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就業後のファンファーレ  作者: 干詩イモ
第1章 恋の冒険者見習い
1/1

第一話 自分より不幸な人は一杯いるから

「じゃ、おつかれぇ」


かすれた野太い小さな声が駿河の頭の上を通り過ぎた。

駿河は誰にもわからないくらいの会釈をして


「お疲れ様です」


と蚊の名鳴くような声で、席に座った状態で言った。

その四、五秒後にカタカタとキーボードを叩いていた手を止め、

その声に違和感を覚え、「あれっ」と心の中でつぶやいた。

駿河は周りを恐る恐る見渡した。

「いつ家に帰っているの?」で有名な角川さんの席の上の蛍光灯の明かりが消え、

粗雑に置かれた椅子が薄暗闇の中にポツんと残されていた。

慌てて時計を見ると、日付をまたいでいることにようやく気づく。

大げさなぐらい大きな「はぁ」というため息が、静謐な社内に弱弱しく響いた。

またか・・・これで十日連続である。

休日を超え、月曜日の今日がこの状態であると、さすがに精神的にやみそうだ。

これだけ残っているというのに、今月末の仕事が終わる気配がない。

そんなことを考えているといやになった駿河は、PCの電源を切り、重い腰を上げ、社内を後にした。




会社の外を出ると、肌を刺すような鋭い寒さが駿河をお出迎えする。

今年の冬はここ何年かで一番寒いとかなんとか今朝のニュースでは言っていた。

暗闇の中不自然に光る雪が、風に煽られ地面に次々とシミを残している。

深夜の寒さは仕事の疲れをより際立たせ、さすがの駿河もまいったのか故郷の両親との思い出や、学生時代の賑やかな日々が走馬灯のように心の隙間を埋めていく...。



小学校のマラソン大会。

「去年の六位より上になったら、ご褒美に○○買って」と調子に乗って言った自分に両親は「いいよ」と言ってくれたため、「絶対に六位より上になるぞ」と毎朝もう特訓をしたっけ。でも、結果は十三位で泣いて帰ってきた自分を抱きしめて、そっと○○を渡してくれた両親。涙が止まらなかったなぁ。


中学の部活動。

リレーのバトンパスの練習の時、パスのタイミングが合わなくて、バトンを渡す相手がスパイクで自分にささり、足を負傷したことがあったな。

普段は「男ならしっかりしろ。」とか「そんなこともわからないのか」と威圧感バリバリで話してくる父親が、何を勘違いしたのか会社を早退し慌てて学校の授業中の自分のクラスに飛び込み、息を切らしながら「瞬、お前足大丈夫なのか」と言ってきたっけ。先生が「大丈夫ですよ。しっかり保健室で対処は施しましたから」といっても「破傷風とか危ないのでは...」と言って、結局先生がおれ、早退して病院に向かったんだよなぁ。あれは実に恥ずかしかった。


高校受験の発表日。

合格通知がその高校の前に張り出されるため、受験した第一志望の高校に行ったことがあったな。

「恥ずかしいからやめてくれ」という自分をよそに、母親も一緒に見に行ったんだよなぁ。

でも自分の受験番号はなくて、肩を落とそうとするオレの肩がっちりつかんで、「こういう日もあるさ。瞬なら大丈夫。受験はまだ始まったばかりだよ。今回はたまたま選ばれなかっただけだよ」って励ましてくれたっけ。俺が「やっぱ、オレの学力じゃムリだったんだよ。一生懸命やったところで...」と後ろ向きなことを言っていると、「違うよ。絶対面接で落ちたんだよ。だってあんなに毎日毎日頑張って勉強していたじゃない。おかあさんはね、この目で見ていたんだから間違いはないよ」と言ってくれたっけ。「面接落ちるのもまずいだろ」とか突っ込みどころ満載なむちゃくちゃ理論だったけど、それだからかわからないが、元気がでたんだよなぁ。そんな気丈にふるまっていた母だけど、その受験時期だけは毎日胃薬をのんでたんだよなぁ。そんな姿もオレの背中を押してくれたんだよな。


大学の研究室。

理系の研究室で毎週A41枚に研究報告書をまとめなくてはいけないため、

夜遅くまで研究室に残ることも多く、研究室に残り徹夜で報告書作成を行うなど

とても忙しかったあの頃....しかし不思議とつらくはなかった。

研究仲間と報告書を書きながら駄弁るどうでもよい話、研究中間報告発表の前夜はほぼみんな研究室で泊り「うわー、ほんとつれー」とか言い合い、仲良く夜飯にカップめんを食べ、椅子で寝たりする日々、こまめに背中をつんつんして「どう終わった?」と様子をうかがい、そのたびに質問に丁寧に答えてくれる先輩。

あの時は「つらいな」と思っていたが、どこか今にはない温かみがあった。



 むしろ、その頃は恵まれすぎていたのかもしれないと駿河は感じた。

 挨拶をしても何も返事がなかったり、

近くにいるのにメールのみで仕事依頼をしたり、

ついさっきまで仲良くしゃべっていた先輩たちが離れたところで悪口を言っていたり、

質問をすると「あとで」と言ったまま放置だったり、いきなり「はぁ、うぜぇな」と怒り出したりとか

そんな環境下でいるのが社会人の当たり前であり、

自分はまだ学生気分がぬけずにいるのかもしれない。

 誰かに頼ることを当たり前のようにしていたつけがここでまわってきたのだ。

そうだ、上司も「ねぇ。いつまで時間かかるのかなぁ。はぁ。ただ作業をするだけなら、学生でもできるよ。もっと効率よくやるにはどうすべきか考えてやって」と何回も言っていた。

 はける愚痴など皆無で、何も考えていない自分に決まって落胆するのだ。

 そんなことが頭の中に「はぁ」とため息が空気中に白く放たれる。

 駿河は「いかん。いかん。」と首を横に振った。


ーーー自分なんかより不幸な状況の人なんてこの世界中に無数にいる。

   その人たちと比べたら、自分はとても恵まれてここにいる。

   自分の周りで起こることなんて実にちっぽけなことなんだ。

   そうだ。ここまで育ててくれた親のためにも自分はがんばらなくては...


 駿河はふらふら覚束ない足取りで会社の正門に向かっていく。

 しかしその歩く方向は徐々にずれていき、正門前の警備室を横切った瞬間だった。

急に何かの力に引っ張られるかのように、ぐらっと駿河のせかいは90度回転し、

アスファルトに体から倒れこんだ。

 遠くの方で「大丈夫ですか、大丈夫ですか」と言いながら、警備員らしき人が小走りで近づいてくる。

 その足音が一瞬止まり「キャ」と甲高い声をあげ、警備員の人は後ずさり、どうすべきかと小さい体をあたふたさせている。

 「あれ女子だったのか、驚かせてしまったなぁ。やれやれそろそれ立つか」とのんきに思い、

駿河は体をあげようとするが、鉛のように重くて動かない。

 とりあえず閉じていた瞼を無理矢理開けると、白い雪の一部が赤く染まっていることに駿河は気づく。


 ーーーやばい。労災...なかったことにしなくては。

    大したこともやっていないのに、

    ものすごく大変なことをやっているかのように思われてしまう。

    効率が悪いだけなのにな。

    何をやっているんだろうか、自分は。

    この世界に自分より不幸な人は一杯いるというのに...


「山口さん、山口さんこっちです。人が倒れているのですが。と、とりあえず救急車呼びますか」

「ううん、そうしよう。君、君。大丈夫か。すごい血だ、止血しないと。」

慌てふためく二人の横で、意識を失った駿河の背中にしんしんと降り積もった雪が街灯に照らされていた。


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