は西条だな」


 幻夢境で覚醒の世界にいる西条と藪雨を見つけることに成功した。どうやらまたジェットコースターを乗るために並んでいるらしい。向こう側の声はまったく聞こえないが、二人の表情からしてそれなりに楽しんでいる様子。


「うーん、やっぱイケメンだよなぁ……。オールバックも様になってるし、藪雨もなんだかんだいって女の子らしいっていうか……」


「げっ……ちょ、先輩ーっ!」


「んー、氷兎ちょっと見てみろよ。西条の眼鏡ってこんな感じになってるんだな」


 後ろから聞こえてくる氷兎の焦った声に気がついていないのか。翔平はマジマジと西条を見ている。すると、ふと西条が周りをキョロキョロと見回し始め、その視線が一点を見つめる形で止まった。偶然なのか、気がついているのか。それは見えるはずのない翔平を確かに捉えている。


「お、おぅ……西条、勘が良過ぎない……? えっ、これ見えてる?」


 翔平はふしぎなおどりを踊った。しかし効果はなかった。


 ぐるぐると西条の周りを回りながら、NDK(ねぇどんな気持ち)? NDK? と煽りたてる。しかし西条に効果はない。


「うーん……つまらん。なぁ氷兎」


 そう言って翔平が振り向くと、そこにいるはずの氷兎はいなかった。どこに行ったのか。探し始めようとしたところで、背後からポンッと柔らかい手で肩を叩かれる。


「おっ、氷兎。何してたんだよー」


 翔平が振り向く。そこにいたのはどす黒い血液が着ぐるみにこびりついている、もはや黄色の熊とは呼べない何か。真っ黒のはずの瞳は何故か煌々と赤く輝いているようにも見え、頭部の布越しでも怒っているのだとわかる。


「……人がナイトゴーント相手に戦ってる時に、一体何してるんですか」


「ひぇ……あっ、いやそのだな……。うん、その着ぐるみ洗った方がいいぞ。返り血だらけのプニキとか子供がギャン泣きする」


「アンタの返り血でこのベストを更に赤くしてやろうか?」


「ごめんって!」


 口調の荒い氷兎は怖い。身体をがっしりと捕まれ、柔らかな両手で頭を揉みくちゃにされる。一見してじゃれあっているようにしか見えなかった。いや実際、氷兎もそこまで怒っているわけでもなく、いつものように軽く仕返しをしているだけなのだが。


「はぁ……西条さんのこと見てるのもいいですけど、仕事しますよ。この辺りにはもういなさそうですし、そろそろ現世に出ていったナイトゴーントでも探しますか?」


「そうするか。ゲートがあるのは……ここからだとプニキのビーハントが一番近いか」


「じゃあ行きましょう」


 揃って歩き出し、覚醒の世界へと戻るためのゲートを探し始める。身体にまとわりついた返り血は、手で払うようにすると何故か綺麗に消えていった。この装備がオリジンの標準装備ならどれほど楽になるのか。報酬でその技術や魔術を教えて貰いたいくらいだ、と氷兎は思う。


 そうして目的地に着く頃には返り血はなくなっており、並んでいる人たちを無視してアトラクションの中へと入っていく。従業員通路を抜け、休憩室らしきものの近くにやってくると、やけに光量が増してきていた。


 その光を辿るように歩いていけば、身の丈を余裕で越すほどの大きさのゲートがあった。扉の輪郭の内側は眩い光で満たされている。これを抜ければ覚醒の世界へと戻れるらしいが……。


「……戻れる保証、ないんですよねぇ」


「それなんだよなぁ。これ別のとこ繋がってたりしたらどうしよう」


「ちょっと怖いですよね」


 ゲートの前で尻込みする二人。五分くらいその場でどうするべきか考えた結果、せーので合図をしたら同時にゲートの中へと飛び込もうという話になった。


『せーのっ』


 ゲートの中へと飛び込むように入っていく。光が目を覆い尽くし、身体を変な浮遊感が包み込んでいく……。


 ……まるで寝起きのような倦怠感に襲われたとき、辺りの景色が変わり始める。白一色だった世界は、元の休憩室のような場所へ。表の方から聞こえてくる人たちの声や機械の稼働音。それらが覚醒の世界へと戻ってこれたことを明確に示していた。


 ほっと一息つくが、まだまだ仕事は始まったばかり。肩に丸太を背負った黄色の熊と、片手でボールを回して遊んでいる半袖短パンの男の戦いは、楽しげな空間の裏側でひっそりと続いていく……。





〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜・〜





 自分の順番になるのを今か今かと待ち続けている人たち。そんな長蛇の列の中で待っている西条と藪雨だったが、ふと西条は視線を感じ始めた。辺りをキョロキョロと見回して、誰かが見ているのかと探してみるが……見つからない。いるのは、西条の容姿と藪雨との背丈の差を見て奇怪な目を向けている人たちだけだ。


「……誰かにおちょくられている気がして腹立たしいんだが」


「気のせいじゃないですか? 知り合いなんてだーれもいませんよ」


「気のせい、か。だが、なんだ。本当に無性に腹が立つ。鈴華の顔面を殴りたくなってきた」


「理不尽な暴力が鈴華せんぱいを襲う。流石にやめてあげてくださいねー」


 他愛のない話。順番が来るまでそうして暇を潰していく。再び乗ったジェットコースターは、やはりスリリングで楽しいものだった。写真でも、西条は仏頂面を崩してニヤリと笑い、藪雨も口を開けて笑っている。最初の険悪な仲はどこへやら。今となっては素直にドリームランドを楽しんでいた。


 そして二人がアトラクションから出てくると、何やら道端で人だかりができている。子供たちの「プニキだー」という声に、着ぐるみが来ているらしいことがわかった。


 プニキという言葉に西条の眉間がピクリと動く。顎の辺りに手を添えながら、視線は人だかりへと向かう。


「……あれあれ、西条せんぱいったら着ぐるみ見たいんですかぁ?」


「むっ……いや、着ぐるみというよりはプニキが見たいんだが」


「同じじゃないですか。てか、どうしてプニキなんですか」


「プニキ、格好いいだろう?」


「格好いい……ですかねぇ?」


 まぁいいや、といった感じで藪雨は西条に続いて人混みへと向かって歩いていく。集まる人々の中心では、黄色の熊が丸太を持ちながら愛嬌よく振る舞っている。その隣には相棒とも呼ぶべきロビカス……らしきものが一緒になって笑っていた。


 パフォーマンスのつもりなのか。その場でプニキは丸太をブンブン振り回す。ホームランだけを狙う強烈なスイングだ。何度か振り終わると、プニキが腕でロビカスに指示を出す。シッシッと払うと、ロビカスはポーチから球を取り出して数歩距離をとっていく。


「やけにチャラいロビカスだな……。だが、何やら面白いものが見られそうだ」


「なーんかあの帽子にサングラスしてる人見たことあるような……」


「そりゃ見た事あるだろう。あの有名なロビカスだぞ」


「何が有名なんですかねぇ……」


「まぁ見ておけ」


 ロビカスは指先にボールを乗せてクルクルと回す。そして土ならしのつもりなのか、アスファルトの地面を足でガツガツと蹴りつけたあと、身体をゆっくりと伸ばしていく。


 補助をするためなのか、紫色のローブを着た人たちも集まってきて、ラジカセから音楽を流し始めた。やけに小気味好い音楽のあと、プニキは丸太を構える。


 そして始まったのは……バッティングだ。まるでここに放ってこいとでも言いたげに、プニキは二、三度丸太を振る。そしてピッチャーのロビカスがついに構えた。


 腕を振るって放たれる一球。まさしく『ロビカスのクソみたいな汚いフォームから放たれる七色の変化球』だ。そして対峙するのは『100メーターの森の住人特有のハチミツで得た偽りの肉体』を持つ我らがプニキ。ドリームランドで行われた、プリーグの行く末は……!!


 放たれた変化球に対して、プニキは丸太を振るった。先ほど振った時と変わらぬ位置に、同じように全力のフルスイングが振るわれた。ロビカスの放った球は直進すればどう考えてもバットの上を通過してしまうだろう。


 しかし流石は七色の変化球を持つクリスト・ファッキン・ロビン。丸太の直前で急速落下。ボールは丸太の芯で捉えられ、勢いよく飛んで行った。


『カキーンッ』


 耳に残るいい音が聞こえてくる。飛んで行ったボールは、空に浮かんでいた黒い物体に当たり、物体はそのまま落下していく。見ていた観客の中から小さな悲鳴が聞こえたが、ロビカスが前に出てきて話を始めた。


「はーい皆さん、アレは今回のために用意した的ですので大丈夫でーす! 皆、楽しんでくれたかなー?」


『ハランデイイ!!』


 ロビカスの声に答えるように、お約束が返ってくる。藪雨は何がなんだかわからない。しかし西条は口元を緩めて微かに笑っていた。プリーグ、無事に終了である。


「じゃあ皆、この後も楽しんでくれよなー! よし、退場用BGM、ドーンッ!!」


 ローブを着た従業員がラジカセを操作してまた別の音楽を流し始める。なんだか身体が勝手に動きだしてしまいそうな音楽だ。その音楽に合わせて、プニキたちは腕を曲げて前に突きだし、その逆足を円を描くように出していく。


 そしてそのステップを踏みながら、彼らは従業員用の通路へと消えていった。誰もいなくなったその場所を見つめながら、半ば呆然としたように藪雨が呟く。


「……なんでドリームランドで宝島ステップなんですかね」


「中々面白い見世物だったな」


「そうですかぁ? 私は何がなんだかぜんっぜん意味不明だったんですけど」


「ならばお前にはプリーグの成り立ちから話さねばならんな」


「長くなりそうなのでいいです」


 どこかげんなりとした藪雨。しかし西条は満足そうだ。そんな彼らが辺りを見回してみれば、もう街灯が明るく見えてくる程度には暗くなってきている。随分と長くいたような気もしたが、西条は体感としては短く感じていた。


 楽しい時ほど早く過ぎる。なるほど、あながち間違いでもなかったらしい。西条は一人静かに頷いていた。


「あっ、そうだ!」


 唐突に藪雨が何か閃いたのか、西条の服の袖を引っ張った。そして彼女が指さしたのは……ドリームランドを端まで見渡せるほどの巨大な観覧車だ。既にライトアップされていて、煌びやかに輝いている。


「一番最後、アレ乗りましょう! ファストパス、今のうちに取りに行きましょうよ!」


「観覧車、か。しかしアレはカップルが乗らないと意味がないと聞くが?」


「関係ないなーい。それに夜景とか綺麗なんですよ? ジェットコースターとかもいいけど、やっぱり最後は穏やかーな感じで終わりたいじゃないですか」


「……床が開いたりしてな」


「ちょっと恐ろしいこと言わないでくださいよ!」


「あまりにも高いからといってチビるなよ」


「チビりませんって!!」


 互いに手を繋ぐということもなく。ただ距離感だけは少し縮まって。小突き合う程度の軽口を言い合いながら歩いていくその様は、友人のようにも見え、また年の離れた兄弟のようにも、そして……恋人のようにも見えている。


 そんな二人の後ろ姿を、黄色の熊と青年は静かに見つめていた。





To be continued……

バイト帰りに姫始めの会話をしているカップルを見て腹が立ったので初投稿&作者からのクリスマスプレゼントです。


皆さん、メリークリスマス。私にもプレゼントちょーだい。


 ナイトゴーント


 夢の世界に生息する様々な神に仕える種族。夜鬼と書く。攻撃方法は『くすぐり』なのだが、これは相手を深淵に突き落とすための動作なのだとか。顔はなく、蝙蝠のような翼に尻尾がある。

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