×考察2/部長×蓮
夢見心地にもなれないが、機関はファンタジーとリアルを情報で繋ぐ組織とは聞いている。対人情報収集があれば、電子工学に長けた異世界人を考慮した上での、電子情報収集もある。
異世界人から見れば、高度科学至上の世界は非現実的、甘美であり、また知性を持った餌か敵と見ている。そこから揚げ足を取るように、自らの利益の為に情報を獲得する集団、と部長から聞いている。
この世界を拠点としている以上、中立的な立場であれ人間寄りの組織ではと巡らした……が、目の前の部長によって一瞬に否定される。彼こそは人間に対しても、異世界人に対しても最も有害な存在だった。
帰り際、部長をじっと見つめる。金髪碧眼の白人男性。ハーフバックに崩しネクタイは外されている分、やや軟派な印象を与える。時間はもう深夜の三時か四時辺りかと記憶しているが、眠たげな様子はない。ラフだが格好だけは計算ずくで整えている。いずれにせよラフは守るが隙は見せないということか。
髪の先から爪先まで、他人に怖じを生ませるために1ミクロンまで拘泥した造形がそこにある。
――むしろ気持ちが悪い。
完璧愛好者と称されるべきだろうか。仕事も同様に完璧に理解した上で、下っ端の蓮に裏付けの裏付けを取らせて、完璧を証明させる。対象者がアリで謎がアリの巣でも、卵の数から人口まで網羅しなければならない。簡単だ、完璧を求めようとあたふたする人間を見るのも、部長は好きだ。だから無理難題を躊躇いなく押しかけてくる。
当の本人は、機関の部長としての役目を演じ終えたらしい。深い息を吐いて、父親のフェーズへと目つきを変える。三輪春彦、天涯孤独の蓮の面倒を見るやたら金はある養父。だが外見は全く変わらず、金髪碧眼のままであった。
――違う
嫌な目つきを変えずして視点を蓮に向け、見据えていた。
何も変わっていない、未だ部長だと気付いた頃には、既に長い指は蓮の腕を捕らえ引き寄せた。いつの間にか距離が目と鼻の先にある。より近く、際どく伝う吐息に悪寒を出す猶予はなく、片手で顎をすくわれて口づけられた。
ふわりと、後に常時身につけていたコロンが漂う。肉厚の舌に反した、瀟洒で潔癖を表すシトラスの香りがするが、奴の一部として鼻腔を侵される。
顎から首筋に手を滑られ、喉元を撫ぜられた。爪を軽く立て、浮き出た骨をなぞればむず痒く、以前より鮮明に伝わる。爪が、多少伸びていたらしい。親指で軽く脈を抑えられると、呼吸を求め口が嫌でも自然と開き、舌の侵入を許した。
部長、養父とは頭一つ分に身長が違う。多少屈んではくれたが、それでも無理に背伸びさせられる。不意に内壁に舌が触れると身を震わしたが、身じろぐ度に腕は強く引き寄せられた。
舌は恐らく、異様に長く設定されている。蓮の舌と歯茎をいたぶる代わりに、舌先が喉奥に触れて丹念に舐め回された。嘔吐感、嫌悪の情に唇と歯を閉じようとすると、屈折して食道に入らんとする。嫌ならそのまま胃まで入る、と教えたいか、しばらくそれは続いた。
――辛い
身体が揺らぐ、が、前後にはソファがある。奴に身を預けて倒れ込むのも、身を委ねようと後ろに倒れるのはどちらも考えるだけで総毛立つ。まだしっかりしていた両足で支え、背伸びで維持する。
それを部長は褒美としたか、舌が上顎を擦り、耳の穴に指を突き入れ水音を聞かせた。膝が崩れかけた。指でえづくのと何ら変わりない動作、不足した血液の酸素が駆け巡り苦痛が滲み始める。
恐る恐る、目を開ける。談話よりダイレクトに青の網膜に蓮が入りこむ。苦しみと混じり、それは海中の青として蓮を閉じ込めていた。目が合えば、舌の筋が和らぐ。爽やかさ、清涼とは何一つの程遠い目が細められた。
――クズが
ようやく唇から離されると、蓮は空気欲しさに浅い呼吸を繰り返した。息切れする喉は痛み、唾液が止まらない。ただ咽頭淫を施されるより軽度に、養父を父と認めないものとしては楽ではある。恋人風に可愛がられるよりは、ずっといい。
「……気にはなったが、話す時は口をもう少し動かせ、水飲む?」
口端に溢れた唾液を素手で拭われる。お前の気遣いなど必要ないと、黙って首を横に降った。
「普通に言え」
「言うだけじゃ聞かないだろう?」
「……確かに、辞めたくなるくらい無理」
自らまた口を拭えば、鼻からチョコレートの香りが抜ける。濃い味をした、カカオマスの、ビターを彷彿とさせる色香。風味が一昨日口にした養父の贈呈品とよく似ていた。部長は今の父親ではあるから、それもそうだろう。
部長、養父の口調は柔らかくなったが、それでも意地の悪い口調がチラつかせていた。一段と、眉を顰めた。
「辞めないくせに……エージに自慢したいね」
「……呼び捨てにされる上司とか会っても無駄」
「そんな硬いものでもない」
何か言いかける間髪、部長のスマートフォンが鳴り出した。通常、そこで気を悪くするような人物だが、今日に限って一段と笑みを深くしては取り出した。
「運命共同体、メール見る?」
「いらない」
ああそうと呟かれたが、残念そうよりも浮かれきった口振りをした。多少、用件はあるのか書類を提げながら蓮よりも先に退出された。
恐ろしく広い書庫に、自分だけが取り残された。一旦、誰も居なくなったのを再度確認して、ソファに深くもたれかかる。肉体の弛緩を実感する。化物の血はあると言われど、嫌な者を目の前にしたら緊張状態には陥る。急に口づけをされたら勿論、余裕に受け身でいられることはない。
上から見ても下から見ても、ブックシェルフにはファイルの背が連なる。背には協力者の名と日付、対象の異世界の地名等を簡略化させた識別番号だけが油性ペンで書かれている。それぞれ違う物として立ち並べばそれぞれ違う情報の数々だが、価値は同等にほぼ無い。これが蓮を含めた、しがない交渉者の努力の結晶の末路だった。
今ここで蓮が歩き、薄くかぶったホコリを払い落とし、ファイルを取り出しても誰も咎められない。その程度の異世界についての情報が並んでいる。大部分、この地区周辺の異世界由来の事件の調査と、いつか無用とされる異世界世情で構成される。それらは規約に従い、とりあえず本棚の中で保存期間がすぎるまでただ生かされる。
今回の資料は部長が手に持っているが、いつかは本棚にしまい込まれるだろう。
――何が魔法少年だ
創作物のような組織を名乗りやがって。部長の前では主観的な証言は避けていたが、荒唐無稽と言いたかった。
異世界にも、固有の文化やそれを育ててきた叡智はある。それはこの世界で言う魔法であり、異世界では何ら普通な存在でも、悪魔的だの神秘だの言われる。とにかく、この世界では異世界の魔法は勿論、化物の存在などまだ非現実的で未知なるものでしかない。
そして未知である以上は、脅威でしかない。こことは異なった価値観と生態で成り立った生き物が、人間愛護に走るのは考えにくい。今でも人間自身がまともに成されていないのを加味すれば、にくい、というよりは有り得ない。ゴーレムを「敵」、しかし魔法少年団体とやらを味方と断定するのは都合の良い考えだった。
ポルルンが何であろうが、所詮は人語を話し文化に馴染み、何者にでも変えられる化物しかない。
――だがこれをどう説明する?
異世界には魔法使い、吸血鬼、フランケンシュタインの特性と似た種族が存在する。だがそれは「似た種族」、「該当される者ども」であり、人間が指すフィクション、宗教上の存在と同一ではない。
――「名称」を借りた異世界人か
そう説明した方が無難だろう。結局は魔法少年団体とやらは、ここにある創作物を利用して、何とか一般人の接触に成功している。
よく考えてみれば宇宙人も同じだ。日本人は宇宙から来た未知なる生命体を宇宙人と呼び、人体実験や人間の視察のためにUFOを使うと噂される。
だが、彼ら自身本当にUFOを使うのかは分からなければ、正式な種族名は「リトルグレイ」でも「宇宙人」でも「エイリアン」とは限らない。単なる記号であり、大方真実が明らかにされる度に更新される、曖昧で一時的なものにすぎない。
――嫉妬は、してるか
あの淫魔の言う通り、多少嫌気はさしているかもしれない。夢がある騙された者に愚かだと侮蔑するのは、無意識にある知ってしまった自己嫌悪、とも思える。ただ、こんな面白みのない種明かしをしてきたのは部長側からだ。それを受け入れたのも蓮だった。
――気味悪がられるよな
乾燥しかかった唇を触る。何よりも、何がどうあれ深く知ることにも代償はやってきた。例えば養父からの薄気味悪い優しさ、上司からの教育、得体の知れない実父への歯痒さ。あらゆるものがバイトで累積していく度に、慰めるようにして父親面の他人に口付けされる。
何より、被害に遭っても対象者達が明るく生きている姿には、蓮には凶器そのものに見えた。だが男子高校生として生きるなら、性に奔放な家庭と職場から逸し、無垢を残して生きるしかない。
自分を律してさえいれば、秘め事は分かりはしない。養父が正真正銘の淫魔としても、父子をともに演じる自信だけはあった。
「snpiu……」
不意に、組織のスペルが気にかかった。魔法少年と騙るにしては名前作りとは凝ったものだが、魔法に文字は関係していると瀬谷が言っていた。
Pinus、とスマートフォンの検索欄に打ち込む。母音の配置を考えてアナグラムで並べるなら、このくらいだろうか。到底簡単な仕組みとは思えないが、験担ぎ風の気休めには丁度よかった。
『マツ属(マツぞく、学名:Pinus)』
「……へえ」
他の隊員を瀬谷に任せたのは、正解かもしれない。