×魔法調査5/????×少年達
ある魔術師は、魔力は雪の結晶のようだと言った。
あるいは煙雲流路、例えられるそれらは美感を刺激する唯一無二の芸術を瞬きに造りは散る。
詩的かつ迂遠な比喩を好む彼からしたら、センスに尽きた言葉なのだろう。
確かに、誰かに使われる魔力は持ち主によって形状や色彩をも反映される。漁師の男と関係を持つ魔術師の魔力、小魚の群が彼女を取り巻いたことを瀬谷はよく覚えていた。
――痛い
今しがた、文字通りアイスクリーム頭痛に襲われていた。アイスは腹の中へと詰め込んだせいか、受け売りのカカオの焙煎とやらはぼやけている。味覚はチョコとのみ記憶していないが、この頭痛は調査の後遺症ではない点では美味しい。
瀬谷からしてみれば、魔力が美しいのは錯乱と相違なかった。幾度百度、同業者が言葉の花や露として力を愛でようが、狂者以外の何者でもない。
どんな醜女でも、画像をいくらでも加工してしまえば愛らしくも愛おしくとも見える。つまりはそういった現実から空想を楽しめるほど瀬谷は気楽でなかった。
再び、柵から見下ろした。魔力調査で歪められた道路は元に戻り、タクシーの四輪を使い走行する。その当たり前で良いだろうに、同業者はなぜこうも羨ましがるのか理解が出来ない。
――アレは
端にある一般歩道にて笠井をようやく捉えた。
癖のある黒髪の痩身矮躯にして紫の瞳。人外の血を持つものらしく肉体には成長遅滞がかかり、学ラン越しから手折れそうな華奢さが伺える。
だが精神を言談する目つきは、少年らしく大きめの瞳に反して鋭い。相変わらず、上司好みの、からかいたくなる容貌をしている。
隣にいる男子学生……は、すぐに松川だと察した。写真通り、笠井よりも標準体型かつ健康的な印象を与えられる。
――そう言えばだ
笠井が部長と暮らしていることは知っている。三輪という戸籍があるにせよ、部長は正真正銘の化物にして記号上は「淫魔」だ。
天賦の才を惜しげなく発揮しているとしたら、彼が所有する魔力は同居人の笠井にも付着する。
または――あまり想像はしたくないが、部長の種族と性癖上――含有されている場合も否めない。
松川少年は素性的にはある程度の付着は致し方ないが、彼は気になる。
聞いた限りの期間だと最初の接触は8年前にして、本格的に入り込んだのは去年。瀬谷の経験上では汚染するには充分だった。
――指定、笠井蓮、内在型探査
また眼球に負荷を掛けるが、既に見える状態とピンポイントな視認目的には多少の目眩で事足りた。柘榴がアイスで目を離しているスキによろけた足を支え、捕捉を続ける。
笠井の周囲のみ、多少地は歪んだが本人は奇形には変化しない。
足元から黒いモヤが笠井を取り囲み、足首を掴みかかる手へと変幻する。その数五本、指の骨格は均一ではなく、四本指の手も彼を掴んでいた。
笠井のように、部長が異常に気に掛けているに松山がいた。
彼を視た際も同じ減少を起こし、あの殺風景な部屋の壁はカビ色として魔力がこびり付いていた。これだから汚いから好きになれないと鳥肌を立てた。
――深層心理反映ってとこか、部長束縛気質だしな
その手らは笠井の全身を覆った。
笠井自身の歪曲や奇形は未だ見られないが、黒い魔力だけは周りを生動する。
空漠たる膜のはずが、瀬谷の目には笠井の姿が黒く塗り潰れていた。あの目立つ紫の瞳がチラチラと見えては、黒が有耶無耶にする。
這う虫、鎧と言うよりもラバースーツが形容出来るだろうか。
それらが密着しては笠井の一つ一つの挙動に対応する。笠井は何も知らず、腕を伸ばし袖から肌を晒せば、魔力が入り込み、白い肌をひた隠しにする。
思わず瀬谷は周囲を見回したが、初期の異常な空間は消え失せている。
無機質なビルディングと無常の蒼穹一点のみが囲う。つまりは、アレが笠井の状態だ。
気持ち悪いが悔いる他ない。彼を取り巻く瘴気はえげつなく、不快感をもたらす。
このレベルの汚染なら瀬谷の色素まで変えられてしまう。それでもあの人間らしいプロポーションを維持するのは、彼の化物たる所以か。
――やめよう
ここが引き際だと目を離した。過保護なら可愛いが、一線を超えた人間と同様の濃度を纏わせるなら、そう称することはできまい。
「……時間ない、行こう」
「コーラあるで」
「どうも」
非があるのは勝手に見たこちら側ではある。それ以上の接触はなしに、瑠璃色の痕跡を追った。
予想通り、未だ解体する目処の立っていないビルから問題の魔力が浮遊していた。
T駅からおよそ1K程、洗練されたモール街を抜け出した、モノレール高架下にそれは寂れ建つ。立ち入り禁止の看板は立ててはあるが、それは赤く錆びつき頼りない。
正面階段奥は黒に塗りつぶされているが、壁には落書きが入り乱れ冷静さが入ることを躊躇う。
スマートフォンから添付された資料を覗く。ビルが廃墟になったのは都市開発の停滞期後と一致している。全四階、当時飲食店らが構えていたが、時代を鑑みるに経営不順が原因と見た。
廃ビルの入り口を見れば、魔力は手すりと足元の二点を中心に蛍光色に発光する。仕方なく、柘榴を後ろに進んだ。
暗い、寂しげなむき出しのガス管を見つめながら昇る。二階三階は非行少年少女らのゴミが占領し、すえた甘ったるい異臭を放つ。自らのノリの老いを感じた。
痕跡に変化が起こったのは四階、ドアノブに例の色が満遍なく塗りたくられていた。
瀬谷が白手袋を嵌めては鍵を確認する。扉は施錠されていないが、ドアノブを捻っても開かない。耳を澄ますが、何も聞こえない。
五感に関しては柘榴はより過敏に反応するが、何も口出して来なかった。
――ここか
スマートフォンからメモ帳を起動する。事前に資料から読み取っていた「巣」の単語を、複数の言語に翻訳しては羅列していた。ドアを起点として空間を断ち切っているとしたら、ここから解読した方が早い。
関係が深いとされている強欲国、候補として技術が進んでる暴食国の公用語は自らの発声に頼る。S語、L語、F語、R語等の言語を用いた魔法で定番なものは、素直に翻訳音声に任せた。
nidus、巣、nestと唱えている瀬谷の横で柘榴が溜息をついた。
「魔女っ子が夢壊さんといて」
「トライリンガルの方が夢あるだろ」
「ナチュラル自慢やめーや」
アプリはないわあと続けざまに文句を垂らした。互い様だと、無視して解錠作業を続ける。瀬谷の横でみっともない姿を晒す、アジアの怪異にして酒に弱い化物が何をほざくだろうか。
――結構話したが
内部からの変化はない。異世界人かコンパクトのような物がなければ起動しない仕組みにある。飲食店だったことを鑑みて、仮に彼らが到着していたとしたら奥のキッチンフロアか。
柘榴が目の前の羽虫を追っている頃に、ドアは瀬谷の魔力に馴染んでいた。ドアノブが大人しく瀬谷の腕力に従う。国絡みといえ、鍵については小道具に記された単一な単語なだけあって平易だ。
その分、開けたすぐ先に問題はあると、直ぐに開けようとせず立ち止まり伺う。
「自己修復働いてないで、網も薄い」
「解けるか?」
おうと静かにいらえ、柘榴の指が扉を這わす。
薄い埃が指の腹を掬えば、取っ手の重みは一段と軽い。
乾いた音を立てて撫で上げる。瀬谷の手袋についたもの皆、周囲に撒かれた鱗粉は宙へと淡く消えた。
今や軽くなった鎖を除けて中を覗く。かつて客席を配備した空間は、コンクリートとパイプが荒々しく剥き出されていた。一歩踏み出せば舞い上がる塵が、つま先から鳴る粉硝子が寂寥を呼ぶ。
カウンター前の古ぼけた丸椅子には畳まれた制服が置かれていた。その数四人分。そこのみ妙に真新しく、衣替えしたてのYシャツの光沢は白い。ブレザーから見るに、土御門、水木、黒見、光円寺のものと合致した。
薄汚れた配管と礫にまみれたがらんどうは、いやに風通しが良い。だがそれよりも奥に通ずるドアは締め切られていた。
近寄り、開けようとするも僅かな水音で止まる。水道はとっくのとうになかったはずだ。
瀬谷のみがゆっくりと歩み、ドアへとそばだてる。新鮮な、だが粘着性のある水音、その動きに呼応するように複数人の少年の声がもれる。
――ああ
その手に股がいきり立ちはしないが、嬌声だと察した。
静かに離れ、首を横に振って柘榴に進行不可を示す。
詳しいプレイは想像付かないが、呻きと好き者の高音が耳朶にかかる。快楽よりも苦痛の入り混じった、相手側の体調を考慮しない機械的な動作と窺える。だが死んじゃうともっとが言語として辛うじて重奏に響く。
「……生殖活動の真っ只中……」
「ああ、なるなる」
柘榴も、皆まで言うなと言いたげだった。
魔力を悪用して媚薬に転用できるとは聞いたことはある。質は千差万別にして事毎度毎に異なるが、彼らが自力で開発するとは考えがたい。薬物中毒者は周りにいたが、彼は優良な名家の仲での劣悪とした家庭環境が問題にあった。
製造の領域になるとそこそこの技能を要する。ではこれは魔法少年らのお遊びだろうか。
――靴が揃えているか
丸椅子には変わらず彼らの服が整頓されている。人が情事に至ることを目的とした上で服をどうするかなど知ったことではないが――
――経験上、冷静に行えない
インサートに触れる直前は、恥じらいと慎みで隠匿されるべきものだ。彼ら以外に知り得ない秘事を、誰かに見せるための清廉さを出す必要はない。
カウンター下に置かれたバッグを一つ引き出し、中身を開ければ新品のタオルが詰まっている。
汚染の単語を今一度思い出し、瀬谷は咀嚼して嚥下する。
「長期間、同一のそれに襲われたか」
「アレやないかな、同人誌ってやつさ」
「……正しくは、魔法男娼か」
サブカルチャーには疎いが、柘榴の言わんとしたことは理解した。初めからそうなることを理解しているならば、何を事前にするべきかは自ずと理解できる。
やはり人間には触手は敵か。触手の異世界的名称、不定形人外が多く生息している国は異世界にある。原種の性質から、繊維質に対する溶解成分は含まれていることから
――いや、まだ早い
この場での独り呑み込みは危うい。不定形人外は水か液体ともつかない塊は、無作為に周囲の魔力を食いつぶすことで変容する。
単純な構造だが、それ故に厳選された環境の中で取り込まれ――最悪知性の獲得で君主制の頂点に立つ。その例がいるとなると、最悪それが直接関与している。慎重に見定める他ない。
――苗床か
不定形人外自体は卵生でも胎生でもないが、人間の状態から状況としては考えうる。研究者の仕業を考慮すれば、さしずめ異世界由来の魔力と人間との汚染反応研究が妥当か。
逃げた者にしては大胆だと感嘆した。
――大胆すぎる
ここまで人間に直接関与しているとなると、逃げるより死ぬほうが早い。せいぜい切り捨てられる子分か雇われに頼み遠くで珈琲を啜ってれば、安定して成果を取れる。
当事者への警告と小人への欺きは整っている。コーラと瀬谷が呟けば、柘榴が頬にコーラを当てる。まだ水滴が滴り落ちて冷え切っていた。
「言語重ねするべき?」
「念のため、知能が分かってない」
「iceしか分からん……」
渋々言いながらコーラを振り、ドアと付近のカウンター目掛けて投げつける。
鈍い音と同時に奥の扉が開き、いやらしく甲高い声とともにゲルが這い出た。
目先のみだと水晶体に近しい透明色、露骨な凹凸は象らず、触手は丸っこくふわふわと動く。近くコーラを探り当てれば、そっと撫ぜて巻き付いた。
「寒山枯木、雪上加霜」
瞬時に中身が凍結、プラスチック容器は対応しきれず爆破する。だが暴発に触手は掴んで離さず、孔を探し当てそのまま押し当てた。
赤褐色の氷砂糖が中に入り込み、飲み干された。虹色めく可視光線を放つ本体は透き通ったままだが、コーラは微炭酸を含ませた個体として漂う。
音もない抽出、滔々たる機械的所作だ。多少音に関しては反応はするが、投げた方向については思考を持たない。
もしくは思考回路のない知能の低いものと推測出来る。
穴については反射的に突っ込んだとしたら、今の少年に対する仕打ちも納得した。
用済みとなった空の容器を触手は投げつけ、また元の部屋へと戻る。器用に扉を閉めてはまた彼らとの密室にした。名残は、粘液とみぞれに濡れた空のペットボトルのみ。そっと近づき、襲撃されないと確認した。
「……集めてくる、その間ドアのあれ直して」
「元通りにさせっか?」
「出来れば両方……無理な時は無理だが不安要素は潰せ」
「りょーかい」
最低限の介入はした。
丁度部屋には、対象者の物が下着も込みで積み重なっている。柘榴が頷いて部屋を出るなり、収集を開始した。とにかく個人的に情報が欲しい、と、土御門の物らしい鞄を開ける。ペットボトルの口をティッシュで拭き、食品用保存袋にしまった。
触手に襲われた痕跡がないかぐるり見渡す。ドアに水分を含みきったシャツが挟まっていた。同情しつつ、粘液は採取しつくした。
ここまで直に触れた物だと後の特定もしやすくなる。今日中に部長に渡せば、多少の進展も望める。
――だが
未だ奥にくぐもって咽ぶ少年らの声が気にかかる。いい気分はしないが、ここから逃げなければならなかった。
単純に、機関は現実世界の人間の救済を目的としていない。あくまでも第三者として情報収集に徹して、救済については過程の上の必要所作でしかない。現実世界と異世界の味方よりも、それらからつまみ出されたならず者らしい考えだ。浸かれど憑かれずな瀬谷鶴亀は異端だが、瀬谷家がならず者である限りは機関に居続ける。
しかし、と、作業を止めひとまず考えた。
松川を除いた密会とはいえ、何故密室での密会を選んだのかは鮮明ではない。確かに笠井の言う通り、松川の空回りで他が何か結託していた、というのは納得は行く。
――だがいつの話だ
あの年頃の少年らならば、迷わず現代的かつ手っ取り早い通信機器のやり取りを選ぶ。だがそれが出来なかった、彼らの証言が口述のみであった。それは瀬谷の協力者が得意とする、通信機器の情報掠奪が不十分だったと言える。
彼らが機関を知っていた、その説は瀬谷が否定したい。なら彼らはどう見くびろうが、笠井との接触だけは避けたはずだった。
――もしもだ
魔法少年側の考えとして、悪に捕まり、巣におびき寄せられるならまだしもだ。倫理観と死生観とで揉め合うことはないが、失踪するにしては一般人に肩入れしすぎている。
問題のチームよりも異世界か現実世界の犯罪者斡旋が妥当か。そうなると凶悪犯罪の危険から、報告した後日、瀬谷に制圧か器物破損許可が出てくる。
腐ってもいずれかの世界の一員である彼らは、物理や金銭で最低限の犠牲に留めるが常識だった。
――アイツは
笠井を思い出した。瀬谷よりも筋力が細く、小柄でたどたどしい。素質は部長が手綱を握る限りはあるにしてもと、そっと制服に目配せする。彼らと同じく、そして瀬谷ほど脆弱な個体であるに変わりはない。
少年らが巻き込まれている事態に、笠井に巻き込ませるか、瀬谷はそれを気に掛けていた。
一員として甘い顔は出来ないが、17歳の若さは瀬谷を思い留まらせる。調査員としては、部長が指令を下さない限りは深く踏み込まない。実際、無関係にある位置にいる松川を調査した上で、何もなかったと結論付いたら、彼の仕事は終わる。
――俺が正直に報告したら
気分は悪くはなるが、瀬谷は目の前の暴行に関しては、松山に従い無視することは出来る。急に殴れ蹴れだの言われたら、一撃で仕留める経験と手練手管を備えた。その同等の覚悟を笠井は持っているのか、それは大きな疑問だった。
つと、瀬谷のスマートフォンにバイブレーションがなる。通話画面に切り替わり、名には「笠井」と記載されていた。タイミングが悪すぎる。苦い顔をして瀬谷は受け取った。
通話を押したはずが、過度なブレスのみが発せられる。想像していた幼い声はない、するべき動作と行うべき鎮静とが噛み合っていなかった。
「笠井か?」
咄嗟にノイズが止まり、彼は大丈夫ですとだけ答えた。しばし沈黙しては、薄い息を吐く。ふざけているのかと茶化すことが出来ない。
「松川が……死んだんです……」
笠井にも、冷静さを欠いた人間と同じ行動を取るらしい。