08 37歳元ラノベ作家、裁判を傍聴する
俺は今、地方裁判所にいる。
初めてここに来たのは、確かラノベ作家としてデビューしたばかりのときだった。
なぜそのタイミングだったのか、まあようするにだな、
「人間観察のためだよ、今後の作品のキャラ作りに活かせるかなって」
って台詞を、当時、付き合い始めたばっかの女に言いたかったってことだよ、言わせんなよ恥ずかしい。
正直、ラノベのキャラ作りにはまったく活きない経験だったが、それからも一年に一回ぐらい、ふらりと行っている。
裁判の傍聴というのはびっくりするほど簡単で、とりあえず、入り口の警備員に対して「よ」って感じで右手を挙げて中に入ったあと、ボードに貼られている今日の裁判一覧表を見て、これにすっかと決めたら、開廷までロビーのソファでふんぞり返りながら待って、開廷時間五分前ぐらいになったらエレベーターで裁判が行われるフロアまで行って、法廷に入ればいい。
誰とも口きかなくていいし、個人情報を書かされることもない。
で、開廷五分ぐらい前だと、弁護側も検察側も関係者が着席していて、このあとは裁判官の入場と、刑務官が腰縄つけた被告を連れて横のドアから出てくるのを待つだけって感じなんだが、今、俺の数メートル先の被告人席の近くに、なんか、黒のスーツを着て、ものすごくうつむいている奴が頭を抱えて座っている。明日、世界が終わるって感じの勢いだ。
あれ何者? 俺と同い年ぐらいに見えるけど。
被告?
でも、被告って最後に入ってくるよな、いつも。
よくわからないうちに、裁判官が三人入ってきて、傍聴席に座っている人を含めて起立と礼をし、裁判が始まった。
ちなみに傍聴席にいるのは俺みたいな奴が数名と、大学の授業かなんかで来たらしい女子学生が七、八人、それとスーツを着た学者風のおっさん。引率の先生かな。
罪状が殺人だともっといろんな人が集まる。どこのマダムだよって派手な格好をしているおばさんが、女子大生の分厚いスケジュール帳の、そのまた倍ぐらい分厚い手帳を持って、「今日はこの裁判熱いから」とか語っていたり。
勉強目的、あるいは関係者が出廷しているからという理由以外で裁判を傍聴している奴の中には、被告と自分の境遇を照らし合わせて、「ああ、あいつよりはましだな」と安心したいから来るという奴が結構多いんだよ。
テレビで見た知識だけど、ギャンブル依存症の奴がギャンブルから抜け出せないのは、ギャンブルで感じる安心感のせいらしい。
ギャンブルで当たると、当たってよかったっていう安心感によって脳に麻薬みたいなものが分泌されて、それが強烈すぎてやめられないと言っていた。
分厚い手帳のマダムも、被告を見ながら、この人と比べて自分はなんて恵まれているんだろうと安心感を感じることをやめられねーのかも。俺も自分と被告を比べることがあるからな。
それで肝心の裁判だが、ものすごくうつむいていた奴は、やっぱり被告人で、電車の中で女子高生の体を触ってしまったという話らしい。ようするに痴漢だ。
勤めていた会社は首になったけど、被害者とは示談が済んで、親が探してくれた会社で働くことも決まっているとか。
だったら、執行猶予だよねってことで裁判は終わった。
被告は、痴漢はしたけど、これからもたくさんの人間関係の中で生きられて、一般的な収入を得られる。
俺は、犯罪は犯していないし、本を何冊も書いたけど、今は限定的な世界の中でわすがな収入で生きていて、きっとこれからも抜け出せない。
席を立ちながら、どっちがいいのか比較してみようと思ったけど、安心感は得られそうにないなと思い直して、俺は法廷を出た。